風の章

第一夜 帰り道


 晴也と双葉、香織、麻里奈は同じ方向だったので自転車で、走りながら他愛のない話を続けた。


「このヘルメット、いつまで被んなきゃいけないのかなぁ?」

 と麻里奈。


「卒業するまでずっとだよ。まあ、女子は髪形が命だもんな。気持ちは分かるぜ」

 晴也は分かったようなことを言った。


「雄二は良かったな。ヒナと同じ方向で」


「そうじゃない。双葉」


「なんでだよ?」

 晴也はしまった、と思った。ヒナが双葉を気にかけている事を知っているからだ。


「あ、ひ、ヒナが雄二の事好きになるかなんてわからないじゃん?」


「なんで晴矢そんなに慌ててんの?」

 麻里奈の観察眼は鋭い。しかし本当のことを言うわけには行かない。


「いや、あ、ははは。なんでだろうな。そういや双葉、今週末のトレーニングマッチまで練習しなくていいのか?」


「コーチにこれから河川敷のグラウンドに来いって言われてる。お前も言われてるだろ?一緒に来いよ」


「わーった。仕方ねえな。明日から台風来るかもって話だし、今日は俺も行くよ。それに、俺も試合出たいしな。それにしてもコーチ達も仕事の後で大変だよな」


「晴矢もさぁ、そろそろ秘密兵器のままでいるのはどうかと思うよ」


「何気にひどいこと言うよな? 麻里奈は」


「あはは冗談。怒った?」


「麻里奈もそろそろ何かやんねえとつまらない人生になるぞ!」


「そうよねえ、あたしとは違って、晴矢はお医者様になるんですもの、ねぇ? 禎元先生センセ


「おまえなぁ!」

 麻里奈と晴矢が冗談を言い合っていたところ、「先生」で思い出したのか、


「ところでみんな、太刀川センセイHRホームルームの後日直日誌届けに行ったら、明日からウチの組に転校生来るって言ってた」

 と香織がポツリと言った。


「マジで? 男? 女?」

 晴也は香織に聞いた。


「男だって言ってたよ。東京の中野の中学からだって。」


「へー。都会っ子か。この街に馴染めるといいよな。東京からそんなに遠いわけじゃないけどこの通り田舎だし、嫌にならないといいけどな」


「晴矢、俺たちの仲間に誘ったら?」


「そうだな。いい奴だと良いよな」


「ああ。そうだな」

 すっかり日が暮れて気温も下がった通学路を四人で走った。明日からは五人になるのかな、そんな事を麻里奈が呟いた。


 遠くに武蔵山市内の灯りが見えてきた。


*******

 雄二は、雛子と帰る方向が同じだったので嬉しかった。その理由は雛子に興味があったから、それだけではない。


 帰り道は、いつも奈央を送り届ける役目だが、奈央は雄二と二人きりで帰る時にはいつも不安に支配されているような顔になる。それがたまらなく嫌だった。


 この奈央の快活な顔とは別人の顔は、雄二しか知らない。


 いつもの屈託のない笑顔は何処かに消え、代わりに不安そうな目をして、口を一文字に結び、押し黙ったまま自転車を漕ぎ続ける奈央がそこにいた。


 何度か奈央のそんな態度がたまらなくなって、


「なあ、奈央。いつものオマエらしくないよ。そういうのさあ」

 と言った事がある。


 すると奈央は、


「雄二ゴメンね。六人ではしゃいでいる時はさあ、あのことを忘れられるんだよ。雄二と二人きりだと、どうしてもあの時のことを思い出しちゃって」

 と、答えた。


 雄二は、「あの時のこと」を反芻しながら言いかけた。


「奈央、あの時俺がもっと強ければそんな事には」


「違うよ雄二。雄二が悪いんじゃないよ。それは私も分かってるんだ。あの後も、今も、きっと雄二に甘えてんだよね、私」


「俺になら……別にどんな顔してもいいよ。俺にはその責任があるんだ。でも俺以外に、お前、誰にもそんな顔みせんなよ」


「雄二は優しいね。私が弱いだけだよ」

 といって深いため息を吐く。


 終いにははぐちゃぐちゃな顔をして奈央は泣き出してしまう。情緒が不安定なんてものじゃない。


 そんな弱々しい奈央を見ているのが本当に辛い。


 彼女が辛そうにしている時に自分の無力さに絶望する。一緒にいるのは辛いが、それでも雄二は奈央を一人にしておけなかった。


 雄二には奈央を守れなかった負い目があるから。


 幾度となく同じようなやり取りをこの半年間繰り返してきた。でも、今日は違う。雛子がいる。


「そ、それでさあ、」

 雄二は勇気を出して雛子に尋ねた。


「俺もヒナって呼んでもいい?」

 雛子は少しビックリした顔をしたが、すぐに


「うん、いいよ。私も雄二くんて呼ぶね?」

 と、嬉しそうに答えた。


 雄二は心が温かくなるのを感じていた。でも、これは奈央からの逃げなんだと思った。


「雄二は凄いゲームが上手いんだよ? ヒナちゃんはゲームとかやるの?」

 と、奈央。


「私ゲームとか持ってないからやらないなあ。雄二くん、どんなゲームをやるの?」


「格闘のオンライン対戦だよ。結構強いぜ? 自分で言うのもなんだけどさ」


 雄二はオンラインゲーム「スタリオンサーガ」ではかなりの有名人だ。サインネームは酒屋だからか「スコッチ」と名乗っている。


「へー、すごいな、雄二くん! 奈央ちゃんも詳しいみたいだけど、ゲームやるの?」


「ううん、でも見るのは好きだよ」


 塔ノ沢の二又の交差点を右方30メートルほど過ぎると荒巻酒店がある。


「じゃあな、奈央、ヒナ」


「雄二くん、今日はありがとう!」


「どう致しましてだよ! また明日な!」

 ふと奈央の顔をみた。


 やはりいつもみたいに泣き出しそうだ。

 雄二の事をじっと見ながらまたあの顔を ―― 本当の奈央の顔を――見せた。


 雄二は知らないフリをしようと思った。

 でも、出来なかった。


「奈央、俺も双葉たちと練習に行くよ。お前、夜に家から出れるか?」


「え!?」


「お前もたまには来いよ。一緒に行こうぜ?」

 奈央は、ちょっと雛子に遠慮がちに、


「うん、お母さんに聞いてみる。大丈夫だったら電話するよ」


「オッケー! じゃあ電話して!」



 それを聞いていた雛子は、取り残された気分になった。


(やっぱり私はまだまだ、余所者だよね……)

 と、奈央に聞こえないように呟いた。

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