第十一章 悪鬼
大分県警は全署挙げて殺気立った捜査を行い、いくつか事実が確認された。
殺された看護婦は事件の関係者だった。
看護師目加田聖子二十五歳は、十三年前、清野病院の医療ミスで亡くなった主婦の娘だった。
病院での評判はすこぶる良く、本人は母親の医療事故にもめげず自分こそが看護に努めて多くの患者を救う力になろうと頑張っていた。
殺されるべき理由は全くない。
洗浄液を注射された巡査はなんとか命は助かった。しかし相当のリハビリを要するだろう。彼が何とか筆談=キーボードで証言したところ、看護婦はごくふつうに見え、しかし顔はよく見ておらず、そのとき異様な眠気に襲われた、とまで証言したが、それ以上得られるところはなかった。
畔田の指摘により調べられた結果、港の車中で殺されていた女性は、タクシー運転手猪口寅太郎の元勤めていた町工場に部品を発注する親会社の担当部長の娘だった。男の方はその婚約者で、同じ会社のエリート社員だった。
猪口にとっては恨みのある相手だったかも知れないが、五年以上前のことであり、現在の安定した生活をぶち壊してまで晴らさねばならない恨みとは思えない。まして直接関係のない娘に対する仕打ちはどう見ても常軌を逸している。
猪口はまだ見つかっていない。
B大学学生の井守幸美は明るい穏やかな性格で面倒見が良く、特に多くの後輩から慕われていた。大門マリイとの接点は見当たらず、彼女が殺されるべき理由は見いだせない。
清野病院での大学生たちの肝試しに端を発したと思われる一連の事件は、ここまで八人の死者と、二人の命に関わる重傷者を出している。
夜になる。
やはり紅倉は中国地方に移動した豪雨によって足止めされ、間に合わなかった。当地で雨はまだ風を伴って激しく降っている。
畔田は羽英神宮内の別の社にあって気を張っていた。山の神社である羽英神宮は三山に渡る広い境内を誇っている。中心的存在の三社の他に多くの社があちこちにあるが、畔田がいるのは別の山の山頂に一つだけぽつんとある、清和神社である。神宮の出城的存在であるこの社は、まったくの山の中といった風情である。麓を狛犬と太古の地球を思わせる二本の巨大な岩に守られた鳥居をくぐり、樹木生い茂る中、石階段を上がった先に、塀に四角く切り取られた平地に神社はある。
囲う塀は立派な回廊になっているが、本殿は小さい。一般公開もされていない。
畔田はここに一人、灯りもなくこもっている。服装は昼間の背広から白の着物と袴に変えている。
雨は上がっている。
畔田はここで大門マリイが現れるのを待っている。
夕刻、井守幸美のスクーターがここU市内のスーパーの駐車場で発見された。はっきりしないが昼には既にあったようだ。大門マリイはやはり三人を狙っている。
仕掛けがしてある。
人型が、畔田の座する床の前に三つ並べられている。
和紙を二枚組に三体、人の形に切り、間に髪の毛を挟み込み、唾液で閉じている。表には指の先を針で突いた血で名前が記されている。
赤西翔太
阿藤桃子
初田香織
三人の人型である。丑の刻に杉の幹に五寸釘で打ち付ければ呪いの人形となる。
いかに強力な悪霊であろうとこの神聖な地に侵入するのはかなりの体力を削ぐだろう。神に対し勝ち目はなかろう。
これは誘いの罠である。
背後の本山には山中にも多くの警官が警備で回っている。比べてここはかなり手薄になっている。
敵もこれが罠であるのは十分承知しているだろう。
しかし分かっていて敢えてやってくると畔田は予測していた。
大門の狙いは分かっている。三人に恐怖を与えることだ。
麻倉、相川、色川はいずれも自分から死に飛び込んでいっている。須貝は最終的に大門が手ずから殺したようだが、あそこに赴いたのは彼女自身の意志ではなかったかと畔田は睨んでいる。
皆、己の中に自死という爆弾を抱えているのだ。
恐怖が、その起爆スイッチとなる。
だから、本の宮でなくとも曲がりなりにも神宮境内で、畔田にむごたらしい死を与えることが出来れば、かくまわれる三人に多大な恐怖を与えることが出来るだろう。
もしこうして畔田が前線に出てこなければ、大門は周囲の土地でまた無意味な殺戮を繰り広げるだろう。
身代わりにまずは三人。
さらに、三人が憔悴して死んでしまうまで、何人でも、喜んで。
井守幸美のアパートで大門の霊波に触れて、畔田はそう確信した。
犠牲になるのは三人の何らかの関係者である可能性が高い。
看護師の目加田聖子は、清野病院に因縁を持つ女性だった。
井守幸美は後輩の面倒見がよかったそうだから、もしかしたら阿藤桃子や初田香織がよく知っていたかも知れない。
港のカップルは猪口寅太郎が恨みを持っていた。
いずれもそういう人物を狙ったわけではないだろう。状況的に適当な相手を襲ったら、たまたまそうだったと言うことで。
そうした因縁は、霊が引き寄せたものだろう。ひょっとしたら霊の方も自覚がないのかも知れないが……底抜けの悪意がたぐり寄せたのだろう。
まったく無関係の人間が犠牲になるのも辛いが、関係者が、自分のせいで犠牲になる方が、より辛いだろう。
殺される側も、原因を恨むだろうし。
実に悪質だ。憎むべき敵だ。
(自分に紅倉君のような真似が出来るだろうか)
と畔田は思う。自分に紅倉のような強い霊力はない。戦うことなど出来るのかと未だ疑問だ。しかし、やらねばならない。この役目を紅倉に押しつけるわけにはいかない。
鬼になれ。と思う。
大門マリイという名の悪鬼を、この世から葬り去らねばならない。
例えどのような犠牲を払おうと。
自分一人で十分だ。これ以上の犠牲はもう、いらない。
ぞくりと冷たい感触がして畔田はカッと目を開いた。
来た。
全身に気をみなぎらせ、高めていく。
方位と距離を測る。
一撃必殺。自分の力ではそれしかあるまい。二度は無い。
タイミングを計り、全てをそれに集約する。
やはり警備を気にしてか階段を使わず斜面をぞろりぞろりと這い上ってくる。
塀に取り付いた。刃物の感触がする。血の臭いが濃厚にする。井守幸美を惨殺した包丁だ。畔田の怒りを煽ろうというのだろうが、望むところだ。
畔田は胸の前で開いた手のひらを動かし「気」を丸くこね上げていった。真っ赤に燃え上がる攻撃的な色をイメージして。
ゆっくり立ち上がり、前進し、足先で扉を押し開けた。門扉が開いている。そこに、大門マリイはいる!
「覚悟!」
畔田は渾身の「気弾」を打ち出そうとした。が、
雲間から月が現れた。
闇に慣れた目に、白銀の光が眩しい。それが畔田の気構えを崩した。つい、そこに居るはずの大門マリイを見てしまったのだ。が、そこに大門マリイの姿は見いだせなかった。塀の前、土の地面に、月光を浴びて立っているはずの大門マリイが……
あっ、と、畔田は自分の失敗に焦った。
ほんの一瞬の躊躇が畔田の命取りとなった。
「くっ」
畔田の放った渾身の気弾は、外れた。よけられた。
そこに大門マリイは居たのだ。
全身に白銀の光を浴びて。
畔田の目がそれと見なかった。完全に畔田の失敗だった。まんまとやられた。
畔田は井守幸美のアパートで大門マリイの姿を見た。顔が真っ黒に塗りつぶされていた。それは取り憑いた悪霊が大門マリイの顔を隠していたのだ。だが、
畔田はマリイの裸身は見ていた。蛍光灯の下、若い娘の見事なプロポーションの白くぬめった肌を。
だが、考えてみろ! 赤西翔太は何をあんなに恐れていた!? 男が恐怖に失神するほどの何を!? 彼は言った、大門マリイはもはや人間ではなくなっている、と。
そこに大門マリイは立っていた。全裸で、何も着けず。
畔田はそれを予感し、見ようとしたのだ、目で。
若い娘の白い裸体を。
だが、
だが。
大門マリイは濡れ縁に駆け上がってくると包丁をグサリと畔田の右の太股の付け根に突き刺した。悲鳴を上げようとする口に指を突っ込んで許さなかった。
畔田は床に仰向けに倒され、マリイが覆い被さってきた。
「スケベ爺い」
マリイは畔田の顔に息を吐きかけて笑った。
「ほら、味わいな、女の体だよ」
マリイは畔田に体をこすりつけた。
「く、くそっ……」
畔田は力を振り絞ってマリイの首を絞めた。しかしマリイがこすりつけた股を動かすと突き刺さった包丁が肉をえぐり、その激痛に気が遠くなった。畔田も武器を用意しておくべきだったのだ。この期に及んで、大門マリイに取り付いている悪霊を討つべき敵と思っている甘さが敗因だった。
マリイは包丁を引き抜くと、畔田の両手首をなぎ払った。
「ぎゃああーっ」
両手首から鮮血が吹き出した。
「あはははははははは」
血を浴びて、大笑いしながらマリイは立ち上がった。
畔田はガクガク震えながらマリイを見た。
まず、
マリイは頭が禿げていた。襟足にだけ長い黒髪が残っていた。
全身は、青黒く膿みただれて、でこぼこになっていた。
顔も同様、眉毛も睫毛もすっかり抜け落ちていた。
「あはははははははは」
哄笑するマリイを、畔田は涙に濡れた目で見た。
なんと、
なんと哀れな…………
マリイはグロテスクにぬめった舌で唇を舐めると、裸足の足で畔田の袴の股間を踏んだ。足裏でこねくり回す。畔田は力なく呻いた。
「死ぬ前にいい思いさせてやるよ。あんた、ずいぶんご無沙汰なんだろう?」
「や、やめろ……」
「遠慮しないで」
マリイはニンマリすると、袴の紐を解き、ずり下ろした。
「あーん、もうちょっと元気出してよ。手伝ってあげるからさ」
マリイは手を使った。
「やめろ。これ以上この子を穢すんじゃない……」
「何かっこつけてんだよ。おじさんだって若い子とやりたいんだろう?」
(くっ……)
畔田は必死に耐えた。しかし心とは裏腹に、その一部はたぎってきた。
「わあ、立派立派。なんだおじさん、まだまだ元気じゃん」
マリイは再び立ち上がると、畔田をまたぎ、股間に指を当てて見せつけた。
「じゃあ、楽しも」
マリイは舌なめずりしながら腰を落とし、畔田の物を受け入れた。
「あんっ、おじさん、いい!」
マリイは乳房を揺らして体を上下させ、びたん、びたん、と尻で畔田の血を弾いた。あん、あん、と切なく女の声で泣き、腰をしならせて深く畔田をくわえこんだ。
畔田のももと両手首からは血が流れ続け、全身がどんどん冷たくなっていく。それなのに、マリイの体内に包まれているそこだけは、まるで残りの生命力を全て吸い上げるように、熱く、硬く、屹立し続けた。
興奮したマリイが倒れ込み、畔田の口を吸った。舌がヌルンと差し込まれた。物凄い臭いがした。それでも畔田は若い女の甘い匂いを感じずにはいられなかった。畔田は男である自分が呪わしく、情けなくて、泣けた。
(済まない……)
大門マリイに詫びながら、彼女の中に生命の源を放出した。
「あんっ」
マリイは声を上げ、腰をビクビク震わせて締め上げた。力を失った畔田の物が放った液体といっしょに抜け落ちた。
「ひっどーい。初めてだったのにいー。うっそー」
マリイはケラケラ笑って、楽しませてもらった礼にうんと畔田の口を吸い、チュパッと音を立てて離れた。
「妊娠しちゃったら責任とってよね」
畔田の口の周りは濃いよだれでぬるぬるに汚れていたが、もはやそれもどうでもいいように瞳から生気は失われていた。
「昇天しちゃった?」
マリイは残忍に笑い、
「いい物があるじゃないの」
畔田の用意した三人の人型を持って、悠々と去っていった。
畔田敏夫が大門マリイと接触した同時刻。
山口県。本州と九州を隔てる関門海峡ほとりのホテル。
道路をタンクローリーが後ろ向きで走ってくると、突然急カーブし、ホテルの入り口に突っ込んできた。
ドカンと大爆発を起こし、激しい炎が建物を駆け上っていった。
紅倉美姫と芙蓉美貴の泊まっているホテルだった。
もくもくと天に立ち上る黒煙を舌のようにホテルを舐める炎が照らした。
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