第17話 夜の栞
後宮に潜入してからの一週間は、
怒涛の様に過ぎ去っていった。
宮殿の作法や仕組みなど、
ひたすら座学に追われ、ユメコはクタクタである。
レイやリンさんと別れて一人というのは不安だったが、
思っていた以上に後宮の人々が優しかったのでユメコは驚いた。
乱暴な扱いをされるどころか丁重にもてなされ、
時折すれ違う女性たちも楽しそうにしている姿が多い。
女人狩りのイメージとは随分と違ったことに、
ユメコは動揺を隠せなかった。
「本日は、初夜のお相手を見初めていただきたく思います」
呑気にお茶をすすりながら拍子抜けだと感じていたユメコにとって、
あまりにも唐突すぎて思わずお茶を吹き出すところだった。
綺麗な宮廷服で着飾っているというのに、
飲み物で汚すのは忍びない……
けれど恥ずかしげもなく初夜だなんて言われると、
妙に生々しく感じてしまった。
「あちらの部屋に男たちがおりますゆえ、
選定に参りましょう」
選定って、なんだか出会い系みたいで嫌だな……
そう思いつつもユメコは重い腰をあげ、
仕方なく男の後をついていった。
「後宮の定めとして、入内して暫くの間はお相手を選ぶ事が可能です。
とはいえお顔での選定ですから、扇で指していただければと」
そんな説明を受けながら辿り着いた襖を、宮仕えの男は小さく開けた。
そっと中を覗いてみると、確かに眉目秀麗な男たちが沢山並んでいる。
慣れるまでは相手を選べるなんて
優しいのか残酷なのか良く分からない仕組みだが、
その中にツカサを見つけた瞬間、ユメコの心は躍った。
ツカサは男たちの中で、居心地が悪そうに座っている。
どこを怪我している様子もなく、
無事な姿を見てユメコはホッとした……
見つけた! というテンションの赴くまま、
ユメコは迷わずにツカサの事を扇で示す。
あまりにも即決だった為に男は少し驚いたようだが、
すぐにやれやれと言った調子で笑った。
「一目惚れですかな?
確かに美しい造形で、お歳も近そうですね……
あの男も、初夜はまだのはず。お似合いでしょう」
初夜はまだという言葉に、ユメコは胸を撫で下ろした。
良かった、まだ人権は損なわれていないらしい。
今のうちに助ければ、
ギリセーフという事で許して貰えないだろうか……
「それでは、今宵はあの男を貴方の元へと送りましょう。
朝までごゆるりと、お楽しみを」
そんな言われ方をするといたたまれず、
ユメコの顔は反射的に赤くなった。
根暗な女子高生にそういう話をされても困るのだ。
ユメコは改めて、現実世界から随分遠くに来たものだなと感じる。
この世界に来て、一番最初に私を助けてくれたのはツカサだった。
ツカサは私が助けに来た事を知ったら、どんな顔をするだろう……
ユメコは夜を待ち遠しく感じた。
「夜まではまだ時間がございます。
王の元へ謁見に参りましょうか」
「え?! 王様って…… 会えるんですか?」
あまりにも唐突な話で、ついマヌケな質問をしてしまった。
けれど女人狩りを決めた当の本人に会うというのは、なんたる皮肉か。
王様だって、女の人に会うのが気まずかったりしないのかな?
それとも、王様にはそんな人情なぞないというのか……
「王は女人を疎み、妃どころか妾も取らぬ始末。
なので後宮に入る女性には、必ずお会いしていただいております」
「あぁ、なるほど……」
やはり本人的には謁見に乗り気ではないんだな、と分かり安心する。
けれど周りの心配もごもっともだろう。
跡継ぎとかの問題もあるだろうし……
そういえば、今更だけれど王様の歳っていくつなんだろうか?
確かエビル、とツカサは言っていたっけ。
終わらない事を定められた、永遠の国の王様……
「あの、エビル…… 様って、歳はおいくつなのでしょうか?」
「そんな事も知らないとは。
今年で丁度120でございますよ。
王が即位されてより100年の、記念すべき年となっております」
「ひゃくにじゅ……?!」
おじいちゃんなんてレベルではない。
そんな歳で妃やら妾やらと言われたって、
ものすごく困るんじゃないだろうか……
そんな話をしているうちに、
ユメコたちは謁見の間へと辿り着いた。
思わずユメコですら萎縮してしまう厳かな空気の中で、
祭壇の上に素晴らしい装飾の椅子が一つだけ置かれている。
そこに座っているのは、20歳ほどの若者であった。
流れるかのような黒い長髪が美しい。
それにしてもあの人、どこかで見たことがあるような……
「王よ、新しく後宮に入った女人をお連れいたしました」
「えぇぇぇえ?!
王……?!?!」
「こら、無礼だぞ! 頭を下げろ!」
パニックに陥ったまま、ユメコは慌てて頭を下げる。
どう考えたって120歳には見えない……
若作りなんていうレベルではなかった。
「良い、顔を上げよ」
「は、はい!」
いぶかしげな表情のままで声の主に向かうと、
こちらを見下ろすエビルと目が合った。
やはりどこかで見たことがある気がする……
エビルの方も、何故か驚いたような顔をしていた。
「巫女……?!」
「え……?」
私を巫女と呼ぶのは、どういう事だろうか。
宮中には表現を多少扱える巫女も揃っていると聞いたし、
もしかしたら表現を使う人間独自のオーラでもあるのかもしれない。
レイも以前に私の事を、左眼でチラついたと言っていたし。
「……いや、そんな筈はないか。
巫女よりは歳が上だし、顔つきも違う……」
何だか知らないが、1人で納得をしてしまった。
初対面でこんな言い方をするのもなんだが、変な王様だな……
ゲームでいえばラスボスだし、
もっと冷酷で残忍な人だろうと思っていたのに。
まるでただの青年みたいだ……
「もう良い、下がれ」
「ははっ!」
用は済んだらしく、男に促されてユメコは謁見の間を後にする事となった。
どうも何かが引っかかる。
どこで見たんだろう、近所にあんな人が住んでたっけな?
いや、あんなイケメンがいたら強烈に覚えてるよな。
夢でも見たのかな……
夢??
その瞬間、ユメコの頭にかつてない程の痛みが走った。
歩くのもままならず、足を止めて頭を抱える。
宮仕えの男はその様子を見て急かす事もなく心配し、
一緒に立ち止まってくれた。
案外良い人だ。
「大丈夫か? 体調でも悪いのか?」
「すみません、少し頭が痛くて……」
「そうか、無理をするな。部屋に戻ればもう男がいるだろう。
存分に慰めて貰うがいい」
言い方がちょっと嫌な感じだが、
それでもツカサに会えると思えば気持ちが高まり、
ユメコの頭痛は少しだけ軽くなった。
最近は色々な事を考え過ぎた。
いくら寝ても休まらないし、常に頭が重い感じがする。
久しぶりにツカサの、脳ミソ空っぽみたいな笑顔が見たい……
その気持ちがはやり、ユメコはついつい速足になってしまう。
部屋まではもう少しだ。
「見送りはここまでで良いな。また朝に迎えに来る。それまで楽しめ」
その言葉を背に、ユメコはもう駆け出したい気持ちを必死に抑えていた。
最初は美しさに感動したこの服も、今は重くて邪魔に感じる。
ずっと我慢していたものが、溢れ出して止まらない感覚がした。
「ツカサ!!!」
名前を呼びながら、ユメコは大きな音を立てて襖を開けた。
そこには、信じられないという表情のツカサがいる。
まさか私が来るだなんて、夢にも思っていなかった事だろう。
「ユメコ……?!
お前、無事だったんだな! どうしてここに?!」
「助けに来たんだよ!
ごめんね、私のせいで巻き込んで……」
せっかく久しぶりの再会なのに、つい顔を背けてしまった。
罵られてもキチンと受け止める覚悟をしてきたはずなのに、
いざとなれば目を逸らせてしまうなんて…… 意気地なしだ。
「馬鹿だな、助けに来るって…… こんなところまで?
お前、ここがどこだと思ってんだよ。宮殿だぞ?
しかも、女人狩りをしている国の。
異世界から来たお前が、男一人助ける為にどんな大冒険だよ」
確かに、そう言われてみれば無茶苦茶である。
異世界に飛ばされたなら、
普通は世界を救うべく王を倒す為に来るべき場所だ。
そんなところまで、1人の男を助ける為だけに来てしまった。
「だって、私のせいで捕まったのに……」
「ほんと情けないよな、守ってやれなくて悪い。これじゃ立場が逆だよな」
「……ふふっ! 確かに、これじゃツカサがお姫様みたいだね」
申し訳ないと思いながらも、立場が逆と言われて思わず笑ってしまう。
ユメコは少しずつ、頭痛が和らいでいくのを感じた。
やっぱりツカサと話していると、なんだか安心する……
「なら、お前が勇者さまだな。この本に描いてあるみたいな」
そういってツカサは、
ユメコが現実世界から持ってきた一冊の本を取り出した。
この本を読んだのが、随分と昔のような気がしてくる。
「これ、ツカサがずっと持ってたの?」
「あぁ。他の荷物は没収されたけど、本は別に構わないって言われたから。
いくら読もうとしても、お前の国の言葉は全然読めねぇ」
「当然だよ、日本語は難しいんだからねっ!」
「でも、なんとなくお前の事を感じられる気がして、見てると落ち着いた」
そんなまっすぐな言葉を向けられると、ドキドキしてしまう。
離れている間、ずっとこの本を見ては私の事を考えていたのだろうか。
別れ際に私が書いてしまった文章は、まだ有効なのかしら……
ユメコは答えを確かめるのが、少し怖かった。
しかし戸惑っている間もなくツカサに突然手を引かれ、
ユメコは布団の中へと連れ込まれる。
部屋に漂う香が、ふわりとユメコの鼻をくすぐった。
寝具の中にはツカサの体温があり、ユメコをそっと包み込む。
「え?! 何?!」
「本、読んでくれよ。今度はお前がさ」
あぁ、そういう事か……
ユメコは内心で胸を撫で下ろした。
ツカサのこういう所は心臓に悪い。
「じゃあ読むよ? 昔々、あるところに……」
あの日の続きみたいだな、とユメコはなんだか嬉しくなった。
行灯がツカサの頬に落とすオレンジ色の影を見て、
焚き火を一緒に囲んだ夜を思い出す。
ツカサの隣は、いつだってあたたかい……
再会した二つの影が、寄り添いながら障子に揺らめいていた。
やっとしおりを挟んでいた物語の続きに戻れたような、
ここからまた始めていけそうな……
そんな感覚が嬉しくて。
ユメコはツカサに本を読んであげながら、
徐々にまどろみの中へと落ちていった。
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