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「ジュニアを弓神の神殿に?」

 朝食前の鍛錬だ。全裸はやめろと鍛錬をする度に言われ続け、逆に意地になったりもしたが、娘を使って懇願され、ようやく腰布を巻いて鍛錬するようになった俺の前に、片膝をついた形の弓神の聖女テスラがいた。

 ジュニアはいない。反抗期は続いて、いや悪化していた。もはやおれとは会話もしたくないらしい。

 あとで強引に話を聞くか、それとも癇癪が収まるのを待ってやるべきか……。

「はい、キース様。申し訳ありませんが、あの子供は我が伴侶となるには惰弱すぎます。ゆえに弓神の神殿にて私自ら鍛えたく――」

いいぞ・・・。今日にでも連れて行け」

「はッ……は?」

「俺も息子は惰弱だと思っている。聖女テスラよ、貴女が我が息子であるジュニアを聖女の婿に相応しい戦士として鍛えてくれるなら嬉しく思う」

 ただし、と俺は付け加えた。教師役のヴェインは必ず連れて行くこと。

 辺境人の戦士による教育は必要だ。辺境人にしかわからない、口伝のような感覚的な規則ルールに男手が必須だからだ。

 それに、聖女の教育だけでは思想が偏る・・

 俺はそれだけを言うと中断していた剣舞を行った。

 型の練習だ。地下でのデーモンを殺した影響もだが、俺の体に馴染んでいた倒したデーモンどもの魂が、聖女たちによって更に馴染まされ、俺の身体能力を奇妙に向上させていた。

 だが如何に強くなろうともズレたままでは長耳の英雄ゼフラグルスを相手どるには問題がある。

 そのためにも肉体の調整は完璧に行わなければならない。

「…………」

 聖女テスラは片膝をついたまま、その場に残っている。

 俺の鍛錬を見ているというわけでもない。まぁ、予想していた通りではあるが。

「なんだ? まだ何かあるのか? 俺と一緒にいれば貴女の婚約者となったジュニアが快く思わんぞ」

 将来を誓った女が他の男と話している姿があればどのような年齢であっても、男は快く思わないだろう。

 聖女テスラほどの女性ともなれば、我が息子であろうと、とられる・・・・、と危機感を抱くかもしれない。

 それは相手が親兄弟であろうと変わらぬ男の本能のようなものだ。

「その、キース様……つきましてはオーキッド様を説得していただきたく」

「妻にか? 先ほどの話を聞かせたのか?」

「いえ……私は、その、オーキッド様に軽く見られているので……」

 なるほど、と頷く。オーキッドは反対するだろう。口添えが必要だな。

「わかった。朝食のときにでも言っておこう。それと、そうだな……いくつか誓約が必要か」

 聖女テスラの提案、あらためて考えると少し軽いな・・・・・

「……はい?」

「俺とオーキッドはジュニアの嘘を糊塗するためにいくらかの贄を捧げた。それらは都市の貴重な財貨だ。特に、今のこの都市にとっては子牛の一頭さえ貴重な肉」

「はい。それはもちろん私が責任を持って、すぐに贖います」

「いや、それではジュニアのためにならない」

「……あの、ため・・、とは……?」

 俺は少しわくわくしていた。我が息子はまるで英雄譚の主人公のようでもある。神殺し・・・の父に大陸人の貴族の母を持ち、聖女と婚約し、英雄の器を持つ男を剣の師としている。

 英雄を奉公に出すのは、英雄譚の基本だろう?

 俺は我が息子には自分の人生を楽しんでもらいたいと思っている。

 こんな大事に囲われたオーキッドので大事に育つより、弓神の聖女と暮らした方がきっと楽しいだろうと俺は思った。


 ――それに・・・


 どんなに若かろうと聖女は舐めてかかっていい存在ではない。

「あのキース様? もしかして貴方、楽しんでいるのでは?」

「簡単に戻れると知ればあのクソガキのことだ。きっと戻ってきてしまうだろう。この居心地の良い場所に」

「それが誓約ですか……」

「それに俺は知っている。お前たち聖女の意地の悪さを」

「……ええと? 意地が悪いだなんてことは……」

「聖女テスラ、お前はこの婚約を不服だと思っているだろう? 自分の頭上で行われた不当な契約だと思っているだろう?」

 片膝をついたままの聖女テスラの顔から表情が抜け落ちた。

 切り替わる・・・・・。美しい人形の仮面を貼り付けた、人の形をした化け物がいた。

 これが聖女の本性だ。辺境の男が、憧れてもけして聖女に求婚をしないのはこれがあるからだ。


 ――聖女は生物として辺境人の上位種である。


 年老いた聖女であれば子猫を弄ぶように辺境人の男で戯れるだろうが、若い聖女には余裕がない。

 だからこそ、我が息子を自らの神殿に招き入れようとしているのだ、この女は。

「お前は我が息子がお前の神殿から逃げるように仕向け、侮辱を理由に殺すつもりだったな?」

 弓神もそのつもりだった。如何な目立つためとはいえ、神が丹精込めて作り出した聖女はそう安くない・・・・

 ジュニアに娶らせれば神殿都市が崇める神々の中でも上を狙えようが、海洋神の怒りを買ったこの都市が滅べばそこまでだ。

「キース様、失礼ながら私にも好み・・というものはあります」

「そうだな。だから我が息子を好みに沿うように育てればいい」

 俺はオーキッドに預けていた『プリンスオブグローリィ・モノクローム』と呼ばれる、かつての帝国の王子が使っていたと言われる武具を水場の傍に置いてあった袋から一式取り出した。

 剣、槍、ハルバード、大斧、魔杖、メイス、錫杖、大弓。

「『栄光』と『名声』の聖言の刻まれた聖具だ。お前はまずこれらを使えるように我が息子を鍛えよ」

 この武具は使ったことはなかったな。

 俺は大弓に弦を張り、担ぎ、構える。

 大弓用の矢を袋から取り出すと、ぐぐぐ、と軽く・・力を込めて弦を引き、解き放つ。

 勢いよく射出された大矢がぶち当たり、鍛錬場に置かれていた木製の的が砕け散り、その先にあった石壁に深く突き刺さった。

「無名の俺ではこんなものか……」

「いえ、お見事です。キース様、貴方であれば文句なく我が伴侶として……」

 はははは、と俺は腹の底から笑ってみせた。

「な、なぜ笑うのですか!!」

「俺の妻はオーキッドだ。俺に勝利したあの女だからこそ、俺はこの都市を任せている」

 オーキッドに都市を任せるのはできるからだけではない。

 ただの大陸人の小娘が、辺境の戦士に勝利したのだ。

 俺が安心して地下に潜れるのは、地下の破壊神を殺せるのが俺だけだから、という理由だけではない。

 オーキッドならば大丈夫だという安心があるからだ。

 俺は膝をついたままの聖女テスラを見た。

「お前では足りん。お前では、俺は安心できない・・・・・・

 さて、と俺は聖女テスラに八種の聖具を押し付け、あとは、と考えながら言う。

「どれだけかかってもいい。水の砂漠の砂鯨をお前たちで殺せ。二人だけでやれとは言わん。お前たちの器量で集まった分ならばいくらでも他に人を使ってもいい。この二つの条件を満たせば、ジュニアは自由にこの館に帰ってきてもいいことにしよう」

「……正気、ですか……あ、あれは、あの魔獣は……あれだけの戦士がいたから……あれだけの神が関わったから討伐できたのですよ!?」

「だからやれ・・と言っている。聖女テスラよ。この場で弓神に誓え。我が息子をそれだけの戦士に鍛え上げると」

「……逃げ出せば……」

殺せばいい・・・・・。俺も恨まん」

 なぁに、多少大陸人の血は混ざったが、辺境人なのだ。我が息子ならばこれぐらいはできよう。

 我が息子はどうやら運命に愛されている。だから、どうせ育てば神が目をつける。善き神ではない、悪しき神どもが敵として、だ。

 聖女テスラが悔しげに俺を見ながらも神に誓うのを見下ろしながら、俺は祈るような気持ちで聖女テスラに言葉を投げかけた。

「ジュニアを頼んだぞ」

「……はい……」


                ◇◆◇◆◇


「おい、キース。ジュニアが行ったぞ」

「そうか」

 屋敷に作られた窓のある部屋から俺は屋敷の入り口を眺めていた。

 ここからだとジュニアが出ていくのが見えたからだ。

「せめてお前、頭を撫でるなり言葉をかけるなりな」

「顔を合わせるなり嫌いと言われた俺の気持ちがわかるか?」

「お前……ジュニアの気持ちを考えろ。お前の命令で聖女を無理やり娶らされ、屋敷から追い出されるのだぞ」

 俺はお前に詰られると思ったよ、と口に出さずにオーキッドを見つめれば、オーキッドはジュニアを見送ったことで溢れた涙を拭ってから、俺に向かって真剣な表情をして言う。

「これほどお前を殺してやろうかと思ったのは初めてだ」

「なるほど」

「だがお前が正しいのもわかる。理屈を聞かされたからな。今回はジュニアが悪い。仕方がない・・・・・

 仕方がないが、とオーキッドは口ごもってから「その仕方がない・・・・・が、許せない。私の子に、会えなくなるなんて……」と俺の胸に顔を埋めて涙を流す。

 そこで俺はオーキッドが少し抜けていることに気づく。教えてやるべきだろう。

「同じ都市の話だ。会いたければ会いに行けばいい」

 きょとんとした顔のオーキッド。

「会いに行っていいのか?」

「程度はあるが、母親が会いに行く分には問題がない。俺が塞ぎたかったのは、聖女テスラがジュニアを殺すかもしれないという隙だ。勘違いさせるつもりはなかったが、オーキッドがジュニアに会えなくなるようなことはするつもりはなかった」

 俺は会いにいけないが……という言葉は心の内に秘めておく。

 会えないわけではないが、男親が会えば誓約が安くなる・・・・だろうという不安がある。

 オーキッドは庇護者だからいいが、英雄譚・・・では息子にとって、父親は超えるべき壁だ。

 男親である俺が軽々に会いに行けば、神々の興が醒めるだろう。

 それに、ジュニアにとってもだが、俺の不運に繋がるかもしれない。


 ――どうにかして俺を殺してジュニアを奮起させようという神が出るかもしれなかったからだ。


 血と死は物語の華だ。ジュニアに加護を与える神にとって、俺の死はジュニアに焚べる薪となる。

 それをオーキッドには教えず、いそいそとジュニアへ送るものの算段を立てているオーキッドに俺は問うた。

「あれは渡してくれたか?」

「あ、ああ。お前からとは伝えなかったが……よかったのか?」

「俺からと伝えたらあの小僧は捨てるだろう?」

 不憫そうな顔で俺を見るオーキッドに俺は笑ってみせた。

 ジュニアに贈ったのは地下のドワーフの爺さんに作らせた精霊銀ミスリル製の聖印と、ソーマ・・・だ。

 あのクソガキが堪えきれずに聖女テスラから逃げ出し、矢で射られても、運が良ければ生き残ることはできるはずだ。

(あとはもう知らん。何も知らん)

 できることはやってやった。

 俺は久しぶりに辺境と放浪の神ヘレオスに祈ることにした。

 あの神はこういうどうしようもないことを祈るのに向いている。


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