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 エリザ、エリザ。貴女は道に迷っているのかしら?

「いいえ、いいえ、聖女様。そうではありません。私は道になど迷っていません」

 エリザ、エリザ。ねぇ、貴女はどこに行きたいの?

「聖女様。ユニオン大聖堂はどこなのでしょうか? ここはどこなのでしょうか? 私はゼウレに話さなくてはならないことがあるのです」

 ああ、エリザ。可愛そうなエリザ。どこにも行けない哀れなエリザ。

「聖女様。貴女はどうして私を可哀想だと思うのでしょうか?」

 答えはありません。そうです。答えなどないのです。


 ――哀れなり、哀れなり、生贄の姫よ。これは汝が願望に過ぎぬ――もはやお前は……。


 夜の道を小さな姫が歩いていきます。

 哀れな呪われし姫。愚かな父に捧げられた生贄の姫。

 目も耳もない妄念と妄執の娘よ。お前にはたどり着ける場所などない。

 星の光は道を照らします。しかしそれは本当に道を照らしているのか。

 姫よ。姫よ。木陰の間から赤帽子の妖精たちが姫の無念をくすくすと嗤いながら眺めています。

 道なき道を、ユニオン大聖堂を目指して姫の無念は歩いていく。牛の鳴き声『呪われよ呪われよお前にはもはや肉も魂も何もない』。

 しかし、これは魂ですらないのだ。

 姫よ。哀れな姫よ。君は姫の無念だ。

 魂なき、無念だけの少女が、星の光をたどって、辺境の地を、南へ、南へ。歩いていく。

 龍の背に乗ってひとっ飛びだったあの地は遠く。水の砂漠は通してくれない。

 だからゆっくりゆっくりと回り道をしながら、歩いていく。亡霊にもなりきれない無念が。

 ユニオン大聖堂にてゼウレに謁見するという一心で歩いていく。

 祈りでは届かない。祈りでは届かない。祈りでは届かない。

 ああ、知らせなければ。父の恐ろしい計画を。善神大神殿で起こった出来事を。

 想いは届かない。魂なき祈りは届かない。

 星の光をたどって姫は歩く。そうして彼女はたどり着くのだ。

 大障壁。古い聖女ですら突破を諦めた神の障壁に。

 姫の無念はどこにも届かず。朽ち果て、誰にも伝わらず、失われていく……。


     ――泣き姫の呪歌 白の部 第七編『エリザベートと星の聖女』



「来ますッ! キース様ッ!!」

「わかってる!!」

 ユニオン大聖堂の大門前、周囲を石柱に囲まれた小さな広場。俺たちが入ったあとの入り口には霧のようなものが出て、入ることも出ることもできなくなる。

 俺と聖女カウスは戦いの気配に警戒しながらそれぞれ武器を構えた。


 ――濃い瘴気の気配。


 領域の主たるボスの空間。

 膝をつき、祈りを捧げる神官もどきのデーモンどもの中心にそれ・・はいる。

 禍々しい瘴気を纏った、ローブを深く被った女の石像――聖女のデーモン。

「汚らわしいッ!!」

 聖女カウスが弓を放ち、ローブを引き剥がす。露出したデーモンの顔は血の涙を流す、女の顔!

 その顔が回転し、逆さになる。


 ――キィイイイイイイアアアアアアアアアアアア!!!!


 石像の何処かより女の悲鳴が響き渡る。

「ぐぅッ……!!」

 身体に凄まじい重量がかかる。鎧が重いッ! 武具が重いッ!! 神像のデーモンが展開した以上の、立っていられないほどの重力の鎖だッ!!

「星神クエスよ。彼の者を重力の鎖より解き放ちたまえ!!」

 周囲に矢が突き立ち、聖女カウスの祈りと共に、俺の身体にまとわりつく重力の鎖が断ち切られる。

『……ぁぁあ……』『おぉ……おぉ……』『か……み……』

 周囲では祈りを捧げていた神官もどきどもが重力によって次々と潰されていく。

 俺が耐えきれなかったものにあれらの脆い身体が耐えられるわけもなく、神官もどきどもはほとんど生き残らない。

「同族を殺すとは所詮、デーモンかッ!!」

 仲間とも思わずに殺したに違いない。

 ぎぃいいいいいいいいいいいいいいい!! 女の叫び。金切り声のようなそれに耳が壊れそうだ。

 ガキン、ガキン、と聖女の石像の顔が回転する。大量の神官もどきが死んだことで溢れた瘴気が俺の身体にまとわりついてくる。

「キース様! 呪いです! 気をつけて!!」

 大量の生贄を利用した強力な呪術かッ。くだん・・・を殺したときよりも身体が重くなる。

「ちぃッ!!」

 俺はすぐさま解呪用の特化聖水を袋より取り出して飲み干す。月神に祝福の奇跡も願い、身体から呪いの影響を取り払う。

(いきなりやられっぱなしじゃねぇかッ!!)

 ハルバード片手に俺が走り出せば、俺の接近に気づいた聖女の石像が空へと舞い上がろうとする。

「逃がさねぇよ!!」

 今も多少は浮いていたが、飛ばれたら手がつけられなくなる。

 俺が袋から取り出した、暗殺騎士のデーモンより手に入れた防御無効の猛毒短刀『無鎧むがい』を投げつければ、短刀は重さ・・を与えられてほんの少しだけ勢いを減ずるものの、聖女のデーモンに命中。奴の石像のような皮膚を貫通して深く突き刺さった。

 投げつけてやったぞ。刀身リーチが短い短刀だが、ならば扱う俺が工夫すればいい。

 そしてなんにでも突き刺さるあれは、当たったときにほんの少しの勢いさえあれば深く深く突き刺さる。


 ――ぎぃいいあああああああああああああ!!


 耳に煩いほどの女の声が響く。あの神像のどこから出しているのかわからないが、猛毒短刀の突き刺さった聖女のデーモンからは大量の毒々しい血が流れていく。

 星々が怪しく煌めき、死蟹のランタン以上に敵を照らす。

 ハルバードを片手に俺は敵へ向かって歩き出す。宣言を放つ。

「殺す! 殺すぞ!! 聖女カウス! お前の姉を俺がるが構わんな!!」

「お願いします! キース様」

 背後より聖女カウスの声を受けながら、俺はハルバードを片手に進んでいく。

 聖女の石像の顔がガキン、と再び回転し、俺に向かって奇跡たる星神の矢が大量に飛んでくる。

 それを聖衣の盾で弾き、俺は突き進む。

(このデーモン。やはり、強い。最初の重力を無効化できなければ、危うかったな)

 飛ばれても厄介だった。四重の聖衣や聖水がなければ生贄の呪いで死んでいただろう。

 ほんの少しでもデーモンどもを滅ぼす順番を間違えていれば、このデーモンが扱う術に、何の対策もできずに俺は殺されていた。

 しかし勝ったのは俺だ。

 金切り声のような声を上げ、俺から逃げようとする聖女の像に向けて、俺はハルバードを振り下ろした。

「ふッ――!!」


 一閃。


 上半身と下半身を真っ二つに断たれたデーモン。石像のような外見だが、中には肉が詰まっていたらしく内臓が零れ落ちていく。

『……嗚呼、私もこれで……やっと……』

「死ねぃッ!!」

 ハルバードの刃を翻し、俺はデーモンの頭上から唐竹割りに叩き切る!!

 オーラと神威の籠もった悪滅の刃は、一刀両断にデーモンを滅ぼしていた。


 ――星が瞬いた。


 夜空の星が瞬き、一瞬前に俺がいた地点に光線を発していた。地面から熱量を伴った煙が上がっている。

(……最後の一撃か……だが、位置は、そうか)

 それは一瞬前、聖女のデーモンから最後の言葉が放たれたときに、俺の額があっただろう位置だ。

「キース様! 大丈夫ですか!?」

 聖女カウスが大弓を手に駆けてくる。

「恐ろしいデーモンだったな。最後に遺言のようなことを言っていたが、あれを聞くために立ち止まっていれば、俺は額を貫かれて死んでいた」

「ええ、私には使えない奇跡。星の聖女としての破壊のための権能でしょう」

 俺が奴の最後の言葉を聞かなかったのは、油断しなかったのは、この領域が散々に俺を惑わせてくれていたからだ。

 底意地の悪さはわかっている。そんな奴が素直に遺言など吐くわけがない。

 そもそも『これで……やっと……』だと? 俺だけではどうやっても攻略できないような構造にしたくせに何を言っているのか。

(その言葉に説得力を持たせるには、オーロラのような、自らの力を減じる装置を用意するべきだったな)

 無様、とは言わんが……少し以上に必死すぎる。負けたのならば潔く格好ぐらいつけるべきだろう。

 さて、俺は地面に目を向けた。デーモンが残したのは、白い兵士の駒とソーマ、それとこれは……背骨か?

 骨の連なった、人の脊椎が地面には落ちている。凄まじい神秘を宿した人の骨だ。

「……これは、聖女の脊椎です。ああ、やはり・・・……」

 顔を覆ってしまう聖女カウス。やはり? どういう意味だ? いや考えなくていい。

 目的は達した、今すぐ聖女カウスを殺し――「ぐ……」――額を抑える。記憶が流れ込んでくる。



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