第三夜 転校生 

「晴矢! パスはもっと強くだ!」

「よーし、雄二いい上がりだ! その調子!」

「双葉、縦を切れ! やられるぞ!」

 コーチ達の声は反響もせず、台風の影響か少し風の出てきたピッチに消えていった。


 そういえば台風が来るって朝のニュースで言っていたっけ。


 コーチのかけい、山田は二人とも二十代の会社員だ。


 毎晩のように赤笹川の河川敷でナイター施設のあるサッカーグラウンドで練習を見てくれている。


 人工芝にゴムチップを巻いたハイブリッドターフと呼ばれるピッチは、水銀灯に照らさられて季節に似つかわしくなく青々としている。


 FC富士坂は、セレクションを行うほどの強豪だが、練習時間の確保は他のチーム同様難しい環境だ。


 学校生活が第一である中学生にとって、土日の練習だけではやはり絶対量が足りなく、特に戦術や連携などの理解・定着に難がある。

 コーチ陣の戦術やコーチングが優れているので実績を残しているに過ぎない。


 従って、ドラブル、パス、シュートなどのスキルは自主練習に委ねられる。


 しかし、三人とも「理由」があって仲間六人でいる時間を優先しているために、練習はあまりしていない。


 コーチ達はスキルの上がらない俺たちに当然厳しく当たる。


 双葉は運動神経が良いからあまり目立たないが、伸びてない事はすぐ分かる。コーチ達の眼は節穴じゃないって事だ。


「お前たち、トラップは出来ない、インステップのシュートのコントロールはメチャクチャ、やる気あるのか!?」


 筧さんは基本を大事にする人だ。俺たちはサッカーを舐めている、そうも言われたことがある。

 フルメンバーがいないので、変則的な七対七ではあるが、試合形式で先週末に導入された新しい戦術を試している。


 走り込みも足りない。すぐ息が上がる。


「雄二! 上背のない左のサイドバックが上げ下げできなくて何の取り柄があるのよ?お前は長友になりたいって言ってたのはありゃ嘘か?」


(今それを言うか山田め!)

 雄二は山田さんに聞こえないように言ったつもりだったが、


「なんだ? 聞こえてっぞ! 文句は聞こえないように言え! バカ!」


「ぁあーぁああああ!」

 雄二は声にならない声を上げて守備に戻った。


 雄二は奈央を練習見学に誘ったが、奈央は結局来なかった。厳しそうな母親からやめておけ、と言われたそうだ。雄二の携帯にショートメールが届いていた。


 なんでも山田は、大学生の時にU-21日本代表の合宿に呼ばれたことがあるそうだ。


 その合宿で結果を出して、オリンピック代表に内定していた。


 しかし好事魔多し。


 その後の大学の練習試合で十字靭帯を断裂、辛いリハビリを経て復帰したものの、パフォーマンスは戻らず、選手を引退してサラリーマンになってしまった。


 それでも富士坂FCで練習を見ている山田が時折手本として見せる技術は凄い。


 ボールが脚に吸いつくようなドリブル。

 どんなに強いパスでも勢いをいっぺんに殺してしまうトラップ。


 山田の技術は今でも日本代表レベルかも知れない。

 

 でも、本人はこの身体では戦えないと判断したのだ。

 それだからこそ、山田がいつも言うことがある。


「お前たち、サッカーを何でやってるんだ?」

「サッカー好きだからです」

 皆はそう答えた。これは本当だ。


「そうか。好きなサッカーを突然取り上げられたらどう思う?」

「んー、考えたこともないけど。嫌ですね」

「俺は、突然サッカーを取り上げられたんだよ。サッカーはボディコンタクトが許されていないスポーツだけど、ルール通りやってたら、やられるだけだ」

 山田は続ける。


「だから怪我をして俺みたいにサッカーができなくなるリスクは誰にでもあるんだよ」

 サッカーが出来なくなることなど、晴矢たちは今まで考えもしなかった。


 山田はさらに続ける。


「だからお前たちが何に夢中になってるかは知らない。ある日そんな日が来て欲しいとも思ってないが、後悔しないためには全力でサッカーに取り組んで欲しいんだ」

 晴矢たちに取って身につまされる話だった。


 九時を回って、練習は終わった。


 筧さんが、


「明日から台風みたいだし、そのあとは期末テストだろ?ここで練習するのはしばらくなくなる。週末はいつも通りだ」

 と言った。


「自主練は、サボるなよ」


「うーっす!」


「あざーしたっ!」

 振り返ると、金網の外から一人の中学生らしき男の子がこっちを見ている。


 みんなが誰だろう、と考えを巡らせていると、

「あの、すみません」

 

 その男の子は筧に声をかけた。


「何だい?もしかして、入会希望かな?」


「はい、これ、U-15のカテゴリーですよね?」


「ああそうだよ。俺はコーチの山田。こっちは筧。名前は?どこ中?」


「磯辺 しゅうです。あの、明日から富士坂南中に転校するんです」


「ええ!」

 俺たち三人は驚いた。


 香織が言っていた転校生が、ここにいる。


 磯辺 柊は中二としては平均的な背の高さで、サラサラした長めの髪の毛の都会的な感じがする奴だった。


「磯辺くん、君、ひょっとして東京から転校してくる子なの?」

 俺は聞いた。


「えー、もう、話が回ってるんだ。今日学校に親と挨拶に行ったんだ。そうしたら太刀川先生が、サッカーならFC富士坂に同じクラスの人が居るって聞いたから来てみたんだ」

 磯辺 柊は眼をキラキラと輝かせながら訊いた。


「君が僕のクラスメート?」


「多分そうだと思う。磯辺君、東京でもサッカーやってたんだね?」


「うん、『アトレチコ東京』のジュニアユースでやってたよ」

 山田がすかさず、


「えー、鳥海さんのところでやってたんだ!」

 と嬉しそうに言った。


「鳥海コーチを知ってるんですか?」


「ああ、俺の大学の二つ上の先輩だ。あの人も俺と同じだ。トップチームに昇格して間もなく怪我でね」

 J2に降格してもう10年が経つが、アトレチコ東京はJリーグのオリジナル10の一つの古豪だ。


 そこで磯辺はどんなポジションだったんだろう。


「鳥海さんと同じ大学の人で山田さんって、もしかしてあのU-21代表の山田さんですか?」


「コーチ、本当に有名だったんすね?」

 と双葉。


「俺は一言も有名なんですなんて言ってねえけどな。あと、代表にはなってねえよ」


「ビデオの山田さん、凄いキレッキレの10番だったよ!良く鳥海コーチが山田さんのビデオを見せて指導してくれたんだ」

 磯辺はキラキラした感じで話す。


 要するに磯部は十番だったことを意味している。

 話しぶりから磯部がサッカー好きなんだという事はよくわかる。


 しかしそれを聞いた双葉は浮かない顔をしている。


 ポリバレント対応力の高いなミッドフィルダーとはいえ、双葉のやりたいポジションは10番トップ下だからだ。


 今は自主練のサボりが祟って守備的ミッドフィールダーであるボランチを任されることが多い。


 筧さんはニヤリとして、


「双葉、いいライバルができたじゃないか」と言った。


「別に」

 そう答えた双葉だが、双葉の闘志にはきっと火がついただろう。


 無口になった双葉は、彼が本気になった証拠だからだ。

「お前ら、そろそろ帰れー。夜はあまり遅くならないようにって親御さんたちにキツく言われてるからよ!」

「うぃーっす!」

「じゃあまた明日な!」

「磯辺も明日改めてな!これからよろしく!」

 晴矢も双葉も、磯辺と早くプレーしてみたくなった。


「うん、ええと、名前は・・?」

「俺は禎元。禎元晴矢。晴矢でいいよ」

「うん、わかった。晴矢、よろしくな!」

「晴矢か、良い名前だな」

「で、こいつは雄二。あっちで拗ねてるのが双葉。みんな同じクラスだよ」

「へぇー!そうなんだ、雄二、双葉、よろしく!」

「おお!柊って呼んでいいか?」

 雄二が言った。


「うん、前の学校でもそう呼ばれてたから」


「お、俺も柊って呼ぶぞ」


「双葉、ありがとう。宜しく」

 筧さんが柊に、


「磯辺君、入団申込書、今度の土曜日に取りに来なよ」

 と言った。


 柊が来ることで、明日から、ちょっと違う日常がやってくる。

 そんな気がした。

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