第23話 忘れがたき

「遅いから迎えに来ちゃったよ。

 お一人様専用とか言ってた割に、

 案外簡単に辿り着けるんだねこの洞窟。

 それとも、僕が来るのを君が待ち望んでいたって事かな?」


「……レイはこの洞窟で、何を知ったの?

 そして、王都で何をしていたの」


「僕はこの洞窟で、ルイを殺した女の姿を願った。

 そして、女の子の姿を見たよ。君とよく似た、女の子をね……

 王都でその外見を頼りに、彼女の正体がヒミコだと知った」


洞窟から戻った時、

私を見るレイの表情がおかしかったのはそのせいか……


本人にヒミコだという自覚がなかったせいで、

彼の左眼はユメコを見定める事が出来なかったのだろう。

それがずっと、レイを悩ませていた。


「この僕が、珍しく本を読んだんだ。

 異世界転生もの、だっけ?

 お陰で全てがスッキリしたよ」


せっかくならもっと、幸せな物語を読んで欲しかった。

レイが面白いって思えるような本を、

いくらでも探してあげるのに……


けれどレイの左眼に、ユメコの願いが届く事はなかった。

その眼孔は、復讐に捧げてしまったから……

レイの左眼は、他の何かを映せない。


「あぁ、左眼でハッキリと君の姿が見えるよ……

 ユメちゃん、僕はずっと君を探していたんだね」


ユメコは心の底から、神様を呪った。


だったら最初から、その左眼で捉えて欲しかった。

そうすれば、こんなに苦しまなくて済んだのに……


「さぁ、そろそろ終幕といこうか」


ユメコの額をめがけて、レイが迷う事なく弓を構える。


いつも隣で眺めていた仕草を正面から見据えるというのは、

とても不思議な感覚だ。

しかも今のレイは、左眼で照準を合わせている。

右眼でもユメコの姿が映る筈なのに、

仇にしか見ないという暗黙の了解なのだろうか。


「ユメちゃん……

 逃げないの?」


あの夜と同じ響きが、こんなにも残酷な色に変わってしまった……


ユメコは大切な寝物語が崩れ落ちた様な感覚に陥る。

私たちの時間は、悲劇の為に存在していたとでもいうのだろうか。


ユメコはレイの冷たい眼差しに凍えて、耐えきれずに目を逸らしてしまった。

それを覚悟と捉えたのか、レイの手から遂に告別の矢が放たれる。


本当にレイが、私を殺そうとしていた。


「馬鹿野郎! 何考えてんだ……っ!!」


ツカサがユメコの前に立ち塞がり、

盾で弓矢をはじき飛ばした。


私を背で庇うツカサの姿は、勇者さまそのものだ。

ツカサは必死に私の事を守ってくれているのに。

私は一体、何を考えているんだろう……


決断出来ずにいるユメコを尻目に、ツカサが剣を抜く。

ユメコは慌ててその手を制した。


「待って、私が! 私が戦わないと!!

 レイの目的は、私なんだから……」


「駄目だ。お前、あいつに殺されても良いと思ってるだろ」


「……っ!! そんな事……」


ユメコはツカサに返す言葉がなかった。

事情なんて知らない筈なのに、何故ツカサにはバレてしまうのか。


そんな二人の会話を急かす様に、レイの放つ矢は止まる事がない。

ガンガンと、盾からけたたましい音が響いてくる。

向けられる敵意が、一矢ごとにユメコの心を抉った。


「ユメちゃん、少しは僕にも構ってくれない?

 あんなに沢山の夜を共に越したのに、冷たいじゃないか」


「はぁ?! あいつ、何言って……!!」


「野宿! それは野宿の事だから!!」


こんな時でも軽口を叩かれると、普通に突っ込みたくなってしまう。

けれどもう、それで笑い合える優しい時間は過ぎ去ってしまった……


なんだかんだ言って、

私はレイとのそういうやり取りが楽しかったんだと思う。

それに、口は悪いけれどレイはいつだって私を守ってくれた。

気絶した時はずっと傍で支えてくれた。

それなのに、私は……


「……ごめんなさい」


「謝らないでくれる? そういうの、本当に腹が立つからさ」


「そうだよね。私はレイに、何もしてあげられない……」


「……僕の為に、死んでくれない?」


レイの切実そうな言葉が、ユメコの胸に突き刺さった。

自虐的な笑みが苦しそうで、ユメコは助けたいと思ってしまう。

命をあげても良いかもしれないと、つい考えてしまうのだ……


最初から私を殺そうとしてさらった男が、最終的にその結論に達しただけ。

それなのに、何故こんなにも心というのは変わってしまうのだろう?

最初だったら、絶対に死んでやるもんかと思っていたのに。


「駄目に決まってるだろうが! こいつは絶対に俺が守る!!」


そう言ってツカサは、盾を構えたままレイに向かい突進していく。

近付かれたらレイにとっては不利だろうと思い、

危ない!と叫びそうになってしまった。

一体どちらの味方なのか……


しかしユメコが心配するまでもなく、

レイはある程度の距離になると弓矢を手放し、

背中から折り畳み式の両極双頭の薙刀を取り出すと、一瞬で組み上げた。

そして軽やかな身のこなしで、

盾を捨てて飛び掛かってきたツカサの重い一撃をいなす。


「悪いけど、僕が得意なのは元々薙刀なんだよね。

 そう簡単に行くとは思わないで欲しいな」


リンさんたち解放軍の女性は皆して薙刀を使っていたが、

あれはレイが指導したものだったのだろうか……

ユメコは遠い日のレイに思いを馳せた。

その頃に出会っていたら、どうなっていただろう。


「くそっ! こいつ、本当に強い……!!」


「お褒めに預かり光栄だな。

 ねぇ、君はユメちゃんの事が好きなの……?」


「はぁ?! いきなり何言い出すんだよ、好きに決まってんだろ!」


真剣で小競り合いをしている最中だというのに、

突っ込みから告白までを一呼吸で言わないで欲しい。

レイもそんな反応が返ってくるとは予想外だったようで、

若干驚いた表情をしていた。


「素直な事で、羨ましいよ」


「お前はなんでユメコの事を襲うんだよ!!」


「そうか、状況がまるで分かってないんだね。

 簡単に言ってしまえば、僕はヒミコに恋人を殺されているんだよ。

 だからこれは、正当な復讐って訳だ」


「何言ってるんだ? ユメコとヒミコは別人じゃんかよ!」


「……この世の誰もが、

 君と同じように物事を簡単に割り切れると思ったら大間違いだよ」


小競り合いにも飽きてきたのか、だんだんと苛立ちが募ってきたのか……

言葉に若干の怒気が籠り始めると共に、

受け流すだけだったレイの太刀筋が重くなっていく。

レイは両刀なだけに手数が多く、ツカサは戦いにくそうだ。

あの薙刀に対抗するのなら、双刀が相応しいに違いない。


「なら何でお前は、ユメコの事が好きなんだ?」


「は……?」


「お前がユメコを襲う理屈には興味がねぇ。

 なんで好きなやつを殺そうとするんだって聞いてんだよ俺は!」


「うるさい!!!」


レイの薙刀が、とうとうツカサの剣を弾いた。

キインっという澄んだ音が、辺りに響く。

それが引き金となった。


ユメコには最早、2人の会話が耳に届いていない。


ただ意識を研ぎ澄まし、読んでいた。

振り下ろす相手を間違えた双刀を、もう一度……


「お願い、私に力を……!!!」


ユメコの学生カバンが淡い光を放ち、だんだんと形を失っていく。


その光は徐々に2つに裂け、陰陽を象る勾玉の形になったかと思うと、

次の瞬間には研ぎ澄まされた刃と化した。


夢で見た、あの双刀だ……


ユメコは素早くそれを両手で捕まえると、

ツカサに振り下ろされた薙刀を、クロスした双刀で受け止めた。

ガキンっと鈍い音が、ユメコの身体の中にまで重く沈んでいく。


驚く程に馴染む双刀が、やはり私はレイの仇なのだと教えてくれた。

どう動けば良いのか、手に取るように分かる。もう引き返せない。


「やっと相手をしてくれる気になったんだ?」


「うん、人任せになんか出来ないよ。

 これは私が受け止めなきゃいけない事だから」


「……死んでくれる気になった?」


「ごめんね、無理だよ。

 だから今度は、私がレイをさらう」


まるで会話をするかの様に、2人の剣技は息がピッタリだった。


双刀と両刀。


その繊細な身のこなしと手さばきによって、

鋼のぶつかり合う音が楽器の様に共鳴し続ける。

互いがどこに打つのか、分かっているのかと思える程だ。

それは2人で舞っているかのようで、

ツカサは思わずその戦いに見惚れていた。


「手足を縛って、気絶させて、かついで持ってく」


「ははっ!

 自分を殺そうとする相手をかい?

 まさかまだ最初に拉致った事を根に持ってる訳?」


「そうかもね。私の仕返し。

 レイにはただ、私の傍で生きていて貰う。それだけ」


「……何それ、サイッテーだね」


「最低なのはお互い様だったでしょ?

 少なくとも、私とレイの間では」


そんな悪態をつきながらも、

この時間がずっと続けば良いのにとユメコは願っていた。


レイが私に刃を振るう事で、少しでも気が紛れるというのなら……

それを受け止め続ける事が出来たら、どれだけ心が楽だろう。

だって私はレイに、身勝手な願望を押し通そうとしている。


「私はやっぱりヒミコにはなってあげられないよ、ごめんね」


「今度は責任逃れ?」


「違うよ、ただのワガママ。

 私はレイと、一緒に居たいから」


レイの手が揺らいだ。

突然の事でユメコは刀を止める事が出来ず、

片方の刃がレイの右眼を霞める。


遂に血が流れてしまった。


「……っ!!

 ユメちゃんは本当にひどいな、

 よりによって右眼を奪うだなんて……」


「ご、ごめん!」


レイを傷つけた感触にユメコの手は震えたが、

しっかり受け止めなければと思い、ぐっと柄を握りしめる。

レイの右眼は血で閉じてしまい、当分は開きそうになかった。


それなのに……


「……右眼がなかったら」


レイが何故か、笑っている……


「もうこの世界で、

 君しか見えないじゃないか……」


何故そんなに満足げな顔をして笑うのだろう。

まるでカーテンコールに向かう演者のようだ。

そう、お別れの挨拶みたいな……


「レイ、どうしたの?」


そこまで深い傷ではないはずなのに、

まるで致命傷の様な手応えを感じた事に、

ユメコは一抹の不安が過ぎった。

先程から、レイの様子がどこかおかしい……


いぶかしげに様子を伺っていると、

ユメコの視線がレイの右眼以外に異変を捉えた。

血の気が、さざ波を返すようにスーッと引いていく。

ユメコの手から、戦う意志と共に双刀が消えた。


レイの唇に、一筋の血が零れている……


「レイ!!!」


ユメコは無我夢中でレイの元へと駆け寄った。

これは明らかに、刀のせいではない。


「どうして?!

 一体なにをしたの……?!?!」


レイは立っているのもやっとの状態だったようで、

駆け寄ってきたユメコに全ての体重を委ねた。


突然寄りかかられても支えきれず、

レイとユメコはもつれる様にして地面に転がる。

耳元に聞こえてくるレイの呼吸は、

荒いだけでなくて何か嫌な音を立てていた。


全身が不安でざわめくのを感じる……


ユメコは慌てて膝の上にレイを抱えると、

その上半身を支えた。

一体何が起きたというのだろうか。


さっきまで、普通に話をしていたのに。

一緒に生きていこうと、勝手に決めたのに……


「別に、何もしてないよ。ただ契約の時が来ただけ」


「契約って、どういうこと?!」


「ルイの薙刀を使う時、僕の魂を差し出す。

 それが魔物から左眼を貰う為の代償だ。

 復讐する時に後払いで良いなんて、優しいよね……」


こんな時まで冗談めかして笑うから、

ユメコは涙が溢れて止まらなかった……


レイの左眼は涙なんて流せないのだろうが、

ユメコの涙が頬を伝い、まるで泣いているみたいに見える。

レイは頬を伝うその感触を、懐かしんでいるかのようだった。


「泣く事なんてないじゃないか。

 僕は君をさらった男だし、最終的には前世の因縁で殺そうとした男だよ」


「でもレイは悪くないじゃない! レイは別に、悪くなんて……」


「いや、悪いよ。

 僕はルイを失った時に、全てから逃げ出した。


 解放軍の皆を見捨てたし、

 わざと女を傷つけた事だって君と出会う前に何度もあった。

 殺したい女を探すだけじゃなく、女全体に憎しみをぶつけたりもした。

 それじゃまるで、エビルと変わらないじゃないか……」


「そんなの全部、もとをただせば私が……

 ヒミコが……!!」


「そう、君に目を奪われたからだ」


「分かってる。私がレイの左眼を……」


「違う。僕はあの時、戦場で。

 馬にまたがるヒミコの姿に、一瞬…… 見惚れたんだ。

 後光に照らされた彼女の姿は、神々しかった……」


「え……?」


夢で出会った、レイの瞳を思い出す。

まるで激しい恋の様な、敵意。

あの灼熱が、レイの全てを焼き尽くしてしまったというのか。


「そんなマヌケな僕の為に、ルイは笑顔で盾になって死んだ。

 許せなかったよ、自分が……

 だから僕は、左眼をえぐった。

 本当は、死んでしまいたかったけど……」


レイの手がユメコの頬に触れる。

その手は震えていた。もう永くはないのだろう。

ユメコは繋ぎ止めるかの様に、その手を固く握った。


「君の顔を、一目見てみたかったんだ……」


こんな時になって、やっと。

レイの本当の言葉を聴いた気がする……


「……どうだった? 実際、会ってみて」


「顔は思ってたより全然普通だった、

 あの時なんで見とれたりしたんだろう。

 本当に痛恨のミスだったよ」


「なにそれ、相変わらず酷い言い方」


「当然だ、僕はちゃんとルイの事を好きだったんだから。

 復讐をしたいと心から願っていたのは、間違いなかったよ」


それは分かっている。

ルイさんの事を話す時のレイの瞳は、偽りなんかじゃない。

本当にそれはきっと、ただ一瞬の事だったのだろう。

それがレイの心をズタズタにしてしまった……


「でもユメちゃんと一緒にいて、君の事を知るうちに……

 笑顔にルイの面影が重なって。

 それなのに、ヒミコの面影もあって……


 正直、洞窟から出た後は君の傍にいるだけで気が狂うかと思ったよ。

 何故君が、僕の全てを握っているんだろうって。

 君を殺さないと、僕は耐えられそうになかった……」


「それで自分が死ぬと、分かってたのに?」


「ははっ! 心中でもする気だったのかな、嫌だね本当に。

 ……君は多分、僕の運命に定められた人なんだろうね」


まただ。運命。本当にそんなものが決まっていたのだろうか? 

その運命は、末永く幸せに暮らしましたではダメだったんだろうか。

私はレイに、幸せになって欲しかった。笑顔になって欲しかった。


「ごめんね、ユメちゃん。悪いけど僕の事、一生背負って……」


そう言い残して、レイの身体からは一切の力が抜けた。

最後まで本当に身勝手過ぎる。

なんて酷い事をするのだろう。最低だ。

これが一番、私にとっては復讐かもしれない。

いっそ嫌い抜いて欲しかった。

これじゃまるで、愛の告白みたいじゃないか……


「……っ!! レイ……!!!」


ユメコはレイの亡骸を抱きしめて、涙が枯れ果てるまで泣いた。


この物語を、書き換える事が出来ないのならば。


ユメコは神様の事を、到底許せそうになかった。

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