211
大陸のとある場所にウシュヌテイという豊かな森がありました。
小さいながらも立派な世界樹のあるとても大きな森です。
また、珍しくも人とエルフがともに治め、育む森でした。
さて、この森にはトウトウハナムという善き森神がおりました。
テニニポという女神を妻とし、神獣たる牡鹿の角で作られた盃を持ったとても大きな男神でした。
彼の神の権能はとても強く、そして優しく――
・
(中略)
・
平穏なウシュヌテイの森にはいくつかの集落があります。
とある集落の話です。ここにはセパクという人の若者が、コルルナというエルフの娘がおりました。
二人は同じ日に生まれました。種族は違えど彼らの両親は友人同士であり、子らが同じ日に生まれたときにはとても喜びました。
そんな彼らは子らが無事に生まれたことを喜び、意気投合すると同じ日に同じ神殿で同じ供物を捧げ、それぞれの子に父たるトウトウハナムの加護を願いました。
供物に喜んだトウトウハナムは森の子として生まれた彼らを祝福します。
森神たるトウトウハナムはまず自らの加護を二人の子に与えると、次に二柱の娘にそれぞれ加護を与えさせました。
セパクは鍛冶屋ヨルヨの息子としてトウトウハナムの一番目の娘、劫火の神イルルクゥの加護を。
コルルナは森の狩人ソムリッタの娘としてトウトウハナムの二番目の娘、豊水の神トルルカムの加護を。
善き神々の祝福です。両親たちは喜び、子らの長寿と繁栄を願い、トウトウハナムに喜びと感謝を捧げます。
これにトウトウハナムはよし、と頷けば木々は喜び、森の生き物は益々繁栄しました。
・
(中略)
・
劫火の神イルルクゥと豊水の神トルルカム、二柱の姉妹神は双子の神でした。
こんな話があります。
森神トウトウハナムの妻である黄金の神テニニポが子らを産んだときのこと、先に生まれた劫火の女神であるイルルクゥはテニニポの陰部を焼き母神を深く傷つけてしまいました。
傷が膿み、苦しむテニニポ。それを遅れて生まれたことで火傷を癒やしたのが豊水の女神トルルカムでした。
それ以来イルルクゥは父神トウトウハナムより妹であるトルルカムを深く敬えと言われており、また父神は優しく思慮深いトルルカムの方を深く愛しました。
姉神たるイルルクゥはそれをつまらなく思っておりまして……そうです、つまりはそうなのです。
鍛冶屋ヨルヨの息子セパクが森の土の中から黄金を見つけたとき、また、それを見たエルフの娘コルルナが黄金を欲したとき、劫火の女神イルルクゥは、セパクは自らの信徒なのだからその黄金を自分に差し出すのは当然だと考えたのです。
それをセパクは愛しているという理由だけで女神トルルカムの信徒であるコルルナに黄金を差し出してしまいました。
それが女神イルルクゥはセパクがイルルクゥよりトルルカムを贔屓したように見えたのです。
偉大なる森神トウトウハナムの悲劇はここから始まりました。
・
(中略)
・
人間は黄金が埋まる森を切り開き、エルフはそれを防ぐために戦いました。
しかしそれはまた神々の戦いでもありました。
父なる森神トウトウハナムと豊水の神トルルカムは森を守るエルフの側に。
母たる黄金の神テニニポと劫火の神イルルクゥは欲深き人間の側に。
豊かな森はもはやなく、その多くは焼け崩れ、黄金が埋まる大地はあちこちが掘り返され、水は汚れ、獣は多く死にました。
戦争の趨勢は人間の側にありました。
そうです。黄金を聞きつけた多くの人間が母神テニニポと姉神イルルクゥの助けとなったのです。
・
(中略)
・
森神トウトウハナムは世界樹とともに焼き殺され、豊水の神トルルカムは地の底に幽閉されました。
勝利した母神テニニポは自らの信徒となった人間たちとともにウシュヌテイに王国を築きました。
それは黄金の国といわれ、その玉座にはかつて黄金を見つけた鍛冶屋の息子セパクが座りました。
姉神イルルクゥは勝利しました。ですが父神を殺してしまったことで善神だったイルルクゥは悪神となってしまいました。
しかし女神イルルクゥは悲しみません。彼女はこの土地の多くを支配しているのです。民の愛はイルルクゥのもとにありました。
ですが母神テニニポは悪神となり、醜くなってしまったイルルクゥを疎み、彼女を国から追放します。産んだ際に自らを焼いたイルルクゥを嫌っていた、という話もあります。
イルルクゥは怒りました。しかし残った唯一の家族であるテニニポを害する勇気はありませんでした。
イルルクゥは黄金の都より追い出され、王国の各地に居場所を求めます。
しかし嫉妬深く、癇癪持ちの悪神イルルクゥを助ける民もなく、イルルクゥは地上を放浪し、その果てに善神トルルカムが幽閉された地の底にたどり着きます。
そこでは女神トルルカムが惨めな姿で閉じ込められているはずでした。
ですが妹神に出会ったイルルクゥはびっくりしてしまいます。
なんと女神トルルカムの境遇を不憫に思った地獄の神ヤマがトルルカムのために牢獄の中に多くのものを差し入れていたのです。
金など比べ物にもならない。多くの美しい財物。
地の底にありながらも、地獄に属しない幻想郷アガルタの美味珍味。
そして裁判待ちであった、父神トウトウハナムの魂やトルルカムを信じて戦ったエルフや少数の人間の魂です。
勝利したイルルクゥの手元には何も残らず。
敗北したトルルカムには多くのものが与えられました。
以来、姉神イルルクゥは打ちのめされて、地の底の物陰から父神と語らうトルルカムの姿を惨めに、地を這う蟲のごとく覗き見ているそうだとか。
――ザムエル・ザーナザムル著。大陸神話集五巻『ウシュヌテイの特別な黄金』より
◇◆◇◆◇
砦の指揮官らしき人物の部屋で見つけた長櫃。その中に入っていた本とひび割れた黄金の角杯を俺は丁寧に袋に仕舞った。
本の内容はわからない。俺には読めない字で書かれていたからだ(そもそも字を俺は読めないが)。
強い神秘は感じないがかすかに古い神秘の匂いがした。
(龍の匂いに似ているな……)
生きた龍の匂いを至近で嗅いだことはないが、辺境で過ごしていれば空を龍が横切るなんてのにも遭遇することはある。
だからこの本もそうだ。龍の匂いは
龍が書いた本か、この本が龍の所持品だったかのどちらかだろうか。
(ふむ、兄龍ダニエルか弟龍マルガレータか、どちらかの龍の持ち物だったのかもしれないな)
それはそれとして考え事をしている暇ではない。
「早く移動しなければな……」
どうもこの領域、時間が巻き戻っているようなのだ。
先程外の
それは前回この領域に侵入したときと同じ場所、同じ相手、同じ武器の振るい方で、つまりこの世界は入るたびに時間を繰り返しているのだとすぐに理解できた。
(そういった現象自体は珍しいが、理屈としてないわけではない)
俺は部屋を一瞥して探し残したものがないことを確認してから走り出す。早くこの場の探索を終えなければまた世界が焼かれて消えるからだ。
(誰かの記憶を元に作った領域ならば、その先がないのも頷ける話だが……)
白の駒の持ち主たちが黒の駒の持ち主であるエリザの物語の、表の章の人物たちと違うのはその点だ。
黒の駒は記憶を元に形成された領域ではなかった。彼らは瘴気に汚染された善神大神殿を彷徨う
何を伝えたいのか。何をしたいのか。そういうものではない。ただの哀れな
――四騎士や素材収集人はそうではない。
奴らは加害者だ。このくだらぬ計画を実行した張本人どもだ。
奴らの領域が記憶に蘇る。
素材収集人がいた路地裏。
オーロラが守っていた地下牢獄。
暗殺騎士が貴族を殺した夜会会場。
そして、この砦も、それら全ては領域の主が生成した世界だ。
領域の主の主観で創造された偽りの世界。奴らが、俺に伝えたい感情そのものなのだ。
(いや……素材収集人だけは違うか……)
あれは、あの世界だけは異質だ。灰の神殿と同じものだ。
あれだけが、白とも黒とも違う、異質な領域だった。
「……そうか、あそこは、あそこだけは、領域の主が
頭の悪い素材収集人はマリーンによって大陸で殺されている。だから奴には領域を作れない。作れないはずだった。
そして見せられた記憶も異質な、本人の記憶や感情ではなかった。
あの不快な記憶。あれを俺に伝えたかったダンジョンの意図はなんだ?
「……
思考は続けているが、デーモンの気配に俺は立ち止まる。曲がり角の先だ。こっそりと角から先を見ればデーモンがいる。
三体。騎士、魔術師、神官のデーモンが武具を構えて周囲を警戒している。
息を吐く。集中し、オーラを練る。
「エリザか」
罪に苦しんだオーロラや、大陸貴族の醜さを俺に伝えた暗殺騎士。
それと同じでエリザもまた父王の愚行を俺に伝えようとしているのか?
「なるほど……最強の騎士が命をかけて守るだけはある」
立派な姫だ。さすが俺たち辺境人が愛する姫だ。
嬉しくなった俺は、袋から新月弓を取り出し構え、通路の先に飛び出すと一番厄介な神官のデーモンを射殺した。
深層のデーモンは強いが、俺の月の女神への信仰が上がったのと、暗殺騎士を殺したことで俺が強くなったせいか、この新月弓の威力も以前とは比較できないものになっている。
消滅していく神官のデーモン、騎士のデーモンがそれで俺に気づく。ハルバード片手に俺へと騎士のデーモンが駆け出し、背後の魔術師のデーモンが杖を構えるも俺は背後に向かって駆け出す。そこは当然角だ。
角を曲がる。その先にはさきほど俺が探索していた部屋がある。構わずそこに飛び込んで俺は扉を閉じた。
騎士のデーモンが扉の前を駆け出す音がする。通り過ぎ、聞こえなくなる。
(ふふ……)
扉に背を預け、扉越しの気配を探れば、ちょうど魔術師のデーモンが扉の前を騎士を追って駆けていく音が聞こえる。
俺は扉から飛び出すと俺に背中を見せているデーモンを背後から矢で一撃で射殺した。
「こんなものだな……」
一人となった騎士のデーモンを追い掛けて殺してもいいが。
それよりも時間がない。すぐにこの先を、この砦を探索しなければならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます