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 夜が来たらあの星を探そう。

 夜空に輝く一等明るい星を。

 道に迷ったら、あの星の光をたどって歩こう。

 夜空を繋ぐ、星の道。それがきっと、きみを導くよ。


            ――作者不明『星神の神殿に落ちていた詩』



 さて、時間も限られている中、だらだらと会話をする趣味はない俺は灰の神殿にある聖人アルホホースの扉を開いた。

 現れた先は、夜の平原だ。

 何もない。建造物もない。遠くに見える夜空との境界線に見える濃淡は山脈の稜線だろうか?

(暗いな……星明かりはあるが、デーモン相手には不十分だな)

 辺境人は星明かりでも十分に周囲が見えなくもないが……ランタンを使うべきだろう。

 大弓を背負い、周囲を確認していた聖女カウスが眉を顰めていた。

「嫌な空間ですね……それに、ここは……ユニオン大神殿へと向かう巡礼の道……」

 俺にとっては見覚えのない空間だが、聖女カウスにとっては違うらしい。

 それよりも俺にとって困るのはこの空間に道が見当たらないことだ。

 ただただ彼方へと広がる茫漠とした平原。指針となるのは、空にある星明かりぐらいだろうか?

(帰還は……どうだ?)

 来た場所を振り返る。扉はなく、闇にも似た空間が広がっていた。

 他の領域と同じならば、ここに入ればきっと戻れるのだろう。

 よし、あとは進むだけだ。

「それで聖女カウス、この領域をどう進む?」

 俺は問いかけつつ、館で使った死蟹のランタンを取り出すと腰にぶら下げていた集魔の盾と取り替えた。

 俺の視界だけ・・が死霊の火によって、明るく照らされる。

 所有者の視界のみを明るく照らすこのランタンは、聖女カウスの視界には作用しない。

 だが聖女カウスは星の聖女だ。星神の聖女たる彼女が夜闇を見通す権能を持っていないなどありえない。

 ゆえに聖女カウスの様子を見れば、困惑した様子もなく周囲を見回していた。

 彼女は彼女できちんと見えている・・・・・ようだった。

(指輪は、信仰強化の『湖の指輪』と斬撃強化の『蟷螂の指輪』でいいだろう)

 エリエリーズから返してもらった炎獄の指輪を使ってみたかったが、新しく刻まれた魔術はこの場ではあまり役に立ちそうにないと判断する。

「キース様、少々お待ち下さい。今――術式を確認しています」

 空を見上げ、星を確かめている聖女カウス。

 俺も夜空を見上げてみるが、星の聖女の記憶から作られたであろうこの領域の星空は、四千年前のものだろうか。

 今の星空とそう変わっていないようにも見えるが……あれがこの領域の道なのだろうか?

「聖女カウス、星神の奇跡はどうなんだ? あれには道を探るものがあっただろう?」

 いつかのオーロラの領域の探索のことを言えば、聖女カウスはゆっくりと首を横に振る。

「いえ、オーロラの空間は素直でした……ですが、この領域の主である我が姉は、キース様に攻略してほしくないようで、対策がなされています」

「ほう、小癪だな」

「ふふ、とはいえできることは複雑な迷路を作ることだけです。奥にアルホホース様が控えている以上、瘴気の通り道を作らなければ瘴気の圧力で自滅するだけですので」

 聖女カウスが見る星空には一体何があるのだろうか?

 俺の目にはせいぜい星座ぐらいしか見えるものはない。だがこの空間の主と同じく、星神の聖女である聖女カウスには何かが理解できているようだが……。

「……とはいえ、素直に解読させてくれんか……」

 ランタンに照らされた範囲の外から、奇妙な生き物が歩いてくるのが見えてくる。

「牛……いや、人?」

 ランタンに照らされた四足歩行の獣……牛の身体か? それに、落書きのような人の顔が張り付いている。

「あれはくだん・・・、ですね。大陸の東方に生息していた魔獣ですよ」

 聖女カウスが正体を教えてくれる。

『つ……つつつ……つげ……告げる……』

「何か喋ってるぞ」

 落書きのような顔では会話が難しいのか、牛のデーモンは何かを訴えかけようとし……ほう、呪術・・か。

「今、呪い・・を掛けられたな。聖女カウス、お前の姉は辺境人には呪いが効かぬと知らぬらしい」

「いえ、なかなか重い呪いですよ今のは……キース様でなければ辺境人でも多少は通った・・・と思われますが」

 俺は通じなかった、という感触だけを得たが、あれ・・がどんな呪いをかけたのか聖女カウスにはわかったらしい。

 だが俺には興味がない。ハルバードを片手に牛のデーモンへと歩いていく。

「あれが何をするのか興味があったが、今のお前に呪いは辛いだろう。始末してくる」

 聖女カウスは呪術で作られた聖女だ。なんの影響があってもおかしくはない。俺は走って牛のデーモンにハルバードを叩きつけた。

 ハルバードに切り裂かれ、穢れたデーモンの血が噴き出す。

『……熱病は……お、おまえの……娘を……』

「黙れ」

 再度ハルバードを叩きつけ、斬り裂いて殺す。+13まで鍛え上げたハルバードはきっちりと牛のデーモンの肉体を両断した。

 娘だなんだと戯言を言うな。こうした至近ならともかく、遠距離の者を呪い殺すには相応の準備が必要ということを知らんのか。


 ――だが、弱い・・


 デーモンが消えていく。残るのはドロップである銀貨ペクストだ。

「なんだ……気持ちが悪いな」

 地面に落ちた数枚の銀貨を拾いながら呟く。このデーモンの弱さ、気色が悪い。呪術に特化した性能だからか?

 だが巨体に比して異様な弱さだ。多少は暴れられることを想定していたが……どういうことだ?

 練ったオーラが強くなった? 武器が強くなったから? 俺の肉体が多少の神威を宿すようになったからか?

「……いや……なるほど……」

 肉体の調子を確かめる。一瞬、肉体が重くなった・・・・・感覚があった。中々強力な死後の呪いだ。

 どうやらあのデーモンの巨体は、中に呪いの詰まった肉袋のようなもので、殺されることで相手を強力に呪うらしい。

 俺は袋から浄化の聖女アズルカ様が聖別した解呪特化の聖水を取り出すと、ハルバードの柄を開き、叩き込んだ。

 解呪の神秘を補充した。これでデーモンどもに小癪な真似をさせずに殺せるようになる。

「聖女カウス、どうだ?」

「ええ、進むべき方角がわかりました。ただキース様、これから歩きながら道を探りますので私は戦いには参加できませんが、よろしいでしょうか?」

「道がわかるだけで十分だ」

 先程使った分をあわせ、解呪特化の聖水は残り個数が十四個だ。

 この夜の平原があまり長くないことを祈りながら俺は聖女カウスとともに歩き出した。


                ◇◆◇◆◇


「……お前の姉は……趣味が悪いな……」

「そうですね。生前もけして良い趣味の持ち主とは言えませんでしたが、デーモンとなって属性が反転しているのでしょう」

 夜の平野は道がなく、背の低い草を踏みつけながら進んでいく。

 時折現れるデーモンは、人の顔をした牛や赤い帽子をかぶった小人、夜の闇に溶け込んだ巨鳥の化け物などだ。

 そのどれもが今までのデーモンたちよりも不吉な神秘を宿している。

「星の聖女は趣味が良くなかったのか?」

「あの帝王にぞっこん・・・・でしたので」

「惚れていたのか」

「おそらくは……男の趣味は最悪でしたよ」

「聖女カウスは帝王をどう思っていたんだ?」

「私ですか?」

 聖女カウスはあの時代を生きた聖女だ。その言葉にはある種の、真実味を含んだ重みが感じられる。

 星を見ながら歩きつつ、時折空を舞う巨鳥を背負った大弓で射落としながら進む聖女カウス。

 俺は俺で、周囲に湧いて出てくる様々な赤帽子の小人どもを殺していく。

 赤帽子レッドキャップス。血塗れの斧だの、呪いを扱う杖だので攻撃してくる獰猛な小人たちだ。

 巣穴らしき地面の穴から出てくる赤帽子たちだが、草にまぎれてその巣穴の区別はつきにくい。

 迂闊に巣穴が群生しているところに踏み入り、囲まれることもある。

 とはいえ、小人らしく耐久力は低いようで、ハルバードの一閃で軽く死んでくれるのは助かっていた。

 今回は聖女カウスが同行している。

 俺一人ならば切り刻まれてもなんとかなっただろうが、聖女カウスが囲まれた場合が心配だった。

(聖女カウスのおかげで道がわかるのは助かるが……注意を払っておかねばな)

 おそらく、俺一人では攻略できない場所だろう、ここは。

 星のとばりという呪術の掛かったこの平野は、正しき道を通らない場合、入り口に戻されるらしい。

 星の奇跡を読み解けるものの同行なしには進めないようで、俺としては聖女カウスがいてくれて助かるとしか言えなかった。

 だが、この破壊神の封印されたダンジョンを俺が攻略するそのときに、聖女カウスがやってきたということが気になる。

 善神大神殿の崩壊から四千年あったのだ。だが、なぜちょうど俺が攻略するときに……。


 ――このときのために、私はここに来たのでしょう。


 聖女カウスの言葉を思い出し、俺は小さく息を吐く。

 息は白く染まらない。

 この平野は夜だが、夜会の会場のように寒くはない。むしろぬるいぐらいの気温だ。

 周囲を警戒している俺に対し、星を読み解く聖女カウスは、思い出すように言葉を紡いでいく。

「私もまた、他の聖女たちのようにチルディの称号をもらいましたが、特にあの政治を好んでいるわけではありませんでした。『勇者』として各地を旅するために必要だったので帝国には所属しましたが、それが正しかったのかはわかりません」

「『勇者』? なんだそれは? 自称勇者はたまに見るが」

 勇士でも勇者でもいいが、まぁあれこれと存在する自称の戦士どもだ。

 俺がリリーに赤鬼と呼ばれて嬉しかったように、男であれば異名を名乗りたい気分はわかるので強くは言わないが……。

「『魔王』という『世界殺し』の権能を持つ、世界の敵・・・・を討伐するための存在です」

「んん? 『魔王』? 魔王級デーモンとはまた別なのか?」

 聞いたことのない話だった。

 む、遠くに牛のデーモンを見かけたので、平野を走っていき、ハルバードで両断してから俺は戻ってくる。

「あまり離れすぎると入り口に戻されますよ。キース様」

「ああ、すまん。少し浮かれた・・・・

 なんだかんだ弱い・・といいつつも、あの牛のデーモンも地上の連中に比べれば十分に強敵だ。

 俺はうきうき・・・・とした気分で拾ってきた銀貨を袋に入れる。

「魔王級デーモンは、あくまで領域形成を可能になったデーモンに与える称号ですね。『魔王』というのは……純粋に、世界を殺す・・・・・ための機構システムです」

「しす……なんだって?」

「私たち『聖女』は、『勇者』が持つ『聖剣』を模して作られた失敗作なんですよ……神々が魔王殺しの増幅器を真似て、真似られなかったできそこない・・・・・・主神ゼウレが世界管理者である『デバイス』に至るための実験の一つ」

(なんだ? 聖女カウスは何を言っている?)

 茫洋とした目で、星を眺める聖女カウスはまるで心ここにあらずといった具合に、何か・・を語る。


 ――何を言っているのか理解できない。


「そんな聖女できそこないが、魔王を殺す勇者になるだなんておかしいですよね。かつて世界を支配した、瘴気エーテル研究テクノロジーの果てに人をやめ、世界の全てを観測するに至った主神ゼウレさえも抗えぬ上位世界の法則……ゼウレも笑っておりました。ふ、ふふふ」

 狂したような瞳を宿す聖女カウスは何を見ているのか。

 俺は彼女の肩を掴み、強く揺らす。

「おい」

「……すみません……心が、おかしくなっていました……さきほどのくだん・・・の呪いでしょうか?」

「今のは聞かなかったことにしてやる。聖女カウス、少し休むか?」

「いえ、大丈夫です」

 無理をしているようだが、本人の意思だ。止めはしない。

 俺は聖印を握ると、せめて彼女が楽になるようにと、月神アルトロに祈りを捧げる。

 この星空に月は見えないが、祈りは届いたようで聖女カウスに祝福ブレスが与えられた。

「気休めにしかならんだろうが……」

「いえ、ありがとうございます」

 温かい、と夜の闇の中、聖女カウスは呟いた。


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