第八章 祓いたまえ清めたまえ


「なに…………」

 と、一言驚きの言葉を発したきり畔田は絶句した。凄まじいショックを受けている。ようやく、

「もう一人死んでいただって……」

 と言った。

 走る車中のことである。時刻は五時になんなんとした頃。B市の市街地を抜け、山間の谷道に入ると日が遮られて夜の暗さになった。

 若い刑事が運転し、後部座席に畔田と柔道刑事の加賀が間に赤西翔太を挟んで座っている。

「僕は……、全く無力だ………」

 がっくり落ち込む畔田を加賀刑事は慰めて言った。

「しかしあなたの言った通りになった。おかげで色川祐介の命を救うことができました。

 ……死んでいたのは、須貝明菜でしょう……。阿藤桃子と初田香織はB大学で保護できました。あちらはもう到着していますよ」

「うん……」

 畔田は気を取り直して顔を上げた。今は戦いのまっただ中なのだ、気を張らねば、またやられる。

 畔田は悔やむのを後回しに考えた。なぜ自分が須貝明奈の死を察知することができなかったのか? おそらく清野病院の邪悪の霊波があまりに強すぎるのだ。それの及ぶ範囲に入ってしまったら、畔田の霊視能力では中を見通すことはできない。

 四人はなんとか保護できた。残るは、

 大門マリイ…………。

 彼女がどのような目に遭い、今も遭っているのか、それを思うと心が痛んでならなかった。

 一刻も早く終わらせなければ。

 自分の力ではとうてい及ばない事態に、畔田は今新たに助力を頼んでいる。

 今向かっているのは千五百年の歴史を誇る羽英(うはな)神宮である。ここで四人……色川祐助はずっと後になるだろうが……をお祓いしてもらいかくまってもらうのだ。由緒正しき神域にこのような血なまぐさい事物を持ち込んで断られるかと思ったが快く引き受けてくれた。かの地にあればきっと安全だろう。

 畔田は刑事たちや今廃病院で調査を行っている警察官たちにも可能な限り早くお祓いを受けるよう進言していた。畔田は霊能者ではあってもいわばアマチュアで、本業は自宅で開いている習字教室の先生だ。自己流のやり方で霊的な事件を解決することはあるが、いわばカウンセラーで、対話が主だ。神力の助勢を得て災厄を祓う正式なやり方はまったく心得ていない。その本式の力の頼れることを願う。


 駐車場に着き外に出ると街にいたときとは打って変わって空気が冷たく湿っていた。山間を抜け、再び眼前に市街地が開けたが、夕日は厚い雲に隠れていた。天気の崩れが心配された。

 鳥居をくぐり百段の階段を上がる。羽英神宮境内は山中にいくつもの神社が点在している。畔田と刑事二人は石段にけつまずく赤西を励まして上った。

 夜目にまぶしい朱の神殿が現れた。待っていた神職に挨拶し、案内されて雅な門をくぐり、塀の内へと入った。三つの宮に順番に独特の礼式で拝礼し、「祈祷殿」に招かれた。

 阿藤桃子と初田香織が警官と一緒に待っていた。

 二人は赤西を見るとくしゃっと顔をゆがめ、阿藤桃子の方は立ち上がって歩み寄り、何か声をかけてくれるのを期待して待った。赤西はギスギスした目で桃子を見て、結局下に視線を逸らした。桃子はがっかりし、初田香織の隣に戻って座った。板間に長時間の正座ではつらいので足を崩すことを許してもらっている。赤西も促されて桃子の隣に少し間を置いて座った。赤西は視線を下にしたままぼそりと言った。

「三人死んだ……」

 桃子と香織はヒクリとけいれんした。

「俺たちも殺されるんだ」

「やめてよ。怖いんだから」

「なあ、俺たち、殺されなきゃならないような悪いことをしたのか?」

「してないわよ、そんなこと。……もうっ……、なんでよ? なんでこんな怖い目に遭わなきゃならないのよ…………」

 泣き出した桃子に、赤西はようやく申し訳ないように視線を向けた。最初にとってしまった距離を悔いたが、けっきょく諦めたようにまたうつむいた。

 二人の祭員を伴って宮司が入場した。これまで三社に祈祷して神の助力を頼み、これより自ら三人のお祓いをしてくれる。

 畔田が礼をすると宮司も礼を返し、祭壇に向かって礼をすると大麻(おおぬさ)を振って祈りを捧げだした。独特の節回しでろうろうと祝詞が捧げられる。

 三人は正座に直り、畔田も彼らの後ろで正座して見守った。刑事二人も倣い、警官たちは場を守るように後ろで仁王立ちした。

 やがて宮司が三人に向いていよいよ厄を祓いだしたとき、

 カッ、と、

 外が光り、すぐにガラガラガラガラ、と大きな雷の音がとどろいた。

 それを合図にザアーーッと、大粒の雨が激しく降り出した。

 雨は祝詞の声をじゃまするように激しく降りつのり、宮司が負けじと声を高くするとカッ、ピシャアッ、ドドドドドン……、と物凄い雷が鳴って建物を揺らした。

 三人は肩をすぼめ、身を硬くし、ももの上に置いた両拳にぎゅうっと力を込めて耐えた。ブルブル震えが来て、本当は叫びだしたいほど恐ろしい。雷と豪雨は、いやが上にもあの病院での体験を思い出させた。正気を保てずに逃げ出そうとすると、宮司の祝詞に叱りつけられた。彼も今、邪悪な力に気迫をぶつけて闘っていた。

 桃子が耐えられず、体を丸めて泣き出した。畔田は彼女の背に手を当て、精一杯励ましの気を送ってやった。

 お祓いは一時間続いて終わった。



 雨はやまず激しく降り続いている。

 羽英神宮境内の山も斜面を川のように水が流れているが、お祓いをしてくれた宮司が「ここは大丈夫です」と請け負ってくれた。信じるよりない。

 三人はここで預かってもらう。一般向けの宿泊施設はないが、神職たちの宿坊に寄せてもらう。女の巫女の宿舎もある。桃子と香織はそちらで急遽泊まりの決まった五人の巫女たちに面倒を見てもらう。

 警官四人が警護に残り、加賀たち刑事二人は豪雨の中、山を下りていった。彼らが帰ってしばらくして、最初に畔田に接した刑事二人がずぶ濡れになりながらやってきた。畔田も社務所の方に世話になっている。

「まいった。なんだよ、ぜんぜん天気予報外れてやがるじゃねえか」

 刑事たちは悪態をつきながら玄関を上がってきたが、このところ天気予報はよく外れる。

「どうも先生。お疲れさまです」

 最初とはだいぶ違うフレンドリーな感じで挨拶した。びちょびちょに濡れた裾をハンカチで形だけ拭いて畳に座る。

「改めまして、わたし波多野。こっちは伊藤」

 目つきの悪いへちまみたいな波多野と、眉は笑ってるくせに顔は全然笑ってない伊藤がヨロシクと頭を揺らした。

 考えてみれば妙なものだ。ここは警察署ではなく高名な神社だ。警察の方でもすっかりオカルト事件として扱っているのだろうか?

 しかし。

「犯人が分かりましたよ。須貝明奈を殺したのは大門マリイです」

 波多野が言った。須貝明奈の死に自殺はあり得なく、現場の指紋と、明奈の握っていた頭髪から大門マリイが確定された。

 畔田は痛ましく眉根を寄せた。

「大門マリイは見つかりませんか?」

「駄目ですな。大学にも、マンションにもいません」

「彼女はおとといから……マンションには帰っているのかね?」

「それなんですがね」

 伊藤がますます眉を笑わせて言った。困った顔をしているらしい。

「入り口とエレベーター内の防犯カメラに、土曜夜が明けた日曜早朝五時にそれらしい姿が映っていました。しかしどういうわけか妙に写りが暗くてですな、よく見えんのですよ。画像ソフトで解析してもどうも上手くいかないようで」

 うーーむ……と畔田はうなった。

「だいぶひどくやられているらしい。強い霊波はカメラにも影響を与えるからね。彼女が心配だ」

「でですな、きのう日曜日深夜、日付は月曜日に変わって午前一時、またそれらしいのが出て行く姿がビデオに映っている。ただし、頭から青いレインコートのフードをかぶっていましてね、これもはっきりとは確認できない」

 きのうは終日晴れの天気で、夜も雨の兆しはなかった。

「須貝明奈さんが亡くなったのはいつ頃?」

「深夜の二時から六時というところらしいです。解剖して調べりゃもっと絞れるでしょう」

 畔田はまた痛ましい顔をした。波多野が言った。

「大門マリイは車を持ってましてね、これがマンションの駐車場から消えてる。ですから大門が車に乗って須貝を清野病院に連れていったんでしょうな。残念ながら須貝のアパートには防犯カメラはなくて確認できませんでしたが」

「二人の住所と清野病院は離れているんですか?」

「二人ともB市のB大学付近の賃貸です。S市の清野病院とは三十キロほどありますな」

「なるほど」

「大門は言葉巧みに須貝を車まで呼びつけて、須貝はまさか自分が清野病院に連れて行かれるとは思わなかったんでしょうな。でなきゃ大騒ぎして拒否するでしょう。近所でそれらしい言い争いは聞かれていませんからね」

「うん……」

 須貝明奈はどこで大門マリイの思惑を知ったのだろう、……置き去りにした復讐に同じ場所で殺害する気だと……。どれほどの恐怖だったことか…………


「車と言えばですねえ……」

 波多野が伊藤と苦虫をかみつぶしたみたいな顔を見合わせて、報告した。

「大ポカしでかしましてね。N大学から清野病院まで色川を乗せたというタクシー運転手に職務質問かけたんですが、こいつがいつの間にやら消えちまいましてね」

「消えた?」

「ええ。その場にタクシーを置いたままぶらりとどこかにね。考えてみりゃおかしいんで。そいつがN大学の外で色川を乗せたのが事件から四十分くらい経った十一時三十五分のことです。これはタクシーのメーターに記録が残ってます。しかし警官が職質したのは三時十分頃。間が三時間半も開いてる。N大学から清野病院までかかっても二十分てところで、その通り十一時五十二分でメーターが上がってる。てことは三時間、奴はずーっとそこで色川の入っていった廃病院を眺めていたことになる。事実改めて聞き込みをやったら昼過ぎからタクシーの外に突っ立ってぼーっと病院を眺めている奴の姿が見られている。こいつも、絶対変でしょう?」

「どんな人です?」

 波多野は手帳を見て言う。

「猪口寅太郎(いのくちとらたろう)四十三歳。妻と中学生と小学生の娘二人がいます。タクシーの運転手は五年目。その前は機械部品の下請けの町工場に勤めていたが倒産しちまったんですな。タクシー会社での評判は良好。これまでなんらかのトラブルを起こしたことはないそうです」

 畔田は頭の中にイメージして言った。

「好人物のようですね」

「ですな。しかし、変でしょう?」

 畔田はまたも暗くうなずくしかない。

「色川祐介から伝染したか……。タクシーの狭い空間に二人きりでいたら、影響を受ける危険性は高い。また一人心配が増えたねえ……」

 そしてもう一つの事実を考える。

「色川が病院に入って自殺を決行するまで三時間の時間があったわけだね。……彼は、どんな具合です?」

「警察病院に入って眠ってますよ。目を覚ますと暴れるんで薬で眠らせて手足をベッドに拘束してね」

 畔田はうなずいた。仕方ない、彼を守るためだ。波多野が言う。

「首をくくるのに使用したカーテンは病室の……、四人部屋の各ベッドをぐるりと囲うやつでした。同じ階の病室から拝借してきたんですな。面倒なことをしてましてね。カーテンで作った紐をぶら下げるのに窓と窓の間の柱に輪を作って結んでましてね。両手を伸ばしたって届きませんよ。どうやったかって言うと……、ま、おそらく、まず一方の端に結び目を作って、それを重りに一方の窓の外から反対の窓に投げ込んだんでしょうな。で、改めてもう一枚カーテンを継ぎ足して、首つりロープを完成させた、と。面倒ですよねえ? ま、いざ首を吊ろうと思っても、さてどこにロープをぶら下げたものか、なかなか適当なところはないでしょうけどねえ。でも、そんな面倒しないでも、四階ならそのまま素直に飛び降りりゃあ楽に死ねたでしょう。よっぽど首をくくって死にたかったんですかねえ?」

 畔田は暗い声で答えた。

「原因は分からないが、そうしなければならない、と強く思い込んでいるんだろう。精神病の患者と似ているかも知れないが、悪い霊に取り憑かれた人にしばし見られることだよ」

「ふうん、そうなんですか」

 波多野は言葉では感心しつつ、その実そういったことには興味がなく、前のめりに刑事としての自説を展開した。

「相川の事件があって、恐ろしくなった奴はあそこに大門マリイを捜しに行ったんでしょう。そして風呂場で女の死体を見つけた。やつはそれを大門マリイだと思ったんでしょう。死体は真っ赤な水中に沈んで、顔は見えなかったようですから。で、これは駄目だと観念して、首をくくろうと決心した、というのが我々の現在の見解です」

「本人はどう言ってるの?」

「ダメですわ。目を覚ますととにかく、『僕のせいだ、僕のせいでみんな死んじゃうんだ、僕が死んで終わりにしなきゃ駄目なんだあ』って、僕が僕がってそればっかり泣きわめいて、首吊りが駄目だったんで今度は舌を噛もうとしやがって。救急隊員が指噛まれて大けがしましたよ」

 波多野は、どこまで迷惑な奴らだ、とあからさまに忌々しい顔をした。そんな刑事を畔田は悲しそうに見た。

「赤西の話ではそもそも色川がくだらない怪談を話したのがきっかけで清野病院に行くことになったんだそうだ。しかし直接清野病院に行こうと主張したのは大門マリイで、色川はかなりびびっていたそうだ。責任を感じる気持ちも分からないではないが、それで首をくくろうというのも極端だ。そういう風に追い込んだ何ものかがあるんだよ」

「それが清野病院の悪霊ですか?」

 刑事二人は面白そうに肩を揺すった。畔田は暗い顔で指摘した。

「麻倉尚樹と相川一哉はなんであんな事件を起こしたんだね?」

 刑事二人はうっと言葉につまり、面白くない顔をした。畔田はため息をつくように言った。

「人を、あんなに恐ろしい死に方で自殺させるなんて、とんでもなく凶悪で、強力な悪霊だよ。でもね……、それぞれに取り憑いているのは別々のやつなんじゃないかと思う。それぞれ、波長の合った霊に取り憑かれてしまったんだろうねえ……」

 刑事たちはまだ納得したくない顔で、波多野がふざけ半分で言った。

「悪霊がうじゃうじゃって、まるでお化け屋敷ですなあ」

 畔田も暗く笑った。

「まさしくね。でも、本物だよ」

 波多野はむっつりして言った。

「それが本当なら。なんなんですか、清野病院って? この世は生きてる人間さまのもんでしょうが? そんなふざけた危ねえ場所、さっさとぶっ壊して更地にしちまえばいい」

「そうだねえ……」

 畔田は考え、言った。


「これは紅倉君の意見だが、幽霊というのは肉体的頭脳を失っているから思考ということができず、非常に融通の利かない感情の固まりなんだそうだ。ところが人間に取り憑くとその人間の頭脳を使って物を考える。だから、霊媒師という霊媒体質の人が自分の体に霊を憑依させて会話をしたり、悪い奴なら悪事をしないように説得したりするんだね」

「先生はその霊媒師というのとは違うのですか?」

「言葉の捉えようによるが、生きている人間と死者の間に立つという意味では霊媒師と呼べるだろう。けれど僕や紅倉君は霊を感覚的に見たり聞いたり話したりするだけで、自分の体に取り込むことはしないから、霊的な能力、霊能師と名乗っている。それでだね、

 霊に物を考える力は弱い、しかし頭脳となる媒体があれば、自分で考えるということも可能になる。その媒体に、清野病院がなってしまっているんだろうねえ……」

「よく分かりませんな」

「うん。これも紅倉君の受け売りだが、魂の本質は『記録』なんだそうだ。生きている内に感じたり経験したりしたことが、全部、記録となって残っているんだそうだ。しかし記録はあくまで記録であって、現代的な言葉で言えば、ただのデータだ。で、このデータを載せている魂の肉体ともいえるのが『エクトプラズム』という物質だ。写真で見たことがないかな、人の口から白い煙の固まりみたいな物が出てきているの?」

 刑事は二人とも見たことのない顔をしている。

「ま、そういうことらしい。で、そのエクトプラズムが濃いと、ある程度物を考える力があり、霊的な力も強い。で……、複数の霊が集まり、空間的にエクトプラズムの濃度が上がると、お互いにそれを利用し合って、物を考えたり、強い力を持つことができるようになる。それがつまり……」

 畔田は二人が答えを導き出すのを待った。二人はあまり考えたくない顔をしながら、言った。

「清野病院……?」

「そういうことだ。あの地には戦争以来多くの死者が集まり、長い時間霊が多く残留していった。……エクトプラズムに似た物質は自然界のあらゆる物に当たり前に存在しているらしい。場所や物によって濃度が違うようだがね。だから場所や建物その物が、霊的な存在になり得るのだよ。だから……

 僕も怨霊の温床になっている清野病院を取り壊すのには賛成だ。ま、霊たちの抵抗はかなり覚悟しなければならないがね。賛成だが……、

 あの地は既にかなり根深く汚染されている。その汚染具合は、例えるなら産業廃棄物に汚染された土壌を思えばいい。どうする? 結局土を入れて埋め立てて、長い時間汚染の中和されるのを待つしかないだろう? そういうことなのだよ、あの清野病院という場所は…………」


 お盆を持ってじっと待っていた宮司……富樫氏が袴の裾を押さえて正座すると手ずからお茶を配った。刑事二人には煎茶を、畔田にはこぶ茶を。刑事二人は慌てて正座して背筋を伸ばした。「まあまあお楽に。お勤めご苦労様でございます」と富樫宮司はにこやかに言った。羽英神宮の宮司と言えば広く地域社会に影響力のあるVIPで、刑事たちはくれぐれも失礼のないように上から厳重に言われている。

 富樫宮司は畔田にも笑顔で言った。

「お話聴かせてもらいました。勉強させていただきました」

 畔田は恐縮して頭を下げた。宮司は言う。

「わたしはこのような大役を引き受けさせてもらってますが、いわゆる霊的な能力というのは持ち合わせておりません。こればっかりは持って生まれたもので、かないませんな」

 と宮司は言うが、畔田は氏にじゅうぶん霊的な力を感じていた。それはきっとこうした特殊な環境で修行を積む内に血肉となった神通力というものであろう。宮司は笑って言う。

「まあ、わたしはそれでいいと思っております。神様との橋渡しをさせてもらってますが、わたしは、こちらの世界に属する人間です。神職がこんなこと言うてはいけませんでしょうが、わたしは、人様のために働いておるつもりです」

 しきりと感心してありがたがる刑事たちに、

「お二人と同じですよ」

 と言って嬉しがられた。

「それですから、」

 宮司はぴしりと姿勢を正して畔田に向かい合い、言った。

「わたしは今度のこと、たいへん、怒っています」

 畔田は神妙な顔で聞き入り、刑事二人はまずいぞおと渋面になった。

「人様の墓を暴くようなことはけっして褒められたことではありませんが、死んだ人間が生きている人間をうらやんで呪い殺すなど、言語道断ですわ。人の道に不心得も程がある!」

 いかにも怒っているぞと言う顔で言い切った。畔田はこの人間味のある宮司に好感を持って、……苦笑いした。

「どこかの誰かに聞かせてやりたいものだ……。時に宮司さん、三人の様子はどうです?」

「なかなか眠れないようですが、それはそうですな。なに、大丈夫ですよ。この神聖な地で、あのような蛮行が許されることは決してありません」

 時刻は九時過ぎ。現代の若者がまだまだ眠れる時間ではない。

 波多野は講義を聞いて物知り顔で訊いた。

「それじゃ先生、三人に憑いていた悪霊はきれいに祓われたわけですか?」

 これは富樫宮司も心配らしく畔田の顔を見た。

「憑いていたものは、祓われたと思います。しかし……。

 霊体の傷は心の傷と同じです。表面的にきれいになっても、内部まで深く達した傷は、なかなか完全には治らないものです。善い環境で、優しく、じっくり看病してあげなければ、なかなか治るものではありません。

 宮司殿、彼らのこと、くれぐれも、よろしくお願いします」

 深々頭を下げる畔田に富樫宮司も「はい」としっかりうなずいた。

 刑事の方は思わず舌打ちしたくなるのを慌てて引っ込めて言った。

「じゃあ聞き取りもこっちになりますか? いろいろ訊かなきゃならないことがあるんですがねえ……。やりづらいなあー……」

「警察への協力は惜しみませんよ」

「はっ、よろしくお願いします」

 VIPとお近づきになれた刑事たちはホクホク顔でお辞儀した。

 畔田はひとまずほっとし、新たな心配事に考えを巡らした。

「こっちはよいとして、色川だな……。見張りはしっかりしてますか?」

「間違いなく。二十四時間、室内で直接見張るよう厳しく言ってあります」

「よろしくお願いします。まだ何をしでかすか分からない。僕も早急に……、今から行きますか?」

 せっかちに立ち上がろうとする畔田を刑事は手で制して、自分たちが立った。

「いやあこの豪雨だ。ここを降りるのだって危ない。先生は明日、落ち着いてから来てください。ま、今夜は聖地で英気を養って、明日からまた、協力お願いします!」

 ピッと敬礼した。宮司にもそうなさいと言われて畔田はあきらめた。



 十時に社務所に芙蓉から電話があった。今岡山のホテルにいて明日にはこちらに着けそうだと言う。畔田は紅倉君もがんばったなと思ったが、その紅倉はやはり風邪の疲れもあってもう休んでいると言う。畔田は芙蓉に君もゆっくり休みなさいと言い、事件の諸々については何も言わなかった。テレビラジオで大々的に報道されているからあの紅倉のことだ、既にいろいろ感じているだろう。……

 そうか、警察はマスコミから隠すつもりもあって、神聖なこの地へ彼らを隔離することに賛成したのかもしれない。

 電話を切って畔田は思った。明日……紅倉は来れるだろうか?……と。

 雨は激しく屋根を叩き、まだ時折雷も聞こえる。これを偶然と思いたい。しかし逆に自然の偶然であるならば、さしもの紅倉美姫も為すすべがないだろう。

 いずれにしても恨めしく畔田はじいっと激しく深い雨音に聞き入った。

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