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 肥沃と家畜たるチコメッコはふくよかな異形の神である。

 姿を見たものによれば、その神は巨大であり、頭はなく、首から先は麦が生えていた。

 胴は牛であり、足は馬であり、角は鹿であり、乳は山羊に似て、豚のようによく肥える。

 そして、羊のように従順で、鶏のように有益で、驢馬のように愚鈍であったと言う。


 ――そのような神もまた、聖女を生み出す。


 神々が鋳造するように聖女を創るのと違い、彼の神の場合は産み落とす・・・・・という形だが。

 神殿ではなく山野に産み落とされた肥沃神の聖女たちはその山に住み着き、周辺の土地を肥えさせる。

 いくつかの例外を除き、肥沃神の聖女たちに神がかった知恵はほとんどなく、また周辺を富ませること以外はただの人間と変わらない彼女たちはしばしば麓の村の人と交わり、ただの村人として過ごすことも珍しくはない。

 そんな聖女と村人の間に生まれる子供に権能は受け継がれず、力もなく、健康でぶくぶくと太るだけの子供が生まれるのだという。

 そしてその子供は祭りの晩に、産んだ聖女によって殺され、村人たちに供されるのだという(多くの場合、聖女は狂したとされ殺されるが)。

 そして殺された聖女の死体は土地に埋められ、その土地は長く肥え続ける。

 この性質に着目した私は、聖女の死体に権能が残り続けることを確認するために聖女の死体を手に入れ――


            ――大賢者マリーン著『蝋材と聖灰』


『あははあはははははははははははははははははははは!!!!!』

『飛んでるよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』

 斥力の権能を用い、反発し、落下してくるデーモンの巨体に対し、俺にできたことはほとんどなかった。

 敵の行動に対し、回避が間に合わない。

 敵の攻撃に対し、惰性で迎撃を選んだせいだった。

 慢心がゆえの対応。こちらの反応が間に合わない。攻撃から回避へ意識と身体を変えるも、間に合わない。

 だから俺ができることと言えば、ハルバードの尻を地面に向け、石突を地面に突き刺し、構えることだけだった。

「ちぃッ――!!」

 刃先は天に向けて構え――衝撃・・

『辺境人んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!』

 俺に向かって降ってくるデーモン。その顔面に深々と刃が突き刺さる。デーモンの青い血が俺の身体に降り注ぐ。『ぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいあああああああああああああ!!!!』『イライザああああああイライザああああああ大丈夫かいイライザあああああああああ!!!』

「ぐ……うぉお……!! 重い・・ッ!!」

 耳元で叫ばれる。肉の塊に埋もれていく。重量で俺が圧殺される。斥力の権能が奴の身体に掛かっているらしく、俺の身体がデーモンの重さで沈んでいく。「おおぉおおおお」身体の中からバキバキと骨が折れる音がする。

 鎧は曲がらずとも、奴の重さに加え、斥力の反発が俺の身体にそのまま掛かっていく。俺の肉体が壊れていく。

『あああああああああイライザあああああああああ』『テイラーああああああ痛いいいいいいいいい』

 うるさい・・・・。だが奴が俺に伸し掛かればかかるほど、ハルバードの刃が奴の肉体に深く深く突き刺さっていく。神威とオーラを込め続ける。デーモンの身体を焼いていく俺のオーラ。

『ぎぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!』

 奴の肉を伝って、聖女カウスの悲鳴が聞こえた。何をする。デーモンの肉に埋もれる俺には聖女カウスが何をするのか見えない。なんだ? 何が起こる!?

 ダンッ、と肉を突き抜ける音が響いた。

 耳が痛くなるような静寂――否、衝撃で空気が凍ったのだ。


 ――顔に、身体中に青い血がかかる。


『ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!』

『テイラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』

 悲鳴で鼓膜が破壊される。脳が揺れ、耳から血が流れる。だが俺の注意は自身の身体に向かっていた。

(なん……だ)

 激痛を越えた強烈な熱さを胸に覚える。肉の塊に埋まりながら、重量に身体を壊されながら、俺の意識は、俺の胸に向かっている。

 血流が弱くなっている感覚がある。命がこぼれ落ちていく感覚。

(何が、起こって……)

 デーモンの肉に埋もれた腕に力を込める。

「ぐ……」

 ダメだ。力が、腕から力が抜けていく。

 ベルセルクの指輪を身に着けておけばおそらくこの瞬間に力が出たはずだが、死ににくくなっていた最近は身につけていない。

 身体の上で暴れるデーモンに、俺もまた押しつぶされ――身体が軽くなる。

『痛い痛い痛いぃいいいいいいいいいいいいいいい痛いぃいいいいいいいいいいいいい!!!!』

『あああああ、なんなのよ!!!! なにが起こってるのよおおおおおおおおおおお!!!!!』

 ごろごろと転がって炎にデーモンが突っ込んでいく。デーモンの肉体に炎が周り、鼓膜が破れていて悲鳴の声はわからずとも、音の響きが頭を揺らす。

(イライザに、ハルバードが突き刺さったままだが……)

 持って・・・いかれた・・・・。いや、そうではない。俺は恐る恐る自分の身体を見る。血が流れていく己の身体を。

 胸に、骨の矢の突き刺さった己の身体を。

「ぐッ――……」

 大丈夫だ。大丈夫だ。聖女カウスに似た悲鳴の響きが聞こえてくる。暴れる男女にまた潰されているのだ。

 大丈夫だ。治療する隙はある。潰された虫のように地面に倒れたままの俺は、腕をふるふると動かし、骨が折れていても、腕が動くことだけを確認する。

 そう、鎧と鎖帷子を貫通して突き刺さった骨の矢・・・によって、俺の心臓は貫かれたが、俺はまだ生きている。

 継続治癒の力が働いているのだろう。失われていく生命を押し止める程度の力もない弱々しい奇跡だが、それでも俺はまだ生きている。

(生きる、ぞ……! 生きてやるッ!!)

 地面に縫い付けられたままの身体は動かない。デーモン共が騒いでいる間に俺は震える腕を動かして、袋の中に手を伸ばしていく。

(だが、早く……しなければ……死ぬ……死んでしまう……)

 生命が流れていく。こぼれ落ちていく。炎の熱で周囲は熱いというのに、身体から熱が流れ落ちていく。寒い。寒い。

 ソーマの瓶を袋から取り出し、腕を上げ、顔の前に持っていく。斥力で顎の骨が砕けているのか顎に力は入らない。飲み込むことはできない。

 仕方なく、渾身の力で握りつぶした。

 瓶が砕け、顔にびしゃびしゃと霊薬が掛かっていく。それで腕から力が抜けていく。

 腕から力が抜け、地面に力なく落ちる。


 ――間に合わな……徐々に、腕に力が戻る。


 傷ついた骨や肉が再生していく。だが心臓はまだだ。このままではソーマの力であっても再生は難しい。

 一瞬だが力が戻っている。腕に力を込め、心臓に突き刺さった矢を握りしめる。

「うぉおお……おおおおおおおおおおおおおおお!!」

 胸の矢を引き抜く。みちみち・・・・と癒着しかけていた矢から肉が剥がされ、激痛に俺の身体が震える。だが俺は呻きながら歯が噛み砕けるほどの力で痛みに耐えると、骨の矢を地面に投げ捨てた。

 聖女カウスの骨とはいえ、瘴気デーモン化した矢だ。ソーマの力で同化すれば俺の身体に根付き、その骨に込められた呪いによって、俺の魂を破壊するだろう。

 呼吸を落ち着けるために――。

「はぁッ……はぁッ……はぁッ――ッ!?」

 飛び跳ねる・・・・・。斥力の鉄槌ハンマーが次々と上空より降り注ぐ。

 避けながら俺は露出した胸を見る。鎧と鎖帷子に空いた巨大な穴だ。辺境人の肉体は他の生命よりは強いが、ドワーフ鋼よりもというわけではない。急所を露出する形になっている。舌打ちが漏れる。

 騒々しい男女の罵りが聞こえてくる。

「ちぃ、同じ傷を負っているというのに。デーモンどもは元気だな」

 茨剣に加え、ハルバードまで突き刺さり、俺と同じ骨の矢が自らの肉体を貫通した(聖女カウスは、土台の男女ごと俺を射ったのだ)というのに、丘の下の奴らは俺を見上げながら文句を言っていた。


 ――だが、俺も必殺があるのだ。


 賭けになるのかもしれないが、どのみちソーマの残りはあと一本だ。

 温存するだのなんだのという段階はとうに過ぎているし、様子見も終わっている。

 敵は強大すぎる。今すぐ殺さねばならないほどに。放っておけば俺の想像を二つも三つも超える手段を取りかねない。

 さぁ俺よ。惑乱の権能への対抗手段を思いついたのならば、さっさとそれを使うのだ。


 ――勿体ぶっている余裕などない。俺は必殺・・を袋より取り出した。


 そう、俺に後はないのだ。

 茨剣はなく、ハルバードは失われた。『冷たき月光』を扱うほどの月神への信仰があるわけでもなく、他の武器ではこのクラスのデーモンを殺すには力不足。今さら瘴気の膜を一枚一枚破壊して戦えるほど余力があるわけではない。

(だが……この武具にはない)

 『捻じれ結界の炎槍』。ドワーフの爺さんからも言われている。無理やり継ぎ直したために、脆くなっているのだと。

 ゆえに俺は一撃で、デーモンの核たる聖女カウスを殺さねばならない。

 息を吸う。吐く。露出した胸が丘を包む炎で暑く、だが怖気で少々冷える。

 俺が近づく気配を見せれば、聖女カウスもまた俺の殺意に気づいたのか『惑乱』の権能を使う構えを取った。

 俺の手が袋に伸びる。聖女カウスよ、今決めるぞ。

 問題ない。対処法・・・は持っている。

 そう、俺が気づかなかっただけなのだ。間抜けにも。


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