訳分からぬモノの中にある深淵

 高校生(とはいっても三年)の時、私の文章は新聞に掲載されたことがあるのだが、その時に参加賞なのか図書カードを貰った。それで購入したのがかの有名な小説『ドグラマグラ』であった。というのも、ずっと前から欲しかったのである。それこそ自分の世界を構築する為に必要なものだから、焦がれるくらいに欲しかった。今は手元にありこそすれ、忙しいので読んではいない。読んだら読んだで(朝読書の時に読んだ)、とんでもない深淵がどこまでも続いていたので結局は読むのを辞めてしまったが。

 読んだ感じは一種ののぞきからくり(エロ映画?)を繋ぎ合わせたような感じだろうか。奇妙奇天烈、それでいて続きがある。軸はかなりしっかりしている為、完全に分からないという訳ではない。その中にマーブリングした絵画を、絶叫した人の絵を、サイケデリックな曲を、殺人のショートフィルムを詰め込んだのがこの小説では無かろうか。

 訳の分からないものは基本的に敬遠される傾向があるように思えてならない。抽象画は元より。小説でも分からないものは手を出す人は少ないと思う。音楽は、分からなくても大丈夫な面があるが。私はとあるコンテンツを知ったことで、『ドグラマグラ』を知るに至った。論理は確かに分からない。けれど、深淵を覗く価値はある。そう確信した。

 深淵を覗いても、私の行動指針は未だに変わってはいない。それどころか、拡大し過ぎて構築し終わる気配がなかった。この小説もその中に組み込み、終わらない深淵を構成する為の資材となる。

 頭の中は一貫して何かが動き回り、時には飛び交っている。現に今も初音ミクのMVが再生されているが、その状態でも動き回れることは不思議でならない(ただし、側から見ると何を考えているのか分からないようだ)。そんな私には、訳の分からないものの論理を作り出す素養があるようで、例え絵の具を無造作に塗りたくっただけだとしても、人を惹きつける要素が有ればそこに意味が生まれる。けれど、私の絵で狂った人がいるという話は聞かない。

 深淵には必ず底がある。『ドグラマグラ』にもまたエンディングは存在するが、意味は分からないままだった(主人公の正体は一応掴んでいるが)。私の物語にもエンディングはあるが、そこまでたどり着くことはできるだろうか。

 悲しいことに、今は深淵を覗きに来る人が少ないようである。というのも、人の嗜好が受動的になったのだ。謎が沢山潜んでいるのにも関わらず、非常に勿体ないことである。謎があるから世の中楽しいのに。

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