第7話 もしかして、束の間の休日!?

 侍女が注いでくれた紅茶を一口飲み、そっと外の景色に目を向ける。

 青々と茂ったレモンの木に白い鳥が遊びに来ているようで、小鳥の囀りが心地よい。


「平和だわ……!!」


 怒涛のような婚約破棄やら決闘やらをやり過ごし、久方ぶりの休日に思う存分羽を伸ばしていた。父であるスチュワード公爵は会談に出かけているため、屋敷には私と使用人たちしかいない。

 ようやくまとまった時間で一人になれたので、色々と後回しにしていた問題を片付けることにした。


「文字は問題ないわね」


 部屋の本棚に納められていた本を適当に一冊掴んで中身に目を通す。

 文字は日本語でも英語でもない言語だったけれど、ジュリアの脳内で自動的に翻訳されるので読み書きに関しては問題なさそう。

 本の中身はスチュワード家の歴史についてだった。


 宝石商から成り上がって貴族との婚姻を繰り返し、災害につけこんで援助を出して、ついには爵位を手に入れて……というサクセスストーリーが書かれていた。

 この辺りはゲームでのバックストーリーで語られていた話と対して変わらない。貴族制度なども特に目立った違いはないようでひとまず安心。


「それにしても、貴族制度か。血筋で立場が決まるというのも馴染みがないわね」


 この世界は血の繋がりによって就ける職業も、婚姻相手も決まるという“常識”に支配されている。前世では廃止された思想でも、ここではそれが当たり前なのだ。

 とはいっても、もうすぐ追放される私には関係のない話……。

 そこまで考えて、はたと思考を止める。よくよく最近の事情を考え直して、一つの事実に気づいた。


「そういえば私ってまだ追放されてない?」


 ヘンリー王子から婚約破棄を宣言されたが、未だ正式な書類や通達もない。もしや、初日のあの騒ぎで流れたのだろうか。

 王妃も何故かジュリアのことを気に入っていたし、私の知る結末とは違う方向に進み始めていることは確定だ。

 今後の身の振り方も、ある程度は決まっている。ジュリアの持っていた装飾品とへそくりを元手に商会に潜り込んで商人として生きていくつもりだったが、今後のヘンリー王子の出方によっては変更した方がいいかもしれない。


「ん、なにかしら?」


 考え事を一時中断し、耳に意識を向ける。部屋の外がなにやらバタバタと騒がしい。耳に飛び込んできたのは使用人たちの慌てた声だった。


「どうしますか?」

「これは私たちの手に余りますわ」

「かといってお嬢様にご相談するわけにも……」


 静かな部屋の中に使用人たちのこそこそとした声が響く。どうやら何かあったようだが、使用人たちでは解決できない問題が発生したようだ。

 迅速な返信を必要とするような貴族からの手紙だとかはジュリアの父さんの部下である執事が代理で処理するから、使用人たちが困るようなことは早々起きないはずだけど……。

 使用人たちがなんとか解決するでしょう、と半ば投げやりで思考を放棄した時だった。


「きゃああああっ!」


 使用人の一人と思しき女性の叫び声を皮切りに、何か硬い物がぶつかり、ごろごろと転がる音が廊下から響く。


「お嬢様、扉の鍵をお掛けください!」


 外から聞こえた使用人の鋭い声に、反射的に部屋の扉に近づいて中から鍵をかける。


「お客様、詳しいお話は別室にてお伺いいたしますので……」


 慌てふためいた使用人の声が聞こえて、思わず眉を顰める。

 来客の予定があるなら知らされているはずだし、そもそもつい昨日王家と揉めたスチュワード公爵家を訪ねる人物がいるのだろうか。よしんばいたとして、渦中の貴族を予約もなしに訪ねる輩など碌でもないに違いない。

 その予想は、直後に激しく扉を叩かれたことで的中したことを思い知る。


「ひっ……!」


 まるで、早く開けろとでも言わんばかりに扉を叩き、ドアノブをガチャガチャと回している。さながらホラー映画のような光景に飛び出し掛けた悲鳴を押さえて距離を取る。


 隠れる場所を探して部屋の中を見回すが、ウォークインクローゼットと天蓋付きのベッドという定番の隠れスポットは私の今の身体ではきついものがある。

 咄嗟に庭に面したバルコニーに通じる扉を開け、助けを求めようと外に出た。


「あれは、どこの貴族の馬車?」


 屋敷の正面に停車している馬車の家紋に視線が吸い寄せられた。二対の剣が交差し、中央には旗が刺繍されている。

 何処かで見たことのあるその家紋に目を凝らして記憶の底を漁る。


「……あ、思い出した」


 我ながら間抜けな声を出しながら記憶の底から引っ張り出したのはヘンリー王子のエピソード。

 王家には代々忠誠を誓う騎士の一族がいた。建国当時から忠実な部下として活躍していたが、ある戦を境に派閥が生まれる。親王家派と革新派に自らを分断した彼らは水面下で情報戦を繰り広げている……のだが、どうみても屋敷の前に止まっているのは革新派の馬車。

 そして、脳裏を過るのは先日遭遇したアランの言葉。


『そんな貴女ならばこの国をより良く導けると思うのだが……どうだろうか?』


 私の背中を冷や汗がつうっと伝い落ちる。


 いやいや、嘘でしょ。ちょっと、行動が早すぎるというか、私への評価が過剰すぎる。勘違いだって、うん。


 そんな私の現実逃避を嘲笑うかのように背後で扉がバコンッ! と壊れて地面に転がった。振り返ると、扉は無残にも破壊されて木片と化していた。

 もくもくと煙が上がるなか、悠然と佇む二人の男が視界に飛び込んできた。その中でも、銀色の髪を持つ男に視線が釘付けになる。


 暗い室内でも爛々と輝く蒼い目と腰まで届く三つ編みの白銀髪。ゲーム内で何度か見かけたことのある銀の刺繍の施された黒のベストとスラックス。間違いない、彼は革新派のなかでも指導者であるアーサー・マクシミアン伯爵!!

 そしてその隣でにっこりと笑顔を浮かべているのはアラン・ザッハーク!

 最悪だ、こいつ、私を破滅させる気だ!!

 革新派と仲良くしているなんて知られたら謀反の疑いをかけられるよう!!!!


「ああ、よかった。ジュリア令嬢はご無事のようだ。おっと、追加の兵が来たな」


 複数の足音が聞こえてきて、一瞬助かるかと期待を持ったが、剣を片手に嬉々とした表情を浮かべたアランを見て考えを改める。

 たしか、彼は剣術の腕は上位に食い込むほどだったはずだ。屋敷にいる兵で太刀打ちできる気がしない。

 すぐさま剣戟の音と悲鳴が聞こえてきたが、同時にアランの高笑いも聞こえてきて、私の顔からすうっと熱が引いていく。


 更に絶望的なことに、目の前にいるアーサーはしがみついて私を守ろうとした使用人を引き剥がすと首筋に手刀を入れて気絶させた。首根っこを掴み、ぽいっと廊下に放り投げてヅカヅカと部屋の中に入ってくる。

 事態が飲み込めず、身体を硬直させている私の前に傅くと手を取ってうっそりと微笑みを浮かべた。


「お初にお目にかかります、スチュワード公爵令嬢様。私はアーサー・マクシミアンと申します。このように不躾な訪問と挨拶になってしまい、申し訳ありません。ですが、今は一刻を争う事態ゆえ何卒ご容赦いただきたく存じます」

「……ん? あっと、はい。よろしくお願いします。それで、あの、ご用件はなんでしょうか……?」


 叫んで周りに助けを求めるのはまずいと咄嗟に判断して、とりあえず冷静を装って話を進める。頭の中ではこのバルコニーから飛び降りて逃げるルートを考える。

 この高さならギリギリいけるか……?


「話は後にいたしましょう。まずはこの屋敷から脱出が最優先です」

「へ?」

「お身体、失礼しますね」


 反応するよりも早く、アーサーは私の身体をひょいと抱え上げてバルコニーに飛び乗る。図らずも高所に晒されて、心臓が鷲掴みにされたかのようにきゅうと痛む。

 まるで階段を一段飛び降りるかのように、アーサーは私の身体を横抱きのまま、あろうことかぴょんと飛び降りた。

 びゅう、と風が吹き上げて私のツインテールの髪を揺らす。


「ひ、ひゃあああっ! 死んじゃう!!」


 当然、重力に従って落下しているというのにアーサーは平然とした顔をしていた。地面に激突する寸前、アーサーは薄い唇を開いて呪文を唱えた。


「風よ、集え。【エア・クッション】」


 覚悟していた衝撃もなく、ふわりと地面に舞い降りたアーサー。

 ああ、そういえば『漆黒の薔薇』のジャンルはファンタジーだったななんてどうでもいいことを思い出していると、屋敷の警備兵が武器を片手に周囲を取り囲んでいた。


「人質を離せ、無礼者! そのお方を誰と心得る!?」


 勇敢にもアーサーに剣を向けた警備兵の胸元でバッチが煌めく。たしか騎士爵で貴族の警護を任されている騎士の一人、だったはずだ。

 ……ところで、なんでアーサーは私の体をより一層抱きしめたんですかね?


「キミの方こそ、誰に剣を向けているのか分かっているのかい? マクシミアン伯爵家の当主と己の仕える主人の娘に剣を向けるとは礼儀がなっていないぞ」

「…………????」

「そもそも、私がここに来たのはジュリア様の為である。分かったらさっさと道を開けろ、無礼者め」


 さらりとアポ無し突撃暴行誘拐(現在進行形)を犯している自分を棚に上げたアーサーは警護兵のことを流暢に詰った。

 流れるような命令に理解が追い付かずに目を白黒させていると、アーサーはあっというまに警護兵の間合いに入り込んで片足で蹴り飛ばした。

 風に吹かれた紙片の如く宙を舞い、ごろごろと長い距離を転がった警護兵は起き上がろうとした途中で力尽きて倒れてしまった。


「ふう、これであらかた片付いたようです。ですが、油断は禁物ですね」


 余裕綽々といった様子で周囲を見回すアーサー。その額には汗一つなく、警備兵ですら歯が立たない存在だと突きつけられた。


 あれ、この状況ってかなり不味いのでは……!?

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