白扉【大鎧の騎士】憎悪の戦場

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 世界が燃えていた。地上も、空も区別なく炎が世界を染めていた。

「あつ……」

 砦かなにかだろうか、巨石を組み合わせて作られた、崩れた建物の中に俺はいた。

 少し高い位置に出現し、地面にそのまま落ちたせいだろう。全身の筋肉を微細に動かし、肉体の調子を確かめつつ、立ち上がる。

 そして俺は目を瞬いた。

「なんだ、ここは……」

 空間が若干色あせているようにも見える。だが灰の神殿のように明確に色がないわけではない。

 砦を燃やす炎に色はついており、それは熱く、燃えていて、現実のように見える。

 瘴気も十分以上に濃い、夜会の領域も十分に濃かったが、ここの瘴気は闘争と殺意で汚染された劇毒がごとき瘴気だ。

 だが、と俺はエリザの物語を思い出す。入った扉の紋章を思い出す。

「ここは大鎧の騎士、異界護りのクレシーヌの領域のはずだが……?」

 こんな物語じゃなかったはずだ。

 白の部におけるエリザの活動範囲は帝都の中だ。

 このような場所に彼女は行かなかった。燃える砦、まるで戦場のような場所になど……。

 クレシーヌとエリザの物語は、巨大な鉄の騎士たる彼と、エリザが城の庭園で出会う、騎士には強さだけでなく、誰かを守る優しさも重要という――至近で爆発音。魔術による爆発だろうか。熱波が俺のいる場所にまで流れてくる。

「ぼけっとしてられないな……」

 大盾とハルバードを袋から取り出す。ここは砦だがあちこちが崩れていて広い。ハルバードを振り回すのに十分な広さがある。

「探索を始めなければ……」

 一度地上に戻るにせよ、この領域を知らねばならない。

 俺はハルバードを片手にこの砦内の探索を始めようとし、崩れた壁から空を見た。

「なんだ……あれは」

 麦粒のような小さなものが群れのようになって、赤く燃える空を埋め尽くしていた。

「あれは……あの粒一つ一つが、デーモンか……?」

 呆然としていれば、ごう、と空を埋め尽くすデーモンに向かって無数の矢が飛んでいく。

「なんだ今のは……ここに他に戦士がいるのか?」

 それを放った者を見れば、地上付近に、見覚えのある女が巨大な弓を構えているのが見えた。

 顔はわからないが、あれは、月の聖女シズカ……か? なぜここに?

 隣には記憶で見たオーロラらしき騎士が立っている。月の女神の奇跡によってか、自身の複製のような幻影を無数に呼び出したオーロラが聖具である『冷たき月光』を構えた。

 無数のオーロラが空に向かって剣を振るう。百を超える飛ぶ斬撃がデーモンの群れを微塵に切り裂いていく。

 また砦の外、騎士とデーモンが大規模な闘争を繰り広げる大地を、商人の記憶で見た姿そのままの、四騎士である聖刃大公ザルカニウスが疾走していた。

 数多の聖剣魔剣を召喚し、地上を埋め尽くすデーモンどもを殺す姿はまさしく英雄たるに相応しい振る舞い。

(あれに勝つのか俺は……)

 ここで戦うのか? と考え、砦の外の光景がいつかの路地裏の領域で見た背景・・であることに気づいた。

 背景。ダンジョンが創り出す、領域の主の記憶で作られた幻だ。

 その証か、注視すれば騎士もデーモンも、それこそオーロラやシズカまでも顔は子供の落書きのようにぐちゃぐちゃだった。

「ならば、この砦が領域の――うぉッ」

 空から巨大な水の塊が降ってきて、俺が立っている場所の傍に着弾した。幸い俺に命中はしなかったが、代わりに砦を構成する岩壁が破壊され、辺りに瓦礫が散らばる。

「なん……だ?」

 領域を燃やす炎にせよ、降ってきた水にせよ、何かと戦っているようにも見えるが……。

 この砦、どうも長居するには難しい場所のようだ。

 駆けるようにその場から離れた俺はとにかく領域の主を探すことにした。


                ◇◆◇◆◇


 砦の中には騎士や魔術師、神官のデーモンがうようよといた。

「クソッ強いな!!」

 騎士のデーモンが振るうハルバードと俺のハルバードがかち合う。

 刃をひねるようにして相手のハルバードを取り上げるも、騎士の背後に控えていた魔術師のデーモンが光弾の魔術を俺に向かって放ってくる。

 くそッ!! 大盾で魔術を防ぐも、魔術に含まれる攻撃の概念が大盾を伝わって俺の腕を焼く。継続再生リジェネの奇跡たる『月光纏い』によって傷は癒やされるが、その間に砦を守る騎士のデーモンは長剣を手に持ち、攻めかかってくる。

「クソッ! 鬱陶しい!!」

 ヤマの火球を生み出し、奴らに向かって投げつける。牽制にもならないが、距離をとる必要があった。

 今回、砦を探索するに当たって俺は信仰強化の湖の指輪と、ヤマの火を封じた炎獄の指輪を身につけていた。

 鼠の指輪で気配を隠すにも、この砦は通路が狭く、またデーモンどもは固まっていて感知を逃れるのは難しく、それに加えて。

「またテメェらか!!」

 騎士のデーモンたちに襲いかかるデーモン・・・・たちがいる。

 巨大な四肢に毛むくじゃらの、獣のようなデーモンで、まさしく化け物デーモン然としたデーモンだ。

 それが俺と戦っていた騎士のデーモンたちに襲いかかっていた。

 そして俺との戦いを放棄し、デーモンと戦う騎士のデーモンたち。

「なんなんだこの場所は!!」

 悪態を吐きながらも俺は奴らから距離をとる。三つ巴の戦いなんぞやっている余裕はない。

 奇襲の形だったからだろう。デーモンに絡まれ、防戦一方になった騎士のデーモンたちが次々と倒されていく。

 乱入してきたデーモンを後ろから襲ってもよかったが……。

「くそッ、やってられるか……!!」

 デーモンと一緒になってデーモンを倒す気にもなれず、俺はその場を後にして先へと進むのだった。


                ◇◆◇◆◇


 陛下、陛下、我々は口惜しい。このような、このような……! 神々の気まぐれで我々がこのような目に!!

 世界は炎と水によって染められ、友の死体は無慈悲に破壊された!!

 嗚呼、口惜しい! 神よ! 我らを翻弄する神々よ! 

 我らが皇帝は絶対にお前たちを許さぬぞ!!


                ◇◆◇◆◇


「なんだ、これは……」

 砦内の小部屋にあった人間の騎士の死体から手に入れた記憶は、この土地で死んだ人間の記憶にしては奇妙だった。

 大神殿から溢れたデーモンに襲われ死んだ記憶ではなく、瘴気に飲まれて死んだわけでもなく、なぜかこの砦に纏わる記憶を持った死体。

 路地裏で見たエリザの記憶を持った浮浪者の記憶とも違う作為・・を感じた。

「この領域は何か俺に伝えたいのか?」

 エリザの物語を無視して領域を展開したデーモンはいる。

 堕ちた水神のデーモン、幽閉された王弟だ。だがあれのような無秩序さがここにはない。

 攻められる砦。デーモンと争う帝国の騎士。四騎士やシズカまで再現されている。

 ただ水に纏わるものを無秩序に展開しただけの王弟と違い、明確な歴史がこの領域にはあった。

「む……」

 立ち止まっていれば火球が空から降ってくる。砦に着弾したそれは砦の一部を破壊すると炎をあたりに撒き散らし、獣のデーモンも騎士のデーモンも問わず焼いていく。

「無差別……か」

 火球に水弾、この領域には何か・・がいる。それが大鎧の騎士、異界護りのクレシーヌか?

 わからない。四騎士がデーモンになったならば強力な変化を遂げるが、それにしたって攻撃的な変化すぎないか?

 領域全てに対して無差別に攻撃してくるデーモン? それがクレシーヌなのか?

 立ち止まって考えていれば何か奇妙な唸り声のような振動が砦全体に広がっていく。

「なん……だ?」

 思わず砕けた砦の天井に目をやる。上空。砦の中心に近い位置、俺が未だたどり着いていない場所の上空に何かが浮かび上がっているのが見た。

 巨大な水と、巨大な炎。それが絡みつき、嬌声をあげている。

 その真下には帝王の姿をしたデーモンらしきものが大剣を片手に、巨大な馬にまたがって、その炎と水を追い掛けていた。

 あれを殺すべき、なのか? だが、だが、俺は――。

「うぐ、げ、ぐおぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」


 ――場に満ちた瘴気に耐えられず、嘔吐・・していた。


 膝を折っていた。立てなくなっていた。オーキッド、リリー、聖女シズカに聖女エリノーラ、四重の聖衣を纏っていてなお耐えられぬ瘴気の圧力で地面にうずくまってしまう。

 王妃の比ではない。王弟の比ではない。

 なんだあれは、あの、あれは、あの炎と水は。

 俺が床で反吐をぶちまけている間にも、領域に光が満ちていく。空でが絡み合っていく。嘲笑っている。あれらは生きる者全てを嘲笑っている。

 皇帝のデーモンらしきものが炎と水に剣を突き立てるも、領域全てに存在するありとあらゆるものを圧殺するような瘴気が場に満ち――俺は、俺は――死んだ・・・


 ――死んだと・・・・思った・・・


 俺の前に何か・・が立っていた。

 巨大な騎士のように見えた。

 それが盾を構え、俺を守っているように見えた。

 奇妙だが、そのように見えた。

 最後に、記憶が流れ込んでくる。知識が流れ込んでくる。

 大量の死が転がっている記憶だった。

 砦を炎と水が埋め尽くし、騎士も兵も関係なく死んでいく光景だった。

 そのような記憶を、俺は誰か・・に見せられた。


 ――景色が変わる。


 俺の視界に入ってきた光景は、先の夜会の領域だった。

 暗殺騎士のデーモンと戦い、聖域を張った場所に俺は立っている。

「なん、なんなんだこれは……」

 頭を抱えるようにして狼狽えてしまう。

 さっきの領域に入ったのは夢でも幻でもない。

 身体は傷ついている。武具も消耗している。

 体内の魔力も相応に減っており、俺が大鎧の騎士の領域に入り込んだことは確かだった。

「どう、する?」

 俺は、誰に問うでもなく呟いた。

 次の領域も一筋縄ではいかなそうで、俺は苦難を予想するのだった。


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