第5話 ついに、ついに、約束は果たされた。転生するよりずっと嬉しい!

「ま、真彦さぁぁ~~~~~~~~~~~~~ん!!」


 この調子の外れた、慌てふためいた女の子の声。

 間違いない。ミルクだ。

 俺は期待に胸を躍らせた。


 空から飛んできて、ばっ!とララファから俺を庇うように立ちはだかるミルク。

 後ろ姿だが、この金髪、華奢な体を覆う黒いワンビース、俺の記憶にある通りだ。


 しかし、俺の記憶には無いものがある。

 腰のあたりに、コウモリのような羽根が生えているのだ。


 前に出会ったときのミルクには、こんなもの生えていただろうか?


「ララファさん! 今度こそあなたの好きにはさせません!」

「くっ……、こ、この生意気な小娘死神」


 そしてミルクは毅然と言い放つ。

 ミルクは、こんなにキリッ、と物を言うタイプだっただろうか?


「ええいっ、その男の魂は私が抜いて天界に連れ帰るのよ!」


 ララファがもう一度タクトを振り下ろす。


 放たれた光の刃はミルクをすり抜け、再び俺の体に当たる。


 しかし、何も起こらない。


「なんでっ!? なんで天使の私に魂が抜けないのよ!? あんたどうせじき死ぬくせに!」


 じき死ぬ……?

 何を言っているんだこの赤髪高飛車天使は。


「いい? あんたは今から三十秒後、原付で坂を下りている最中に事故に遭って死ぬのよ。だから少し早めに魂抜いてやろうとやってきたわけ!」

「ララファさん……また懲りずにわたしの邪魔をしに現世にやってきたんですか……?」


 ミルクが呆れたように言う。

 正直、俺も呆れた。


 俺は天使に魂を抜いてほしいと希望した覚えはない。

あくまで『死神』のミルクに魂を抜いてもらって一緒に天界へ行こうと約束したのだ。


「だけど、魂抜けないじゃない! あんたって言うほど運悪い人間じゃないんだから天使の私になら簡単にすぽっと抜けるはずなのよ。なのになんでよ!?」


「なんでと言われても、すまん、ミルク、死神として解説頼む」


 そこでミルクは肩をすくめ、こちらを向いて言う。


 うーむ。

 可愛い。


 記憶にある通りのままのミルクの顔だ。


 何度でも言おう、可愛い。


 そんな可愛いミルクが俺に説明してくれる。


「実はララファさんの言ってることは正しいんです。真彦さんくらいの年齢まで特に大きな事故も病気もなく、大きな裏切りにあうこともなく、普通の家庭で平穏に暮らせば、天使の管轄になっても不思議じゃありません」

「お前、俺のことをツイてない人だとか言ってなかったか……?」

「ええ、わたしも不思議です。一瞬、『やられた!』と思いましたもん」


 そこで、ララファがまた甲高い声でわめく。


「そうよ、まして四年寿命が延びたんだから、運がいい側になって天使にも魂が抜けてもおかしくないわ!」

「とりあえず、ララファさん、あなたが止めているこの時間。わたしに返してもらいますね。では真彦さん、また後程」


 ミルクがそういうと、さっきのやり取りが何事もなかったかのように、俺は原付で大学の坂を下り始めていた。


 あれ?

 今はミルクのことを思い出せるぞ?


 すると、このまま原付で坂を下りていたら、また事故に遭う訳か。

 はっきり言って、二度と遭いたくないが。


 よっぽど俺は原付に殺される運命らしい。

 原付ってそんなに危ないも乗り物だったか?


 俺は坂で転ぶこともなく、そんな気持ちで原付を走らせた。

 すると、初心者マークを付けた乗用車が俺の原付目がけてツッコんで来るではないか。


 キキキキキキ!


 ププー! プー!


「どけ」とばかりに初心者マークが鳴らしてくるクラクション。


 そっちが道の側面に突っ込んできてるんだからどけるわけないだろうが。

 馬鹿か。まあ、免許取立てで初めて危ない目に遭って、そんなことも分からないのだろう。

 

 そこへ、空からミルクの声が聞こえた。


「さあ、遂にわたしも専用の鎌を手に入れたんですよ。痛みが来る前にすぽんとやってあげますからね。真彦さん! とおりゃああああ!」


 光の刃が飛んでくる。


 そして、不思議な浮遊感に襲われた。

 よく分からないが、ミルクは俺の原付が乗用車とぶつかる前に魂を抜いてくれたらしい。


「あー、やっと、やっと約束を守れました。さ、真彦さん、こっちへ来てください」


 俺は、気が付くと倒れた原付を見下ろしていた。そして、ヘルメットを被っているにもかかわらず、頭からどくどくと血を流している自分の体を他人事のように見ているのだった。


「きーっ、なんであいつには魂が抜けるのよ!? はっ、まさか、あの男、この四年間でさらに不幸度をアップさせた? だから完全に死が死神の管轄になっちゃった? 

ちくしょー!

くやしい! 悔しい! くーやしいったらくやしい! 

だけど見てなさいよミルク。あの男が天界でいつまでもあんたを好きでいると思ったら大間違いなんだから! なんたって死者からは性欲が無くなっちゃうんだから。

そのかわいー顔もいずれ見飽きちゃって何とも思わなくなるわよ!」


 なにやらララファが怒鳴ってから天へ去っていく。

 改めて思うが、アレは本当に天使なのだろうか? 悪魔か何かじゃないのか?


 だが俺にはそれより今の自分の状態が気になった。

 なんと、頭からふわふわと光でできた紐のようなものが俺の体の方の頭と繋がっているのだ。

 これは、まだ俺が生きている証拠ではないだろうか。


「真彦さん、安心してください。それは真彦さんの現世への未練みたいなものです。『まだ死にたくない』という気持ちがぎりぎりで魂を体と繋ぎとめているんです」


 ミルクが腰から生えた小さなコウモリの羽根をパタパタさせながら降りてきてそんなことをいう。


 なるほど。

 未練か。

 あってもおかしくないだろう、なにせまだ二十三なのだから。


「さて、どうします? しばらく待てば出血多量で自然に切れて死にますし、わたしがこの新品ピカピカの鎌で今完全に切り取ってしまうこともできます」


 ミルクが明るい声で言ってくる。

 言っている声は弾んでいるが、結構怖いことを言ってる気がする。


 俺は自分の希望を告げた。


「いや、しばらくして切れるまでこうしているよ」

「はあ、それはまたどうして?」


「ミルクと、もうしばらくこうしていたいんだ。ミルクと出逢えた、思い出のこの坂でさ」


 そういうと、ミルクは耳まで真っ赤になった。


「あの病室から、落ち着いてミルクと話ができなかっただろ? 俺、浮気しなかったぜ。お前の言ってた通り、二十三歳になっても彼女無し、交際歴無し、童貞継続中だ」

「えへへ、そうみたいですね。実はわたし、死者リストの真彦さんの項目見てるから知ってるんですけど」


 ミルクははにかんで、まっすぐにこちらを見つめてくる。


「変わってませんね、真彦さん。そういえば、少しだけ痩せました?」

「ああ、あの事故のせいで食事やらなんやら色々と制限がついたからな。リハビリも大変だったし」


「そういえば、わたし、ララファさん――ああ、さっき真彦さんの魂抜こうとしてた天使ですけど、あの人が先に真彦さんのところに居たとき、ゾッとしたんですよ」


 そういえば、あのララファとかいうやかましい女がなぜ俺の魂を抜けないのか、とかわめいていた気がする。


「真彦さんって実は、そんなに不幸じゃないっていうか、死神が魂抜くか、天使が魂抜くか、割と揉めた人なんです」


「そ、そうなのか……」


「ええ、別に生まれてすぐに死んだわけでもありませんし。そんな人の場合は問答無用で死神が抜きに行くんですけど」


 さておき、俺は運よく、死神が願いを訊きに来てくれたわけだ。


「決め手となったのは、その歳になって、そこそこの顔に生まれついてるくせに、人生で女っ気が全くなかったことですね」


「な、なにぃ……」


「それくらいの顔だと普通、高校生時代にもう少し女友達が居たり、女の子と話したりする経験があってしかるべきなんですけど、真彦さんって全くそんなことなかったんですもの」


 俺は……そんな理由で死神にサービスを与えてもらえたのか。

 そういえば、本当の本当に、まともにこんなに長い時間女の子と話をするのはミルクが初めてな気がする。

 理系の宿命なのだが、俺は高校二年生になったときはクラスに男子しかいなかったし、部活も無所属で勉強ばかりしていた。

 浪人生になって予備校に通っていた時は周りに女がいないことはなかったが、大学に入学することを最優先に考えていたので、「すべては大学に入ってから!」と決めて女の子と一緒に遊ぼうだとかは一切考えなかったのだ。


 唯一の楽しみであったアニメやラノベの世界ではこんな冴えない主人公がいきなりチートな能力を手に入れて異世界転生してモテモテになって羨ましかったものだ。


 しかし、今。

見よ! すべての異世界転生したラッキーな主人公たちよ!


 俺はいまこんなにも、ラッキーで、(死んでからだけど)幸せな時間を過ごしている!

 目にものを見せてやった気分だ。

 

 そう思った瞬間、ぷつん、と俺の魂の頭と体の頭を繋いでいた、紐の様なものが切れた。


 俺は、今、今度こそ、間違いなく、死んだのだ。

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