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 胸元の護符タリスマンが砕け散った。

 五回も魔術の威力を減じることのできる護符だったが、ゼフラグルスとの戦いに加え、闘技場に降り注いできた魔術の雨を防いだことで効果を使い果たしたのだ。

 追撃が来るかとも思ったが魔術による衝撃で土が舞い、俺たちの姿を覆い隠している。

「……騎士よ、なんのつもりだ……?」

 俺の胸元に剣を突き刺した・・・・・異貌のゼフラグルスが呆然とした顔をしている。

「枯れ枝のようなお前がこのような卑劣な奇襲で死ぬのが不憫でな」

 さすがにエルフがこの奇襲・・を受けるのは不憫だろうと俺が庇ってやった・・・・・・のだ。

 そのときにゼフラグルスの刺突剣が俺の胸に突き刺さったが俺は構わず受けていた。

 激戦で消耗はしたが、そのぐらいの生命力はあるつもりだ。

(現に生きているしな)

 とはいえこれほどの攻撃を受け、俺も消耗していた。

 卑劣な闇の魔術の雨は八割ほどを『月神の刃』を纏った剣で撃ち落とし、直撃したものは対魔の護符による軽減で防いだものの、俺の背中は闇の魔術によって大きく焼けている。

「舐め、るな! 人の騎士よ!!」

 俺の胸元から刃が引き抜かれ、血が噴出する。

 ゼフラグルスが治癒の秘術を使おうとするも俺はそれを押し留めた。

「そのようなことをしている暇はない」

 闘技場の観客席がざわついた。

 魔術の雨に加え、砂の中から次々と砂色の衣を纏った狂信者どもが現れたからだ。

 危ない、とか、卑劣な、などの声も聞こえるが俺もゼフラグルスも逃げ出すことはない。

 一度神に捧げると誓ったのだから、盛大に血が流れるまではこの場から離れることなど許されない。

 都市が滅ぼうが、デーモンが現れようが、この闘技場の砂に血といくさを染み込ませなければならないのだ。

(そして重要なことは、だ)

 宣誓の祝詞。あれで英雄・・ならば誰の血でも良いという解釈ができるという点だ。

 わざわざそのように言うように、海洋神の聖女に言い含めておいた甲斐がある。


 ――そう、卑劣なる狂信者どもは俺がこの場に・・・・・・誘い込んだのだ・・・・・・・


 日々奴らの仲間を殺し、首を街路に掲げた効果があったというものだ。

 仲間の憎き仇がエルフの英雄と殺し合いをするというのなら見物に来るだろう。

 あわよくば、両者が共倒れするところを狙って、善神への贄を掻っ攫い、自らの神に俺たちの首を捧げたくなるだろう。

「はははははははははは、見ろ。エルフの英雄よ。海洋神に捧げる戦いに無粋な闖入者が現れたぞ。来ないと思ってうっかりお前を殺しかけて焦ったが、ようやく来てくれたぞ」

「……騎士よ、まさか、貴様は……」

「ゼフラグルス、俺は妻想いの夫でな。お前を殺したところでオーキッドのためにはならんと知っている」

 そんなことを話している間にも砂煙は晴れ、殺しそこねたと判断した狂信者どもが俺たちへの攻撃を再開しようとしている。

 助けはこない・・・・・・。この砂の舞台の上にはいま、何人なんぴとたりとも入ることは許されていない。


 ――ここはいまだ、奉納する戦いの最中だ。


 今ここで俺たちを助けることは、そのまま俺たちと、ひいては海洋神ポスルドンへの侮辱となるのだ。

 だが、それがいい。

 それこそ血が滾るというもの。

 これだけの狂信者が首を揃えてくれたのだ。俺たちを殺そうとしているのだ。

 それはまさしく、狂信者の英雄といっていいだろう。

 海洋神に捧げる贄に相応しい首となるだろう。

「さて、ゼフラグルス。今から勝負をしようじゃないか」

「騎士よ、そのようなことを言っている場合では」

 俺はすでに剣を構え、継続再生の治癒を祈り、自らに掛けている。

 俺たちを大きく円状に囲む狂信者どもを見て、だいたいの首の数を数えていく。

「だいたい60人ぐらいか。さて、ゼフラグルスよ。どちらが首を落とせるか競おうじゃあないか!!」

 そうして俺は、ゼフラグルスの返事も聞かずに、剣を片手に狂信者どもに駆け出した。


                ◇◆◇◆◇


 観客席の一角に二人の男女と一人の少年がいた。

「見ろ、ジュニア。あれが領主閣下、お前の父親だ」

 少年に声をかけたのはキースによって教育役に任じられた戦士ヴェインだった。

 彼らがこの場にジュニアを連れてきたのは無理やりに近かった。駄々をこねるのを頬を叩いて引きずって連れてきたのだ。

 目と耳を閉じ、不貞腐れたように祭りで売っていた花蜜飴を舐めていたジュニアだったが、戦いが始まればその戦いのレベルの高さに目を見開き、父親の戦いを食い入るように見るようになっていた。


 ――剣一つで堂々とエルフの英雄と戦う父親の姿。


 今、その父親は、エルフの英雄と肩を並べ、都市に仇をなす狂信者の群れを相手にしている。

 ジュニアはそっと自分の婚約者・・・である美しい少女を横目で見た。

 弓神の聖女テスラ。父親から押し付けられた婚約者だ。

 いつもは能面のような顔で自分を見下すいけ好かない女が、父親の戦う姿は喜悦を浮かべて見ている。

「ヴェイン! あれは爛れ腐肉のバルバロッサと毒沼のエギルヴァルストでは?」

「はい。あれほどの武威を示す悪党は辺境にも数少ないでしょう。まさしく悪党の中の悪党」

 父親の戦いを見ながら楽しそうに自らの剣の師であるヴェインに敵の名を問うテスラの姿は、正直面白くない・・・・・

 テスラは気に食わない女だが、自らの婚約者だ。それが父とはいえ、別の男にあのような姿を見せるなど、本当に。

「ジュニア、よく見ろ。あのオーラの練りを、足運びを。剣の冴えを」

 ぐっと頭を強く掴まれて闘技場に視線を戻すジュニア。掴んだのはヴェインだ。

 夜ごとに泣く母を置いてどこぞへ出掛けている父の代わりにこの高潔な戦士である師が母の夫であれば、と思ったこともあったし、実際に言ったこともある。

 だが本気の拳で殴られて「私の生首を街路に晒したいのか」と怒鳴られてからは言ったことはない。

 その師が父の戦いを見ろと言う。

 見て、やはり見事だと思ってしまう。


 ――あれこそ辺境の男、かくあるべしという姿だ。


 鉄の面頬で顔の半分を隠し、上半身は裸で鍛え上げた筋肉をさらけ出している。

 その素肌の上には荒縄を巻きつけただけで鎧は着ていない。下半身は布で隠すのみ。

 たったそれだけで、片手の剣で悪い奴らをばったばったとなぎ倒していく。

 その悪い奴らもけして雑魚ではない。動きを見ればわかる。父が雄叫びと共になぎ倒していくあの中の一人として雑魚ではない。

「私では同じことはできない。情けなく、悔しいが、きっとこの先もだ」

「辺境人がそのようなことでどうするのですか。デーモンを殺しなさい、ヴェイン。それで貴方も強くなれる」

「……はい、テスラ様ッ……」

 聖女と師のやり取り。

(俺が、あの場に飛び込めば……)

 ジュニアは、あの場に自分が飛び込んで父を助けられればあの男も自分を認めるのではないかと思ってしまう。

 だがポスルドンに捧げるこの戦いに加勢はできない。

 あの闘技場に入り込むことは許されない。


 ――神に捧げる舞台なのだ。助勢も敗北も許されていない。


 それを利用してあのような卑怯な行いをした闖入者たちは、次々と殺されていく。

 父はまるで英雄・・だ。英雄のように見えてしまう。

「なんで……」

 なんで、とジュニアは呟いた。

 あれだけの力があって、帰ってきてから、あれだけのことができて。

 こうして強くて、本当に強いのに。

 なんで・・・、とジュニアは苦しげに本音を吐き出した。

「母上を、助けなかった……!!」

 都市が燃えたあの日も、戦士たちが返り討ちにあったあの日々も。

 自分が倒すと駆け出してヴェインに殴り倒されたあの日も。

 戦士団を退けた悪神の眷属が高らかに声を上げ、街に火をつけて回ったあの日も。


 ――父は帰ってこなかったのだ。


 そして、帰ってくれば全てが変わる。

 悪神の眷属だろうが、邪教の英雄だろうが父は探し出して追い詰めて首を稲穂のように斬り飛ばした。

 楽しげに笑って、街に酒を配りながら敵の首を掲げて回った。

 善き神の威光を示し、都市に秩序を取り戻した。

 だがそれは当然すべきことだった。もっと早くに!!

 父は領主ではないのか。都市を守るべき立場ではないのか。

 だが母も師も、聖女たちですら父を罵らない。あれこそは辺境の英雄だと褒め称える。

 それがジュニアには悔しくてならない。

 自分にあれだけの力があれば……。

 母を泣かさずに済むのに。

「キース様が、都市に帰らないのは……」

 聖女テスラはそこまで言って言い澱んだ。いつも明快にジュニアを叱るこの少女にしては珍しい姿だ。

「テスラ様?」

 ヴェインは事情を知っているのだろうか? 口ごもった聖女を不思議そうな顔で見る。

 父のことは、どうしてか都市の人々は知らない。

 父のことを騎士キースとは呼ぶが、都市の人々はそれがなにか偉大なもののことのように呼ぶ。

 都市の人々は、それこそ戦士たちですら父のことを『騎士キース』と呼ぶ。

 例外はヴェインや、ここが村だった頃からいるという人々だけだ。彼らだけがキースと父のことを呼ぶ。

 時折贄殿にえどのと父のことを呼ぶ老人はいたが……。


 ――キース・セントラル。


 それは父の名だ。だがジュニアの耳に入ってくるのは『騎士キース』というどこか遠い名前だ。

 ジュニアは、何か大きな気配・・・・・を父のから感じることがある。

 それはどうしてか父が遠く・・感じるようで。

 憎まなければ・・・・・・、自分さえも父を曖昧・・に……。

 馬鹿な、とジュニアは首を横に大きく振る。

 あれは父親だ。気に食わなくても自分の父親なんだ。

 だけれど、せめてこの戦いを目に焼き付けようと、どうしてか思ってしまった。

 そうだ。きっと、次に父に会うのは、また来年か……もしかしたらずっと先かもしれないから。

(そうだよ。だから次にあったときこそ、俺はあいつを殴ってやるって……母上を泣かせたことを……)


 ――ジュニアの視線の先では、楽しげな父が、狂信者の英雄の首を剣で斬りとばしていた。


 高らかに掲げられる血の滴る首。

 観客の歓声が、闘技場を激しく揺らす。


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