第八夜 用務員の秘密

「晴矢、今何考えてる?」

 一連のやり取りが終わって、ホッとしたのか香織が晴矢に話しかけてきた。


 晴矢のちょっとしたよこしまなな感情を見透かされたかの様な質問だ。


(こんな時、俺はどんな答えをするべきなんだろう?)


 晴矢が答えに窮していると、教室のドアが開いた。


「おい、君たち何やってるんだ?」

 用務員がやっと登場した。


「沢崎さん、何やってんだ、じゃないですよ!」

 晴矢は覚えたての沢崎の名前をさも当たり前のように使った。


「えっ」

 逆ギレ気味に言ったので気圧されたのか、沢崎は怯んだ。


「僕ら、困ってて沢崎さんのこと探してたんすよ。マジどこ行ってたんすか?」

「いや、その、」

 沢崎の歯切れが悪い。


「沢崎さん、顔赤くない?」

 香織は観察眼が鋭い。


「ちょっ、その」

 これは鍵を壊したことをチャラにするチャンスかもしれない、と二人は思った。


「いいんですか、当直で飲酒はまずくないですか?」

 スマートフォンを左手でポンポンと掌で転がしながら言った。

 晴矢は精一杯ワルを気取っている。


「こんな台風で、誰かいるなんて思わないし!」

 沢崎は答えに窮して涙目になった。


「いや、僕らもいけないんですよね。すみません。忍び込んだりして。ちょっとお願いがあるんですが」

「ぼ、僕を脅すつもりか?」

「いえ、別にそんなつもりは。こいつ、本を図書室に返しにきたんすよ。この台風の中。そしたら沢崎さんに閉じ込められたみたいで」

「えっ、何も聞こえなかったし」

「アタシ、本返しにきたんだけど、別の本に夢中になっちゃって気がついたら閉じ込められてたんですよ」

「で、なんだ、お願いってのは」

「沢崎さんがいくら探してもいないから、釘抜きで図書室の鍵無理やり壊しちゃったんで、なんとかしてもらえます?」

 そう晴矢がニヤケながら言うと、沢崎は安心したみたいで、


「分かった、その件は報告しないでおくよ。君たちもこのこと飲酒の事は口外しないでくれ」

 良かった。これでその件はお咎めなしだ。しかし、もう一つの問題が残る。


「君たち、この台風の中、帰ることは出来ないよ?どうするんだ?」

「母にも連絡したんですけどね、迎えにもいけないしって冷たいんすよ。治水橋通行止めでここに来れないって」


「そりゃあそうだろうね。今ここに来るのは自殺行為だ」

「何とか帰れないかなあ」

 香織は呑気なことを言っている。


「僕から太刀川先生には連絡しておく。忘れ物したとかなんとか言ってうまく言っておくから心配しないで。」

 沢崎はそう約束して、


「腹が減ったんじゃないか?」

 そう言えばもう六時になる。


「そうですね」

 と、晴矢。


「アタシもちょっとお腹空いたかも…」

「じゃあさ、三人で夕食作らないか?」

「え?」

「え?」

 香織と二人でハモった。


「さあさあ、働かざるもの食うべからずだよ。三谷さんは料理したりするのかな?」

「何で僕には聞いてくれないんすか?」

「ごめんごめん、禎元くんは料理なんてやりそうもないからさ」

「やりませんけどね」

「だったらなんで聞くのよ。馬鹿なの? 晴矢。」

 カップ麺くらいなら作ったことはある、というのはベタすぎるからいわなかった。


「沢崎さん、何作るんですか?」

「台風を見越して冷蔵庫にはまあまあ食材はあるんだよ。宿直室なんて大した調理器具があるわけじゃないけどね」

 沢崎は料理が好きなのだろうか?


 結局沢崎さんと香織が冷蔵庫の中にあった食材で野菜炒めと味噌汁を作ってくれた。


 炊飯器はあったけど、沢崎さんが鍋で炊くと美味しいよ、と言うので炊いてみた。 晴矢はお米を鍋で炊くのをみるのは初めてだ。


「イケますよ! これ。沢崎さん奥さん要らないっすね!」

 すると香織が晴矢のシャツを引っ張る。


「なんだよ?」

「あー、いいよ、気を使わなくても。禎元君は知らないだろうし」

「俺、なんか地雷踏みました?」

「踏んだよ。晴矢ほんとうにデリカシーないよね」

 校内一空気の読めない女にそう言われるのは心外だが、晴矢が何かやらかしたのは確からしい。


「まあまあ、三谷さんも。僕の奥さん、去年亡くなったんだ。乳がんでね」

「アタシのお母さんの病院に入院してたの」

「そうなんですか。本当にすみません。調子に乗ってそんなふざけた事を言ってしまって」

「うん、僕は大丈夫だ。でも、色々考えてから話した方が良いってことは分かったよね?」

「はい。すみません」

「湿っぽくなっちゃったね。さあ、この話はおしまいだ」

 沢崎に、こんな悲しい事があったのかと晴矢は切ない気持ちになった。


 いつも掃除したり、用具を綺麗にしたり、ゴミを片付けたり忙しいそうにしている沢崎を見下している同級生もいる。


 こんな出来事がなかったら、そのうち晴矢も沢崎をそんな目で見たかもしれない。


 学校でも一人きりになると、寂しくなってお酒を飲んでしまうんだそうだ。それをネタに脅すようなことをして本当に晴矢は反省した。


「さあ、ちょっと僕は太刀川先生に連絡したりしないと。君たちは、しばらく待ってて」

「はい」

 晴矢は台風の夜に、こんなに人生のためになる食事をしたのは初めてだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る