第3話 初めてで失敗しちゃいました……おかげで四年間できなくなりました

 ○○○○○○○○○


 俺が「ミルク」という謎の叫び声を講義中に上げ、ガラスだか水晶だか製の謎の透明な髑髏のネックレスが首に掛かっていた翌日、その日は講義が三限で終わるので、晴れやかな気持ちで……


 講義が三限で終わるから……?

 いや、俺が今晴れやかな気持ちな理由はそんなことではない。


 なんだろう、頭に靄がかかっているようで思い出せないが、もう少し、もう少ししたら誰かと再会できるような、そんな漠然とした、かつとても幸せな予感とともに、俺は大学からのいつもの坂道を原付で下りていたのだった。


 そして、原付のタイヤが突然滑り、俺は原付ごと派手に横転してしまったのだ。


 なんだろう?


 既視感が、ある。このままいけば、俺が倒れたところに折り悪く大型トラックが突っ込んでくるような……。

 

 ププーー!!


 響き渡る大きなクラクション。

 そして、ここからは既視感とは違う、全身が馬鹿でかいハンマーか何かで打たれるような衝撃。

 激痛。


 自分の周りに血が広がっていく。なんだこれは。


「み…るく…」


 なぜそんな言葉が口をついて出たのか分からない。

 ただ、その口の動きを最後に俺の体は動きを止めた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 数秒前。


 わたし、こと死神のミルクは、今回の仕事のために借りた、魂刈り取り用の鎌を振りかぶった。


 真彦さんは別に死の際に味わう痛みを拒否しなかった。よって肉体がほぼ死んでから魂を抜き取っても構わないだろう。


 でも、わたしはできるだけ真彦さんに死の苦痛を味わってほしくなかった。


 わたし自身、死の間際の痛みは味わったことがあるのだ。

 全身に銃弾を打ち込まれ、「痛い!」とほんの一瞬感じたときには死神さんが魂を抜き取ってくれていた。今思えば、やはりわたしを担当した死神は非常に熟達していたのだろう。

 そして、しばらくわたしの魂と肉体が細い紐のようなもので繋がっていたかと思うと、ぷつん!といきなり切れた。

 わたしはそれで分かった。


 自分は死んだのだと。


 そして、わたしは天界に連れて行かれる前に、死神さんから手鏡を渡された。

 そこには、女のわたしでも見とれるほどの美少女が映っていた。それで、記憶が蘇ったのだ。

 これがわたしが望んだことだったんだと。体型も実はもっと太っていたんだけど、かなり細く、華奢になっていた。本当はもう少し胸を大きくしてほしかった。けど、そこまでの贅沢は言っていられない。

 とにもかくにも、死んだわたしは天界に連れて行かれ、死者として新しい顔で満足した生活を始め、ほどなく死神養成学校に通い死神を目指すようになった。


 わたしに死を告げに来た、そして魂を抜き取った死神のメルテさんが言ってくれた言葉。


「『死にたくなかったことは、いいこと。それは、生きていて幸せだった証拠』」


 それを、他の人にも言ってあげたくなったのだ。そして、昨日、やっと、誰かに、真彦さんに言ってあげることができた。

 嬉しかった。そして切なかった。


 人の死に立ち会うこと。

 それがこんなに辛かったなんて。わたしは泣いてしまった。


 だけど、初めてわたしが死を告げた相手はこんな情けないわたしに「もう一度会いたい」と言ってくれた。

 それだけで、もうそれだけで、「死神になってよかった」と心の底から思った。

 死神は、憎まれて当然の仕事。天使と違い、死者から理不尽なことをいわれることもある、損な役回り。

 でも、天界ではとても重要な仕事なんだ、と、憧れた死神のメルテさんは言っていた。

 

 だから、わたしも死神の端くれとして真彦さんにもできるだけ死の苦痛を知らずに一瞬で終わらせてあげたい……!



「真彦さん!」


 そう叫んで、予定より数秒早く鎌を振るった瞬間だった。


 ドン!


 後ろから何か、誰かにぶつかられた。

 それでわたしはよろめき、鎌の魂刈り取り軌道を真彦さんから外してしまった。

 幸い、鎌は誰か他の人の魂を刈り取ることはなかったけど。


 真彦さんは?

 真彦さんは!? トラックに撥ねられたの? まだ苦痛の中にいるの?


「あ~ら、ごめんなさいねえ。私のお仕事と被っちゃったみたいで、ちょっとぶつかってしまったわ」


 後ろから響く、わざとらしい、甲高い声。


 そして、キキキキという耳障りな車のタイヤが滑る音。

 衝突音。


 後ろから聞こえたこの声、聞き覚えがある。


 わたしは涙ぐみながらも振り返った。

 そこには、やや釣り目がちで、鼻の高い、紅色の長髪をグラデーションにしている白いドレスの、天使が居た。

 天使の、ララファさんだ。顔見知りという程度で仲良くはない。


 なぜこんな人が今ここにいるのだろう?


 けど、今はそんなことよりも。


「どう、して……、どうして、真彦さんの魂を抜く邪魔をしたんですかッ!?」


「いやねえ、邪魔するつもりなんてなかったわよ。私には私の仕事があったの、ほら」


 そういってララファさんは、とっくに事切れている中年男性の魂を自分の隣まで引っ張りあげてくる。

「この人はね、あなたが担当してた人を轢いちゃったトラックの運転手なの。享年五十六歳。死因は地面に倒れていた原付と人間を轢いた事によるハンドル操作のミス。頭を強くハンドルに打って死んだわ」

 

 そ、そんなことはどうでもいい……!


「そんなことはどうでもいいって顔ね。この人は温かい家庭に恵まれて育ち、特に悪いことをするでもなく、順当に徳を積んで、幸せな家庭を築いて、子供が独り立ちする頃にこうして死んだわ。だから天使の私が来たの。不幸な人の魂を抜き取るこわ~い死神じゃなくて、『天使』の私がね」


 いちいちこちらの神経を逆なでするように言ってくるララファさん。

 けど、わたしは彼女の言っていることを一割も聞きも理解もしていなかった。


 今はただ、真彦さんの魂がどうなっているかの方が心配だ。


 わたしはララファさんの方から目を逸らし、死神の”目線”で真彦さんの魂の状態を視た。

 なんと、真彦さんの魂はまだ真彦さんの体の中にあった。普通、人間が死ぬと魂は即座に死神か天使が抜き取るため、わたしは死んだ人間の魂が抜かれずに放置されているところなど初めて見た。


 たしか死神になるために受けた講義内で聞いた話ではこんなケースについても習った気がする……。


「あー、失敗しちゃったわね。魂抜くの。可哀想に。彼、今死ぬほど痛いのに死ねないでいるのよ」


「そんな……、わたしのせいで……」


 しばらくすると、救急車がやってきて、まず、真彦さんが、そしてトラックの運転手が担架に乗せられて運ばれていった。

 

 ピーポーピーポー……。


 山上大学の坂道にひどい血痕を残し、救急車が走り去ると、わたしは呆然と地面まで降りていき、というより、落ちていき、血痕の脇にへたりこんだ。

 わたし、実はまだ背中に羽がないんだから浮かぶことはできてもすいすい飛んだりはできないんだけど。


 と、わたしが行くべきは真彦さんの魂の場所!

 こんなところでへたり込んでいる場合じゃない。


 また後ろからララファさんが何か言ってきたけどもう無視してわたしは救急車を追いかけた。


 どうやら、真彦さんは山上総合病院という病院に搬送され、一命を取り留めたらしい。

 

 一命を取り留める?

 やっぱり、死神養成学校の講義で習ったとおりだ。


 死神や天使が魂を抜くのに失敗すると、一旦は死なない。

 でもわたしそんなの知らない。実際にこんな光景を見るまで知らなかったよ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 近くで誰かが泣いている。


 自分が車に引かれて死にかけていることは分かったが、それ以上に分かったのは聞き覚えのある声の誰かが傍で泣いていることだ。


「真彦さぁん……、わたし、約束守れなかったよぉ……」


 ミルク……。

 ミルクだ! ミルクの声だ!


 ええい、体のどこかよ動け! 俺の体のどこか、動いてくれ。

 そう念じるとあっさりとミルクに自分の言いたいことが伝わった。


「ミルク、来てくれたんだな。会いたかったよ」


「ま、真彦さん! 意識が戻ったんですか?」


「いや、どうやら魂とやらだけでミルクと話をしてるらしい。というか、こういうことは死神のお前のほうが詳しいんじゃないのか?」


 ああ、約束は守られたのか、守られてないのか、いまいちよく分からないけど、よかった。とにかくもう一度ミルクと話せた。


 体は相変わらず動かせなかった。だが、ミルクの方を向くことはできた。そして、その顔が見える。目は閉じているはずなのに。

 ミルクの顔は泣き腫らしてくしゃくしゃだった。


 あーあ、せっかくの可愛い顔が台無しだ。

 けど、泣き顔でも、こうしてまたミルクの顔を見ることができて俺は幸せだ。


「そんな悲しそうな顔するなよ。俺は満足してるんだぞ。ミルクとまた会えて」


「でも、真彦さん、わたし、失敗しちゃったんです。魂抜くの。だから、天界へ連れていけなくて」


「らしいな。でも、別にいいや。こうしてミルクと話したことが夢じゃなかったって証明できて。もう一回きちんと抜いてくれればいいんだろ?」


 事故で、重傷を負い、助からなかった。それで終わりだ。

 そして俺の魂はミルクと共に天界とやらに逝けばいいんだ、とそのときは思った。


「それが……非常に申し上げにくいのですが、一度死神が魂を抜くのを失敗するとですね……」


「ん? なにか問題なのか?」


「実は四年間、『死ねん』との語呂あわせで四年、誰にも魂を抜けなくなってしまうんですよ……」


 すると、なにか、俺たちは四年間も現世と天界の間の遠距離恋愛か?

 連絡を取る手段もないというのに。


「あのっ、わたし、たぶんこれから四年間、もしかしたらそれ以上、この魂抜きを失敗した罰を受け続けなきゃいけないんですけどっ」


 不意にミルクがそんなことを言う。

 罰? そんなものがあるのか。

 普通に考えたら人間に四年も長く生きさせることになって、得をさせたように受け取れなくもないのだが。


「と、とにかく、えらいことをしてしまったんです。わたし。これからめちゃくちゃ怒られて。えっとえっとそれから……」


 そんなことを言っているミルクが急に光り輝きだした。


「ああ、時間切れです! 言い忘れましたが、次に死ぬまで、真彦さんの記憶からはあの約束も、この夢も消えてしまいます。だ、だから今のうちに……」


「えっ、待て! 俺ミルクのこと忘れるのか!? 嫌だ、忘れたくないぞ」


「だから真彦さん!」


 ミルクの体が突然見えざる力に引っ張られるように俺から離れていく。


「ミルク!」


「四年間! 浮気しないでくださいねーっ!」


 その言葉を最後に、俺の意識も闇へ落ちていく。

 しかし、待て。

 浮気するな?

 俺はミルクに気持ちを明確には伝えていないぞ?(バレバレなのかもしれないが)


 しかし、「浮気してほしくない」ということは脈ありか?

 って、俺はこれからミルクの記憶をなくす訳で、つまり四年間は女っけなしで再会した時にはまったく女を知らないままミルクと再会しないといけないと――


 次の瞬間。

 うわああああああああああああああああああああ。

 魂だけになっている間は感じなかった激痛が全身に思い出されて、その痛みで俺は再び気を失った。

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