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生命ある限り、星々は巡り、輝く。
――星神詩篇『始まりの光』
炎の臭い。草の焼ける臭い。土の焼ける臭い。熱。焦げ臭さ。
「ぐッ――!!」
炎槍を手に、俺は駆ける。空より降り注ぐ斥力の権能は数と速度を増していく。デーモンが慣れたのか、それとも殺しきれなかった俺に対し死力を尽くしているのか。
(否、俺に脅威を覚えているのだ)
俺が袋より炎槍を取り出した瞬間に、聖女カウスより発される殺意が増したのだ。
目は眼帯で封じられ、見えていないというのに。明確に俺を狙う意思が強まった。
――視覚以外のなんらかの手段で俺を捉えているのだろう。
それはオーラかも知れないし、空に浮かぶ星々を利用した探知かもしれない。
それとも、ここが夜の丘であるというなら、この俺たちが立つ丘はあの男女の記憶であって、夜と星々は聖女カウスの記憶なのかもしれない。
(もはやそんなことはどうでもいいが……)
全てはこの後の攻防で決まる。決着は間近だった。
『辺境人んんんんんんんんんんんん!!!!!!』
『許さない許さない許さないぃいいいいいいい!!!!!!!』
土台となっている男女のデーモンが両手両足を使って、四足獣のように駆けてくる。
奴らが近づいてくることで斥力の権能も脅威を増す。
接近したことで発動の速度が増したからだ。敵を直視しながらも、頭上より降り注ぐ無数の権能の槌を俺は避けていく。
土台のデーモンに関しては脅威ではない。
――炎の槍は、聖女カウスに叩き込む。
それで終わる。この戦いは終わる。俺はそう信じる。
畢竟、あのデーモンは聖女カウスこそが脅威なのだ。
斥力の権能、骨の矢、惑乱の権能、俺を絶殺しかねない三種の武器。
聖女カウスの三種の武器はすでに破っている――破る手段を持っている。
「ふぅ……――」
呼吸。炎の熱が全身を炙る。呼吸することも辛い。
だが身体に残る霊薬の力と、継続治癒の奇跡が俺の身体を癒やし続ける。
破る手段――最初から破れたものを、俺が愚かにも思い至らなかったためにここまで時間を掛けてしまったのだ。
(すまないな……聖女カウス)
斥力の権能を避けながら、聖女カウスが惑乱の権能を発動しようとする仕草を見せる。今だ、と俺は袋に手を伸ばした。
――取り出すのはチコメッコの油脂だ。
肥沃の神の身体から作られた
この脂に人を癒やしたり、猛毒を解毒したりする効能はない。惑乱の権能に対してもだ。食らってしまってから食べても意味はない。
無論、善き神秘の籠められているこの神器を食べることで
愚かにも今まで俺はそういった目的のために食べていたこれだが、この神器の本質はそうではない。
重要な性質――
武具であれば切れ味を、戦士であれば戦意を、悪いものを寄せ付けず、良い状態を保つだけの神器。
それはデーモンの打撃を受ければ攻撃を受けずに済むような便利なものではない。
この万全は物質的な悪意には、圧倒的に弱く、暴力の前にその保護は粉々に砕け散るだろう。
この油脂に骨の矢を防ぐことはできないし、物理的干渉を行う斥力の権能にはなんら効果を示すことはない。
だが俺は月神に祈りを捧げながら、油脂を口に含み、嚥下した。
惑乱の権能。それが敵性の、呪いに似た概念であるならば、神器が持つ万全を保つ概念があらゆる
そして俺の身体は走り出していた。俺の目には、惑乱の権能を用いた聖女カウスが見えている。
思った通りだった。惑乱の権能は俺に何の影響も及ぼしていない。これでよかったのだ。
炎の槍を手に、丘を駆け出すように飛び上がる。
俺の真下には惑乱の権能によって暴れる男女に引きずり回されて地面に叩きつけられる聖女カウスの姿がある。
「聖女、カウス! お前を、殺す!!」
血に塗れた聖女カウスは俺のことなど見えているか怪しかった。男女の土台に潰され、悲鳴のように叫び声を上げる聖女カウス。
その身体に俺は飛び乗る。悲鳴が聞こえる。そのままデーモンの上を駆ける。立っている肉が暴れるが気にしない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
近づく、迫っていく。デーモンと化した聖女に向かって俺は肉の上を駆けていく。肉が暴れまわる。惑乱したテイラーの目が俺を捕らえるも、奴は俺に気づけない。
『ああああああ、イライザぁああああああわからないわからないぃいいいいい!!』
『ぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!』
男女は惑乱したままだ。俺の邪魔すらもできない。否、俺を認識しているかも怪しい。
――聖女カウスにとって、彼らもまた最初から最後まで異物だった。
それが多くの権能を持ったがゆえの歪みなのか。それとも、最初からそういう歪さこそが武器だったのかはわからない。
だが奴らの精神と肉体が三位一体し、意識すらも融合していたなら俺が勝る部分は一つもなかっただろう。
願わくば、それが聖女カウスが示した悪神への抵抗であるなら喜ばしいことだった。
『ああ……ああぁ……』
そしてお互いの呼吸すら聞こえる距離に、俺と聖女カウスはあった。
(聖女カウス……――)
きっともはや彼女は俺をただの敵としか認識できていない。だが俺の心に去来する感情は郷愁にも似た――戦友への。
まるで永遠のようで、だが刹那にも満たぬ間。
しかしすでに俺の口から
デーモンに相対した辺境人の本能。絶殺の意思が槍を繰り出させている。
『ぎ――』
俺の握った槍が、肉に埋もれた聖女カウスの心臓を貫く。
悪滅の概念の付与された炎槍が聖女カウスの身体に熱を吹き込んでいく。
目の前の聖女カウスの口から、炎が吹き出していく。貫いた槍から炎が吹き出て、聖女カウスの体中を燃やし尽くしていく。
聖女カウスという物語に込められた処刑の概念。それが聖女カウスの身体を俺が思うよりもずっと早く滅ぼしていく。
『いやあああああああああああ、嫌だ、嫌だああああああああああああ!! イライザ! イライザああああああ!!』
『身体が、身体に火が、テイラーが、テイラーが、私が燃えていくぅうううううううう!!』
聖女カウスから漏れ出す火が燃え移っていた。処刑台の土台であった男女も燃えていく。
「くッ……!」
あまりの熱に俺も離れざるを得ない。止めを、と思ったがこの場にいることすら危険な熱だ。
肉の上から転げ落ちるように離れ、俺は武器を取ろうと袋に手を伸ばす。
殺しきれなかったのか。まだ奴らは生きている。弓でもなんでもいい。攻撃を――気づく。
「丘が……」
消えていく。聖女カウスと、男女によって作られた空間が消失していく。
もはや空間を維持することもできないのか。汚濁に満ちた牢獄の空間へと戻っていく。
俺の視線と感覚が周囲を探る。周囲は静かだった。聖女のデーモン以外の敵の気配はない。足止めをしてくれているエリエリーズがまだ頑張ってくれているのか。
ヴァン――あの半吸血鬼は消えている。気配はない。どうにかして探らなければならない。
だがそれよりも、俺の視線は並べられた巨大な机を押しつぶしながらも燃えている肉塊に向けられる。
「聖女、カウス」
もはや悲鳴すらも上がらず、デーモンが滅んでいく。
止めなど必要はなかった。必殺の一撃は正しく必殺だった。
「お前に、善き死後があらんことを……」
魂が囚われるとしても。
祈らなければならない。
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