231
星の光と死蟹のランタンで照らされた石畳で覆われた道を俺と聖女カウスは周囲を警戒しながら歩いていた。
道の両脇に連なる石柱には様々な神の物語が刻まれている。
「これは、破壊神を始めとした悪神を讃える物語ですね。世界の終わりを予言した終末の物語。この領域の力を高めるためのものでしょう」
聖女カウスの言葉に俺は頷いた。石柱から視線を外し、道の先を見る。
言われずとも、そういったものであることはわかった。
気配が邪悪だったし、かつて幽閉塔で見たおぞましき神を讃える紋様も彫られていた。
道中、月狼服の武装司祭は次々と現れた。
一体ごとであったり、顔のない神官のデーモンを連れていたこともある。
また、二体同時にかかられたときは流石に聖女カウスの援護を必要とするほどだったが、なんとか撃退し、俺たちは中間地点らしき顔の削れた石像が並ぶ広場までやってくる。
――連戦に次ぐ連戦、さすがに休息が必要だった。
身体に溜まっている疲労をチコメッコの油脂を齧って、癒やしていく。
「これは、動かないんだな……」
広場に並ぶ石像をハルバードの刃で軽く叩けば、石の感触が返ってくる。
以前出会ったものを切り裂いたときのように、刃に肉の感触はない。
「あれは特別でしたから」
聖女カウスの様子はつらそうにもみえるが、気丈に立っている以上、俺からは何も言わない。
チコメッコの油脂を差し出せば、小さく祈り捧げて、彼女はそれを口にした。
「肥沃と家畜の神チコメッコは……――やめておきましょうか」
「どうした?」
「自分に穴が空いたかのように記憶が零れ落ちていく、それが恐ろしくて思い出すように知識を語っていましたが……神の真実の多くを、キース様に語るべきではないと思ったからです」
「それは、そうだな」
神の真実、俺も特段興味はない。
しばらく沈黙が続く。
身体の感触を確かめつつ、食事を終え、武器にこびりついた瘴気を祝福の奇跡で除き、砥石で刃を鋭く保ってから飲み水代わりのワインを口にした。
「休んだし、行くか」
「はい」
聖女カウスは、座っていた水の枯れた噴水の縁から立ち上がる。
俺はふと、思う。
彼女の語る神の真実に興味はないが、この聖女のことは少し興味があった。
奇縁なれど、こうしてともに探索をしているのだ。
ただデーモンを殺し続けるだけでは面白くない。
◇◆◇◆◇
聖女カウスのことは、もちろん突っ立って聞くわけではない。
退屈ではない道中の肴として聞くのだ。
ハルバードで巡礼者の姿をした神官もどきどもを殺しながら俺たちは夜の石畳の道を歩いていく。
休息前は遠目に見えたユニオン大聖堂の大門も、もはや視界の端を埋めるぐらいに大きい。
この領域の終わりも間近だった。
「私のことですか……?」
「ああ、聖女カウスについて聞いてみたいと思ってな」
戦友なのだ。お互いに少しぐらいは知っておいても良いのだと思ったのだ。
「……そう、ですね……私が星神クエスによって生み出されたとき、大陸にはいまだ帝国という形はなく、小さな国々が争いあう状態でした」
聖女カウスはそう言いながら、背負っている巨大な弓を撫でる。
「
「いや、信じよう。辺境にはそういう話もなくはない」
『ダグラスの三本指』や『毒矢蛙のオズワルド』などの逸話は俺も聞いたことがある。
「そうですね。ただこの弓は少し特別で――例えるなら昇神に在り方は近いでしょうか。神鹿デアトスフイーズン……彼女の魂を私の悲劇で鍛え上げたものがこの聖弓なのです。私の勇者としての権能を増幅するための増幅器、『聖剣』として」
「権能? いや、少し待て」
聖女カウスの話には少し興味があったが、俺の視線の先に穏やかならぬ者が見えた。
石柱の陰に鳥のような嘴が隠れている。武装司祭のデーモンだろう。殺せば大鎌か月狼装備を落とすデーモンだ。ハルバードを片手に俺は近づいていく。
強敵だが、何度か戦い、その戦闘の呼吸は掴んでいる。
俺は月神に祈ると月神の刃をハルバードに纏わせ、ハルバードを振りかぶった。
――倒すのにそう時間はかからなかった。
武装司祭を倒し、石柱の間に置かれた長櫃より奇妙な形をした聖印を手に入れた。
「これは、星神に祈りを捧げるための聖印ですね」
「聖女カウス、お前が持っておけ」
渡されたそれを突き返せば、驚いたような目をして聖女カウスは俺を見る。
「よろしいのですか? 重力の斧を使うときに持っておけば多少は楽に扱えると思いますが……」
「構わん。それよりお前が持っておけば多少は楽になるだろう?」
星神への祈りもこの場では遠いだろう。多少はこれで
「そうですね……ありがとうございます」
丁寧に礼をした聖女カウスは、どこまで話しましたか、と言いながら話の続きを話し始める。
「ええ、そうでした……勇者の権能とは、聖女の権能とは別に私が持つ力のことです。『魔王殺し』、そう呼ばれる特別な力を私は持っています」
聖女カウスは星神の聖女として『斥力』の権能を持っているが、別に力を持っているらしい。
「聖剣とは『魔王殺し』と呼ばれる、魔王に特別に効く力を増幅するための、武具の形をした触媒なのです」
触媒……俺が奇跡を振るう際に使う聖印と同じものだ。なくとも祈りを捧げることはできる。だが聖印があればより善く祈りは届く。奇跡の力も高まる。そういう道理だ。
「そして私の権能は『惑乱』。他者の心を散り散りに乱れさせ、正常な思考を殺す。そういう力です」
「今は使っているように見えないが?」
「デーモンには星神の奇跡の方が効きますし、増幅器によって力を増したこの力は無節操に周囲に放たれますから、キース様も混乱してしまいますよ」
「それは、なんとも……寂しい力だな」
それはつまり、隣に誰も立てない力ということだろう。
俺の言葉に聖女カウスはそうでもない、と言った。
聖弓を愛おしそうに撫でながら彼女は夜の道を歩いていく。
「この子がいましたから……愛すべき魂を勇者の涙で鍛え上げたものこそが聖剣。ゆえに、この子は常に私の傍にいました」
そこで聖女カウスは何かに気づいたように立ち止まる。
――あまりに唐突で、少し違和感を覚えるほどの。
まるで何か、気づいてはならないものに気づいたかのように聖女カウスの表情は固い。
「聖女カウス? どうした?」
「……あ、ああ、どう、しましょう、キース様……」
「どうしましょうって何がだ?」
「
弓を片手に、聖女カウスは俺に問う。
「キース様に、渡した方がいいのでしょうか?」
ランタンの光に映るその顔は、どうしてか、泣いているようにも見えた。
◇◆◇◆◇
こんなときでも現れるデーモンを叩きのめした俺は、聖女カウスに問いかけた。
その言葉は、俺の力になるために特別な武器を渡したい、なんていう理由ではないように思える。
「その弓を渡した方がいいというのはどういうことだ?」
「……ああ、その、なんというべきでしょうか。その、私が、キース様に害為す存在となったときに、私がこの子と一緒にいれば、キース様はきっと、とても苦戦すると思うのです。最終的に私は敗れるのでしょうが……だからといって、その……キース様に迷惑を掛けたくないのです」
でも、と顔をうつむける聖女カウスは、耐え難い気分でいるように見える。
終わりのときに愛すべき者が傍らにいないことが寂しいというようにも見えた。
「なぜ俺に害を為す?」
「……そう、なると思うのです……」
脈絡がない。だが彼女がこの領域を選んだときのように、彼女にしかわからない理由があるのだろう、と思う。
「それは神の意思か?」
「わかりません。ですが、きっと、
言っていることの意味がわからない……だが俺は自信を持って言えることがある。
「持っておけばいい。お前が害為す存在となったとしても、それで俺が殺されることはない」
この弱々しい女を殺すなど考えたくないことだが、殺さなければならないときには、きっちりと引導を渡せるだけの強さが今の俺にはある。
そうですか、と安心したように微笑んだ聖女カウスは、近づいてきたユニオン大聖堂の大門へ向けて歩き出しながら、思い出したように言う。
「ああ、私がもしキース様の害となったなら、燃える槍で突き殺してください」
まるで決まっているように、未来を語る彼女に対し、俺はなぜだ、と問うことしかできなかった。
「私が大陸の人々に処刑されたときに使われた処刑具がそれなのです」
(嗚呼、そういう、ことか……)
聖女カウスが彼女の中にある情報で、自らその終わりを察したように、――俺もまた、彼女の言葉の意味に、俺が持つ武具より思い至る。
――燃える槍には心当たりがあったのだ。
捻じれ結界の炎槍――リリーを飲み込んだ花の君を殺した際に、破損した炎のロングソードと、神酒を手に入れたときに破損した結界のナイトシールドをドワーフの爺さんが槍として打ち直したものを俺は持っている。
一度使えば壊れるようなものだが、何かに使えると思って持ち続けていたものだ。
強烈な神の意思を感じた。これで殺せというようなものを、俺が持っているなど、偶然ではあるまい。
(これは、失敗したかもな……)
聖女カウス、俺がこの女を何事もなく終わらせてやるのならば、彼女を地上に連れ帰ったときに殺しておくべきだったのだ。
彼女は確かに役に立った。それは間違いなく。
俺一人であればこの領域を突破するのに
だが、それとこれとは別だ。この女を終わらせるならば――。
(今からでも……遅くはないのか?)
こうも導かれれば、聖女カウスに関する因果は強固に俺に絡みついていることがわかる。
何もかも仕組まれていたならば、聖女カウスが言う、俺に敵対する予感もまた確実に訪れる未来なのだろう。
(せめて最悪の結末が訪れないうちに……
最悪の中の最善を求めるのならば、今しかないのか?
俺は聖女カウスをこの場で殺すべく、袋から炎の槍を取り出そうと袋の口に手を伸ばし――聖女カウスが振り返って俺を見る。
「キース様……どうか、姉を殺すまでは……どうか」
祈るような口調で頼み込まれる。
「ここまで案内して貰ったんだ。もう十分だろう」
「キース様では、姉には勝てません」
――手が止まる。
確かに……あの神像と同じことができるのならば、俺は嬲り殺されて終わるだろう。
だが、それとこれとは別だ。強い殺害の意思を込めて聖女カウスを見れば、それ以上の目で見つめ返される。
俺が巻いた、呪い避けのローブに包まれた腕を見る。
微かに震えるも、まだ大丈夫にも見える。
(何が訪れるのかはわからないが……)
夜空を見る。光り輝くユニオン大聖堂の大門に、満点の星空が広がっている。
まるでデーモンの領域ではないように見える、神々しい景色だ。
この女には、ここまで連れてきてもらった恩がある。
「わかった。聖女カウス、これが終わったら、お前を殺す。いいな?」
そう伝えれば、はい、と嬉しそうに聖女カウスは笑っていた。
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