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地面に手をつき、無様に転がっていた身体を引き起こす。頭を振る、聖女カウスより放たれた惑乱の権能が抜けきれていない。
未だ明滅の残る視界を気合を入れて立て直す。わかっていたことだが、敵も
(焦らず……だが手早く殺さなければ、俺では勝てなくなるぞ)
炎の丘は燃え続けていた。熱は肺を焼き、俺の呼吸を激しく乱す。
「ふぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
しかし俺は構わず息を吐き、息を吸う。外気を取り入れ、オーラを肉体に巡らせなければそもそも戦えない。
喉と肺が焼けるが、構わず呼吸を続けながら敵を睨む。呼吸のたびに身体が痛むが継続再生の奇跡は残っている。喉と肺の火傷を月神の奇跡が癒やしていく。
見上げれば丘の中腹に転がっている聖女カウスのデーモンが見えた。
俺と同じく惑乱の権能の効果が切れたのだろう。土台となっている男女のデーモンがゆっくりと立ち上がっていく。自分の上の聖女カウスに気づいていないのか、無様に騒ぎながら俺を睨みつけてくる。
そして潰されていた聖女カウスは自らの血で自らを染め上げながら、うめき声を上げていた。
(しかし、厄介だ……)
今まで戦ったデーモンの中でも上位に入る戦いにくさだった。
――『惑乱』の権能。世界殺しの魔王を殺すための力。
聖剣だの魔王だの勇者だの俺にはそれが何かはわからないが、
(神々の奇跡を用いれば似たようなことはできるはずだが……それではダメなのか?)
思考が脇道にそれている。相手を睨みつけながら俺は思考を元に戻していく。
あれを攻略しなければそもそも槍を突き立てることができない。
近づくこともできない。想像する、前後左右がわからないままに頭を矢で貫かれる自分を。そして心臓を貫かれて死ぬ自分を。
(冗談じゃないな……)
こうして生きているのは運が良いからだ。たまたま当たらなかっただけ。たまたま生き残れただけ。
で、あるならば次は不運にも死ぬこともあるということだろう。月神に祈りはするが、幸運は期待してはならない。幸運を前提に戦ってはならない。
地面を蹴る。柔らかい土だが、その下にしっかりとした土の感触が返ってくる。
丘を燃やす炎のせいで背の低い草は燃え滓になっており、土が見やすくなっている。
踏み込みには問題ない。
ハルバードを片手に息を吸い、吐く。『惑乱』の権能。奇跡でも呪術でも魔術でもない権能。防げない。厄介だ。見えれば回避できる斥力よりもずっと脅威かもしれなかった。
――だが果たして、そんな都合の良い力があるのだろうか?
詠唱もなしに斥力の権能を扱うのは理解できる。もともと聖女カウスはその権能を与えられた聖女だからだ。
斥力といっても、一点のみを狙って上から押さえつける
だが『惑乱』は別だ。攻撃が広範囲すぎるし、強力すぎる。発動速度にも隙がない。
自身を構成する土台の男女にも効果があるということを除いても、何かを
(そうか……『増幅器』――ッ)
かつて聖女カウスが持っていたあの弓……今はどこにある? 一緒に取り込まれたのか?
「ちッ――!」
思考を続けるのは難しい。立ち上がったデーモンが突っ込んでくる。
俺は『イライザァアアアアアアア!!!!』『テイラーテイラー!!』と叫びながら突っ込んでくるデーモンに対し、前と同じように、隙のあるテイラー側に向けてハルバードを振るう。『月神の刃』を纏ったハルバードの刃がデーモンの勢いを利用して深く突き刺さった。
『ギイイイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!』
深く斬りつけた感触が腕に走る。衝撃を筋肉で耐えながらハルバードを振り切った。土台となっている下男テイラーが悲鳴を上げ、血を撒き散らしながら丘を転がっていく。村娘イライザがテイラーテイラーと叫びながら俺に向かって呪いの言葉を吐くも、その身体は丘を包む炎に突っ込み、肉体を燃やしていく。
『あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!』
テイラー、イライザ、聖女カウス、三種の悲鳴が轟いた。耳が痛くなるほどの悲鳴だ。金切り声。デーモンが転げ回る音が聞こえてくる。土台となった男女に潰され、聖女カウスが悲鳴を上げる。
無様にも見えるが……恐らくハルバードの一撃以外は効いてすらいないだろう。
重量も、炎も、何ひとつあのデーモンにはダメージになっていない。
あの
龍眼で見ても、あの弱所だらけのデーモンの威容は自滅的な行動では一欠片の瘴気も損なわれてはいなかった。
――無様さは、俺を油断させるための擬態か……?
(……それとも、そういうデーモンなのか……)
悪神の手を借りるなどという愚かなテイラーの性質を取り込んだ結果、そうなったのか?
悲鳴が耳に届く。俺の視線は土台の上の、磔になっている聖女カウスに向く。
忘れてはならない。あんまりにも騒がしく、巨体で、俺に敵意を向けているから土台となっている二人のデーモンが敵の本体に思えるが、その脅威の多くも、デーモンの力の源も、磔になっている聖女カウスが大本だ。
斥力を攻略した今、土台の男女は脅威ではない。
見た目の悍ましさこそ厄介だが、力が強いだけのデーモンならば猪にも劣る。
『あああああああああああああああああああああ!!』
聖女カウスの悲鳴と共に上空から降り注ぐ斥力の権能。避ける。問題ない。見えるならば、対処は容易だ。
星の聖女の脊椎は俺に権能を見る力を与え続けている。斥力は避けられる。そして同時に、聖女カウスの身体が弓なりに反っている。その肉体から生成される骨の矢が番えられ、放たれた。剛弓だ。空気がびりびりと振動する。だが斥力も惑乱もないならば避けられる。
俺の真横に突き立つ骨の矢。大丈夫だ。慣れてきている。
――しかし、こんなことを続けていれば負けるのは俺の方だった。
敵の動きが次第に良くなってきているのもあるが、敵が惑乱の権能を使わないことを祈りながら戦うなど愚かすぎてどうしようもない。
敵が力を発揮しないことに賭けて、攻撃を渋るなど戦士のやることではない。
眼下から、丘を登るように突撃してくる巨体のデーモン。すれ違いざまにテイラー側にハルバードを突き立てる。『ぎいいいいいいいいいいあああああああああ!!!』『テイラー! 大丈夫!? 許せない許せない許せない!!』流れていく悲鳴を無視しながら俺は記憶をあさり続ける。
――思い出すのは、聖女カウスが残した言葉だ。
俺よりも事態を把握していたあの聖女が、自らの殺し方を俺に伝えておいて、自らの力の攻略方法を俺に伝えていなかったわけがない。
聖女カウスは、自らがどうなるかを知っていた。俺に害為す存在になることに気づいていた。
(愚かな女だ……)
気づいたならば、地上でさっさと死ねばよかったものを。
俺では星の聖女を殺せないことに気づき、わざわざこんな危険な場所に踏み入ってきた。俺を助けようとした。
『いいいいいいいいいいいいいいいやああああああああああああああああ!!』
聖女カウスの悲鳴と共に放たれる骨の矢を捌きながら俺はデーモンから距離を取る。惑乱の権能が発動していた。離れることを心がけていたために俺は効果範囲には入らなかったが、テイラーとイライザが暴れまわっている。
近づけば巻き込まれて殺されるだろう。十分に距離を取り、考える。
そうだ。聖女カウスは、俺が奴を殺せると思い込んでいた。
かつてその力によって、世界を救ったとされる聖女カウス。無数に存在する聖女たちの中の
その尋常でない聖女が、俺ならば自らを殺せると評したのだ。
斥力の権能の対処は、星の聖女の脊椎でできた。
だが惑乱の権能には――増幅器である弓を破壊? 違う。それではない。惑乱の権能をあそこまで強化しているのは聖女カウスと同時に取り込まれたあの巨大な弓の力もあるのだろうが、そんなものがなくとも権能自体は聖女カウスが所有している力だ。効果や範囲は異なるものの、使えるという事実は覆らない。
『殺すぅうううううう! 辺境人!! 殺す!! 殺す!! この萎びた土地で生きる原始人どもぉおおおおおおお!!』
「ちッ――黙ってろッ!!」
俺は聖女カウスより放たれる骨の矢を躱し、弾き、突進してくるデーモンに反撃を与えつつ、惑乱の権能がいつ来ても良いように注意しながらいつでも距離を取れるように――
――そして私の権能は『惑乱』。他者の心を散り散りに乱れさせ、正常な思考を殺す。そういう力です。
聖女カウスが言った言葉だ。
「そういう、ことかッ――!!」
聖女カウスが俺に惑乱の対策を教えなかったのも当然だ。なぜ思いつかなかった。
俺は、最初から対策を持っていた。聖女カウスが自分の力の詳細を教えただけで満足したのは、俺がそれに気づかない間抜けだと気づかなかったからに違いない。
『辺境人んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!』
『あはははははははははははははははははははは!!!!!』
「うるせぇッ!!」
突っ込んでくるデーモン。馬鹿の一つ覚えかと俺はハルバードをまたテイラー側に向けて、構えようとし――「んなッ――!?」
――絶句する。
斥力の権能、それが奴の身体を地面から跳ね上げていた。
「ま――ずッ――!!」
落石がごとく、巨体が俺に向かって降ってくる。
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