第十一夜 悲しむべきは
「ひとみは、三谷さんを娘のように可愛がっててね。こんな事情で僕らは結婚したので子供もいなかったし、他の子と少し違う感じがあるでしょう? 三谷さんは」
沢崎さんは香織のことを話し始めた。
「ええ、まあクラスでは違う感じというか、変わり者扱いされてますけど」
肯定の相槌打つのも変なので、晴矢はありのまま話した。
「ひどい話だよ。あんなに賢くて素直な子なのに変人扱いは本当に納得いかないなあ」
「損してると思いますよ。俺から見ても。本人は気にしてないみたいですけどね」
「ご両親が不在がちで、何か没頭できるものを、という事でひとみの所にお母様が勧めてくださって。飲み込みも早くて上達は早い方だとひとみは言ってたな」
「独りの時間を埋めるために本ばかり読んでたんですよ。ウチの母さんも近所だから香織の事は知ってて、小学五年の時に仲間に誘うよう言われたんですよね」
「ああ知ってるよ。そこから上達が遅くなったんだ」
沢崎さんの表情が変わった。明らかに怒っている。
「沢崎さん、それが俺の事を気に食わない理由ですよね?」
晴矢は相手の考えを先読みする事はあまり得意ではないが、この件は別だ。
「その通りだ。すまない。了見が狭い大人って嫌だよな。君たちだって三谷さんを励ましたり、一緒になって楽しんだりしたかっただけだったろうし」
ビンゴだった。
「謝ることなんて別にないですよ。香織は俺たちだけのものじゃないし」
「でも、僕とひとみのものでもない」
「実際そういう事を沢崎さんから言われると、凹みますね。なんかすみません」
晴矢は沢崎の気持ちを落ち着かせようと、気乗りはしなかったけど謝ってみせた。
「いつも、チャラついた君なんかが三谷さんの周りにいつも居るのは本当に腹がたつんだよ!」
対人スキルの事で香織のことをいつも言ってるいるが、晴矢も相当低い。
却って沢崎を逆上させてしまった、というよりさっきの事は ―― 君のことはむしろ好意を持ってる ―― というのが嘘だと分かったのがさらに辛い。
「そんなにチャラく見えますか? 俺」
「ああ、それ以外の見立てはないね」
「そうですか。沢崎さんになんと言われてもそれについては変えようとは思いませんけどね。大人がウソつくのは好きじゃないっすよ」
その刹那、沢崎の右の拳が晴矢の左頬にヒットした。
晴矢は椅子にぶつかり、派手な音を立てて床に転がった。沢崎は我に返ったのか、自分の拳を見つめながら茫然としている。
「痛ってぇ!何するんすか!」
「す、済まない!僕は取り返しのつかない事を!」
口の中が切れて鉄の味がする。
「俺が黙ってれば誰もみてませんよ。別にこれをネタにユスろうなんて事は考えてないですし。これ以上チャラい上に狡い奴とか思われたくないですしね」
立ち上がりながら、晴矢は言った。
「すまない」
消え入りそうな声で沢崎さんは応えた。
沢崎は手に入れられないものを欲しがる子供のようだと思った。
(でも、いい大人がそれをやって良いはずがない。ましてや香織はモノじゃない。一人の人間なんだ。それを中学生に言われたら、逆上してまた殴られるかもしれないな……)
でも、意を決していう事にした。
「この事は、誰にも言いませんよ。約束します。でも香織が誰と付き合ったって沢崎あんたがとやかく言う権利はねえんだ」
沢崎は反論しない。
「それが沢崎あんたが嫌いな俺であってもだ。誰かを大切にするって、自分の思うようにすることじゃないだろう?親であっても、そんなことは許されない。大切なら見守ってやれよ。俺は沢崎あんたの思うようなチャラ男じゃねえし、俺の仲間もみんな香織の事を大切に思ってんだ!」
晴矢は一歩にじり出て、
「わかったのかよ!?」
沢崎は首をすくめて、
「まあ、君も、大人になればわかるさ」
と、返してきた。
「俺はまだ大人じゃないけど、沢崎あんたが歪んでるってことはわかるよ。そんなの、俺は分からないし大人になっても分かりたくもない」
「まあとにかく悪かったよ。この通りだ。許してくれ」
最早沢崎は晴矢の眼を見ないで話している。
子供もそうだけど、特に大人は―― 都合が悪いと ―― こういう振る舞いをする。
晴矢は、こんな大人の欺瞞を昔まえから見てきた。
悲しむべきは、沢崎個人の性さがか、それとも大人という生き物そのものなのか次晴矢には判断ができないかった。
多分沢崎は、まだ何か隠している。晴矢はそう直感した。だって、逃げの一手で謝り倒すって何か他の秘密に触れられたくないからに違いない。
晴矢は少し気になった事を聞くことにした。
「沢崎さん、本当は沢崎さんがワザと図書室に香織を閉じ込めたんじゃないんすか?」
沢崎は明らかに動揺した表情を見せたが、取り繕って、
「なんの根拠でそんなことを言うんだ。僕を侮辱すると痛い目を見るぞ」
と、今度は晴矢の眼を見て言った。
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