第3話 意識と魂器

 一枚の書類を片手にダイニングで私はため息を吐き出す。それは身分証明書を発行した後に連れていかれた精神科の医師に手渡されたものだ。

 書類の内容は自分の現状、病状が記され、健忘症とある。要するに記憶喪失きおくそうしつのことだ。発症後に新たに記憶することができないものが前向性ぜんこうせい、私の症状は発症前の記憶を思い出せない逆行性に当てはまる。

 医者の解釈は、覚えていないがあったであろう戦闘の中で強い衝撃を受け発症した、というものだ。


「診断結果か?」


 愚痴ぐちに対する反応はディウのものだった。私がこの家で目を覚ました時と同じ席に座り、何らかの細かな作業を行っていた。手にはピンセットと質素な短剣、かわの敷物の上で私の話を聞きながらディウは作業に耽っていた。


「はい、そのことで。ディウさんは何をなさっているんですか?」


 ディウは短剣の刀身を持ち、持ち手を私に向けて答えた。


「装飾の宝石をはめ込んでいたんだ。まぁ、売り物じゃないし見た目だけの安物だけど」


「展示品ですか?」


「いや、これはあんたの短剣だよ。出歩く時に護身用として持っておくといいかなぁって思ってさ」


「そんな悪いですよ。年下に何から何までしてもらっては気が引けます。」


 手を振り拒否したが、含み笑いを浮かべたディウは強引にそれを私に差し出した。牛革の鞘に納められたそれは、表面が滑らかな木製の柄と握りと鍔(つば)中央にはめ込まれた濃緑のうりょくの宝石が特徴的だった。さやから抜き取り、刀身を見れば二の腕の幅程度の長さを持ち油を塗ったような反射を作り出していた。刀身には自分の真顔が転写され、それにはディウと同じ黒髪で右目の下には泣き黒子ぼくろがある。改めて思い返せば自分の顔を伺うことは初めてだ。

 泣き黒子に人差し指の先を重ねて右頬の中心をなぞった。


「短剣程度ならすぐに創れるから気にしないで。

仕上げに名前を彫ろうと思ってるんだけど、いままであんたって呼んでたからさ、どうする?」


「名前・・ですか」


 そこでディウは私にこう提案した。この短剣にはめ込まれた宝石から取り、『ジェダイト=ハウンドレッド』ではどうかと。私ははじめにそれを断った。これほど介抱されたうえにファミリーネームまで頂くことはおこがましい。

しかし続けてディウは自分の過去について話を始めた。彼が亡くなった師匠に拾われる以前の苦悩、ファミリーネームは格式を表す役目を持ち人種・身分差別の名残はここ新生国家外たびさきでは少なからず現存する地域が見られるそうだ。


「元から血縁なんていないし、この姓でよければ使ってくれ。これも師匠が残した形見だからさ、師匠みたいに人助けに使えるなら喜んで貸すよ」


「お父様はどんな方だったのですか?」


「自分勝手で優しい人だったよ。武具店の仕事はほとんど俺にやらせておいて、家に戻っている間は俺に刀鍛冶とか鋳造を仕込んでくれた。けどそれ以外の日は研究って言って国外に出っ放しで」


 その愚痴にも聞こえる思い出話を語るディウの表情は屈託くったくがない笑みで、父親への尊敬の意が感じられる。


「旅先では研究よりも人助けばかりして、店に面倒事をよく持ち込んできてさ。まぁそれ以上に良い評判を広めてくれたこともあって今のこの店があるんだけども」


「ディウさんそっくりですね」


 話を聞く限り、人当たりの良さとお節介焼きな所こそディウに通じている。子は親に似るとはこのことなのだろう。


 私は記憶から自分の両親をかえりみた。彼の話を聞き親恋しくなったのだ。健忘される記憶領域とは曖昧なもので過去の出来事については思い出せなくとも名称や概念がいねんについて大まかだが残っているのだ。それに、両親との記憶や家族との思い出は消えていてもなぜか一人の少女と青年の靄のような曖昧な存在だけが脳裏に浮かび上がるのだ。声色こわいろ容貌ようぼう趣味趣向しゅみしゅこう、それらの情報はあと一歩のところで決して前頭葉ぜんとうようの領域には踏み出さず、それはまるでワイン瓶のコルク栓のように紙一重でりきめず中身を放出おもい出来だせずにいる感覚だ。


「やっぱり無理に思い出そうとしても苦しいだけみたいです」


「きっかけが必要だよなぁ」


 その後もディウと会話を交わすも、結局このひと時の収穫は短剣と名前だった。蘇らない記憶に苛立ちを覚える私の前に一皿の食器が置かれる。両手で抱えた頭を上げると、料理を終えディウの元に純白のディッシュを置くリナの姿が見えた。ふつふつと音を鳴らす浅型鍋からは胡椒こしょうの刺激的な香りがただよい腹の虫を刺激する。


「リナありがとう」


「一通りお話も終わったようですし夕ご飯にしましょう。今日の献立こんだてはガーリックトーストとトマトとベーコンのスープですよ」


 そうして出された器にはそのスープが半透明の湯気を昇らせている。湯気はまるで香りが可視化されたそれで、湯気を発するスープ水面に落下するクルトンが幾つもの波紋を作る。そして料理が運び出され続々とテーブルに置かれていく。スープ、パン、サラダ、取り皿やスプーンとフォークが置かれ終わるとリナが余った席に腰掛ける。


 二人が一斉におがむように両手を合わせる。


「頂きます」


 釣られた私も同様に二人はそう口にする。どこか懐かしいこの言葉も空腹にされるがままに運ばれるスープの味に比べればどうでも良い。トマト特有の青臭い酸味は香辛料が程よく弱めてくれる。スープ内に溶け込んだベーコンの油分が旨味として舌で感じるたびにコクを味合わせてくれる。


「美味しい」


 淡々と賛美さんびした。リナは笑みを浮かべ、ディウは愛相も変わらず黙々とスプーンを口に運ぶ。

これほど料理に感動したのはなぜだろう。これも記憶喪失の影響なのか。そうだとしたら、このような新体験は不幸中の幸いと言える。




「キュウゥゥ」


 チャームポイントの黒髪の上で鳴くスライムの金切り声が市街地中の人の視線を集める。寂しいのか腹でも減ったのか、特に理由なんて無いのかもしれない。しかし集まる視線は出来るだけ避けたいものだ。


「フレ、頼むから到着まで静かにしてくれないか。」


 そんな頼み事など知らぬ様子でフレは再び鳴き始める。

今日はフレの案件で友人宅を訪ねる。しかしそれまでの道のりにある羞恥しゅうちは堪ったものではない、普通なら路地裏ろじうらなど人目のない交通量の少ない道を選ぶが、ビルの依頼の事もあり極力の孤立は避けた方が良い。ジェダイト、フレ、暗殺者の確保とここ数日で厄介事が三つも増えた。

今日のこの要件もその厄介事やっかいごとの一つだ。


 街中の視線に耐え、クレートの使用を決意しながらしばらく歩いていると、とんがり屋根が特徴的な友人宅が見えてくる。家の周りには色鮮やかな花々が活けてありまたそれを木柵が囲っていた。場所は街外れの自然地帯。国外に広がる草原と同じ青々とした草花が生い茂り、中央の境目さかいめのように人工河川じんこうかせんが流れる。家のそばの川には水車が設けてあり、得られた力は友人宅へと伸びて届けられている。玄関前の木柵を越え玄関扉に取り付けられた金属輪ノッカーを三度叩きつけると、扉向こう側から聞きなれた女性の応答が聞こえ解錠音と共に玄関扉が開かれた。


「いらっしゃい。早かったわね」

扉のノブを握る中腰の体勢の赤髪あかがみ長髪ちょうはつの女性。背筋を伸ばした彼女と改めて挨拶を交わした。


「フレが街中で騒ぐものだから自然にから早足なったんだろ。」


「そう、てっきり噂の暗殺者アサシンおびえたせいだと思ったけど。その様子だとそんなに気にしているわけじゃなさそうね」


「誰から聞いたんだよ」


「昨日の会食で父さんから。ディウって嫌われやすいし、嬉々ききとして噂を広めてる奴がいるのよ」


「それで依頼に支障があったらどうするつもりなんだ」


「それで困るのはあんただし、あいつらにとっては万々歳ばんばんざいなんじゃない?

ま、そんなことで諦める相手じゃないもの。相手も依頼事いらいごとなら実行するしかないんじゃない?」


不穏な内容の会話も終わり彼女は頭上のフレを掬うように持ち上げる。フレも特に嫌がることもなく大人しく彼女の腕の中に納まっていた。表情を写す顔はなくとも雰囲気から安らいでいることはわかる。

いまフレを抱く女性は『クルダ=バートン』有名な職人貴族の一人娘ひとりむすめとして特別区に暮らす俺とビルの共通の友人だ。魔術師ウィザード通り魔術やその他の学問に詳しい職人兼学生である。


 既にクルダの両腕で落ち着いたフレを見て俺はあきれていた。クルダは微笑ほほえみ、玄関奥へと案内された。ダイニングからリビングへと進むと、部屋の各所にフレと同種のスライム達が料理や掃除などの作業を行っていた。数は十体ほどだろうか。


「リナから聞いていたけど、ここまで数がいるとは思わなかったよ」


「一階の子たちは家事、地下の子たちには研究業務も手伝ってもらっているの。合わせて今は十三人くらいかな」


 スライムの単位に違和感を感じた。それが顔に出たのかクルダは「後で一緒に説明するわ」と言って地下への階段を下りていく。下りた先の部屋は資料室のようで分厚い書物が詰め込まれた本棚が列をなし、メモ帳を持ったスライムが本棚の間を行き来している。そして俺は資料室の隣の部屋に招かれ小さな木椅子に座らされた。


「物珍しく見てると思ったけど、そういえば私の家に来るのは初めてだったはね」


「魔術を習った時は王宮の研究室だったからな」


 クルダがフレを解放する。自然な立ち振舞いでフレは俺の膝の上に座る。


「確かに仕事の依頼もいつもギルドの酒場でやっていたし。それで、今日はそのフレちゃんのことで何かあるんでしょ?」


「そうそう、ペットを飼ったことはないし飼育について注意事項ルールを聞いておこっかなって。スライムに詳しいだろ?」


 クルダは自慢することもなく淡々と肯定した。そして立ちがって資料室へ消える。資料室から聞こえる会話に聞き耳を立ててしばらくすると、戻ったクルダは数冊の書籍を木製のテーブルに置いた。それらのどれも歴史書や学書など飼育方法の記載が考えられない本ばかりだ。

 そしてクルダは一冊の図鑑を開き俺に問いた。


「ディウはスライムについてどこまで知ってるの?」


「ギルド冒険者から聞いた話で、フレを拾った森のスライムは他に比べて優しいってっことかな」


「そうね。特例で種類関係なく害獣がいじゅうになる子もいるけど、。

 スライムって種類の数は少ないの。フレちゃんのアミキボリ種以外にオーディオ種とエレメンタリ種の三種しか今のところ発見されてないわ」


 クルダの開いたページには確かに三種類のスライムの図解と解説が掲載されていた。性格は温厚でエメラルドグリーンの粘液状ねんえきの身体を持つアミキボリスライム。基本的には大人しく社会性を持つ、コバルト色のエレメンタリスライム。攻撃的な性格で黒曜石こくようせきのような青黒い身体のオーディオスライム。


「思ったより少ないな」


「スライムって外見も含みで珍しい生態なのよ

 エレメンタリ種っていたでしょ?あれはスライムの基本的な状態なのよ。

エレメンタリ種は動物の生態として不思議な点は殆ど無いの。周り生物に対して主体的に攻撃を仕掛けることはない。そもそも敵対種てきたいしゅのテリトリーには近づかないからね。

でも残り二つの性格は全く違う。オーディオ種は異常に攻撃的で体格差たいかくさ関係なく周辺の生物を襲うの。人間の被害報告の大体はこの種よ。でもアミキボリ種は対照的に温厚なのよ。

フレちゃんも相当大人しいでしょ?」


「ジェダが目覚めたときに、踏まれて顔に張り付いて危うく窒息ちっそくさせかけていたけどな」


「最低限の反撃はするわよ」


「でも確かにフレを拾った湖のスライムは大人しいな」


「大人しいどころか人懐ひとなつっこい子達ばかりよ。あの森にはアミキボリ種だけだから、ほかの地域に遠征したギルドの人たちはオーディオ種に油断して大体は痛い目を見るのよ」


好奇心をくすぐられた俺は興味本意でクルダの先ほどの発言について質問した。エレメンタリ種の説明で発言した『基本的な状態』の意味とスライム達の数え方について問う。すると、クルダは離席し再び資料室に消えた。

我儘なフレの体を愛撫して待つとクルダはフレと同じアミキボリ種のスライムを抱いて現れた。


「少しフレちゃんを借りてもいいかしら?」


 特に断る理由もなく、手を離され残念がるフレをクルダに差し出す。二体(ふたり)nスライムは机に置かれ俺の視界から隠すように白い布を被せられた。するとクルダは白い布の中に一枚の君切れを入れ、布は波打ち十秒ほどで治まった。


「この子たちに場所を自由に入れ替えさせたの。フレちゃんだと思う方に指さしてね」


有無を言わさず布は剥がされ、二体のスライムの姿があらわになる。色や形状は同じ、多少の違いといえば微々たる体積の差や体内の気泡の量。外見で判別することは不可能だ。

 だが、俺は即答する。その違いで判断できた訳でも適当ヤケクソに当てずっぽうで指差した訳でもない。直観ちょっかんに近いものでそれは判断された。もちろん疑いはない。


「当たり」


 そう言ってクルダはフレを持ち上げ俺に差し出す。クルダも見分けがついている様だった。そして判別の訳について問われた。論理的な説明はできない。見慣れたものを自然と見分ける時のように極々自然に見分けることができた。そう言うとクルダはもう一体のスライムを抱き説明を始めた。


「ディウは第六感だいろっかんって知ってる?」


「味覚や聴覚以外の感覚だろ。実際に俺も心当たりがあるよ」


視覚しかく聴覚ちょうかく触覚しょっかく味覚みかく嗅覚きゅうかく五感ごかん能力以外を超えた感覚能力。そう一般的には言われているわね。それらに当てはまらないもので、今、あなたはこの子たちを見分けたの」


 魔法化学まほうばけがく英才えいさい魔女の言葉と思えばクルダの言い分に驚愕きょうがくするのは至極当然しごくとうぜんのことだった。クルダは論理的でも非化学ごとに関して否定的ではなかった。しかし、自分の分野を私情で書き換える人物ではない。


「この子たちは私たちと同類なのよ。人間とスライムを同列にする論文を出せば私の立場がないから、今まで誰にも言ってなかったの」


「論文って、本気か?」


「本気の本気よ。自分の身分がにくいくらいに」


 彼女は顔を突き出し瞳孔どうこうは開き、彼女の執念の熱が俺の肌をでる。フレも非難するように膝から俺の頭頂部に飛び乗る。着席し咳払せきばらいで空気を払ったクルダは話を続けた。


「死人となって屍人しびとから抜けた魂はどこへ行くのか、どこへ行くのか、黄泉路よみじを通って天国か地獄へ行くのか、そもそも魂が存在しなくて脳細胞と一緒に記憶が消えてしまうのかもしれない。今まで科学で証明出来なかったことの可能性がこの子たちに詰まっているの」


 そして魂の存在を仮設し話しは進む。


「誰だっていつかは死ぬ。うつわを失った魂たちはスライムに取りくの。

 未練をたち切れなければ憑依ひょうい先のスライムからも離れるけど、もし未練の対象と出会えれば完全にスライムは体を明け渡す」


「未練っていうのは、遺言ゆいごんとか復讐ふくしゅう?」


さっしが良いわね、そうよ。さっき言ったスライムが三種類な訳、その魂が残した未練によって変わるの。オーディオもアミキボリも元はエレメンタリ種のスライムが魂に体を明け渡した姿なのよ。遺言や接触を願う魂はアミキボリ種に。殺戮さくりく復讐ふくしゅうを望む魂はオーディオ種に変心へんしんするっていうこと」


「だからスライム達の性格がわかりやすいのか」


 それを聞きふとフレの方に視線を送る。フレもこちらを見つめている。眼球のない生き物の視線というのはあり得ない事だが、これもフレの中にある魂を感じ取れている証拠なのだろう。

 内心を見透みすかしたかのごとく、クルダは図鑑をスライムに手渡して帰し言葉を付け加えた。


「フレの中身があんたの親父だと思った?」


「・・・可能性はあるのか?」


「なくはないけど、残念だけど確かめる方法は少ないわよ。死体を見せるか、話すぐらい。さいわい言葉の通じるスライムは存在する。ここにいる子たちがそうね」


「クルダはどうやって見分けたんだ?」


「単純よ。あんたとビルが行った森へ行って一匹ずつ話しかけたの。呼びかける方が正しいかな」


 本当に単純な手段に最初は嘲笑ちょうしょうしたがその確率を教えられそれも唖然あぜんの表情に変わる。聞くだけで気が遠くなる確率を前にフレがそうだと希望を抱くことが馬鹿ばか々々ばかしく思えた。


「見てると最低限の意思疎通いしそつうはできているみたいだし、可能性は充分あるんじゃない?リナちゃんのこともあるし整理こころのじゅんびがついてから試すことね」


 中身のない返事をした。興味をなくしたわけではなく、考え込んだせいだった。




 振れを再びクレートに入れ、飼育用具と書籍を持たされ、いとおしさに加えて同情も感じるスライム達に見送られ玄関扉を開いたとき。。


でるだけが愛情ではないのよ」


 それが帰り際にクルダが放った言葉だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る