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 辺境の早朝。冷たい空気に、身が引き締まる思いがする。

「では、行ってまいります! キース様! オーキッド様!!」

 都市を覆うように築かれた石積みの防壁。その門でのことだった。

 街道側に立ち、背後に戦士団を連れた弓神の聖女テスラが、意気揚々と都市側に立つ俺たちに向けて出立の挨拶をしているところだった。

「ああ、諸君らの武運を祈る。聖女テスラ殿、この都市を守る誉れ高き戦士団よ。さぁ、神官たちよ、彼らに加護と祝福を!!」

 オーキッドの指示によって、神官たちが街門より出て、街の外に並んだ戦士たちに祝福を授けていく。

 主神であるゼウレを始めとして、狩猟の神、戦いの神、水の神、砂の神……そして、今回は弓神アランにも祈りが捧げられた。

 通常は、戦いの神や狩猟の神の中に弓に関わる権能があるので、狩猟の際に弓神に祈りを捧げられることは少ないが、弓神の聖女が率いることへの感謝という意味で、あとはあの危険な水の砂漠での漁ならば弓の出番も多かろうという期待を込めてだ。

「水の女帝への貢物は手順よくお願いする。聖女テスラ殿」

「はい、オーキッド様。この私におまかせあれ、です!!」

 とん、と薄い胸を張って自信満々にオーキッドに任せろと言う聖女テスラ。

 その背には巨大な弓がある。斥力の聖女の聖弓も巨大だがそれと同じぐらいの大きさだ。

 もっとも込められた神秘の力は聖女テスラの弓の方が弱い。ならばあれは神具ではなく聖具だろうか?

 しかし、聖女テスラの気楽そうな様子に少し不安になる。

 戦歴が少ないとは聞いたが、水の砂漠名物、砂鯨を見たことがないのだろうか?

 俺も一度か二度、爺に連れられてみたきりだが、あれはとにかく巨大で、強い生き物だった。

「ふむ」

 領主であるとはいえ、実際に公の場に立つことの少ない俺はオーキッドの背後に控えるように立っている。

 その俺に注目している者は少ないし、顔の知らない戦士も増えている。

 加えて言えば、仮面で原初聖衣リリーを隠しているために俺の顔が見えないから、というのもあるだろうか。

 それでも役目を果たすべく、俺は戦士団を率いる我が息子の教育役であるヴェインへ激励する。

「ヴェイン、何かあればすべてお前に任せる」

「はッ、閣下に吉報を届けられるよう死力を尽くします」

「この狩りで、戦士団の半分は死ぬだろう」

 はい、と頷く戦士ヴェイン。

 辺境人おれたちは強いが無敵ではない。伝え聞く砂鯨は程度には強いという。

 もちろん、ここが村だったころからあった対龍兵器を持っていくし、聖女テスラの他、狩りについてくる何人かの聖女たちの補助があるらしいが、それでも死者なく倒すのは難しい。

 そういう生き物をこれから彼らは狩りに行く。俺も行きたかったが仕方がない。

 もっとも、死者が出てこそ砂鯨の贄としての質が高まるわけだが。


 ――血と死と戦いによって贄の価値しんぴは高まる。


 神へ捧げる供物は、基本的に穢れの少ない生まれたばかりの肉の柔らかい子牛と決まっているが、今回は別だ。

 安全な柵の中で育てられた家畜の肉では海洋神の怒りも鎮まるまい。

 戦士たちが死ねば死ぬほど、贄の価値は高まっていく。


 ――だが、彼らにはなんとか生きて帰ってほしい、というのも俺の本心だった。


 戦士としての考え方ではない。死とは戦いの結果なればこそ。彼らの死闘は喜ぶべきもので否定するものではない。

(王弟や高位司祭ウムルの記憶のせいか……)

 無理やり引き出された魂の記憶によって、俺に妙な知恵がついている。

 この考えは戦士ではない。領主としての視点だ。

(ふん、余計なことをされたな)

 まぁいい、と神官たちが戦士たちに祝福を授けるのを見守る。

 門から見る戦士たちの顔は戦意に昂ぶっていた。

 大方、ついてくる聖女テスラをはじめとした聖女たちにいいところを見せたいという考えなのだろう。

 羨ましい・・・・。俺もああいうことがしたい。


 ――そうだ。今回の死は名誉に繋がる。


 武運足らず、どうでもいい雑魚に殺されるならともかく、砂鯨は雑魚ではない。

 この狩りは吟遊詩人によって曲にされ、戦士たちは生きても死んでも勇壮なる戦士として名を残すだろう。

 俺もそうだが辺境人は死を恐れない。

 己の名が汚れることこそを恐れるのだ。

 彼らが戦うことを考えると、気分が高まってきた。

 ふぅ、と俺は深く息を吸った。そして言葉を吐く。

「戦士たちよ」

 俺の声が、早朝の晴れ晴れとした青空に染み渡る。

ほまれあるいくさを」

 誉れある戦を、と俺に続いて、戦士の誰かが呟いた。

 そうだ。この戦いでは砂鯨は海洋神のものになる。

 血の一滴、肉の一欠片、髭の一本さえ戦士たちの手には渡らない。

 手に入るのは己が流す血。友が流す血。死。戦い。


 ――つまりは誉れだ。


「誉れを!!」

 俺は叫ぶ。神へ宣言する。

 こいつらは今から名誉だけを求めて戦いに向かうのだ。

 祝ってやれ! 善き戦いを! 善き狩りを!!

「誉れを!!」

 戦士たちが声を揃える。

「誉れを!!」

 市街から声が聞こえてくる。ああ、戦士たちの妻や子だ。

 触れるのも見るのも恐れ多い聖女たちがいるということで、こっそりと覗きみるように見ていた彼ら彼女らが戦士たちに合わせて声を上げていた。

「誉れを!! 善き戦いを! 善き狩りを! 善き血を。善き死を!!」

 おお! おおおおおおおおおお!! 果てなき空へ、あまねく大地へ我ら辺境人の声が響き渡っていく。

「行け! 戦士どもよ!! 善き運命がお前たちを待つだろう!!」

 俺は微かな神威を引き出すと戦士たちに祝福ブレスを掛けていく。

 権能も何もない。善き戦士であれ、というそれだけの祝福だ。

 俺の神威によって戦士たちに淡い光が宿っていく。

 弓神の聖女が大弓を掲げた。弦を勢いよく引き、高らかに音を鳴らす。

 戦士たちは各々の武具を引き抜くと盾にがつんがつんと叩きつけ、咆哮を上げる。

「いきますよ! みなさん!!」

 意気揚々と先頭に立った弓神の聖女が、神殿都市の戦士団を率いて女帝が治める水の砂漠へと向かっていく。

「善き狩りを」

 彼らにはチコメッコの油脂をそれぞれ適量、持たせている。

 あれを舐めればどのような状況であれ、気兼ねなく全力で戦えるだろう。


                ◇◆◇◆◇


 戦士を送り出し、俺は邸宅に戻ってくる。

 このあと俺は猫の元に行き、手に入れた道具の鑑定やドワーフの爺さんに装備の具合を訪ねに行くつもりだった。

 その前に娘の顔でも見ながら食事を、というわけだ。

 そんな中、執事長のレンマールに声を掛けられた。

「ああ? ジュニアがいない?」

 いつまでも寝ているからと起こしに行ったが寝室にはおらず、鍛錬かと中庭を見てもいない。

 使用人を動員して、屋敷中を探し、市街にも足を向けたが見つからなかったという。

「申し訳ございません旦那様。この執事長レンマール、坊ちゃまを即刻見つけ出し、そのあとに我が首を落として責任を」

「なぜお前が死ぬ必要がある?」

「は?」

「子供が一人で出掛けた程度だろう。奴も男、どこにいくにも共を連れていては落ち着かないだろうさ」

 転んで死ぬような大陸人じゃあるまいし、辺境人の男を相手にそこまで過保護でどうする。

 第一、我が息子ながらあれは神に愛されている。何かあれば神が手助けするだろう。

(本当に探したいなら地下に飛んで斥力の聖女カウスに頼るが)

 あれの奇跡は星神の奇跡。夜闇を照らす星々がごとくに、失せ人を探すぐらいはわけはない。

 聖女カウスがダンジョンに向かっているなら俺がなんとかしよう。

 納得がいかない顔をしている執事長に俺は安心させるように言ってやる。

「そういうわけだ。腹が減ったら戻ってくるだろう」

「わかりました。ですが探します。それでは」

 俺が心配ないと言ったが執事長は頑固にも息子を探しに走っていってしまう。

「……まぁいいか……」

 そんな呑気にしていられたのは、そこまでだった。

 邸宅に入るときに別れたオーキッドが、俺のところまで走ってきたからだ。

「き、キース……ッ!!」

 息切れをしているオーキッドに縋りつかれる。

「オーキッド? どうした?」

「ジュニアが、ジュニアが狩りに同行したと……わ、私の名前を使って、せ、聖女の一人に同行したと。祝福をした神官が、隠れるように祝福を受けるジュニアを見たと」

「ほう?」

「わ、私は、ジュニアの同行を許してない。名前を使うこともッ」

 どうしよう、どうしようと縋ってくるオーキッド。

 なるほど、あの悪ガキめ、と俺は自らの顎を撫でた。

 を言うとは、さすが大陸人の血が混じっているだけはある。大陸人の賢しい血を継いだか。

 ジュニアを連れていったという聖女が、ジュニアの拙い嘘を信じたのは、彼女たちに辺境人は・・・・嘘をつけない・・・・・・という信頼があるからだ。

(ジュニアは聖女たちに嫌われるかもしれんな)

 聖女を騙すというのはそういうことだ。

 ジュニア、あのクソガキ、反抗期に加えてこれならば尻の一つでも叩いてやる必要はあるだろう。

 そして戦士団に同行していったならば、すでに数多の神々の祝福を受けてしまっているはずだ。

 もう連れ戻すことはできない。


 ――祝福と呪いは本質が同じだ。


 狩りの成就を願った祝福を、連れ戻すことで反故にしてしまうならば戦士団は神々の不興を買うだろう。

 恨まれるかもしれないし、呪われるかもしれない。

 それは戦士たちを呪うに等しい所業だ。ジュニアの人生に深い傷を残すことになる。


 ――嘘を真にする努力をしなければならない。


「今更連れ戻すわけにはいかんだろう。武運があれば生き残れる」

「お、お前はッ、じゅ、ジュニアは、お前の」

「ああ、だから、祈るよ。我が子の武運を。オーキッド、お前は領主印を使って、ジュニアの同行を認める文書を発行しろ。神に誓約し、ジュニアはけして嘘をついていないことにしろ」

 このような後から糊塗するような真似、神々は好まないだろうが、誠意を伝えなければならない。


 ――ジュニアに俺たちという後ろ盾を与えなければならない。


 賢いオーキッドは俺の言葉で全てを理解したようだ。涙を浮かべ、急いで走っていく。

 急がなければ、善き神も悪しき神も、ジュニアのはじめての・・・・・冒険・・を面白おかしく観戦するだろう。

 血を好む神々が茶々・・を入れるかもしれない。

 ジュニアに傷をつけて楽しむかもしれない。

 そのためにもこちらで善き神々に祈り、天秤を平常に保つ努力が必要だった。

「さて、月神が好きなものはなんだったかな……」

 なんとも業腹な話だが、俺はあの女神に頼りすぎている。

 ことによれば、もう一つぐらい誓約を増やす必要があるかもしれなかった。


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