流星待ち 後

 ——私の目は綺麗な星空なんかじゃない。

 だから、願いを叶えてくれる流星なんか待っていたって現れない。雨に濡れて濁った空には、たった一粒の星の光すら灯らないのだから。

 夜は、星は、遠い宇宙は、私のことを助けてくれるわけじゃない。

 私のことを助けられるのは——。



 そして、約束の日がやってきた。 

 僕はコンビニで買ってきたケーキ、それとちょっとしたプレゼントを持って公園へ向かった。中身は、流れ星の刺繍が施された紺色のハンカチだ。


 南さんはもう着いていた。いつも通り滑り台のてっぺんに座っている。

 彼女は僕の姿を見つけると、顔を輝かせて勢いよく滑り降りてきた。漫画とかでよく顔の周りに花だとかキラキラした何かが散る描写があるけれど、まさにそんな感じだ。

 

「清瀬くん!」


 細い足で駆け寄ってくる彼女の背後に犬の尻尾の幻覚が見える。

 仲良くなる前は、南さんが実は表情豊かな人だということを知らなかった。まるで変化のない無機物のようだった彼女が、こんな風に色々な顔を見せてくれるのが、僕はとても嬉しい。


 見せてくれるのが、僕だけであれば。なーんて。


 僕たちは並んでベンチに腰掛けた。

 そして袋から出した、プラスチックの箱に入ったショートケーキとフォークを南さんに手渡す。

 

 ろうそくはないけれど、と僕は前置きして、軽く咳払いし息を吸った。


「はっぴばーすでー、とぅーゆー……」


 中々に低い声の自分が歌うと、なんだかしんみりとした空気になってしまう。

 だけど南さんはそれが面白いのか、くすくすと笑いながら手拍子をしてくれた。


「はっぴばーすでー、でぃあ、みなみさーん」

「はっぴばーすでー、とぅーゆー」


 ついに本人が歌い出してしまった。

 

 そこはとぅー「ゆー」じゃなくて、「みー」じゃない? 

 ほんとだ、間違えちゃった。


 くすくす。

 くすくす。


 幼い頃、きょうだいとふたりで布団を頭からすっぽりと被って夜更かししたことを思い出す。

 親にバレないようにひそひそ声で話して。でも、狭い狭い夜の中だったから自分たちの声がやたらと大きく聞こえて、お互いに「もっとちっちゃい声でしゃべらなきゃ!」って言い合っていたっけ。

 なんだか、あの日と同じで、この夜の世界には僕たちしかいないんじゃないかって錯覚してしまう。


「あと、これ……大したものじゃないけど」


 僕はハンカチの入った小さな紙袋を手渡した。

 南さんは賞状を受け取るみたいに袋の角を両手で持ち、キラキラとした目で何度も「ありがとう」と口にしていた。紙袋をそんなに嬉しそうに眺める人を僕は初めて見たかもしれない。


 ようやく彼女は封を開けた。


「〜〜〜〜っ……!」


 細い首が、喉が、

 薄い唇が、

 瞳が、

 ふるふると震えている。


「あっちに帰っても、使うね。これで清瀬くんのこと、忘れなくて済む」

「あっち……?」

「ニュース、観てない?」


 彼女の問いかけに、僕は首を横に振った。

 

「もうすぐ流星群が見えるんだって。私の誕生日に、それがピークになるの」


 だから、ようやく生まれた星に帰れるんだ。


「……。誕生日会、兼、お別れ会になっちゃったね」

「清瀬くんと話すの、すごく楽しかったよ。一緒に帰りたいくらい」


 南さんは冗談なのか本気なのかわからない声のトーンで言った。

 だから僕も、冗談めかして、


「でもあっちはパラレルワールドみたいになってるから、きっともうひとりの僕もいるよ」


 そう返した。

 

 その後はケーキを食べ、ちょっとした世間話をし、帰ることになった。いつもと変わらない。まるで、また明日も会えるのが当然とでも言うように。


 家に帰り、机に向き直った僕の手は無意識にシャープペンシルでノートの端に流れ星のイラストを描いていた。

 もしかして、本当に南さんは宇宙から来て、本当に流れ星で帰ってしまうのではないか。

 だったら、あの返事はもしかしたら間違っていたんじゃないか。

 

 考え始めると止まらなくて、僕は寝不足のまま翌日を迎えることになったのだった。

 

 



 帰省から帰ってきた頃には、夏休みはもう残り3日となっていた。

 南さんの誕生日、流星群のピークと言われた日はもう過ぎている。

 

 僕は南さんの連絡先を知らない。彼女はクラスの誰とも交流していないから、誰かに聞くこともできない。だから、彼女が今どうしているのかもわからない。


 夜になり、僕はいつもみたいに例の公園へ足を運んだ。でも、彼女はいなかった。

 僕は足元の水たまりをしばし見つめた後、今日はもう帰ろう、と踵を返した。

 次も、その次の日も、彼女は現れなかった。

 夏休みが、終わる。

 

 

 

 ……

 …………

 ………………


 




 夏休み明け初日、曇り空。

 天気予報では夜中まで雨は降らないらしいけれど、重たい灰色と漂うペトリコールは今にも泣き出してしまいそう。




 ——まるで、星に帰れなかった彼女の悲しみそのものみたいだ。




 登校して教室の扉を開くと、南さんは夏休み前と変わらず隅でひっそりと息を潜めていた。

 誰とも喋らず、かと言って読書をしたり勉強したり、スマホをいじったりして自分の世界に篭るわけでもない。ただ俯いているだけ。髪がカーテンとなって顔はよく見えなかった。


 あの日……南さんの誕生日当日、流れ星が来なかったのは知っていた。流れ星どころか、雨で星のひとつも見えなかったのだ。


 夜になったら僕はまた公園へ向かった。

 彼女は、もう二度と星れ帰れなくなるのだろうか。そうだとしたら、もう星を探しに来ない? もう、僕だけが見ることのできたあの光は消えてしまうのだろうか。


「……やっぱり、来なかった」


 いつもの公園。

 南さんは今日は空を見上げず、膝を抱えてうずくまりながら絞り出すようにそう言った。


「…………」


 僕は黙って彼女の後頭部を見つめていた。


「まあ、最初からわかりきってたことなんだけどね」


 初めて聞く、いつもより低い声。膝で声が遮られているからかくぐもっていて、より無感情に聞こえる。

 淡々としていて……、全てに対して冷めてしまっているかのようだ。夏の蒸し暑い夜の空気を冷やしていく。


「私の生まれた星はここだし、流れ星に乗れるはずなんかない。帰る場所なんてない。ごめんね、くだらない妄想に付き合わせて」


 どんどん、どんどん鋭い声が自身を追い詰めていくように刺していく。

 苦しい。でも、本当に苦しいのは南さんだ。

 駄目だ、それ以上、自分を傷つけちゃ。


「みなみさ、」

「わたし、私はどうしようもないくらい、自分じゃコントロールできないくらい、人生やめたくなっちゃうの。どこにも私の居場所はない、消えたって誰も何も思わない!!」


 喉の奥の奥の方から飛び出してきた、ガラスの破片が金属を擦るかのような叫び声。


「なんでかって私自身もわからないの! 別にいじめられてるわけじゃない、虐待されてるわけでもない! ……家族からは無条件に愛されてるはずだ、って、思う? それもわからないの。全部全部、違和感しかないの…………」


 わたし、家族にも誕生日を祝われたこと、ない。


「ああ私何言ってるんだろう。ごめんね意味わからないよね。でも、私が家族から求められてるのは『都合の良い、なんでもやってくれるお姉ちゃん』であって『私』ではないんじゃないかって思っちゃうんだ。母が父の、妹の、父が妹の、妹が両親の、悪口を全部私に言うの。それを聞いて育った私は誰に対してどんな感情を抱けば良いかわからない」


 僕は、呼吸すら忘れていた。

 少しでも音を立てたら、途端に彼女が崩れ去ってしまうような気がして。


「でも妹はどれだけワガママを言って泣こうが、逆ギレしようが、数日経ったら皆忘れちゃうんだよね。手がかかる子ほど可愛い、の、かな。妹は、親の視線を独り占めして生きてる」


 ゆっくりと彼女が顔を上げ、目が、合った。


「ここは私の居場所じゃない。私はきっと、間違った世界に飛んできちゃった。私を愛してくれる人たちは、違うところにいる……。そう思わないと、ど、どう、どうしていいかわからなくなっちゃうの……!!!」


 だから、彼女は、ずっと幻の、「生まれた星」を探していた。


 下がった眉。無理やり持ち上げて震えている唇の端。泣きたくなるのをぐっと堪えたような、今にも割れそうな薄いガラスのような笑顔。

 その表情に、僕の胸の奥は無性にひりひりと痛んだ。


「…………でも、」


 こんなこと、南さんに言って良いのかはわからない。だって、彼女は星に救いを求めるほど苦しくて、ここから逃げ出してしまいたいと思っているのだから。


 それでも。


 その無理やり作った笑顔をやめさせられるなら。

 怒り顔でも、泣き顔でも良いから。


「僕は……、南さんが星に帰らなくて良かったよ。また、こうして会えて、話せて、良かった」


 彼女の元々大きめな目がどんどん見開かれていき、それと同時に瞳の奥から雫が染み出してくる。

 いいよ、泣いてよ。



 …………パタッ……


 地面に水滴が落ちる。

 それは彼女の涙ではなく、雨粒だった。次第に勢いを増していき、みるみるうちにザアザア降りになる。

 これで、泣いてるのなんてわかりはしないから。


 彼女は声も出さずに、肩を震わせていた。頭頂部、そして前髪を伝いながら落ちていく雫。きっと、僕も同じような顔になっている。


「…………」

「…………」

「やっべぇー! 雨じゃん!」


 沈黙をぶった斬ったのは、いつか海辺で見た集団だった。今日も今日とてお酒の缶を手に持ち、雨だと騒ぎながらも何故か屋根のない公園に避難してくるという全く意味のない行動をしていた。


 僕は咄嗟に南さんの手を取り急ぎ足で公園を後にした。

 

「……きよせくん、清瀬くん」


 彼女の声でハッと我に帰る。

 いつの間にか、僕たちは海辺までやってきていた。いつもより濁った音のする波。ずぶずぶと足が沈んでいく砂浜。

 そして、バリバリバリと何かが激しく打ちつけられるような音。音のする方を見ると、白い物体が雨に打たれていた。僕がずっと浜辺に打ち上げられた海月だと思っていたそれは、ただのビニール袋だった。


「……すごい。泣いてるみたいだね」


 南さんはポケットから何かを取り出すと、それを僕の顔にぐいぐいと擦り付けた。僕があげた、流れ星の刺繍のハンカチ。


「……そっちこそ」


 僕がそう言うと、彼女は自分の顔もそれで拭いた。でも雨は止んでいないから、2人してすぐにまたびしょ濡れになってしまう。


「……これ、気に入ったからほとんど毎日使ってるんだ」


 じわじわと、紺色から黒っぽく染まっていく。夜の海の色みたいだ。


「あのさ、」


 僕が声を発すると、南さんはぴくりと体を震わせた。なんだか見たことのある光景だった。


「僕が、南さんの居場所になる。……辛いのに、生きることを強制されるのはもっと苦しくなっちゃうかもしれないけど…………。でも、……うん」


 南さんと、もっと色んな話がしたい。

 だから、生きるのをやめないでほしい。これは僕のワガママだよ。


「…………なにそれ。ワガママ。きれいごと」


 南さんはまた眉を下げ、


「——でも、流れ星に頼むよりは、現実的かもね」


 そして、ニッと歯を見せて笑った。

 怒っているのか泣いているのか、それとも笑っているのか。困っているのか。どれでもない、でもどれにでも当てはまる不思議な表情。


 ここらの海に漂っているのは海月じゃなくて、ビニール袋。

 降ってくるのは流れ星じゃなくて、雨。

 彼女は異星人なんかじゃなくて、この星で生まれ死ぬ人間。


 そして、僕が口にしているのは彼女を救うための言葉じゃなくて、きっとただの幻想。綺麗事。



 現実は想像の世界よりずっと苦しいし、汚いかもしれない。

 それでも、いつか救われる日が必ず来る。

 

 そう思いながら現実を生きていくしかないんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

流星待ち 遠野リツカ @summer_riverside

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ