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 ――丘を燃やす炎の熱が俺の身体を焼いていた。


 肺が燃えるように熱い。

 熱気を吸い、喉が焼ける。身につけた金属鎧は熱した鍋のようで、俺の身体をぐずぐずに煮立たせようとしている。

 丘の麓から俺は丘の上を見上げる。

 聖女カウスとその土台となっている男女のデーモンは、聖女カウスが放つ『惑乱』の権能にて自らを傷つけている。

 癒着したデーモンの土台たる、下男テイラーと村娘イライザは転がり、暴れ、自らの上に繋がれている磔の聖女カウスを押しつぶしている。

 悲鳴が聞こえる。聖女カウスの悲鳴が聞こえてくる。心が痛む。こんな最後を迎えるはずではなかっただろうに。

 侠者の部分の俺は、聖女カウスの現状を悼んでいる。悲しんでいる。

 だが同時に、月神の騎士の部分の俺は冷静に敵を観察し続けていた。


 ――惑乱の権能、あれは奴らにとっては自滅にしかならない行動だが……。


(近づけないな)

 ハルバードを片手に、俺は丘の下から奴らの様子を伺う。

 もちろん何もしていないわけではない『月神の刃』をハルバードにまとわせ、継続再生の奇跡たる『月光纏い』を再使用して周囲の炎に対する対処をしている。

 『月の外套』は意味がない。相手が巨体すぎる。いや、意味がないわけではないが、俺の身体に残された魔力の残量を考えればやたらと奇跡を連発するのは躊躇われる。

 ソーマは残り二つ。他の治療手段が継続再生以外にない以上、月神の奇跡は無駄遣いできない。

 そして水溶エーテルの残りは二つ。二つしかない。

 長期戦になった場合、不利なのは瘴気を力とするデーモンではなく、瘴気に蝕まれる生者たる俺の方だった。

(必殺の手段は、なくはないが……)


 ――ああ、私がもしキース様の害となったなら、燃える槍で突き殺してください。


 聖女カウスから彼女の殺し方は教えられている。

 聖女カウスが処刑されたときに使われた処刑道具。燃える槍。俺はそれを持っている。

 デーモン殺しの砕剣槍――『捻じれ結界の炎槍』。

 それはリリーを内から食らった『花のきみ』を殺したときに砕けた炎のロングソードで作られた槍だ。

 聖女カウスの存在は呪いによって生まれた呪術の塊だ。再現された生だ。だから、死を再現すればデーモンになろうが、呪術の法則で死ぬしかない。

 物語が弱点という意味では、泣き虫姫エリザに刻まれたデーモンたちと同じだ。

 彼らは決められた死から……逃れることが――「……なんだ?」

 今、俺は自分の思考に違和感を覚えた。

 エリエリーズがかつて語った言葉を思い出す。泣き姫の呪歌・・……まさか、そういうことか・・・・・・・

 神々は信仰されることで力を増す。これだけ強大なダンジョンを作れる破壊神が、封印されてなお力を維持しているということは不自然だ。

 悪神もまた信仰されることで力を増す。

 邪悪な狂信者やデーモンどももまた、封印された破壊神を崇めないこともない。

 だが何もせずとも崇めてもらえるなど、そんな虫の良い話はない。それであるなら弓神があれだけ不憫なことにはならない。

 力ある神が力を持てているのは、信仰する者に相応の対価を与えるからだ。

 それは善神も悪神も変わらない。

 デーモンも狂信者も冷徹で、打算的・・・だ。

 現実に力を与えてくれる他の悪神がいる以上、破壊神以外を信仰し、力を借り受けようとする。

 生きている以上、力は消費されていく。封印する、ということはつまるところ、そういうことだ。

 かつて都市を覆うほどのデーモンだった花の君が復活直後に、俺に殺されたように、俺が殺せたように、封印されれば力は弱まるのだ。

(つまり破壊神は、呪歌を通して語り継がれることで、力を維持しているのか?)

 だが強力な呪術は代償も大きい。

 俺たち辺境人たちに破壊神が関わるエリザの呪歌を語り継がせ、力を得る代わりに破壊神は弱点を作った。作ってしまっ――『ああああああああああああああ。痛い痛い痛い。頭がくらくらくらくら。うぃいいいいいいいいいいい!!!』

 思考が止められる。いや、戦闘中に考えることではなかったか。とにかく聖女カウスを殺す手段を持っていることだけを考えればいい。

 惑乱の効果が終わったのか、テイラーが起き上がり、地面を両手両足を使って強く叩きつける。村娘イライザも同じだ。テイラーと同時に前足うでを地面に叩きつけ、後ろ足で地面を蹴る。

 あの二人の心と身体は一心同体だ。通じあっている。怒りも悲しみも同じくとした彼らは全く同じ行動を取っている――ように見える。

(ほんの少し、テイラー側がずれ・・ているな)

 理由はテイラーに突き刺した茨剣だろう。

 茨剣から漏れ出る紫電がテイラー側の正常を損なわせている。

(右側から回れば、多少奴らの動きも遅れるだろう)

 しかし恐ろしいのは聖女カウスが使う惑乱の権能だ。意識が混濁したまま奴の傍にいればそれは恐ろしき隙となる。踏み潰される。上下も左右もわからないままでは傷を負ったときにソーマも使えない。

 斥力が見えるようになったとはいえ、奴に近づけないのでは話にもならないが……。


 ――ふと、俺は自分の感情に気づく。


 怒りが消え去ろうとしている。脳裏に巡るのは、どうしようもない哀れみの方が強かった。

(俺は、弱くなったか・・・・・・?)

 昔の俺ならば、とにかく突っ込んでハルバードを突き立てていただろう。

 おそらくそれで俺は斥力に潰され、惑乱で何もわからなくなって踏み潰されて死ぬか、矢に射たれて死んだだろうが……無念を覚えながらも楽しんで・・・・死んだはずだ。

 だが、こうして俺はここに立って、冷静に敵を観察してしまっている。

(俺は、家族を持って、腑抜けたか・・・・・?)

 どうしてか、ヴァンのことが頭から消え去っている。

 あのクソ野郎は必ず殺すが、俺は目の前の、どうしようもない成れの果て・・・・・を哀れんでしまっている。

 それで怒りが消え、冷静に戦おうとしてしまっている。なんとか終わらせてやらねばと思っている。

『テイラー……テイラー……痛いわ。痛いぃぃ……ううううううううう、殺す殺す殺す殺すぅうううううううう』

『イライザ……イライザぁあああああああああ……ごめんよぉごめんよぉ……』

『あああああああああああああああああ。ああああああああああああああああ』

 土台となった男女が泣き叫ぶ。磔にされた聖女の身体から矢が形成される。

 俺を見つけ、突進しようとしてくる哀れなデーモンどもを見て、怒りを抱くなど不可能だった。心の働きはどうあっても哀れみが勝る。

 勢いのままに殺しに走れない。どうしても、敵の動きを見てしまう。そうなれば、どうあっても対処しようとしてしまう。


 哀れみ・・・――それが俺を一手遅らせる。


 だがはそれでいいのだと、原初聖衣リリーから温かみのようなものが伝わってくる。

 肉体を巡る聖撃の聖女エリノーラ様の骨からは炎の熱にも負けぬ勇気が、月の聖女シズカの血の入れ墨からは叱咤するような力が、そして羽織ったマントからはオーキッドの存在が感じられた。

 同化した星の聖女の脊椎も同意するように、俺の身体に活力を与えてくれる。

(そうだな。勝敗などもういい。俺は聖女カウスを殺してやらなければならない)

 あの哀れな女は、なんとしてでも終わらせてやらねばならない。

 だんだんと冷静になっていく。無意識の焦りが俺に必殺を要求していた。

 茨剣を突き刺したように一撃一撃を相打ちのように叩き込めば、先に潰れるのは俺の方が先だ。

 考えねばならない。強力な化け物の狩り方は、根気良く追い詰め殺すことだ。

 野菜の皮を剥くように、一枚一枚、敵の戦力を剥がしていかなければならない。

 そして最後に敵の芯に、一撃必殺を叩き込むのだ。

「ふぅぅぅぅぅぅぅ……」

 臓腑を焼く炎の熱を吐き出しながら俺は俺に向かって駆け出してくるデーモンに相対する。

『辺境、辺境人んんんんんんんんんんんん!!!』

『死ね! 死ね死ね死ねぇえええええええええ!!!』

 丘を駆け下りてくるデーモン。高所の利を捨てて、駆け下りてくる様は知性が感じられない――と思ってはならない。

 目の前のことだけに集中すれば殺されるのは俺だ。冷静な頭で俺は、敵ではなく、俺の頭上に目を向ける。


 ――そこにあるのは斥力の権能だ。


 ハンマーのように俺に向かって叩きつけられる、視認できるようになった斥力の権能を避けていく。

 同時に聖女カウスが悲鳴を上げながら放った骨の矢を回避し「おおおおおおおおおおおおお!!!!!」俺に向かって突進してくる男女の土台に向かってハルバードの刃を叩きつけた。

 隙は見えている。


 ――茨剣の紫電だ。苦痛に苦しんでいるのだろう。完璧に見えるデーモンだが、テイラーの側に緩みがある。


 俺から見て右側に存在するテイラーの身体をハルバードの刃が深く抉り取った。

 青色の血液が腐臭を撒き散らしながら燃える地面にぶちまけられる。

『ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!』

『テイラー! テイラー!! 酷い! 酷いわああああああああ!!!!!』

 男女の悲鳴は鬱陶しい。だが強大なデーモンだ。(これで弱まらんのかッ)神威と月光の刃によって威力を増幅したハルバードの刃を叩きつけてなお、デーモンは苦しむだけで勢いが減じた様子が見えない。

 むしろ暴れるだけで――聖女カウスの様子がおかしい。俺は追撃を諦め、地面を蹴って奴らから離れ――頭がぐらつく。慌てて、地面を二度、三度と蹴り飛ばすように奴らから離れ――視界がおかしくなる。

 惑乱の権能だ。距離が近すぎて範囲から離れられていない。

 テイラーとイライザの悲鳴が聞こえる。暴れる音も。だが同時にギリギリという矢を強く引き絞る音が聞こえてくる。

(まずいッ――殺され――うぅ、ああ)

 吐き気でまともに立っていられない。頬に当たるこれは土の感触か? 俺は今、倒れているのか?

(まずい――まずいまずいまずい)

 上下左右がわからないまま、心臓を射抜かれれば俺は死ぬ。殺される。袋の位置がわからない。ソーマの準備もできない。

『あああああああ。わからないわからないわからないイライザイライザどこだああああああ』

『テイラアアアアアアアアア!! テイラアアアアアアアアア!!!』

 男女の悲鳴が聞こえてくる。俺の感覚を狂わせるほどの惑乱を至近で強烈に食らっているのだ。

 あのデーモンの意識がそれぞれ別のものだとしたら、それはきっと強烈に効いているのだろう。

 だが黙れ! 矢の、矢の音が聞こえないだろう。祈る俺に傍で聖女カウスの悲鳴と共に、強烈に地面を何かがのたうち回る音と共に、矢が放たれる音がする。どこだ。どこから――惑乱の権能が停止する。意識が戻る。

「生きて――」

 無様にも地面を這っていた俺の傍に骨の矢が突き立っていた。なんだ? なぜ外れている。デーモンを見る俺の目に、土台の男女が地面をのたうち回ることで潰れ、血に塗れている聖女カウスの姿が目に映る。

『ぎいいいいいいいいいいあああああああああああああああ!!!!』

 聖女カウスが潰れ、悲鳴を上げていた。

(た、助かった……)

 俺は思わず安堵の息を吐く。だがその緩みをすぐに戦意で塗りつぶす。


 ――デーモンの自滅で助かったが……こんな幸運、そう何度も続くはずがない。


 『惑乱』の権能を攻略しなければならない。




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