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「あああ! ああ! やった! 僕の、僕の、やっ――!!」

「死ぃッ――!!」

 茨剣を振り抜いたまま、俺は目を見開いた。

 目を見開いたまま下男の首が飛んでいく。だが身体は死を感知していないかのように突っ立っている。

 その首の切断面から、闇色の瘴気が噴水のように吹き上がる。


 ――そして柘榴の実のように、テイラーが裏返っていく。


 神威の籠もった刃が、完全に首を刎ねたというのに、下男テイラーより感じられる悪意が止まらない。

 憎悪が膨れ上がっていく。テイラーの首筋が、果実の皮のように裏返っていく。

 腐臭――熟れて、ドロドロに溶けた腐った肉のような臭いが満ちていく。

「こ、これは――!!」

 まずい、という直感が俺の身体を一歩、下がらせた。まずい、これは、ダメだ・・・。まずい。ここにいてはならない。

「聖女カウス――!! 生きているか!!」

 生きている・・・・・わけがない・・・・・。だが叫ばずにはいられなかった。

 テイラーの裏返っていく首から、声が聞こえてくる。


『あ……あぁ……やっと会えた』

『ああ……やっと、やっと会えたわね』


 男と女の声だ。

 ぞぶり、ぞぶりと憎悪と悪意に塗れた瘴気が沼地のように地面に広がっていく。

 茨剣を持つ毒鉄の少女篭手と、俺の左腕と顔に癒着したリリーの原初聖衣が引き攣るようにして俺に警告を与えてくる。

 けしてあれに触れてはならないと、あれは――かつて俺が見たものと同じだと。

 リリーを飲み込んだ毒の茨、『花旺天蓋かおうてんがい』である花の君が生まれでたときと同じだと。


 ――今、傍に近寄れば、巻き込まれる・・・・・・と。


 濃密な瘴気が広がっていく。領域が形成されていく。

 脈動する肉塊に包まれた憎悪の牢獄。骨と肉と血の食堂。それが瘴気によって上塗りされていく。

 現れるのは丘だった。

 薄暗い、闇に包まれた背の低い草に覆われた丘が広がっていく。

 空を見上げれば星々が広がっている。どこか冷静になっていく理性に従い、俺は自らの腰に死蟹のランタンをぶら下げ、遠くを見た。

 領域形成の結果か、テイラーの死体が離れた位置に移動している。丘の中心だ。そこに瘴気を吹き出す死体の皮が転がっている。

 丘の中心に、ぞぶぞぶ・・・・と、吹き出す瘴気が物質化していく。

 だらしなく広がった人の皮より何かが生まれてくる・・・・・・


 ――覚悟を・・・決めろ・・・


『ああ、イライザ。僕のイライザ。もう君の名前を呼んでもいいんだね』

『ああ、テイラー。私のテイラー。そうよ、私の呪いは解かれたわ』

 抱き合う――いや、絡みついた男女の……どこかテイラーと聖女カウスの肉体だった女らしきものの面影を残した、ドロドロに溶け合った肉塊が生まれてくる。

 まるで、それは四足の獣のようだった。

 男女が絡み合い、癒着し、生まれる奇妙な、そして不気味な四足の肉。


 ――そして、俺の選択の結果が……。


『ああああ、いやあああああああああああああああ』

「聖女……カウス」

 肥大化した男女の背に、眼帯で目を閉じられ、弓のように背を反らせた、磔にされた女がいる。

 だがそれはけして俺が知る女ではない。


 ――デーモン・・・・だ。


 この空間に吹き溜まっていた莫大な瘴気と、人間二人を素材に、女より意思持つ呪いを引き剥がし、奇妙なデーモンが生まれていた。

「なん……だ。これは……」

 俺は呟き、あまりの吐き気に口元を強く手で押さえた。

 土台となった二人の肉の上に、聖女カウスが磔になっている。デーモンになっている。

『あああああああああああああ、ああああああああああああ』

 夜の丘を、聖女カウスの悲鳴が満たしていく。


 ――もはやあれを、助けようとは思えない。助けられるものではない。


 デーモン。デーモンだ。聖女カウスの身体はデーモンと融合している。いや、聖女カウスだった呪いを瘴気で固定したのか? どういうデーモンのわざだ。なんなんだこれは……。

(と、とにかく――敵を見なければ)

 内心に微かに生まれた恐れを潰すように、茨剣を強く握る。『龍眼』で見て、構造を理解する。

 三人の人間で作られた奇怪な肉のオブジェのようなデーモンは、一つのデーモンだ。

『イライザ。愛しているよ』

『テイラー。愛しているわ』

『あああああああああああああああああああ』

 二人の男女が仲睦まじく溶け合った・・・・・土台の上で、磔刑のごとく磔になった聖女カウスが悲鳴を上げている。

 その接続部は肉だ。聖女カウスが、男女の上から生えている・・・・・

「……何を、どんな悪意があれば、こんな不気味な化け物を……」

 だが、どう殺せばいい? 突っ込んで切り刻むべきか? だが、なんだ。この不安は――俺がデーモンを遠巻きにして睨みつければ。


 ――殺意。


 反応は瞬時だった。俺の身体がその場から飛び跳ねる。

 俺がいた場所に向け、弓のように身体を反らせた聖女カウスの身体が、跳ねた・・・

 その瞬間には、空気を切り裂く音と共に、巨大な矢が俺がいた場所に突き刺さっている。

(速いッ――!? それにこれは)

 それは聖女カウスより生み出された、骨の矢だった。

『あああああああああ、いやあああああああああああ』

 悲鳴を上げながら、聖女カウスの身体が反っていく。それはまるで弓を引き絞るようで。

 その身体から、脊椎にも似た矢が内臓を引きちぎりながら、聖女カウスの身体より生み出されていく。

「悪趣味な……!!」

 茨剣と盾を手に、俺が聖女カウスを楽にしようと夜の丘を駆け寄ろうとすれば、土台となっていた男女が俺を恨みがましく睨みつけてくる。

『邪魔だ邪魔だ邪魔だ僕とイライザとの運命を邪魔する辺境人め』

『悍ましき辺境猿め文明離れた野蛮の地の蛮人めお前など』


 ――『無残に無様に死ねばいい……!!』


 土台の男女の肉体が膨れ上がっていく。融合した男女の顔が憎悪で赤黒く変色する。どすんばたんと四足の獣のようにデーモンが駆け出していく。

 夜の丘の上を獣のデーモンが駆け出していく。

(……速い、な……)

 怒りはある。憎悪はある。殺意もある。敵意もある。

 だが俺の身体からそれらを上回る冷静さが生み出されていく。


 ――まずい・・・


 こいつら、俺が思うよりずっと強力すぎるデーモンだ。

『あははははははは!』

『うふふふふふふふ!』

 地を蹴る四足のデーモンの身体が空に向かって駆け出していく。聖女カウスの持つ『斥力』の権能だろうか? 地面から反発するかのように軽快に駆けるデーモンは夜空へ向かって跳ね駆けていく。

 そしてその背より、弓なりに反った聖女カウスの身体より、悲鳴と共に正確無比な骨の矢が俺へ向かって放たれる。

「ちぃッ!!」

 よく見て、よく避ける。まだこれだけで避けられる骨の矢だが……俺に当たらず地面を深くえぐり取った骨の矢を見て戦慄する。

 成り立てのデーモンでこれか? この威力の矢を、この正確さで放つのか。

(そして、聖女カウスが危惧していた事態は、これか?)

 歯を噛みしめる。俺の身体に異常が起こっている。

 頭が、ぐらぐらと揺れる。なんだこれは? これが聖女カウスが言っていた勇者の権能、魔王殺し『惑乱』か?

 地面がわからなくなる。自分が何を持っているかもわからなくなる。ひどく酔っ払ったときのように自我が希薄になっていく。混乱していく。


 ――だがそれは、奇妙なことに敵も同じだった。


『ああ! ああ! イライザ! イライザ!!』

『テイラー落ちていくわ! あははは! 落ちていくわ!!』

 聖女カウスを背から生やした四足のデーモンが高笑いを上げる。凄まじい音と共に、四足のデーモンが地面に墜落する。土煙を上げ、血を流している。よろよろと立ち上がっている。

 もっとも敵がダメージを受けた様子は見えない。当たり前だ。落下ごときで殺せる怪物ではない。

 しかし癒着した男女の顔が憤怒から笑みに代わり、あははわははと笑っている。

 おぞましい悍ましい悍ましい。なんと悍ましいデーモンだ。

「吐き気がするぞ。貴様ら」

 足を止めたならちょうどいい。俺は死蟹のランタンが照らす夜の丘を茨剣を手に突き進もうとして、身体が重くなっていくことに気づいていく。

(いや、重いのではなく……上から何かが俺の身体を押さえつけ――)

 つまり、それは聖女カウスの『斥力』の権能の――。


 ――殺意。


 俺の身体が停止した瞬間を狙い、聖女カウスの身体から内臓の絡みついた背骨の矢が解き放たれる。

『ああああああああああああああああああああああああああああ!!』

 動けない。ダメだ。避けられない。

「あ、ぐぁッッ!!」

 +5まで鍛えた『帝国騎士団正式採用盾』を掲げ、矢を逸らそうとするも腕にかかる圧力でうまく流せない。

 矢の直撃を受けた盾が吹っ飛んでいき、うまく衝撃を流せなかった俺の左腕が根本からじ曲がる。

『ぎゃははははははははは! イライザ見たかいイライザ!!』

『うふふふふあははははは! 見たわテイラー! 見たわよ!』

 デーモンの声が重なる。

『無様な辺境人! 愚かな辺境人! 野蛮で愚かな辺境人!!』

 嘲りの声は耳から耳へと流れていく。

 俺の背筋に流れるのは、激痛ではなく、理性が流す冷や汗だ。


 ――『斥力』の権能。どう攻略する?


 どうすれば、あの愚かな男女と聖女カウスを終わらせてやれる?


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