第4話 わたし、一生懸命雑用に精を出しながらも恋焦がれていました

☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「うーむうーむうむうーむ……」


 わたしは困り果てるマクスウェル死神長をただ見ていることしかできなかった。

 あれほど失敗するなといわれたのに、失敗してしまった。


 結果、真彦さんは四年間死ねなくなり、今は事故で負った怪我のせいでまた昏睡状態に入ってしまった。


「あ、あの……やっぱり、マクスウェル様、にも抜けないんですか?」


 わたしは藁にもすがる想いでマクスウェル死神長に訊ねてみた。


「ワシにも無理だ。例外はない。近場真彦の魂は四年間、死神にも天使にも抜いて天界へ来ることができない」


「そんな……」


「本来ならば、失敗した君に四年間の罰を処し、四年後、改めて君の手で近場真彦の魂を抜きに行かせるのが筋なのだが。天使の介入があったとあってはのう。実はワシも見ていたのだ。見習いミルクがきちんと任務を遂行するのかを、しかし、まさかあのように直接的に天使が死者の最後の願いを阻害したとあっては死神と天使の全面的な責任問題に発展しかねん」


「あれは、確実にわざとでした。わたしが鎌を振り下ろすと同時に後ろからぶつかられたんです。わたし、あの天使さんにそこまで恨まれるほどなにかしたんでしょうか?」


「なにもしておらんから問題なのだ。君だけを罰すればよいなら話は早い。死神の手で天使を裁くなど前代未聞の事態だからな」


 わたしは溢れてくる涙を黒のワンピースの裾で拭って、訊ねた。


「わたしは、なにをすればいいんですか? なにをすれば許されますか? ララファさんのことはおいておいて、まず、わたしはわたしの責任を果たしたいのです!」


 そういうと、マクスウェル死神長はわたしの頭を優しく撫でて言う。


「ミルクや。死神に最も必要なのは優しさだと、ワシは思っている」


「でも、同時に残酷でなくてもならない。それが死神の心得でしたね」


「しかたあるまい、こうしよう。見習い死神ミルクよ、現在より四年間、そなたに現世へ降りることを禁じる。また、『転生の炉』で転生することも禁じる。ただ一途に死神庁において書類業務、伝令業務に従事するのだ」


「わかりました! わたし、頑張ります! 四年間耐えます!」


 こうして、わたしの四年間の懲罰、ひたすらの書類業務・伝令業務が始まった。


 それから、わたしの毎日はただ、次に死ぬ人のリストを先輩の死神さんに回し、誰が連れてこられたか、伝え、リストを作成し、の繰り返し。


 ときどき、真彦さんくらいの歳の、黄色人種の人が死ぬのをリストで見ると、真彦さんのことを思い出します。


 元気でいてくれてるかなあ。


 わたしのことは、忘れてるだろうけど、次に再会ったらすぐに思い出してくれるかなあ。

 他の人のことを……、好きになったりしてない、かなあ……。


 わたしは、自分の胸から、ずっとお守りにしていた水晶髑髏のネックレスがなくなったことを思うたび、真彦さんがあのネックレスをずっと、四年間、大事にしてくれているかなあ?と、思ってしまう。


 ああ、そうか、わたしは恋を知らずに死んだから。


 天界では性欲はなくなってしまうから。

 だから、まだ、ぎりぎり生きていた真彦さんがわたしにあんな気持ちを抱けたんだなあと。


 真彦さんは、死の間際とはいえ、私と逢えて、少しは幸せだったのかなあ。

 わたしの、どこを好きになってくれたのかなあ。


 やっぱり、顔?

 だとしたら、死んだとき、この顔にしてもらっておいて、よかったなあ。

 真彦さんは、わたしが元の顔のままでも、好きになってくれたのかなあ?


 あ、わたしが魂を抜く初めての人はやっぱり真彦さんの予定で。

 それがすごく嬉しい。

 どうにかして、この嬉しさを伝えたいなあ。


 真彦さんが天界に来てくれたら、どれくらいの期間、一緒に居てくれるのかなあ。


 なんだか知らないけど、『転生』にすごく憧れがあるみたいだったから、すぐに『転生の炉』へ行っちゃうのかなあ?

 なんだか、転生したらヒーローみたいになって女の子にもモテモテになってすごく楽しい世界にいけると思ってたみたいだけど。


 それは、少しやだな。

 そうだ。

 次に逢えたら、「転生するときは一緒に『転生の炉』に行って転生したいです」って、伝えてみようかな。

 そしたら、ひょっとして同じタイミングで、もしかしたら同じ国で同じ場所で生まれ変わって、次の人生でも一緒にいられるかもしれない。

 でも、もし嫌がられたら、どうしよう。

 

 そんなことばかりを考えていた四年間はとても長かったけど、思い返してみればあっという間で、とうとう、真彦さんの魂を抜き取りにいける日が来た。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 俺、こと近場真彦は現在四年生のしがない大学生だ。

 本当なら今年で大学を卒業して就職しているか、大学院に進学しているはずなのだが、四年前、大学一年生のときに坂で大怪我をしてしまい、そのせいで一年留年した。


 医者が言うには「あんな怪我で命があっただけでも奇跡に近い」そうだが、元々俺は大学に入学するために一年浪人している。

 さらに事故で生死の境を彷徨った挙句、また人生の一年を棒に振ったと思うと、とても奇跡だなんて喜べない。

 

 親からは原付に乗ることを禁止されてしまい、どこへいくのも、これまた中古の安物の自転車の人生だった。

 松葉杖なしでも歩けるようになった時には嬉しかったが、とてもとても自分が運のいい人間だなんて思えない。

 自分の担当になる看護師さんもおばちゃんばかり。

 おかげで注射や包帯の巻き方などは巧かったが、いわゆる、『白衣の天使』と仲良くなることもなかった。

 おまけに二年も社会に出るのに遅れたのだからと、親に学費を少しでも返そうとアルバイト三昧の大学生活だった。

 このアルバイト生活もまるで色気のない家庭教師生活。

 山上大学はそこそこの名門の公立大学のため、高校受験や大学受験の生徒を教える家庭教師や塾講師のアルバイトの斡旋が充実しているのだが、俺が教えるのはやる気のない男子生徒ばかり。

 たまには女子高生と部屋で二人きりなんていう甘酸っぱい空間で過ごすアルバイトはなかったものか。ただし、時給はよかったので、親への借金はアルバイト代で比較的早めに返すことができたが。


 しかし、なぜだろう。

 若い看護師さんに面倒を見てもらいたいだとか、女子高生と家庭教師で部屋で二人きりになりたいだとかそういう願望を抱くと罪悪感を抱いてしまうのだ。

 まったく理由はない。

 もちろん、大学生活の中で彼女を作ったりもしていない。サークルに入ったり、コンパに行ったりするのも四年前の事故のせいですべてタイミングを逸してしまった。

 だが。

 それでいい、と思えてしまうのだ。

 俺は四年前の事故の時からいつの間にか首にかかっている水晶髑髏のネックレス(売るつもりはないが鑑定してもらったら水晶製だった)に軽く手を触れるだけで、彼女などできなくてもいい。明るいキャンパスライフなどなくてもいいと思えてしまうのだった。


 そういえば、先日親を説得して、やっともう一度中古の原付を購入した。

 これで大学の、ご丁寧に「山の上」にあるから「山上大学」なんて名前の大学に通うのもだいぶ楽になる。

 あれから四年、そんな気持ちでうきうきと久しぶりに原付に跨り、大学の坂を下りて行こうとした。


 原付で一度瀕死になる事故に遭っておきながら、また原付に乗るのが怖くないのか?などと大学の友人からもはやし立てられたが、これが不思議と、まるで怖くないのだ。

 前に乗っていたスクラップになってしまった銀色とは違い、真っ黒なイカすカウルの原付に乗り、俺は大学の坂を下りて行った。

 ゼミには去年入れた。単位の取逃しもない。あとはこの原付で……。


 あとは、この原付で……。


 どうすればいいんだっけ?


 そう、坂を下りればいいのだ。何も気にすることなく。


 そうすれば、何が起こるんだったか?


「時よ止まれ!」


 突如として、虚空から響く声。


 女の声だ。


 そうして気が付いた時、俺の周りの時間は完全に、停止した。


 キィィィィィン!

 頭の中に、警告音とも破砕音とも付かない大きな音が響き渡る。


 ――ああ。思い出した。

 

 四年前、何があったか。


 ミルクだ! ミルクが再び時を止めてくれた!


 時が止まったから、俺は思い出せた。


 死神のミルクがもう一度やってくる――!


「ハァ~イ、こんにちは。愛しのミルクじゃなくてごめんなさいねえ」


 俺は坂の上で声がした方を見上げた。

 そこには真っ白いドレスを着た、どぎつい色の赤い髪をした、しかしこれでもかというほど美しい顔をした、タクトを携えた、背中から白い羽が生えた人物が浮かんでいた。


 見間違えるわけがない。

 あれはミルクではない。


 いくら四年間離れていたとはいえ、別人だということはすぐに分かった。


 しかし、現にこうして時が止まっている。

 まさかミルクではない別の死神が俺の魂を抜き取りに来たのか?


 純白のドレスの人物は優雅な仕草で右手を左頬へ当てた。いわゆる「おほほ笑い」をするときの動きだ。


「自己紹介させてもらうわね。私は『天使』のララファ。本日、栄えある役目を持ってあなたの魂を抜きにやってきたのよ」


 ララファ?

 誰だこいつは。

 いくら美人でも、俺が逢いたいのはミルクだ。こいつじゃない。


「待て、俺はミルクに魂を抜いてもらうのをお願いして、天界へ連れて行ってもらうはずだ。来るべきはお前じゃないはずだぞ」


「もう、仕方がないから説明してあげるわね。あなた、死神が願いを叶えるほど不幸じゃないのよ。天使でも充分魂抜けるほどに幸運な人生送ったわけ。おわかり?」


 言って、ララファは手に持ったタクトをかざした。


「だから、死神じゃなくて、て・ん・しのこの私が魂抜いて、天界へ連れて行ってあげるってことよ! 感謝しなさい!」

 

 そして、タクトを振りかぶる!


 光の刃が俺目がけて飛んでくる。

「あれ」を受けたら、俺の魂はこの天使に抜かれてしまうのか?

 ミルクに魂を抜いてもらって天界に連れて行ってもらうと約束したのに。

 約束は反故にされたのか?

 あの時間、ミルクと話し、交わした約束はそんなにも軽いものだったのか?


 ガキィィィィン!!


 だが、ララファが放った光の刃は俺の前で弾かれ、消えた。


「え?」


 ララファも困惑している。

 何が起きたのか分からないというように、タクトと俺を交互に見ている。


 そこへ、今度こそ、待ちわびた声が虚空から響いた。


「ま、真彦さぁぁ~~~~~~~~~~~~~ん!!」

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