契約
彼は二度見三度見する。何かがおかしい。
頭に生えている狐耳、少し垂れた目に目下の泣き黒子、身長は160センチそこそこで、スレンダーな体型。
ここまではおかしな所はない。同じ獣人だから専属でやってもらっているのだろうとか、だから嫌悪の眼差しではなく、優しい感情が見てとれるとか。
服装だな。
見慣れているのか、気にした様子もなく、フェリスは椅子に座る。
「ごめんなさいねこんな服装で、今日は非番だったけど、連絡があったから慌ててきたの」
彼女はエプロンと頬にに手を当てて、恥ずかしそうに笑った。
どうやら自覚はあるようだ。
おきになさらずにと御影は社交辞令を言い、レータはフェリスの隣に座る。
「ご紹介が遅れました。この学園で事務職を行っております」
「レータさん例のなの」
依然としていらいらしたまま、レータの言葉を遮りフェリスは催促する。
契約書はどうやら前々から預けてあるようだった。
彼は嫌な予感がした。
普通はその人物の能力や人となりを調査し、面談で条件を詰め合ってから作るものだ。
レータは『本当にこれでいいの』とたしなめるような表情でフェリスの事を見ていたのでさらに拍車がかかった。
差し出された契約者を彼はじっくりと一度見、何かの冗談かと二度見、目尻を揉んだ後三度見する。
うん、ブラックかつ、ジャイ〇ン的発想だな・・・。
書かれていた契約項目は4つ。
〇この契約は卒業か退学するまで有効である。
〇雇用主は契約者に月5千円支払う。
〇ダンジョンで見つけた物は全て雇用主に渡す。
〇ダンジョンには週二回以上同行し、他者から学期契約を求められた場合、雇用主に相談し、そこで得られるあらゆる利益は雇用主の物である。
「レータさん、参考までに聞くが、これはふ・つ・うの契約か?」
さっき市場でみた限りではお金の価値はだいたいもとの世界と同じだ。
もしこれが普通の契約なら戦闘科に入るものはいないだろう。
いくら人が多くても、これじゃあ奴隷と同じだ。
「まぁ、無い訳じゃないんだけど普通の契約じゃありませんよね。フェリスちゃん、だから言ったじゃない、この契約で私達みたいな種族に協力してくれる人はいないって。普通の人族が雇用主だとしても、この契約を見て激怒して帰る契約者が多いと言ったでしょ」
聞くと、これは事務が所有する契約書の中で最低ランクの条件内容らしい。
なんというか、理由があるかもしれないが、やってくれるぜ。
ハムスターかと思ったら狸だったっていうぐらいの心境だ。
「で、どうなんだフェリス」
未だ沈黙を守っているフェリスに問いかける彼。
フェリスは口をへの字にしてだんまり。普通は話にならんと帰るところだが、彼には彼の理由がある。少なくても自分から破棄するわけにはいかなかった。
それに、この学園に入る事はすでに決めている。
自信もある。しかし当面の資金や初期経費は必要だ。寝る場所は寮があるから大丈夫だとは思うが、食費、日用雑貨、武器等々。ちらりと見たが最低でも百万以上は必要だ。
町にあるギルドに登録できれば資金を稼ぐことはできるとは思うが、学校に入ったら、ギルドに登録できるかは分からないし、おそらく最低ランクからのスタートだ。あっちの世界でのギルドの最低ランクの依頼は十ゴールド~百ゴールド、円で換算すると百円~千円だ。もちろん物価はあっちの方が安いが、とてもじゃないが日々の生活だけで精一杯で、必要なものを揃えるのに時間がかかる。他にもまだあるが、今はどうやって条件を高くするかだ。
正直怒りや失望感はある。だけど、あっち側の世界ではずっと虐げられてきた。このぐらい彼はへでもなかった。
だから表情には出さず辛抱強く待った。彼女が話し始めるのを。
時計の音がやけにおおきく感じる。
「・・・・・・どうせあなたも一緒だと思ったの。最初は良い顔して、すぐ裏切るの! もう誰も信じられないの! 契約で縛ってなにが悪いの」
悲しいな・・・・・・と素直に彼は思った。
なにがあったか知らないが、よほど手酷い裏切り方をされたのだろうと。
しかしこれだけは言いたかった。
「人ってのは信頼がなけりゃ始まらない。それも一番最初が肝心だ。俺は彼女の名前も知らない。逆に彼女も俺の名前を知らない。これで、なにもかも信用して契約しろって言うのは無理な話だ」
彼は何度か自己紹介しようと思ったが、その度にフェリスが遮ってきたのだ。
これで、あの契約書にサインするほど彼はお人好しではなかった。
もっともあの契約書なら一考するだけで、最終的には交渉したと思うが。
レータは顔に手を当て天を仰ぐ。もうおしまいだと。
まさか名前も聞いてないなんてレータは思ってもなかった。
交渉事において名前を聞くのは重要なことだ。
それを怠ったフェリス、なのに最低な契約書を突きつけた。
レータはある程度フェリスの事情を知っている。
正直凄く力になってあげたい。でもこの契約は残念だけど失敗するだろう。だから口を酸っぱくしていつも言っていたのだ。交渉事で焦りは禁物だと。
焦りからフェリスは自分から切ってしまったのだ・・・・・・たった一本の糸を。
ようやくそれが分かったのかフェリスは顔を真っ青にしていて小刻みに震えていた。
そして、怯えるような目で彼を見ていた。
彼以外は、次に出る言葉は決裂だと思っているから。
今度は彼が沈黙する番だ。
いい薬にはなるだろう。もちろん演技なのだが彼は眉間に皺を寄せ、難しい表情をし、いかにもな感じだ。息苦しく、重苦しく、張りつめた空気の中静寂が十分ほど続いた。
そろそろ頃合いか。
彼はふっとその空気を消し、おどけた表情に戻る。
「まぁ、とりあえずは、自己紹介から始めようか。俺の名は御影友道だ。よろしく頼む」
「どうしての」
驚きすぎて呂律が回らずそう呆然とした表情で呟いたフェリス。
もう絶対に終わったと思った。これからの事を考え、目の前が真っ黒になった。
切れたと思った糸はまだ繋がっていた。
「ん、まさか交渉決裂したいってわけじゃないだろ」
「わぁわぁわぁ、私の名前はフェリス・D・クリスティナなの」
展開についていけずぼけっとしていたフェリスは慌てて自己紹介した。
「OKフェリス。それじゃ、まぁ仕切り直しといこうか」
何とか最悪にならずにすんだとほっとするレータと三人で二時間ほど話し合いここに一つの契約が結ばれた。
しかし、この契約が後の運命に大きく関わることを、この時誰も知らなかった。
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