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 ――――銀灰の魔剣

 数多くの貴種吸血鬼を葬ってきた名もなき宝剣。

 魔を滅ぼし続けることによって悪魔狩りの概念を生むに至っている。


 吸血鬼とは悪神を奉ずる血の呪いによって発生する怪物の総称であり、その姿かたちは様々である。

 その多くは辺境神殿の異端狩りや巡回の武装司祭の手にかかって滅ぼされるが稀に生き残る者も現れる。

 辺境人の索敵から逃れること。それこそが貴種吸血鬼としての萌芽であり、血の呪いを祝いに変える方法である。


                ◇◆◇◆◇


 鍛冶場では騒動も気にせず、ドワーフの爺さんが金床に固定された金属に向かって鎚を振り下ろしていた。

 この鍛冶場に満ちているのは鉄と炎の匂いだ。

 心が落ち着く。怒りで沸騰し、殺意で煮えたぎる脳を落ち着けていく。

 追跡に必要なのは憤怒ではない、訓練された猟犬がごとくの冷徹さだ。

 鍛冶場に踏み込んだ俺に、爺さんは目を丸くする。

「なんぞ騒ぎがあったようだが……銃声が聞こえたがあの小僧は――ふむ、なるほどな」

 俺が担いでいた血に濡れた女、盾の騎士アザムトを見たドワーフの爺さんは、ひと目で状況を理解したようだった。

 俺はアザムトを鍛冶場にあった椅子を並べて横たえる。

「爺さん、こいつを頼む。可能な限りの治療は施した」

 アザムトには袋に入っていた最後のアムリタを傷に掛け、継続再生の奇跡を願っている。

 死に瀕していても生を得ることのできる霊薬ソーマはあるが、使えない。

 ヴァンを相手にするのだ。アザムトにこれ以上の治療はできない。

 最低限の治療は行っているのだ。これで死ぬのならばアザムトに戦士たる力量が足りなかったということだ。

 仕方ない・・・・

「盾騎士の嬢ちゃんか。ああ、わかったわい」

 そして何も言わずに爺さんはアザムトを引き受けてくれた。そして俺の鎧を見て、眉を顰めた。

「武具に消耗が見られるがァ……まァいい。戻ってきたらきちんと直させろよォ」

「ああ……しかし、爺さん。いやに落ち着いてるな」

 俺が問えば、がっはっは、と爺さんは笑った。

「ドワーフの鍛冶場で過ごしゃあ、見習いだの客だのが喧嘩で勝手に死ぬなんぞ見慣れておるわい。それに、こんなところで鍛冶仕事をしてればはぐれ・・・の一匹や二匹、迷い込んでくるからの」

 鍛冶師ガフ。鉄の山の長老の一人にして神器の強化をも可能にするドワーフの名工は、なんでもなさそうに頑丈な鎚を手に、鉄仕事に戻っていく。そうして鉄を掴みながら、鋭い眼で俺を見た。

「で、てめェはさっさとあの吸血鬼ヴァンパイアの小僧を追い掛けなくていいのかい?」

「すぐに追跡を行う。だが……? 今」

 爺さんの言葉に俺は違和感を覚える。吸血鬼だと? それはどういう……?

「ヴァンは……半吸血鬼ダンピールだろう?」

 ふん、と爺さんは鼻を鳴らす。

「これだから辺境人どもは、デーモン以外には興味がねぇというか。つまりてめぇが敵と認識して、あれが逃げたならもう……いや、まだ間に合うかもなァ。なんにせよ、裏切り者だ。あのクソガキはきっちり殺せよ?」

 わかっている。もはやあれは共にデーモンを殺す同胞ではない。俺を裏切ったクソ野郎だ。確実に殺す。 

「ああ、絶対に殺す」

 とはいえ、ヴァンのあの口ぶり、デーモンと取引をしているようだった。

 なぜだ。なぜお前ほどの男が道化のデーモンと取引をした。ヴァン……ヴァン・ドール。

 しかし思考する時間が惜しい。俺は爺さんにアザムトを押し付けると鍛冶場から出るのだった。


                ◇◆◇◆◇


 ヴァンの痕跡を辿っていく。ダンジョンを俺は全速力で駆けていく。

「だが、あの野郎……痕跡をなぜ残している?」

 歴戦の吸血鬼狩りが俺に追跡を許す理由がわからない。聖女カウスを道化のデーモンに渡すだけならば俺に追い掛けさせる理由はないはずだった。

 善神大神殿――懐かしさすら感じる道を駆けていく。

 俺がかつて攻略した階層。全て知っている道だ。そこを駆けていく。


 ――ヴァンの痕跡はわかりやすかった。


 ヴァンの通った道のデーモンは駆除されている。デーモンの瘴気の痕跡を辿っていけば、奴が通った道は自ずと理解できる。

 聖女カウスは抵抗しただろうか? そこまで考えて愚問だと断ずる。

 あのクソ野郎のことだ。聖女と言えど、気にせずに痛めつけたに違いない。殺してやる。

 奴が殺しそこねた個体だろうか。柱の陰から泥状の、人のかたちをしたデーモンもどきが現れたので、拳打を叩き込んで沈黙させる。

 地面に銅貨が転がったが拾わない。今の状況で拾うようなものでもない。

 駆ける。駆ける。駆ける。かつて俺が攻略した階層。人のいない聖堂を駆けていく。

 そして俺は、かつてゲル状のデーモンとなった司祭がいた中庭の噴水までやってきた。

 ここも久しぶりだ……下階への階段が存在する噴水――ではなく、傍にある行き止まりの道へと向かっていく。

 ヴァンの気配は噴水からは感じない。おそらく俺がかつて解放した鉄箱の経路を使ったのだろう。

 犬のデーモンがここには出現するはずだが見ない。ヴァンが殺したのだろうか?

 俺は行き止まりに設置してある、鉄箱に向けて走っていった。

 鎖が揺れている。やはりここを使ったのか。ヴァンめ。すでに下の階層に移動しているのか。

(ヴァンめ……道化のデーモンとどんな取引をした)

 デーモンと取引しなければならない理由とはなんだ?

 壁の煉瓦を操作し、階層を繋ぐ鉄箱を呼び寄せる。地下は下水道だ。嗅覚殺しの実を噛み砕き、嗅覚と味覚を殺す。

 この下の階層に出現するデーモンどもは人型が多い。ハルバードよりも青薔薇の茨剣がいいだろう。

 武具を切り替え、指輪は湖の指輪と鼠のデーモンどもが持つ、病耐性の指輪に切り替える。

「さて、行くか」

 下に下がっていた鉄箱がようやく上がってくる。乗り込み、俺は下水道へと向かった。


                ◇◆◇◆◇


 下水道は久しぶりだ――俺が地下でデーモンのボスを殺して回ったせいか、瘴気が濃くなっている。

 出現するデーモンも相応に強化されており、給仕女のデーモンに頑丈さを相応に与えている。

 もっとも、殺すことはそう難しくない。いくら強くなろうが、元が元だ。給仕女のデーモンがどれだけ強くなろうと雑魚にすぎない。

(……ヴァンの気配は、そう遠くに行っていないようだが……)

 デーモンがところどころ残っている。ここは駆け抜けたのかもしれない。

 俺もそうすべきだと思ったが――くそッ……!!

「なぜ俺に向かってくる!!」

 通常なら逃げ出すような鼠のデーモンや給仕女のデーモンたちが一斉に俺に向かってくるのだ。

 加えて、汚らしい御器囓ゴキブリのデーモンまでも襲いかかってくる。

 茨剣を振り回し、次々と殺していくものの、数が多く、きりがない。

 通路に溜まっている汚水に足を取られながらも俺は濃く、汚れた瘴気によって薄れていくヴァンの気配を追っていく。

 道中、料理人のボスデーモンがいた厨房の横を通った。俺が以前聖域を張った領域だ。

 さすがにデーモンどもが強かろうと、強力な聖なる力に満ちた場所に近づくものはいない。

(……聖域にヴァンがいる気配もない……)

 ここをヴァンは抜けたのか? 無限にデーモンどもが絡んでくるような場所をよくも時間を掛けずに抜けられるものだ。敵ながら感心する。

(それとも道化のデーモンとなんらかの取引をしたあとか?)

 この階層に残るデーモンは道化のデーモンだけだ。階層の主となったあのデーモンならばこの階層のデーモンどもにヴァンを襲うな、と俺だけを襲えという指示も出せるだろう。

 息を整える。俺も強くなったが、やはりこの階層のデーモンどもは強化されている。これだけの相手をすれば疲労も濃くなる。


 ――デーモンどもを殺しながら駆け抜ければ汚水がなくなり、石畳で舗装された通路へと出た。


                ◇◆◇◆◇


 ――月神の騎士たる辺境人が下水道の階層へと侵入した頃。


 かつて修道女のデーモンが人間の死体で食事をとっていた汚らわしい場所にその青年はいた。

 かつてこの青年が聖女や騎士と一緒に、仲間だった盾の騎士に突き落とされた巨大な穴のある場所に青年はいた。

 聖女カウスに付き従った青年。下男のテイラー。

 服はボロボロ。全身が傷だらけ。塵と埃に塗れなお、愛するものへの執着を忘れない青年。

「ああ! ああ! やっとだ! やっとなんだ!!」

 彼は待っていた。

 愛の残骸たる破かれた聖衣を身にまとい。その男を迎えていた。

「おい! 道化のデーモン! これでいいんだな! これで!!」

 足でテイラーを蹴り飛ばしながら半吸血鬼だった青年はこの場を見下ろしているだろう、道化のデーモンに向かって叫ぶ。

 ヴァンが見上げれば不気味な、脈動する肉片に覆われた鉄の牢獄が全包囲から、この悪趣味な食堂を見下してくる。

 どこかの牢獄にいるはずだが、道化のデーモンは出てこない。

「……ぼ、僕の、僕の――ぐぇ……」

 テイラーの口に散弾銃の銃口が突きこまれる。ヴァンは侮蔑を隠さない表情で青年を見下ろした。

「その名を口にするな。この呪術女の呪いが解けちまうだろうが……そんな襤褸布纏いやがって……引き裂かれて、否定されてなんの愛も残ってねぇっつぅのに」

 テイラーの服からは瘴気から身を守る効果はなくなっている。

 ヴァンは怪訝そうにテイラーが掴むそれを見る。


 ――歩兵の黒駒。


 かつて龍に意識を飲まれたキースが殺した修道女のデーモンの黒駒である。回収できずに残っていたものを、なぜかこの青年は持っていた。

 そしてこの黒駒はぽっかりと空いた、穴のようなものだった。

 周囲の瘴気も、何もかもを飲み込んでいる。この青年が瘴気に害されないのは、あらゆる人探しの神秘を退け、悪鬼蔓延る辺境の地を抜けてきたのはこの黒駒のおかげだった。

「……早くしねぇときちまうぞ。キースが……」

 ヴァンは呟きながら「ヒヒヒヒ」という声を聞き、ようやくか、と背後を見た。


 ――階層の暗闇に、道化の仮面を嵌めた肉塊デーモンが転がっていた。


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