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セントラルの大火。
それは神殿都市セントラルに訪れた多くの災いの一つである。
未だ神殿都市セントラルが辺境国家の首都たる場所でもなく、そこにある神殿が大神殿となる以前に起こった災害であるこれは、歴史的には辺境の戦士団やそこにいた聖女たちによって鎮められたとされる。
歴史的には、だ。
国母オーキッドに纏わる伝説では異なった伝え方がされていた。
そう、巷説にて有名な騎士キースの物語だ。
領主である国母オーキッドが治める神殿都市セントラルに何処かより現れた騎士キースは永き時を生きた災厄である闇火神の眷属フィルスハナハシュをたった一人で討ち果たすとフィルスハナハシュが残した呪詛『消えぬ炎』を何処かより呼び寄せた聖なる雨によって鎮めたとされる。
国母オーキッドをまるで神のように崇める者たちが作り出した創作にしてもやりすぎといえばやりすぎである。
当時、暗黒神の侵攻によって辺境軍は追い詰められていた。
なのに闇火神の眷属を打ち倒すほどの騎士がいまだ小さな都市にやってくるのは不自然である。
またこの当時、ポスルドンが国母オーキッドの失政によって激怒し、オーケアーラス大河は氾濫し(これも大火災ののち、騎士キースによって鎮められたと伝えられる! 創作も大概にせよ!!)、辺境では多くの作物が水に流された。
これらの失政を犯した国母オーキッドの責任の重さは大概である。
辺境では今でもそうだが口伝が重視され、記録が残らない(聖女たちは下々とは口を利かない)。
それを利用してこういった創作をあたかも歴史的な事実として民草が認識するような操作をするなど愚かとしか言いようがない(こうして後に検証する私のような歴史学者が迷惑を被るのだ)。
失礼。政治的な批判をするつもりはなく、つまりはこうした騎士キースによる伝説が国母オーキッドの伝説には多く付随して残されていることから――
―ザムエル・ザーナザムル著 国母オーキッドについての研究書より抜粋―
『商業神の聖女』ベンガラ・
俺が地下に潜っている間に整備されたのだろう。装飾は立派になり、切り出された巨大な石などが並べられていた。
「ここは霊脈としては一等地ですし、女神のお気に入りであるキース様であれば女神も助ける気になられましょう」
俺が心中でのみ抱いた疑問に聖女ベンガラが答えてくる。
「……それで、こいつらはなんだ?」
祭壇の前にずらりと並んだ、聖なる気配を漂わせた女たち。
――聖女だ。
弱小神の聖女だけではない。
エリノーラではない。若い聖女。創られたばかりの聖女だ。
「キース様の助けになりたく馳せ参じました」
一列に並んだ聖女たち全員が一斉に頭を下げてくる。
その光景に俺は思わず背後に一歩下がっていた。
(なん、だ……こい、つら)
場に力が籠もっているのか、それとも何か仕掛けがされているのか。俺の魂の底から何か不気味な気配が起き上がってくる。
「ぐ……が、ぁ……」
俺は無様にも膝をつき、だがしっかりと正面を睨みつければ聖女たちは俺の様子にも動揺せずじりじりと近づいてくる。
(はかられたかッ!!)
雨を降らせると言ったが、魂の励起、つまり記憶の閲覧をまだ俺はやっていない。
だが怪魚の、あの王弟の魂がこの場の何かに刺激され、俺の魂の表層に浮き上がってきていた。
「こ、の、クソがッ!!」
俺は自らの魂に喝を入れ、足に力を込めて立ち上がった。
「なん、なんだこれは!!」
聖女たちが俺を見ている。
奇妙な気配がこの場に漂っている。気配……いや、違う。これは神威だ。
(この場――いや、違う。う、上か……!?)
凄まじい威圧感。何かが上空から、俺を見下ろしている。
その威圧。質が違うがどこかで感じたことのあるもの。
以前はそれだけで死を感じたそれ。
――それは、狩人のデーモンを殺したときの記憶で見たものと同質の……。
「う……うそ、だろ……」
空に、空の彼方より何か巨大な気配が、俺だけを
(ま、まさか……ぜ、ゼウレかあれは……)
その威圧に、俺は膝をついていた。
あまりの圧力に、魂が屈したのだ。
「おめでとうございます。キース様。神殺しの勇士よ」
声を掛けられる。聖女ベンガラが俺を見下ろしていた。笑みを顔に貼り付けて、まるで仮面のような顔で俺を見下ろしている。
聖女ベンガラの唇が艶かしく動く。奴が何かを囁いてくる。
――貴方の成長によって、
聖女たちが揃って俺を囲むように近づいてくる。
「ねぇキース様、どうして貴方に我ら聖女が甘いかわかりますか?」
輪の中から一人が出てきた。
主神の聖女だ。彼女が俺の前に立ち、聖女ベンガラが主神の聖女を前に押し出すように一歩下がる。
(こいつは、確か『白鳥の聖女』レーイス……)
レーイスが俺の頬に手を当てた。
柔らかく白い貴種の手。それが親愛の籠もった手付きで優しく俺の頬を撫でてくる。
ただの戦士ならば肉体から力を抜くようなものだっただろう。だがッ、だがッ!!
――俺は侠者だ!!
(くそ、がぁッ……小娘がッ……舐め腐りやがってッ!!)
だが抗おうにも神の威圧で動けない。立ち上がろうにも重圧が重くのしかかってくる。
そして、俺の魂と混ざり合う王弟の魂が俺の身体を苦しめていた。
「こうして神人計画の数少ない成功例である貴方が弟のようなものだからです。いえ、むしろそうですね。数少ない成功例である貴方は、模造品である私たちよりも上の立場になった」
模造品――いったいそれはなんの話だと問うよりも早くに、気づく。
いつのまにか聖女たちが俺を囲んでいた。皆が皆、能面のような表情で俺へと群がってくる。
「なん……き、貴様らッ! どけぇッ!! くそがッ!!」
腕を振り回そうにももはや俺の魂が限界だった。内と外からの重圧に引きちぎれそうになる。石床に身体が押し付けられ、動きができなくなる。
「おおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおお!!」
聖女たちが群がってくる。祝福とも呪詛ともつかぬ奇妙な刻印が全身に刻まれていく。
善きものであろうとも、許容を超えればそれは刃となる。
魂が悲鳴を上げていた。聖女たちに何かをされたのか、今まで取り込んできた数々の魂の中でも凶悪なものが俺へ力を流し込んでくる。
――高位司祭ウムル。
――四騎士、オーロラ。
――四騎士、名失いの騎士。
――
――幽閉王エドワード。
そして幽閉塔の生け贄姫アン。
「……――ッ……――あ……――ッ」
ぎちぎちと筋肉が悲鳴を上げている。肉体の奥底から無限に力が湧いてくる。精神は疲弊し、口からはかすれた声しか出なくなる。
「血統がよくなかったのでしょうね。我々が今、取り込んでいても、力を引き出せていなかった力を馴染ませました」
誰かが何かを語りかけてくる。
だが声も景色も、全てが遠かった。
――身体が、勝手に立ち上がっていた。
まるで自分の身体が自分でないかのように、何かの気配が俺の身体を動かしていた。
これはわかっている。一度マルガレータが俺の身体を動かしたのと同じだ。
――
違うのは、あのときは譲り、今回は奪われたということ。
「一時的だけど無理やり力を引き出したわ。雨を降らすなら、この時がいいんじゃない?」
まるで何かの誕生を祝うかのような、きゃっきゃとした聖女たちの喜びの声が聞こえる。
ゼウレの視線が俺から外れる。
まるで見届けたかのようにゼウレの気配が去っていく。
『さぁ、雨を。災いを洗い流す神威の雨を』
聖女たちはいつのまにか俺を囲むようにして地に跪いていた。
俺の身体が槍を持つ。
空に掲げて、力を解き放とうとする。
『
聖女たちが
――あれは、なんだったか……。
必死に暴れる豚の姿は、それはどこかで聞いた話のような。
俺の身体は槍を構え、自らに溢れる力を槍を通して空へと解き放とうとしている。
俺の身体は俺の自由にはならない。
――本当に、そうか?
これでいいのか?
雨は降る。都市の火は消える。
ポスルドンは生贄を捧げられ、怒りは鎮まる。
大河は落ち着き、都市の安寧は保たれる。
「
「へ?」
――
隣に立っていた主神の聖女と、商業神の聖女に俺は拳を振りかぶっていた。踏み込みはいらない。無呼吸によるノーモーションで放たれる拳打。顔面をぶん殴られた聖女が勢いよく祭壇の石床を転がって、揃って鼻血を流しながら呆然と俺を見ていた。
「クソどもがッ!! 何が弟だ! 何が
魂の扱い方はわかっている。ぶん殴れ、だ。だから怒りの感情でぶん殴って、俺の身体を取り返してやったぜ。
俺は、俺の身体を操っていた何者かから身体を奪い返していた。
そして肉体に溢れる神威を気合で俺は抑え込み、自らの意思で天へ向かって吠え猛る。
「女神よ! アルトロよッ! 見ているんだろう!!
このクソどもがッ! お前の騎士の晴れ舞台。右腕の刻印を通して
ゼウレの視線は去った。だがゼウレの気配に紛れ、不快な気配が未だ俺を
何かが微笑む気配。
啓示のように神の気配が俺の魂に囁きかけてくる。
――
「お前の神殿を立ててやる!! 大神殿をだ!! ゼウレよりも豪華ででかいものをだ!! お前の祭壇を、この神殿都市でもっとも豪華に仕立て上げてやる!!」
――そう。
返答はそれだけだった。気配が去っていく。
同時に雨がざぁざぁと降ってくる。聖なる気配を蓄えた清浄なる雨だった。
「そ、空が……」
聖女の誰かが空を怯えたように見つめていた。
昼だった空が夜になっている。月神の奇跡が起きていた。
都市から炎が去っていく。
「くそがッ……何が、
くそったれが……。
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