第14話 霧

 密林はその日、白い霧に覆われていた。 珍しく急速に気温が下がった昨夜。川や沼から霧雲が立ち上り木々の間を満たした。 低い土地に流れ込んだ霧雲はその深さをまして行き、風に吹き払われる事もなく、広大な密林を半ば雲海に沈めた。 腕を伸ばせば指先が見えなくなる程の視界の悪さ。辺り一面の白の世界。

 ヒュ

 左から風を斬る音がして、俺は左の盾を構える。直後、鞘ごと振られた鱗剣が盾のほぼ中央を叩く。 盾に当たった剣の感触から、リンクスが真後ろに居ると判断した俺は、振り向かずに後ろ蹴りを出すが、ハズレ。すかさず移動する。 着地した足が払われる。俺はバランスを取り直して着地……はせず、盾剣を足元に突き立てた。体勢の悪い着地をもう一度足払いで完全にこかしてから、攻撃する気だ。させんよ。 ギン 盾剣に伝わったのは鱗剣の感触。着地の足を斬るつもりだったのか。切れませんけど。 スゥっとリンクスが息を吸い込む音が、聞こえた気がした。咄嗟に回りこむ。 『秘剣!ささめ○きなのー』 居合の構えからの連続斬りを放つリンクス、が俺は横だ。 『きゃー止まんないなのー』 『そう言う所こだわらなくて良いから』 あらぬ方に連撃を放ち続けるリンクスの頭を「コツン」と叩いて朝のじゃれあいは終わった。 深い霧の中、野営した場所まで戻って来ると。デカイリュックを抱えた鬼神フェルサが絶句していた。 視界も殆ど無い中でどうすれば、アレほどの動きが出来るのか。まくし立てる様に聞いて来る。 それにシショーシショーうるさい。 「お兄ちゃんなの」 「え、いや、気配を探るコツなど……」 「ん!ったら、とーなの」 フェルサ、リンクスは話せるがドラゴンで子供だ。難しい事聞いてもダメだぞ。 俺はリンクスから鱗剣を受け取る。鱗剣も盾剣も鞘に入ったまま。ミュースで拵えて貰った鞘だ。 とても丈夫な木で作ってあり、ワニ革を巻きつけて更に強度を増している。先端は球状に丸い。 これは俺とリンクスが模擬戦をすることを前提とした保護用の鞘だ。俺の盾剣の鞘も同じ様に作って貰った。これならば突いても刺さってしまう事は無いだろう。 「師匠、是非俺様にも手ほどきを」 フェルサ、師匠に向かって俺様とか言ってる時点で弟子失格だ。 「実践では不意打ちも!」 「とーなの」 ばきっ 「師匠おおぉぉぉぉ……」 不意打ちしようとしてリンクスにふっ飛ばされたフェルサが、声高らかに霧の中に消えて行く。 もう絶叫キャラって事でいいな。お化け屋敷とかあったら連れて行ってやりたいですけど。 数時間後、フェルサの先導で集落に辿り着いた。 ラティーの村では無い。二つほど集落を経由するそうだ。 無造作に集落に近づこうとするフェルサが、はたと振り返る。 「えっと、師匠……何で剣抜くんです?リンクスちゃんが変身するのは分かりますが」 まだまだだなフェルサ、新エリアには新イベントが「お約束」だ。概ねトラブルだ。 「デフォなの」 「でふぉ?」 なんかリンクスが凄い変換をしたがスルーだ。 俺は盾剣と鱗剣の二刀で先頭に立ち、慎重に集落に近付く。トライアングルフォーメーションだ。 「リンクスなの」 リンクスはそう言って左側を譲らなかった。フェルサは首を傾げたまま右側に付く。  濃い霧の向こう、三メートルを越える柵が見える。イワン作だ。 集落の外側に僅かに傾けてあり、外から登りにくい工夫がしてある。 ミステリー的でホラー風な雰囲気の中、慎重に集落へと歩を進める。 柵を越え、中心の井戸を過ぎ、家の中まで覗いても……。 「誰も居ないってありえんだろ……」 「パンケーキまだで○かー」 リンクスが声を張り上げるが、使い方は間違っている。 襲われたり荒らされたりした形跡は無い。殆どの家が雨戸まで閉めていてちゃんと「お出かけ」したような感じだ。ホラーイベントは無さそうだ。 神かくし……戸締まりして?夜逃げ……集落全部? うーむ、今ひとつ自分を納得させられないな。 「調査だよワト○ン君。なの」 「へ?わと○ん?……えっと知れべて来れば良いんですかね師匠?」 通じたのかフェルサ!適応力高けーな! その内攻撃命令が「行け!ファン○ル!」になるに違いない。 ワトソン君の調査によれば「村を放棄した様だ」との事。 食料の類は何も残されておらず、煙突は革で覆われて雨等が入らない様にされている。 手がかりとなるような物も、特に発見出来なかった。

 ふ~む。次行ってみよう次。


 霧の中、数時間掛けて次の村に到着。

 ミラの村よりも規模が大きく、村を囲う柵の外の畑にも井戸が見える。


 「どうなってんだ?」


 陰惨な雰囲気の中、村を調べるがやはり無人。

 井戸にまで蓋が掛けられており、さっきの集落よりさらにキチッと撤収した感がある。


 「やはりココも争った様な痕はありませんね」


 慎重にトライアングルフォーメーションしてた俺がアホみたいじゃないか。

 フェルサが水を補充しようと、井戸の蓋に手を掛ける……。


 『そこか!』

 『貞○注意報なの!』


 ……が、井戸の中にもサプライズは無く、フェルサは水筒に水を補給。補給。補給。

 何個水筒持ってんだよ。無駄にデカイ荷物背負ってると思ったら、過剰に心配症なのか。

 さてどうしたものかと、顎に手を当てた時。


 「何か来るの」


 リンクスが霧の向こうを見る。


 「敵……か?」


 「静かにするの」


 フェルサが板剣を構え直し、リンクスの視線を追う。

 しばしの静寂の後、霧の向こうから何かを振動させる様な音が微かに聞こえてくる。

 音は徐々に大きくなり、深い霧全体が震えているかの様だ。


 ザアッ


 村の外、畑の向こうの森がざわめく。


 ブーン


 虫デカ!数多!!


 霧を透かして見えた空飛ぶソレは、体長が五十センチはあろうかと言う蜂に似た姿の虫数十匹。更に大きくなる羽音は、霧の向こうに途方もない数の虫がいる事を知らせている。


 サブイボ全開。俺はそもそも虫が嫌いだ。ちっちゃい虫がゴチャゴチャ固まって蠢いているのとか、嫌悪感しか無い。しかもこの数。

 蜂の群れは俺達に関心を示さず、頭上を素通りし続けている。霧で薄暗い村が更に暗くなる程の、空を多い尽くす程の大群。


 虫の注意を引かないように、姿勢を低くしていた俺達が次いで見た物は……。


 村の柵を乗り越えて、折り重なる様に雪崩れ込んでくる超大量の虫だった。

 虫津波。そんな言葉が頭を掠め、思わず硬直してしまう俺。


 『お兄ちゃん!』


 リンクスの言葉に我に返る。


 『井戸に飛び込め!』

 『らじゃなの』


 俺は井戸を覆う板を取り払い、フェルサを放り込む。

 フェルサの着水音がするより先に、リンクスが飛び込む。

 井戸の蓋を閉じながら俺も飛び込んだが、片手だったせいで、ちゃんと蓋が乗っていない。


 直径一メートルの井戸の深さは七~八メートル位だった。水面の高さにやはり直径一メートル程の横穴を見つけ、四つん這いになって横穴に這い上がる。デカイリュックは諦める。

 一番最後の俺が、フェルサに右手を引いてもらっている最中に、上からボタボタと五十センチ前後の虫が頭に肩に降ってくる。ムカデ型、芋虫型、他ごちゃごちゃ。半狂乱になりながらも横穴に這い出した俺は、後を追うように登ってきた大ムカデを盾剣で滅多突きにする。


 『のやろぁ!かかってこぉい!』

 『落ち着くの、お兄ちゃん』

 「し、師匠……」


 井戸口からボタボタと降り注ぎ、ワラワラと横穴に登ってくる大虫を、次から次に滅多突きにする俺。

 嫌悪感は恐怖心に、半狂乱は恐慌に上書きされ、狭い横穴の中で膝を着いて壁や天井に剣がぶつかるのもお構い無しにメチャメチャに剣を振り突きを繰り返す。


 『……ゃん……いちゃん……お兄ちゃん!』


 微かに誰かの声がする。凄く遠くで。

 手足が痺れて重い、目眩も酷い、虫の毒なのか。胸が痛い、息が苦しい、井戸の中にガスが溜まっていたのか?考えがまとまらない。ここから出ればいいのか?俺は何をしているんだ?


 ガブリ


 『うぉおおおおお!痛ぇええええ!何すんだリンクス!』


 リンクスに頭を丸かじりされ、痛みで我に帰る。


 『大丈夫、お兄ちゃんはリンクスが守るの、安心してなの。これ借りるの』


 リンクスは俺の胸に手を当ててそう告げると、俺を座らせ、腰から鱗剣を抜いてフェルサに渡した。

 横穴の井戸側にリンクスが、奥側にフェルサが陣取り、両側から迫る大虫を迎撃している。

 横穴の奥からも大虫が来てたのか、フェルサの板剣は長すぎて狭い横穴では使い物になっていない。

 

 『一吸ったらニ吐いて、ゆっくり、ゆっくり息するの』


 戦いながらのリンクスの言葉に、素直に従う。呼吸が少し楽になり、手足の痺れが取れて来た気がする。極度の緊張が解けたからか、眠気の様な弛緩に襲われ、俺の意識は薄れて行く。「一吸ったらニ吐く、一吸ったらニ吐く……」リンクスの言葉を脳裏で繰り返しながら……。



 俺は脚を投げ出して、背中を壁に預けた姿勢で目を覚ました。うなだれてヨダレを垂らして。


 うるさいなぁ、何の音だよ。


 激しく何かをぶつけ合う音に、眉をしかめて顔を上げる。

 視線の先には、大虫との苛烈な消耗戦が未だ続いていた。

 倒された大虫が半ば通路を塞ぐと、他の虫が通路から死骸を引きずり出し、再び襲ってくる。


 『リンクス……ありがとう』


 『お兄ちゃん、おはようなの。苦しくない?』


 『ああ、落ち着いた。俺はどの位寝てた』


 『分かんないけど、夜なの』


 井戸側から漏れていた光は今は見えない。この村に来た時間から考えて最低でも三時間は寝ていた事になる。ちょっと恥ずかしい。耳を澄ますが、外は未だに虫の津波が続いている様だ。

 横穴内には天井付近に光源が二つ。なんだこれ?魔法の光か?俺も使いたい。


 「師匠!戦えますか?俺もう寝落ちしそうなんです」


 寝落ち?この状況で?さっきまで寝てた俺が言えたセリフじゃありませんけど。

 俺は、フェルサと場所を入れ替わり、大虫を相手取る。

 落ち着け、大丈夫だ。ゆっくりと呼吸しながら自分に言い聞かせる。


 「目覚めるまで起こさないで下さい」


 戦闘中に起こすな命令とか、どこの元帥だよ。

 振り返るとフェルサは既に寝息を立てていた。さっきまでの俺とおんなじポーズで。

 寝落ち早えーな!の○太くん真っ青だな!


 『頭痛いな』


 『頭痛いの』


 延々と繰り返される人海戦術。虫ですけど。頭痛の原因はそれよりも酸欠だろう。

 大虫の出入りがあるお陰で、幾らか空気に入れ替えはあるが、半日も狭い空間で戦っていては空気も濁る。倒した虫から出る「すえた」匂いも要因の一つかも知れない。


 『リンクスまだ戦えるか?』


 『大丈夫なの』


 外に出れば数千匹の大虫を一度に相手にする事になるだろし、フェルサを守りながらじゃとても無理だ。この狭い空間だからこそ立てこもりも出来ている。動けない。


 『空気の入れ変えする良い方法思いついた』


 俺は、リンクスに作戦を伝える。


 『らじゃなの』


 嬉しそうに敬礼するリンクス。


 イ、二人で、横穴の奥からの大虫だけを倒す。

 ロ、死骸ゲット。

 ハ、井戸側から襲ってくる大虫に死骸を叩きつける。

 イに戻る。


 井戸側の大虫は、次々に叩きつけられる死骸を運び出さないと、俺達を攻撃出来ない。

 奥側からは入ってくるだけ、井戸側は出るだけ&煙突効果で、新鮮な空気が流れこんでくる。

 後は、死骸を運び出す井戸側の大虫が、運び出すのを諦めず攻められずのペースを調整すればいい。


 作業ゲー。俺とリンクスは延々とこの作業を繰り返した。

 多脚型の足の早い虫に始まり、甲虫型、蟻型と混じりながらも大まかに推移して行く大虫達。

 絶賛爆睡中のフェルサの前を、大虫の死骸がブンブン飛んで行き。井戸側の虫は死骸を叩きつけられながらも、せっせと死骸を運び出す。


 初めは意識して呼吸を抑えていたのだが、蟻型が長く続く様になってからは、特に気にならなくなった様だ。リンクスが時々歌を唄っている。安心するなぁ、アニソン。


 腹減らないかリンクス。そう言って振り返ると。


 ぴよ~ん


 リンクスの口から虫の足が生えておりました。

 ちゃんとつまみ食いしてたみたいだ。うん、そうだよね。長丁場だもんね。


 「ふ~、師匠ご迷惑お掛けしました」


 「おはようなの」


 「お、おはようリンクスちゃん」


 この野郎、師匠と兄弟子?姉弟子?が戦ってる中で爆睡しやがって。

 俺はニッコリ笑ってフェルサに頷いた。


 「うお!危ねえ!」


 ごん


 眼前をブンブン飛んで行く死骸に驚き、したたかに後頭部を打ち付けるフェルサ。


 「五時間も休ませて貰いました。リンクスちゃん交代しましょう」


 五時間だと?そんなに経ったか。てか寝てて時間わかんの?凄くね?

 俺はリンクスに伝言を頼む。


 「お兄ちゃんの方、抑えててだって、なの」


 「了解です」と歯切れ良く返事をして、フェルサは立ち膝で俺と入れ替わり即戦闘に参加する。

 寝起きいいな。戦士として当然って所なのか。


 『さてリンクス。一回押し出すぞ』


 『らじゃなの』


 井戸側の大虫を二人で猛攻し、井戸まで押し返す。

 死骸の運び出しを延々と繰り返していた大虫は、俺達の突然の猛攻に対応出来ない。


 俺が井戸内側の石壁に踏ん張って、大虫を井戸の中程で食い止める隙にリンクスがデカイリュックを素早く回収する。


 二人で素早く横穴に戻り、再び死骸を積み上げる。程なく作業ゲー回復。


 「え?師匠、交代しないんですか?」


 再び場所変えした俺に、疑問の声を投げかけるフェルサ。


 「ご飯済ますの」


 「流石師匠!」


 デカイリュックを開けるフェルサ。水筒三つに次いで、案の定食料が出てきた。

 丁寧に防水革に包まれた干し肉と乾燥野菜。先に済ます様フェルサに告げて、俺、リンクスの順番で食事と水分補給を済ませ、リンクスに寝てもらう。


 フェルサは体力的にキツイのか五時間戦うと五時間爆睡した。

 俺とリンクスが十五時間戦って五時間寝るサイクルとなる。どこのブラック企業だよ。

 二日目からフェルサの戦える時間が伸び出し、三日目には十時間戦闘が可能になった。


 「やっとコツが掴めて来ました」とかフェルサは言ってるが、俺に瞬間寝落ち術教えてくれ。

 おっと、俺は爆睡しちゃダメなんだった。いや、お断りが発動しないだけで爆睡しちゃダメって事は無いのか?とにかくこの状況で爆睡出来るお前らがスゴイよ。

 リンクスなんて「おかわり~」なんて寝言言ってる位だし。


 ようやくこれでローテーションが安定した訳だが……虫津波長くね?!

 膝が踵みたいになって来ましたけど。いい加減虫見ても、お腹鳴る様になって来ましたけど!



 虫の群れが通り過ぎたのは、井戸に入って五日目の朝だった。

 そして俺は、好き嫌いを一つ克服した。

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