白扉【光に包まれた聖職者】星の帳

226


 キース様の天敵です、と斥力の聖女カウス・C・アウストラリスは言った。


                ◇◆◇◆◇


 オーキッドは行くときに、涙を見せなかった。

 ただどうにもならないような寂しさを見せて、生きて帰ってこいとだけ言った。

 むしろ泣いていたのはアネモネで、行かないでと縋りつかれる様は少し心にクる。

 アネモネの頭を撫で、ホワイトローズとブラックローズの双子の娘を撫で、娘から弁当を受け取ると俺は地下へと転移した。


 ――事前に伝えていたとおりに、そこでは聖女カウスが待っていた。


「お待ちしていました。キース様」

「聖女カウス……それで、協力してくれるそうだが――猫? 何をやってるんだお前は」

 聖域の傍、ちょうどよい高さの石の上に座っていた聖女カウスの膝の上に猫がいる。

 聖女カウスはゆっくりと猫の背を撫で、それを堪能するように味わった猫がゆっくりと立ち上がる。

「にゃ。邪魔しちゃ悪いにゃね。みゃーは行くにゃ」

「はい、ミー様。話を聞いていただき、ありがとうございました」

さようなら・・・・・にゃ。聖女カウス。お前に善き終わりがあることを願っておくにゃ」

 それだけ言って軽やかに去っていく猫。

 善神大神殿の屋根の上に登って消えていく。その行き先はわからない。

 ただ去り際の目が少し気になった。あれは、終わりを知る者の目だ。


 ――聖女カウスに善き終わりを、か。


 ドワーフの爺さんの鍛冶場からは鉄を叩く音が聞こえてきた。

 岩から降りた聖女カウスが俺の前に立った。

「さて、行きましょうか。キース様」

 巨大な聖弓を背負っている聖女カウス。

 穢れなき純白のローブ姿だが、溢れる戦意をそのままに彼女はこうして準備をしていた。

 その姿はまさしく辺境人が憧れる、戦場に立つ聖女そのものだ。

 ただし、その手には包帯が分厚く巻かれている。

 流れ出る血液によって血のにじむそれは、下男のテイラーの聖衣を引き裂いた呪いだろう。


 ――もう、長くないのだろうな。


 俺もまた、彼女に善き終わりが訪れることを祈っていた。

「わかった。行こう。それで転移は、奇跡が使えるか……お前は……あー、貴女は」

 地上で出会った若い聖女相手にはそれなり・・・・に振る舞うが、今回は相手が相手だ。

 古い聖女・・・・相手には、それが完全に機能しているならば俺も敬語を使いたい気分になる。

「いえ、お前で構いません。キース様は最も新しき神・・・・・・になるお方ですから」

「それは、どうだかな」

「神を殺すのでしょう? ならばなりますよ・・・・・。さて、では行きましょうか。あの灰色の神殿に」

 俺が設置した聖印の位置を調べているのだろう。転移の奇跡を祈る聖女カウス。

 俺も月神にこの先に善き戦いがあることを祈り、そして体内の聖女の骨に祈ると、聖域への転移を行った。


                ◇◆◇◆◇


 色のない神殿の地下に俺と聖女カウスが転移する。

 とはいえ武装はまだしていなかった。

 俺は精霊銀ミスリルの帷子の上から神殿騎士の鎧を纏い、『集魔』の聖言の刻まれた神殿の木盾を腰に下げる。

 そうしてハルバードを片手に持った。

 ずっしりとしたドワーフ鋼の感触は心地よい。戦いを前にして心が踊る心地だ。

 俺の準備を見ながら聖女カウスは「……日に日に、テイラーが近づいてくるのがわかります……」と包帯を解いてみせた、血に濡れた指先を見せてくる。

 聖女カウスの指は、肉が裂け、白い骨が見えていた。

 その傷は以前見たものよりも深くなっている。

「テイラーは、どういうつもりなんでしょうか」

 血の垂れる指先に包帯を巻き直し、聖女カウスは諦めた表情で呟くが、俺にはわかる。


 ――女に逃げられた男のすることなど、古今東西決まっている。


「取り戻しに来るに決まっている。聖女カウス、お前の依代となっている女を」

 同じ男として、その根性だけは認めてやってもいいが、今回は手段が問題だった。

「奇跡にも探索にも引っかからない。テイラーに神が力を貸している」

「それが善き神であればまだいいのでしょうが……」

 俺たちは同時に唸った。

 ゼウレの妻、愛の神にして大地母神であるヘイルラアが助力しているのならば問題なく聖女カウスの呪術を引き剥がせるだろうがその可能性はほとんどない。

 テイラーは大陸人だ。仮にも貴族であるオーキッドと違い、神に愛される素質を持たないあの男に手を貸す善き神がいるとは思えない。


 ――神に愛されるのにも素質がいる。


 器としてのテイラーは、底の浅い皿のようなものだ。奴には神の力を受け入れる素質がそもそもない。

 だから俺たちが警戒している。テイラーに力を貸しているのは悪神だろう、と。

 しかし、間違いなくテイラーの肉体と魂は闇の側に変質しているだろう。

 何かをされて、例えばデーモンや狂信者のような存在となっていてもおかしくなかった。

 そして、そのテイラーが聖女カウスと出会ったならば、ろくでもないことが起こるのは確実だ。

(だからといって、このダンジョンの探索をやめるつもりはないが……)

 小者に翻弄されてやるべきことをないがしろにするわけにはいかない。

 そして俺が傍にいるのだ。テイラーを見つけたら、俺は即座に殺すつもりである。

「聖女カウス、俺が傍にいるうちは安心しろ」

「ええ、信頼しています。キース様」

 さて、と俺はハルバードの柄を握った。

 お互いの認識が同じならばあとは進むだけである。

「さて、ならば戦いに行こうか」

 階段を登り、灰の神殿内部へと出る。そして、俺たちはそこに並ぶ灰の扉を確認した。


 光に包まれた聖職者。

 杖を持った老人。

 剣に囲まれた騎士。

 大鎧の騎士。

 雷と龍。

 王妃。

 覇王。


 俺が前回訪れたときと変わらず、色のない空間に、七つの扉が並んでいた。

 変化がないことを確認している俺に、聖女カウスが問いかけてくる。

「キース様は泣き姫の呪歌はご存知ですか?」

「ああ、よく知っている。辺境人はあれを聞いて育つ」

「私もこちらに来てから地上で調べて知りましたが、あの中の登場人物がこのダンジョンのデーモンとして君臨しているそうですね」

 猫から聞いたのか、それとも長耳の魔術師エリエリーズ半吸血鬼ヴァンからだろうか?


 ――それとも、俺が喋ったか。


 時間の感覚が狂っている。戦いの記憶は残るが、恩讐以外の多くは流されていく。

「それで聖女カウス、エリザの物語が何だ?」

「お姉さまが言いましたでしょう? あれは大賢者マリーンが残した、このダンジョンの攻略法だと」

 知っている。戦いの中で自ら気づいたからだ。ただ、それが今回の聖女カウスの同行とどう繋がるのかが疑問だった。

「私にとって、泣き姫の呪歌の登場人物の多くは顔見知りです。ゆえにキース様には絶対に勝てないデーモンがいることがわかりました」


 ――それは、どういう意味だろう?


 俺にとって、絶対に勝てないデーモンとはもともとここの全てだった。

 最初に出会った地上階の黒騎士、そのあとのゲルデーモン。

 狩人には殺されるかと思ったし、怪魚のデーモンはまさしく死が隣り合わせだった。

 ソーマによって拾った命は多いだろう。

 だから勝てない・・・・、という意味ならば全てがそうだ。

 それをなんとかしてきたのが、俺という戦士の戦いだった。

「なんだ? 大賢者か? それともアルホホースか? 王妃のデーモンでも覇王でも――」

 俺の言葉に、慌てて聖女カウスが否定を行った。

「ああ、いえ、侮辱しているわけではありません。相性の問題です。他は力量の問題でなんとかなるでしょうが、戦士・・では絶対に勝てない登場人物が一人、泣き姫の呪歌にいるのです」

「相性……?」

 はい、と頷く聖女カウスはいっそ清々しいほどの笑みを見せた。

「このときのために、私はここに来たのでしょう。キース様一人では絶対に・・・勝てないから、貴方の助けとなるために私は復活した」

 聖女カウスの、確信の籠もった言葉に、気持ちの悪い感覚が背筋を這う。

 また・・、だ。またこの感覚。

 全てを仕組まれていたような……それ・・

 聖女カウスは一つの扉を撫でる。開いている扉だった。

 飾られたレリーフに描かれているのは『光に包まれた聖職者』、聖者アルホホース。

「なる、ほど……聖者アルホホースか」

 彼の聖者ならば、俺が勝てないというのも納得できる。

 だが、いいえ、と聖女カウスは首を振り、一つの名前を告げた。

「違います。神聖帝国チルド9の宰相にして、聖女である我が姉、『星の聖女』クンツ・チルディ・コールドアイスです」

「星の、聖女……姉だと?」

「はい。彼女は母なる星神クエスより『重力』の権能を授かっています。つまり戦士殺しに特化した、キース様の天敵です」

 戦士が戦うのならば、近づくことさえできないでしょう、聖女カウスはそう言い切った。


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