第十二章 神罰てきめん


 ご、阿藤桃子

 ……かわいこちゃん。

 ろく、赤西翔太

 ……イケメンくん。




 畔田は死んでいなかった。

 警備の警官に発見された畔田は直ちにU市内の病院に搬送され、緊急手術が行われた。

 ここで畔田をさらなる悲劇が襲った。

 両手首の傷もひどかったが、太股は大静脈を傷つけるぎりぎりのところだった。畔田は全身麻酔で眠らされ、腕を開かされ、上下同時に縫合手術が行われた。

 畔田の体は眠っていたが、畔田の霊体は目覚めていた。自分の手術される様を頭の上に浮いて眺めている。

 ああ、死ぬのかなあ……と、思った。

 手術室へ別の医師が入ってきた。

 しかしその医師のグリーンの手術着は、赤黒く大量の血がこびりついていた。畔田の霊体は真っ青になった。

 やめろ、と思う。しかし死にきれず中途半端に肉体につながっている半幽霊の状態で、何も力を持たなかった。

 汚れた医師は、神経を張りつめて太腿の縫合作業を行っている医師の隣に来て、覗き込んだ。

 やめろ、やめてくれ、と畔田は思った。

 汚れた医師が、手術中の医師の手を押さえて、動かした。

 ああ………………

 ドクドクと黒い血があふれ出した。手術していた医師は自分がしてしまったことに呆然とし、助手の警告も耳に入らないように立ち尽くした。手首の縫合をしていた同僚医師が「なにしてるんです!」と怒鳴って、医師をどかして傷口に手を突っ込んで血管を押さえた。

「鉗子で止めろ! 輸血量を増やせ! 早くしろ馬鹿っ!」

 畔田の血はボートの底が抜けたように溢れ続けた。

 計測器が各種警告音を発し続けている。

 医師の怒鳴り声が飛び交い、矢継ぎ早の指示にパニックになった看護師が器具のトレーをひっくり返し、やかましい金属音を響かせた。叱りつける声が、どんどん場の空気を殺気立たせ、心を萎縮させていく。

 手術室は修羅場となった。

(紅倉君。すまん)

 畔田の霊体は無念に目を閉じると、スーッと、消えていった。




 紅倉美姫は雨のそぼ降る中、芙蓉の差す傘の下、燃える建物を眺めていた。雨はだいぶ小雨になっている。二人は他の宿泊客たちといっしょに前の道路を二〇〇メートルほど歩き、ビルを楯にした広い歩道まで避難してきていた。皆、寝間着姿で呆然としている。ホテル以外からの避難者もいて、野次馬も増えてきている。

 消防車が続々駆けつけ、盛んに放水を行い、黒い煙に白い湯気を立ち上らせている。

「火は嫌いだわ」

 紅倉のひどく弱い目には、真っ黒な闇に燃え上がる炎の特に強い部分だけが水に滲んだように浮き上がって見えている。

 ホテルは八階建てのビルで、平日の荒天とは言え出張のビジネスマンなど五十人ほどの宿泊客があった。

 今この場に何人いるか、他と入り乱れているので正確なところは分からないが、もし逃げ遅れていれば、あの炎の中、生存は絶望的だろう。

 火事の起こる前、不思議な事が起こった。

 夜中突然、ホテル中に火災報知器の警報が鳴り響いた。宿泊客たちが慌てて目を覚まして、避難するか状況を見極めるか、まだ起ききらない頭で考えていると、ホテル全館にスプリンクラーから水が降り注いだ。客たちは外に退避せざるを得なかった。

 従業員が調べても火元は分からず、警報も止まらず、外に追い出された宿泊客たちは、取りあえず、他所さまの広い駐車場に移動してもらって、バスを用意し、代わりの宿泊先を捜す事にした。

 その、ぞろぞろ移動している横を、何を血迷ったか、石油会社のロゴがプリントされたタンクローリーがバックで走っていき、あっと思うと、長い車体を急カーブさせて、ガードレールをなぎ倒し、後ろのタンクからホテルのエントランスに突っ込んでいき、大爆発を起こした。

 熱い空気の固まりが避難する客たちにぶつかってきて悲鳴を上げさせた。それまでホテルの不手際に文句たらたらだった客たちは、あのまま何事もなく部屋で眠っていたらと思ってゾッと震え上がった。

 奇跡に救われたとありがたがったが、誰が起こした奇跡か知るのは、芙蓉以外ではホテルの従業員たちだった。夜の事なので居たのは数人だったが、各部屋を調べようとするのを、

「今すぐ逃げなさい。ここに居ると、死ぬわよ」

 と脅され、相手が相手なので素直に従った。この忠告がなかったら、彼らはまず間違いなく炎の中、焼け死んでいただろう。

 結果、奇跡的にホテルで死者は出なかった。

 大喜びでお礼を言われて紅倉は、

「他言無用でお願いします」

 と頭を下げた。これが純粋な事故なら、皆の命を救った偉大な予知能力者として大威張りできただろうが、これはただの事故ではない。もし紅倉が別のホテルに宿泊していれば、事故に遭ったのはそのホテルだっただろう。

 爆発した炎は両隣の建物も燃やしている。飲食店と雑居ビルのようだが、さしもの紅倉もそこまで手は回らなかった。命の恩人どころか、とんだ疫病神、死神だ。

 二人、死者が確認されている。

 爆発したタンクローリーの運転席からドライバーが飛び出してきたが、全身を炎に巻かれ、地面を転げ回った挙げ句、焼け死んだ。

 猪口寅太郎だった。

 もう一人、駆けつけた消防によって助手席から遺体が運び出された。こちらも焼けこげていたが、それ以前から死んでいたと思われる。

 タンクローリーの正規の運転手だろう。


「わたしが来なければ、死ぬ人も、怪我をする人も、なかったでしょうね」

「先生……」

 芙蓉はなんと言って慰めようか考えた。「先生が悪いのではありません」なんて、分かり切っているが、それで割り切れるものでもないだろう。

 実務的な事を訊いた。

「もう、安全ですか?」

「ええ。敵の駒は一人のようね」

 紅倉は長く炎を見て疲れたように目を閉じると、さっぱりした顔を芙蓉に向けた。

「さて困ったわね。車、燃えちゃったわね」

 地下の駐車場は全滅だ。二人の愛車も燃えてしまった。

「仕方ない。お巡りさんのお世話になりますか」

「はい」

 芙蓉はそれだけはしっかり持ってきた携帯電話でどこかに連絡しだした。


 十五分ほどして山口県警のパトカーが新たに到着した。

「紅倉先生でいらっしゃいますか。光栄であります。わたくし、山口県警の伊吹巡査であります」

「川瀬巡査であります。どこへなりともお供いたします!」

 二人の張り切った若い巡査に「お供はけっこうなんですけれど」と紅倉も苦笑した。

「送ってくださいますか、大分の、U市まで」

「はっ。承りましたあ」

 ささ、と伊吹巡査は後部座席のドアを開けて二人を招き、

「シートベルトをしっかり締めてくださいねえ。では、参りますよお」

 緊急サイレンを鳴らして出発した。芙蓉はそれはやめてくれないかしらと思った。そして、疲れ切った他の宿泊客たちに申し訳なく思いながら、その場を去った。まだまだ火は激しく燃えている。朝までに消えるかどうか。





 羽英神宮は大騒ぎになっていた。

 警察によって畔田を襲った大門マリイの捜索が行われていたし、境内が汚されたことで神職たちは居ても立ってもいられず神の怒りを鎮めるために社を巡ってあちらからこちらへ、山を下り川を越えまた山を越えとかけずり回っていた。

 その騒ぎが、かくまわれる三人に感づかれないはずがない。

 この事件が起きてから、神社の人たちの三人に対する態度ががらっと変わった。それまで同情的だったのが、よそよそしく、突っぱねるような対応に変わった。

 三人は社務所の夜通しの行事があったときなど仮眠に使う部屋にまとめられた。

 部屋から出ないように厳しく言われ、放置された。

 不安がる三人に、警備を任されている警官隊の隊長が説明した。

 畔田が襲われて命に関わる大けがをしたこと。畔田を襲ったのが大門マリイであること。色川祐介が自殺したこと。大門マリイが須貝明奈を殺し、さらに同じ大学の三年生を殺したこと。……それらは三人の心の平穏を保つ為、畔田が知らせるのを禁じていた事だった。

 それであるから諸君はここ一カ所に固まって、けっしてどこにも出ないように、と隊長は厳重に注意した。

 初田香織は井守幸美を知っていた。彼女と同じサークルの友人を通して知り合い、何度か挨拶ついでに話をしたことがあった。とてもいい人だったと、計り知れないショックを受けた。


 社務所は羽英神宮における警察の警備捜査本部になっていて、常に数人の警官がいた。いかに狂った殺人鬼であろうとここに三人を襲撃するのは物理的に不可能と思われた。

 その油断があったせいだろう、いつの間にか部屋から赤西翔太、阿藤桃子の姿が消えていた。

 広い部屋ではなく中に警官はいなかったが、前の廊下には見張りの警官が立っていた。しかし慌ただしい中、その場を離れることが何度かあった。二人はその隙を縫って抜け出したらしい。

 一人布団にくるまっていた初田香織は知らないと言った。彼女は疲れ切り、……生きていることに疲れ切ったように、まるで気力のない顔をしていた。

 二人の消えたことにまた騒然となった。四時を過ぎた頃だった。

 自分から出ていったらしいことに捜査陣に怒りが噴き出した。いったい誰のせいでこんなことになっているんだ!、と。

 勝手に殺されろ、馬鹿っ!、と言うのが、誰も口には出さないが、思うところだった。

 もうみんな、疲れ切っていた。

 たった二日三日であるけれど、自ら破壊的な死を遂げ、女殺人鬼による残虐な殺人が続き、それが呪われた廃病院のせいだなど、まともな警察官の神経でやってられない。

 みんな死ね! 死んで終わっちまえ! そうしたら俺たちが犯人を捕まえてやる!、と、すさんだ気持ちになっていた。



 それは赤西翔太も阿藤桃子も同じだった。

 若い彼らに自分たちの死はもっと切実だった。

 二人は手に手を取り、警官たちから身を隠し、山の斜面を登り、下り、さまよい、自分たちの居場所を探した。

 やがて二人は神職一行が祈祷を捧げ、出ていった、山中のとある社に降り立った。

 高い樹木に隠れるようにしながら、神宮全体に共通した朱の柱に白い壁、厚みのある雅な屋根の乗った立派な社だった。

 神職たちは本殿の扉にしっかり鍵を掛けていった。残念ながら赤西と桃子は中に入ることが出来ず、濡れ縁に体を寄せ合って座った。

「あたしたち…………」

 と言ったきり言葉はなく、二人は黙って時を過ごした。厚い葉の重なりの向こうの空がかすかに夜明けの色に変わってきた。

 桃子はちらりと赤西を見、下を向くと小さく言った。

「赤西君、わたしのこと、遊んでる軽い女だって思ってるでしょう?」

 赤西は怒ったようにぶっきらぼうに言った。

「思ってないよ、そんなこと」

 桃子はすねたように言う。

「嘘。だって、あのとき……」

「やめろよ、あのことは!」

「うん…………」

 叱られて桃子はしくしく泣き出した。

「かわいいなって思ったよ……」

「え?……」

「初めて会った時さ、あ、かわいい、って、一目で好きになった」

「ほんとう?」

「本当」

「でも……、今は……」

「好きだよ」

「…………………」

「好きじゃなきゃ、」

 赤西は桃子をじっと見つめ、桃子も顔を上げて見つめ返した。

「いっしょに逃げてこない………」

 二人に、どうしようもなく若い欲情がわき上がっていた。

「……何がしたい、あたしたち?…………」

「俺はもう狂ってる。どうせなら、俺のしたいように狂って、最後まで行っちまって、それで狂い死にしたい」

「あたしも……、狂わせて…………」

「桃子……」

「翔太……」

 二人は狂おしく唇を重ねた。むさぼり合うようにして、ようやく口が離れるとその隙に赤西が言った。

「信じるか? 俺、ファーストキスなんだぜ?」

 桃子は赤西を逃さぬように、重ねた口に息を吹き込みながら言う。

「あたしは、小学校以来二回目よ」

 二人は初心者とは思えぬ濃厚な口づけを重ね、やがて、体をまさぐり合い、じれたように相手の衣服をはぎ取り、体を交えながら乱暴に下着を脱ぎ捨てていった。

 きつく抱きしめ合うと、赤西は桃子の体を口で愛撫していった。桃子は恥ずかしがることなくかえってどん欲に赤西の口を自分の匂い立つ箇所に導き、脚で挟み込んだ。赤西は夢中で女体の女たる部分をむしゃぶり、桃子も「ああ」と積極的に電気のような感覚を受け止めた。

 二人はまた唇を重ね、溶け合うように口を吸い合うと、

「行くよ」

「ええ。来て、……連れてって……」

 赤西は桃子の中に自分を差し入れ、桃子は深く受け入れ、二人は激しく体を震わせ、互いに放すまいとしがみつくようにして、腰を動かし始めた。赤西は「くっ」とうめき、桃子は「あああっ」と激しく声を上げた。腰を使っている内、二人ともその声が切なく震えるようになった。

 朝を待つ湿った冷気が、二人の周りでは熱く、蒸し返るようだった。



 朝。

 通常のお務めに回ってきた神職が二人を見つけてびっくりした声を上げた。

「こらあっ! ここをどこと心得るうっ!」

 叱られても、二人はつながった腰を動かし続けた。赤西が上で腰を激しく突き入れ、桃子が下で男の腰を放すまいと両脚でしっかり尻を挟み込んでいた。

 突き入れ、グリグリ卑猥にこねくり回す。

「ええい、こら、やめんか!」

 初老の神職は怒りと恥ずかしさと申し訳なさにうろたえ、どうしてくれようかとうろうろした。

「ええーい……」

 神職は衣を脱いで二人の腰にかぶせると、

「この罰当たりがっ!」

 まだ動こうとする二人を無理矢理でも引き剥がそうとした。が、

「なんじゃこりゃ」

 思わずつぶやいて自分の両手を見た。赤く濡れていた。

「ひゃあっ」

 驚いた。二人に被せた白い衣が、じわじわ、赤く濡れてきている。

「なななな、なんじゃ、こりゃ」

 神職は怖くなった。この二人は、おかしい。

「桃子お……」

「翔太あ……」

 口づけする二人の口は、赤く粘ついていた。

「こ、こりゃ、お、おまえたち、……な、なんなんじゃあ?……」

 樹木を越えて、朝日が射してきた。

「……………………」

 どろんとした目で見つめ合った二人が、ハッと、恐ろしく目を見開いた。

「うわあああっ!!」

「きゃあああっ!!」

 血の涎を吐いて同時に悲鳴を上げた。

「うわ、うわあっ!」

「きゃあっ、きゃあああっ!」

 ねっとり抱き合い愛し合っていた二人が、お互いを見て悲鳴を上げて突き放し合った。


 ……狂っていたのだろう。


 赤西には桃子が死んだ須貝明奈に見えたし、

 桃子には赤西が死んだ色川祐介に見えた。


「うわ、うわあっ!」

「きゃあああっ!」

 互いに突き飛ばし合う二人は、何故か、離れることが出来なかった。バタンバタンと、板の上を転げ回った。

 衣がはらりと落ちる。

「うわああっ!」

 神職は悲鳴を上げてひっくり返った。

「ううう!」

「ひいい!」

 恐怖に歪んだ顔を真っ赤にさせて二人はお互いの体を、「引き剥がし」た。


 ブチブチブチ、


「うぎゃあっ」「ひぎいいっ」


 バリッ。


「ぎゃああああっ」「…………………」


 赤西の下半身は真っ赤に染まり、肉が、ブラブラ、ぶら下がっていた。

 桃子の腹部はえぐれて、女性の器官が外に引きずり出されていた。

 二人の間の床には、大量の赤い固まりが、グチャグチャと、散っていた。


 赤西は白目を剥いてひっくり返った。桃子はもう口の端からどろどろ赤い涎を垂れ流して意識がない。

「ひい、ひいい……」

 腰を抜かした神職が警官に発見されるまで、それからたっぷり三十分かかった。

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