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「ぐぅ――あああああああッッ!!」

 茨剣を地面に落とし、無理やりねじ曲がった腕を俺は腕力で元の位置に戻した。

 骨がバキバキと鳴るが構わずそのまま『継続再生リジェネ』の奇跡を月神に祈る。

 アムリタなどの回復薬があればよかったが、手持ちはソーマが三本しかない。効果の軽い回復薬はない。

 どれだけの長期戦になるかわからない以上、あの霊薬は温存する必要があった。

 ついでに幻惑の奇跡である『月の外套』を祈る。これで多少は敵の攻撃を躱せるか? 斥力の権能はこれで防げるか?

 俺はデーモンを睨みつけ、地面に落ちていた茨剣を警戒しながら拾う。

 だがそんな俺が晒していた隙に追撃もせず、男女の土台の上に、磔にされている聖女カウスのデーモンは祈り・・を捧げていた。

『ら……らら……ららら……』

「馬鹿な……この韻律は、神を、讃えるだと?」

 聖句だ。聖句が告げられる。デーモンの口から漏れている。


 ――父なる聖人は聖油を君の額に垂らし。

 ――母なる聖女は貴方の足に刻印を刻む。

 ――聖母の瞬きは夜明けを告げる鳥のようで。

 ――死者の指先に灯す火の明かりは魂を安らかに導いていく。


 聖句と共に空気が変わっていく。

 夜の世界に、炎が混じっていく。

 夜気に熱が籠もっていく。下男テイラーと修道女イライザの思い出の丘に火が満ちていく。

 ぞぉ・・っと、丘の燃える煙によって、瘴気が濃くなっていく。

『あははははははは。あはははははははは』

『うふふふふふふふ。うふふふふふふふふ』

 溶け合った男女のデーモンは囁くように嗤っている。磔になった聖女カウスを背に乗せたまま、交合するかのように溶け合っている。

 その瞳が、ぎょろりと俺を睨みつけた。二対の瞳がぎょろぎょろと蠢いて、俺を睨みつける。


 ――腕はまだ折れている。盾は拾えないッ……!!


『邪魔もぉおおおおおのおおおおおはああああああああ!!』

『潰さなきゃあああああああああああああああああああ!!』

 土台となっている二人の男女がねじれるように絡み合った手足を用い、四足獣がごとく俺に向かって駆けてくる。

「……くッ――!!」

 離れるしかない。斥力の権能の範囲に入れない。対策もなしに入ったならば、殺されるしかないからだ。

(遠距離戦が有効か? 俺も弓を使うか?)

 新月弓、月神の加護のかかった狩人のデーモンの弓がある。なんとか致命の毒の塗られた毒の矢を撃ち込めれば――いや、矢は通じないか。

 斥力の権能が敵にはある。まずはあれを封じなければならない。

(どうする? どうすればいい?)

 駆けてくる敵から距離を取りながら俺は考える。奴らの突進を防がなければ。だが盾は使えない。折れた腕では盾を十分には構えられない。

 熱い・・。丘を燃やす炎が、炎から放たれる熱気が、俺の身体を臓腑から焼こうとする。

(くそッ――呼吸が阻害されるッ!!)

 呼吸するということは、この丘に満ちる肉を焼く熱を身体に取り込むということだ。

 継続再生の奇跡でなんとか耐えられているが、なかったら俺の身体は鎧の内側で蒸し焼きにされていただろう。

(だが、辛い。傷が響いている。いや俺の心もまた傷ついているのか。殺意が、うまく練れない)

 思ったよりもヴァンの裏切りやエリエリーズの狂気、そして目の前のデーモンの悍ましさや聖女カウスを守れなかったことへの精神的衝撃が俺に響いているのか。

 加えて敵との相性の悪さもある。花の君のように駆け抜けて殺すことができない。純粋に、目の前のデーモンが強力すぎる。

 それに、熱気への対処に継続再生の回復力を奪われている。

 周囲をうまく観察し、呼吸をできる位置を確かめねば骨の再生が――『辺境人んんんんんんんんんん!!!!』――くそッ、突っ込んでくる。はやい――逃げられない。

『あああああああああああ、いいいいいぃいいいいいいいいい!!!!』

 聖女カウスの嘆きと共に斥力が俺の身体を地面に押し付ける。膝をつくほどではないが、動けなくなる・・・・・・

「くッ――くそ……ッ! くそ――くそがあああああああああああッッッッ!!!!」

 気づけば、目の前に子供の落書きのような、お互いが癒着して、憎悪に歪んだ、ぐちゃぐちゃのテイラーとイライザの顔が迫ってきている。突進なれど面攻撃だ。幻惑の奇跡も、ここまでの巨体を相手にすれば意味がない。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ―――――!!」

 踏み込めない。だが咄嗟に俺は練っていたオーラを茨剣に流し込む。

『死ねよぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

「てめぇが死ねッ!!」

 反射で茨剣を迫ってきていたテイラーの身体に叩き込んでいた。が、衝撃を受けて腕がし折れる。

 巨猪がごとくの勢いの突進を受け、俺の身体が吹き飛んでいく。鎧に包まれていながら、全身の骨がバキバキゴキゴキと衝撃で折れていくのが感じられる。激痛に視界が眩む。強く歯を噛み締めたせいで歯が砕ける。

 だが――空中を跳ねながら斥力の圏内から逃れた俺の手はすかさず、折れた腕で気合と根性で袋よりソーマの瓶を取り出していた。跳ね飛ばされながら瓶を口に含み、噛み砕く。ガラスごと中身を飲み干していく。

「はぁ――はぁ――はぁ! 死ぬかと思っ――」

 感想を述べている暇などない。素早く敵に目を向ければ聖女カウスの骨で作られた矢が飛んでくる。ソーマが癒やした肉体ですかさず回避する。

 聖女カウスの悲鳴が聞こえる。自らの肉体で次の矢を生成しているのだろう。ついで土台の二人の声も響き渡る。

『痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃいいいいいいいいいいいい』

『ああああ、テイラー! テイラー!! 酷い! 酷いわ!!』

 炎の包まれた丘の上にいるデーモンテイラーの肉には俺が反射で突き刺した茨剣が深々と埋まっていた。

 手を前足として使っているデーモンたちにはそれを引き抜くことはできない。

 茨剣より染み出す毒によりデーモンの身体が変色し、魔女の蝋材で強化された茨剣に付与された落雷の魔女の権能が、奴の身体に紫電を走らせている。

 どすんばたんと暴れるデーモン。身体を転がしてのたうち回るも茨剣は深く深く奴の身体に突き刺さる。

 土台が暴れ、聖女カウスの身体が潰される。悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴!! 金切り声が丘に響く。

 奴らにできたほんの少しの隙だ。俺はゆっくりと息を整える。

(茨剣は失った――次の武器を……あ、これは?)

 丘の下まで吹き飛ばされていた俺は、次の武器を袋より取り出そうとして、ふと袋の中から何かが俺の指に触れる感触に気づいた。

 まるで私を使いなさい・・・・・、とでも言うように自ら袋より引き出されたもの。

「これは……」

 取り出されたのは、星の聖女のデーモンを殺した際に手に入れた聖女の脊椎だった。

 なぜ、こんなときに……。


 ――……これは、聖女の脊椎です。ああ、やはり・・・……。


 悪寒と共に、この脊椎を手に入れたときの聖女カウスの言葉が思い出される。

 ああ、やはり・・・――そうか。そういうことか。今さらに気づく。愚か者の俺め。馬鹿ものめ。

巡る・・のか! こうなるのかッ!!」

 星の聖女を殺すために聖女カウスの手を借りたゆえに、聖女カウスを殺さねばならなかったのか!

 それとも聖女カウスを殺すためには、聖女カウスの手を借りて星の聖女を殺さねばならなかったのか!!

 わからない。だが、これは、これは――偶然ではない!!

 記憶が囁いてくる。俺が取り込んだ星の聖女の記憶が、魂が、俺に囁いてくる。


 ――さぁ月神の騎士よ、我が星の権能で身を守りなさい。


『ああああああああ、痛い痛い痛い……!!』

『テイラー! テイラー!! 大丈夫? 辺境人殺す殺す殺す殺す殺す!!!!!!』

 紫電により焼かれるデーモンの身体より煙が上がっている。だが立ち上がり、憎悪と共に俺を睨みつける。

 土台になっていた聖女カウスは奴らが転げ回ったせいで血まみれだ。だがその身体より骨の矢が生成され、ギリギリと俺に向かって矢が放たれようとしている。


 ――私の骨の使い方はわかっているでしょう? 聖撃の聖女が、オーロラが、お前に教えたはずです。


 ソーマの力はまだ身体を巡っている。神威の籠もった神の霊薬の治癒力は俺の身体をまだ巡っている。

(つまり、そういうことかッ――わかった。わかったよ)

 運命から逃れられないというのならば、今はそれを受け入れなければならない。受け入れ、打ち勝たなければならない。この地に生きるものとして、そうしなければならない。

 俺は聖女の脊椎を短槍のように構え、篭手の隙間より自らの体内に聖女の骨を突き込んだ。

 ずるり、と意思を持つがごとくに脊椎が身体の中に潜り込んでくる。ソーマの力を借りて俺の身体に星の聖女の骨が入り込んでくる。まるで、そうであったかのように俺の身体に聖女の骨が取り込まれていく。

 記憶が流れてくる。空の果て、闇に包まれた星々が浮かぶエーテルの海を泳ぐ神々の船の記憶――■■■■けんえつカットカットカット――頭が割れそうになる。記憶が流れてくる。人々の誕生。神々による地に生きるものへの――帝王の誕生、それを見守る星の聖女。地の果てまでも続く闘争の歴史。帝王の乳母だった星の聖女は、大陸の平和と安寧を願い――ああ、雑音が、雑音が、頭が揺れる。なんだこの情報量は、耐えられない。耐えられない。意識が途切れそうになる。真理を得そうになる。


 ――だが、俺は歯を噛み締めた。


 情報をカットする。こんなものは必要がない。

 聖女カウス。あの哀れな女を助けねばならない。「ふぅ……ふぅ……ふぅ」涙で視界が歪んでいる。耐える。頭痛が酷い。だが、見える・・・。俺に向かって矢を放とうとする聖女カウスより、放たれようとしている斥力の権能が。

 記憶が囁いてくる。未だ生まれたてのあの聖女のデーモンは苦しんでいるがゆえに権能をうまく扱えていない。

 本来は周囲一体を術式で圧殺できる聖女の権能を、未だ矢のように扱うことしかできていない、と。

 だからこそ成長させるな。あれは恐ろしいデーモンになる。悍ましいデーモンになる。育てるな。殺せ。殺せ殺せ殺せ。

「ふぅ……ふぅ……ふぅ……うるせぇよ。俺に、命令、するな」

 そうですか、と気配が薄れていく。我が権能がお前を守ります。励みなさい、と寄り添っていた誰かが、俺の魂の底に沈んでいく。

 殺す。殺すさ。だがそれは、成長させるとかそういうことじゃねぇんだよ。

『ぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいああああああああああああ!!』

 悲鳴と共に放たれる矢。それに合わせて斥力の権能が空から振ってくる。

 不可視だったそれを回避し、俺は矢を避けた。背後に着弾する。丘を燃やしていた炎が粒となって俺の身体に降りかかる。

 袋よりハルバードを取り出し、俺は深く息を吐いた。聖女の骨は俺の身体と融合した。だが、それだけだ。

 俺は星神の信仰に深いわけではない。権能は使えない。だがこれで敵の攻撃を見ることができるようになった。戦えるようになった。

 悲鳴悲鳴悲鳴。聖女カウスに加えて、男女の悲鳴も俺に届いてくる。なん、だ?

『ああああああああわからないわからないわからないわからないあああああああああ』

『テイラーテイラーテイラーどこなのどこなのどこにいるのテイラーテイラー』

 『龍眼』で見れば、うっすらと男女の土台の上に磔にされた聖女カウスの身体から光が放たれていた。あれは勇者の権能『惑乱』だ。

 もともと味方に対してもかかってしまうから使えないと聖女カウスが言っていた権能だ。

 だが効果範囲から俺が離れているのに使うということは、敵味方おかまいなしなのか。

 それとも融合したデーモンとしての聖女カウスにとって、あの土台の二人は仲間ではないということだろうか。

 夜の世界を炎が染めていく。

 死蟹のランタンの光を塗りつぶすほどの炎の熱が、憎悪が、世界を染め上げていく。



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