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祈りを終え、ボスが消滅したことで一時的に瘴気が完全に消滅した空間で俺は息を吐いた。
牢獄に囲まれ、脈動する肉塊に覆われた空間に戻ってきている。
(完全に逃げられる前に追わなければならないが……)
半吸血鬼の狩人、ヴァン・ドールを追うにも呼吸を整える時間は必要だった。
あちこちに散らばった武具を回収する。
ハルバードや茨剣などだ。月神に勝利を報告し、次の戦いに関しても祈りを捧げる。
善きものであれ、とは祈らない。
祈るのは、聖女カウスや哀れなあの男女を惨たらしくデーモンへと変じさせたヴァンへの復讐だ。
奴は殺す。必ず追い詰めて殺し切る。
そして俺は祈りを終え、聖女カウスが残した物を見つけた。
消滅したデーモンが落とした道具だ。
ソーマが一つ。金貨がいくつか。他には……――。
「……これは……あの
文字が書かれた紙だ。俺には読めないが大陸の言語で書かれたそれにはびっしりと何かが書かれている。
おそらくは
地上に持ち帰って供養してやろうと拾い、袋に入れておく。
その傍に落ちていた、何の神秘も感じない拙い木彫りの聖印も(おそらくは大陸神殿に没収されないよう、テイラーからイライザへ贈られた聖印だろう)。
「これは、聖女カウスか」
指輪だ。興味を覚えて身につける。どういう効果だろうか? 神の奇跡ならば魔力だろうか。
魔力を流してみれば魔力を消費し、周囲の地形を無視して、長櫃の位置が頭に入り込んでくる。
「ぐ……少し、混乱するな」
そして重要なのはそれだけではなかった。
聖女カウスを担いでいたときに彼女が何か
星神の奇跡である物探しにも似たそれは、俺にヴァンの位置を教えてくれる。脳に直接、奴の位置を教えてくれる。
(惑乱の権能にも似た感覚のおかしさはあるが……慣れるまでが大変だな)
感覚が一つ増えたようで落ち着かないが、地面に落ちていたポーンの黒駒を俺は拾い、袋に収めた。
(これが聖女カウスと哀れな二人をデーモンへと変じさせた)
この黒駒は俺がかつて龍に意識を乗っ取られたときに倒したデーモンのもので、今回の件はこれを回収できなかった俺の失態だ。
思うところがないわけではないが――今は優先すべきことがある。
「追跡が優先……か」
落ち込んだり、後悔している暇ではない。探索するための情報を手に入れたのだ。
ヴァンに攫われるあの瞬間に、自らが死んだあとまで考えて行動するとは、さすがは聖女カウスというべきだ。
あとは俺が追跡をしくじらなければいい。
(ただ、逃げられることを考えるならば転移場所を作っておくべきだな……)
ボスが死んだことで短い間だけ瘴気の消えているこの場に俺は聖域を作っておく。
ここに聖域があれば聖女カウスの窮地に間に合ったかもしれないからだ。それはそれで場所を変えたかもしれないが、やはりもしそうであれば、という妄想はどうしてもしてしまう。
(女々しいか。ふん、少し時間を消耗するが、体力を回復する時間も必要だったからな)
月神に祈りを捧げ、チコメッコの油脂を囓っておく。
そして俺は、ヴァンに逃げられる前に、奴の追跡を開始した。
◇◆◇◆◇
「……こんな場所があったのか?」
聖女カウスの指輪を身に着けた俺はハルバードを片手に進んでいく。
休息の間に、鎧は胸部分だけハードレザーアーマーに着替えていた。篭手や脚甲は神殿騎士のものを身に付けている。普通は合わないものだが、このハードレザーアーマーはこのダンジョンで手に入れたものだ。体格や、装備に合うように最適化がなされるような機能がある。一品物であるドワーフ製の神殿騎士の鎧に合うように姿を変じていた。
鎧の胴を変えた理由は聖女カウスとの戦いで神殿騎士の鎧の胸部分を、鎖帷子ごと骨の矢で貫かれたからだ。
ヴァンの弾丸を生身で喰らえば辺境人の皮膚では耐えられない。
弾丸の種類によっては即死する。多少不便だが、手持ちの鎧で身につけられるのはこれしかなかったからだ。
(以前回収したクレシーヌを模した巨犀の鎧が身につけられればよかったんだがな。俺の筋力ではまだあれを着ることはできない)
いや、一部を身につけるだけならばできるだろうが、素早いヴァン相手にあれを着て戦えば、重さで動けないままになぶり殺しにされることは必定だ。
だから鎧の質を下げて、低下した防御力を補うために今回は白犀の指輪を身に付けている。
刃を弾く鉄のごとき皮膚を得られる指輪だ。あの散弾に対してはこういったものの方がまだ効果があるだろう。
そんな俺が今いる場所は牢獄が立ち並ぶ通路から、肉の触手が壁を伝い、視界全てを埋める空間だった。
聖女カウスが残した星神の指輪の導きに従い、進んだ先にあった壁を
時折、このダンジョンで見かける、幻惑の壁に隠された見えない通路だ。道化のデーモンとヴァンへ通じる道だ。
「……デーモンどもがいるな……」
だが……俺は困惑した。
「こんなデーモンがここにいたか?」
通路の先には 腐乱した狼のデーモンが数匹うろつき、また子犬ほどの大きさの蝙蝠が天井にぶら下がっている。
ほんの少し通路を戻れば料理人や給仕女が歩き回っているだろうこの空間に、なぜこんな得体のしれない連中がいるのか。
(……それに、死体が歩いている……)
遠目には歩く死体。服装に見覚えがある。
料理人に調理されていたり、吊るされていた死体が、デーモン特有の禍々しい瘴気を纏って歩いてた。
――それはまるで、噂に聞く吸血鬼の領域のような……。
「馬鹿な……俺が回収し損ねた駒はもうないはずだ」
ヴァンが瘴気でデーモン化した? それとも吸血鬼になった、のか?
――それとも、何かボスを殺したのか?
疑問を抱きながら周囲を見る。通路を這い、脈動する肉の赤は変わらない。その質量が増えただけだ。所々を這い回っていたそれが、通路全てを埋め尽くすようになっただけ。
破壊神の権能を含んだ、破壊してはならぬ物という気配そのままに。
領域そのものが大きく変化している様子はない。
だが出現するデーモンが変わったということは重要だった。領域の主が変化している。
だが、この領域に残るボスデーモンは道化のデーモンだけ、ならば道化のデーモンに関わるデーモンが現れるはずだが、それが変わっている。
(とにかく進むか……)
ヴァンに逃げられるわけにはいかない。そして奴の位置を捉えられる。星神の指輪が消費する魔力は魔力の多くなってきた俺でも負担が大きい。
常時発動し続けるほどの力はない。要所要所で発動し、ヴァンが移動していないことだけを確認する。
(長櫃の気配も少ないな、俺はここを探索していないからな。この辺りのものはヴァンが回収したのか?)
思い出す。落雷の魔女の権能を使っていたヴァン。
このダンジョンでは落雷の魔女の残したものが稀に手に入る。おそらく奴が使っていた魔女の権能もここで入手したものだろう。
『ヴォウ!!!』
通路のど真ん中を歩く俺に気づいた狼のデーモンが襲いかかってきた。
黒い毛皮の狼だ。吸血種にも似た鋭い牙を持つその狼は俺に向かって牙を突き立てようとしてくるが素早く振りかぶったハルバードが狼数匹の肉体を一息に切断した。
消滅する狼。だが続けて血吸い蝙蝠の群れが俺に向かって飛んでくる。群がろうとする奴らの肉体を、ハルバードを振り回して引きちぎっていく。
「……弱い……」
表の料理人のデーモンの方がまだ強かった。
狼と蝙蝠に遅れてやってきた歩く死体どもを斬り殺し――「いや、その牙……
だが俺は一撃でそれらを殺しきった。
俺が強いこともあるが……この弱さはどうにも、不気味だ。噂に聞く吸血鬼の領域にしては、
(まるで成り立てのような)
警戒しながら俺は領域の奥へと足を踏み入れていく。
※連続更新はここまでになります。
たぶん週1ぐらいで更新できるかもと思いますので気長にお待ちいただけると助かります。
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