222
太鼓の音。観衆の声。この音曲は技芸神の聖女の楽団のものだろうか?
神殿都市に建てられた作りかけの円形闘技場の中心で俺は手に持った剣を頭上に掲げていた。
武器は『帝国騎士団正式採用直剣』を持ってきた。
盾はない。鎧も着ていない。鎖帷子もだ。面頬だけはつけている。
とはいえ何もしていないわけではない。
気合を入れるために身体には聖油を塗り込んできたし、上半身に荒縄を鎧代わりに巻き、腰布も巻いている。
首には対魔の護符が揺れていた。これで長耳の魔術を五回までなら防げるだろう。
――
盾すらないのは、
これが同胞を殺された決闘ならば
――辺境人として俺はこの場に立っている。無様はできない。
そう殺すだけなら誰が相手だろうが問題はない。
聖衣の盾はどのような魔術でも殺す。あれとハルバードさえこの場に持ってこれたなら、俺は労せず勝てただろう。
とはいえ、そんな勝ち方は禍根を残す。
俺は辺境の戦士として
だからこそ俺は剣一本、身一つでこの場に立っている。
これは儀式だ。神々と、辺境人と、長耳たちが見ている場だ。
正々堂々、正面から勝利し、供物の酒を勝ち取らなければならない。
辺境人の戦士がこの立ち会いに出たがらなかったのは、敗北する危険性もあったが、そういった条件で戦わなければならなかったからだった。
俺が剣を振り上げれば、辺境人側から歓声があがる。
高位の神官の一人が俺が神殿都市の所属だと声を上げた。神殿騎士キース・セントラル、と。
「慈悲の騎士キース! 酒の騎士キース! 磔刑の騎士キースだ!!」
誰かが声を張り上げれば合わせてキース! キース!! と俺の名が呼ばれる。
「知ってるか? 悪童だのなんだの言われた俺がこんな呼ばれ方をしてやがる。そも村だった頃の人間なんぞ都市の人口に比べりゃいねぇも同然だから無名だった俺を覚えている人間自体が少ないが……」
目の前の男に話しかけるも、相手は無言だ。
歓声は耳に痛いほど聞こえてくる。全てが俺の名前らしいが、俺としてはつまらない気分だ。
狂信者を毎日吊るして回ってるから磔刑の騎士だの、弱っている人間にチコメッコの油脂を食わせて回っているから慈悲の騎士だの。尽きない酒である月光雪酒をその辺で振る舞うから酒の騎士だのと呼ばれている。
どうも領主らしいことをしていないせいか、この都市の人間に俺は領主であるとは認識されていないらしい。
俺の軽口に、対面に立った青年のように見えるエルフは透徹とした目で俺を見つめてくる。
何もかも見通すような視線に俺は肩をすくめるだけだ。
「人の騎士よ。私は手加減ができぬが、武具はそれでよろしいのか?」
長耳側の名乗りが行われる。『異貌のゼフラグルス』と。
エルフ側でも歓声が起こる。闇滅ぼし。光の矢。世界樹の護り手と、様々な異名でゼフラグルスが呼ばれる。
(異貌……あらゆる魔術と武術に精通するがゆえの名か……)
エルフの英雄を前に、俺は剣の腹で腕の筋肉を軽く叩きながら笑ってやる。
「俺だって別に、手加減するつもりはねぇよ」
神官たちが海洋神ポスルドンへ向かって長々と口上を述べている。
その中心に立っているのは海洋神の聖女だ。豚にされた哀れな聖女様。
聖女様は大仰な内容であれこれと言っている。
内容をかいつまんでいえば、英雄の血が流されることで、神の怒りよ、鎮まり給えというわけだ。
辺境人、聖女、エルフ、誰も邪魔をしてはならぬ、とも言っている。
「これでどちらかの死がなければ終わらぬ、というわけだが。私は加減をしないぞ」
ゼフラグルスに向かって俺も頷いてやる。
「俺も同じだ。なぁなぁで終わらせれば海洋神もそうだが、辺境の戦士たちが許さない」
裸足で闘技場の砂地を蹴り飛ばしながら俺は口角を釣り上げ、
(さて、どうすべきか……)
ただ一人の戦士としてこの場に立ったのならば、ただ目の前の長耳を殺すだけで済んだ。
芳醇な酒のごとき英雄たる異貌のゼフラグルスと死ぬまで殺し合いを演じ、その果てに一息に首を落とせばいいのだ。
きっとこの戦いを思いついたときのように、戦士として充足した時間が過ごせたはずだ。
素晴らしいのは俺が死んでもゼフラグルスが死んでも酒は手に入り、ポスルドンへと捧げられる点である。
後のことなど何一つ心配などしなくてよかったのだ。
(だが問題は俺がオーキッドの夫だってことだな……)
――ゼフラグルスを殺せばそれはそのままオーキッドの失策になる。
神に捧げる戦いということで、ひとまず長耳どもは怒りを飲み干すだろうが、そのあとはあれこれと理由をつけて辺境人に嫌がらせをしようとしてくるはずだ。
英雄の弔いだなんだと言って嫌がらせをしてくるだろう。
あいつらはそういうジメジメとしたところがある。
だから俺は目の前の英雄をどうやって殺さずに収めるかを考えなくてはならないのだが……。
「騎士よ。気を取られているのかね?」
ゼフラグルスの立ち振舞いには隙がない。殺さずにことを収めるなどどうにも無理だ。
「……いや、なんでもない……」
戦いの鐘が鳴る。荘厳な音曲が奏でられる。
俺は奇跡の触媒たる聖印を片手に握り、同時に片手で剣を構えた。
ゼフラグルスは世界樹の枝で作っただろう杖を構え、呪文を唱え始めている。
(ほぅ、上手いな……俺の間合いを看破している)
ゼフラグルスはほとんど裸の俺と違って世界樹の樹皮で作っただろうマントで全身を隠している。
重心の傾きから見て、エルフの得意とする
俺が魔術を嫌がり、踏み込みば、奴は剣に切り替え対応するだろう。
筋力に劣る長耳の剣技であろうとも年月が奴を研鑽させたのならば筋力とは別の部分で俺を苦戦させるはずだ。
(なるほど、侮っていたのは俺の方か)
ゼフラグルス。さすがに英雄。下手に手加減すれば死ぬのは俺のほうだ。
賭けのような気分で仕掛けはしてきたが、ここは何も考えず死闘を演じてみるのも一興か?
「騎士よ。笑っているのかね?」
「ああ、俺もなかなか幸運だと思っただけだ」
あれこれと考えたが、大義名分をもってエルフの英雄と殺し合いができる機会などそうはない。
呪文を唱え終わったのか。ゼフラグルスの周囲に浮く無数の光の矢を見ながら俺は剣を構え、呼吸と共に踏み込んだ。
◇◆◇◆◇
オーキッドはキースが戦う舞台を、息を止めて見つめていた。
自分も騎士だったが、戦いの次元が違いすぎて何をしているかわからなかったからだ。
どういう剣技か、エルフの代表である異貌のゼフラグルスが放つ光の矢がキースに当たる直前でかき消えている。
「キース殿は、剣で魔術を叩き落としているようですが……」
「できるのか、そんなことが?」
「いえ、あの魔術はエルフの秘術です。それも英雄ゼフラグルスが放つものとなれば避けることすら困難で、それを叩き落とすなど尋常の腕前では……」
護衛で立っている女武官が解説してくれるものの、彼女もまた言葉には疑念を含んだものが多い。
「これが英雄の戦い……」
だがオーキッドは娘ほど無邪気にはなれない。
自身の夫が優れた戦士であることはわかる。あの高慢な聖女どもが夫には尊敬するような目を向けているからだ。
だが、ここまでか。ここまでの強さを愛する夫は持っているのか。
――その
「なるほど、わかりました。キース殿は『月神の刃』という月神の奇跡で武具を覆っているようです。それで矢の魔術を弾く……? 一体どういう技量があれば……少しでも刃の先がズレれば肉体に魔術が突き刺さるというのに」
女武官の言葉にオーキッドは目を凝らして夫の手元を見る。視力の良い辺境人たちには必要ないが、大陸人であるオーキッドは観戦席から遠眼鏡を用いて見ていた。
――わからない。
キースの腕が霞んだと思えば魔術が弾け飛び、次の瞬間にはゼフラグルスが刺突剣を用いてキースの肉体に刃を突き立てている。
そのキースの刃は同時にゼフラグルスの杖を大きく断っている。
杖を断たれたゼフラグルスはキースを蹴り飛ばしながら大きく距離を取る。
戦士たちの口角は苦戦に釣り上がり、戦いを楽しんでいるように見える。
「神々も満足しているようですな。あとはどちらかの首が落ちるのを待つだけ」
神官の言葉にオーキッドは歯が軋るほどの悔しさを覚える。
神官に向かって怒っているのではない。自分に向かって怒っているのだ。
これは自分の失策だ。大河の治水は必要なことだったが急ぎすぎた。きっともう少しやりようはあったのだ。
(キースの負担をどうにか軽くしてやりたかったのがこの結果か……)
夫にはいつも迷惑をかけている。こんなものが見たかったわけではなかった。
都市の富が増えればそれだけキースの援護になると思ったのだ。
そう考えたからこうして都市を大きくしたというのに。
「キース……」
オーキッドが心配そうにキースの戦いを見る中。
刃の応酬は激しくなり、キースとゼフラグルスの全身が傷に塗れ、どちらかが倒れそうになった瞬間。
――闘技場全体に
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