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「父上なんか嫌いだッ!!」

 都市の大通りに狂信者どもの首を槍に突き刺し、辺境人の強さを内外に知らしめ凱旋した俺を出迎えたのは息子ジュニアの心無い言葉だった。


                ◇◆◇◆◇


「ふむ、ジュニアに嫌われたな」

 巨大なテーブルに家族五人でつき、使用人が持ってくる食事をとっていく。

 食事の内容は、黒パンに、少量の肉の浮いたスープ。

 以前……俺が地下で半日ほど過ごした時間がこちらでは一年。

 そう、一年前・・・の神殿都市での食事より質素なものになっている。

 オーキッドは申し訳無さそうだが粗食を続けてきた俺には味が良かろうが悪かろうがオーキッドの愛情に違いはない。

「美味いよ。本当に」

 何より地上で家族と共に食事をとるということに意味がある。

 俺は、酒精が強すぎて探索ではあまり飲めない月光雪酒を木の盃で飲み干した。

 酒臭い息を吐き出して息子の反抗を喜んでいればオーキッドが苦々しそうに俺に言う。

「すまない。ジュニアの奴は、キースがいれば都市が助かったと思っているんだよ」

 一歳になった双子の娘、ホワイトローズとブラックローズの世話を乳母らしき年老いた女官がやっているのを見ながら俺は笑う。

「辺境人の子供は往々にして父親に対してあのような反発をする、らしい」

 俺は両親が死んだのでよくわからないが、黒蝮の親分のところにいる若い侠者はだいたいがこれだ。

 興味深そうな顔をするオーキッド。俺は笑って言ってやる。

「子供がかかる病気のようなものらしい。辺境人の男の多くは戦士として最前線に赴き、村にはなかなか帰ってこないだろう? だから子供はそうなるんだと」

 俺自身は、爺の元で育ったからそういう経験はない。

 自らの無力を嘆き、世を拗ね、どうしてか嫁もいなかったので大陸を行脚したこともあったが、それは別に爺に反抗したかったからではない。

 爺に関しては、本当にわからないな。なんだったんだろうか、俺とあの老人の関係は。

「なぁキース……お前は」

「うん? ああ、待ってくれ」

 足元に我が娘、アネモネがいる。抱き上げて膝の上に乗せてやればオーキッドが怖い顔をして娘を見ている。

「食事中だ。行儀が悪いぞアネモネ」

「そう怖いことを言うな。なぁ、アネモネ」

「うん、ははうえ怖い」

 母親似の金の髪を撫でてやればアネモネがにこにこと笑って、喜んでいる。

 その胸元に揺れているのは以前にくれてやった聖ウィルネスの聖蝋が入った金属筒だろう。

 錆一つなく磨かれたそれを見て、大事にしているのだと喜ばしい気持ちになる。

「ちちうえは優しい」

 そうだろうそうだろう、といい気分で娘の頭を撫でていればオーキッドが唇を尖らせて娘を見ていることに気づく。

「そう妬くな。今回は俺も死ぬかもしれない」

「む……それは……」

「エルフとの決闘は承諾させたか?」

「いや、まだだ。会談を申し込んだが彼らの準備が整っていない」

 そうか、と俺は娘の髪を撫でてやる。目を細めて喜ぶ娘の様子を見ながら、素直な心情を語っていく。

「オーケアーラス大河が氾濫すれば長耳エルフどもも水の底に沈む。オーケアーラス大河は塩の混じらぬ水だが、偉大なる海洋神が持つ塩害の権能は世界樹すらも枯らすだろう。ゆえに奴らも拒みはしない。準備だのは奴らが見栄を張りたいだけだ。だからあまり長くなるようなら俺が自ら出向く」

「う、うむ、それならいい。だが、死ぬというのは?」

「出てくるのはエルフの英雄、異貌のゼフラグルスだろう。黒蝮の親分にも匹敵するエルフどもの英雄だ」

 勝っても負けても都市に問題はない。

 偉大なる海洋神ポスルドンは戦神の権能も持つ、そのポスルドンへ捧げる戦いに半端な戦いは許されない。

 そして俺とゼフラグルスのどちらが死んでも戦いを捧げたことに変わりはない。

 酒もエルフどもから贈られるだろう。

 そう、だからこそ手加減などもってのほか。ゆえに、下手をせずともどちらかが死ぬことになる。

 両親の気配が変わったのを知ったのか、腕の中の愛しき娘アネモネが困ったように俺の服を掴んでくる。

 あやすように腕をゆらしてやればきゃっきゃと笑うアネモネ。

「俺が戦いで死ぬことは覚悟できている。だが、せめて子供らにはな。だから妬くなオーキッド」

「う、うむ。それならばジュニアのことも。私ではきつくあたってしまうが、キースがよく言い聞かせれば」

「それは知らん。戦士となれば俺がやっていることもいずれわかるはずだ」

「むぅ、それは冷たいのではないか?」

 善神への信仰を捧げるうちに滅ぼすべき邪悪を学べば、辺境人の義務も、俺が何をやっているのかも言わずともわかるようになるだろう。

 俺の身体から拭いきれぬダンジョン深層の瘴気が、俺が殺したものどもの邪悪を伝えてくれる。

 わからなければそれまでだ。

 それはそれで、ジュニアが幸せに生きてくれさえすればいい。


 ――そも、理解してほしくてやっているわけではない。


 理解とは知ることだ。

 ゼウレをはじめとした神々を信仰するうえであのダンジョンの真実を知ることは避けるべきだった。

 純粋なものほど染まりやすい。善き者となるならともかく、悪しきに染まれば取り返しのつかないことになるだろう。


 ――あるいは帝王もまた純粋だったのか?


 ジュニアは子供だ。

 神の酸いも甘いも知っている辺境の大人たちのように、神の両側面を受け入れることはできないだろう。

(善神とはけして恵みだけを与えてくれるものではない)

 善きものだけを与えられれば人は堕落する。そのためにも神の荒々しい面は必要なものだ。

「父上?」

 アネモネの頬をぐにぐにと触れば、やー、と指を跳ね除けられる。

「くすぐったいか?」

「父上ひどい! お酒くちゃい!」

 くすくすと笑みが零れる。酔ってきたのか、いい気分になる。

(神は神だ。恵みの面も荒々しき面もある。だがそれは、けして善神と悪神を決めるものではない)

 ともすれば海洋神ポスルドンのように、怒らせたことで災いをもたらすものもいる。彼の神を怒らせ水に沈んだ国の逸話もあるほどに。

 神とは信仰すべきものであると同時に、我々にとっては遠い隣人でもあり、さらには我々を生み出した創造主でもある。

 同じ価値観を有しているわけではないのだ。

(だから我々は祈るのだ)

 善き神であるように、善き隣人でいてくれるように祈る。

 今回のポスルドンもそうだ。

 我々は彼の神が優しき神でいてくれるように、怒りを鎮めるべく努力しなければならない。

 そうするのは海洋神ポスルドンの本質が善神だからだ。

 ああ、だが海洋神が、災いをもたらそうとも、それでも人々の味方であるのは……なぜだ?

(しまった。悪い考えが浮かんでしまった)

 善き神と悪しき神の違い、汚染エーテル、瘴気……聖女と魔女……加護と呪い……神の本質は善きも悪しきも同じもの。反転するもの。

 魂の奥底に眠る何かが語りかけてくる。


 ――この世に善きも悪しきもなく、ただそれは至る・・ための過程が違うだけの。


神人計画プロジェクト・ゴッズレプリカントか……」

「キース?」

「ん、ああ、ジュニアには俺から言っておこう」

「ああ、うん。それがいい。私はどうも辺境の者たちには嫌われたようだしな。辺境人と近いジュニアが最近私の言葉を聞かなくなっている」

「うん? なにかあったのか?」

「ポスルドンのことだ。怒りを買うことになった治水を強行したことで私の統治能力を疑われている。聖女たちもそうだが、お前が案を出してくれた祭事について誰も私に提案しなかった。お前が帰ってこなければ……いや、泣き言か。すまない」

「それは、どうだかな」

 もともと辺境人には排他的なところがある。大陸人であるオーキッドが軽く見られているのは確かだろう。

 治水云々については疑問だな。聖女シズカが港町の利権を取ったと聞いている。ならば聖女シズカの怒りを買わないように、祭事自体をやろうという考えはあったはずだ。

「おそらく、戦士団の反対があったんじゃないか?」

 どういうことだ、と問うてくるオーキッドに説明してやる。

 最高の酒を出すならば自然とエルフとの決闘となる。

 そしてエルフから出される英雄ゼフラグルスに勝てなければ辺境人の恥となるだろう。

 長耳に侮られることを嫌がったのだ。

 この都市に悪神の眷属を倒せないような戦士しか残っていないならばゼフラグルスにはけして勝てない。

 だが戦士が悪神の眷属を倒せるぐらいに強くなれば、その戦士は名誉と戦いを求めて最前線に向かうだろう。

 それは戦士の本能だ。止める止めないの話ではない。

「ほう、なるほどな。だから女戦士が多いのか、この都市は」

 聖女たちもそうだが、オーキッドが周りに置いているものの多くがそれだ。

「あ、ああ。神託の聖女エルヴェット様の口利きと聞いた」

 婿取り競争でオーキッドに入れ知恵をした、あの聖女様も考えるものだ。

 男の戦士と違って、女の戦士たちは土地に根付く。

 辺境は人が少ないし、人の宿命なればこそ、月の女神の強烈な信徒以外は、いずれ産み育てる者になるからだ(月の女神の信徒にも子を産むものは当然いる)。

 女戦士たちにとっては前線に行く男たちとは見送るものだった。

 共に立ち、戦うものではない。

 ゆえに彼女たちは土地に根付くのだ。

「では女戦士を鍛えればいいのか?」

 オーキッドの言葉に俺は首を横に振った。

 どうしても女戦士には限界がある。

 男と女での体格差や筋力などの付きやすさもあるが、陰気の溜まりやすい女体はオーラを練る際の陰陽バランスがうまくいかないのだ。

 もちろん無理ではないが、やはりオーラの練りが甘くなる。

 そしてデーモンを殺したときに肉体に溜まる瘴気も男より多く、どうしても身体に残って浄化しきれない部分も多い。

「とはいえ、戦えはするんだろう?」

 騎士出身だからだろうか、弱いと言われてむっとしたオーキッドに言い訳するように俺は補足していく。

「これは強弱ではなく性質の話だよオーキッド」

 陰気が溜まりやすいというのは、利点でもある。うまく利用すればリリーのように殺すことのできないデーモンを肉体に封じるようなこともできる。

 だが強さという点では、どうしても男ほど強くはなれないのだ。

 例外は神に愛されることぐらいだが……。

「では、どうすればいい。男どもの見栄のせいで滅ぶのか? この都市は」

「辺境人の目から見ればいくつか方法があるが……さて、オーキッド、お前の好みはどれだろうか」

 もっとも、すべてを実現できるわけではない。

 俺は難しい話をしだしたために俺の膝の上で眠ってしまったアネモネの頭を撫でながらオーキッドに向かって口角を緩めてみせた。

 なにを始めるにせよ、ポスルドンの機嫌をとってからになるだろう。


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