209


 記憶に飲み込まれていく。

 暗殺騎士の記憶だ。

 倒したことで流れ込んでくる記憶。だが、これは、が多い。

 飲み込まれていく。

 俺は……――私は――……私たちは……――全てを見ていた。

 あの日、都市を飲み込む混沌を。

 騎士の、神官の、商人の、農民の、人々の必死の抵抗を。

 デーモンが溢れ、魔獣が現れる。

 悪神の信徒や眷属たちが殺戮を行う。

 そして、それら全てを生贄・・として、封印の解かれた空に浮かぶ破壊神を。


 ――そのあと・・・・を。


 私たち、名失いの暗殺騎士と呼ばれた我々は見ていた・・・・

 場面は移り変わっていく。様々な場面が流れていく。

 死があった。

 悲劇があった。

 怒りがあった。

 悲しみがあった。

 それは様々な視点から流れてくる実際にあった光景。集団にして個である暗殺騎士たちが見てきた記憶だ。

 無論、我々の中にも発狂して死ぬ者も出る。だが一人ひとりは騎士に劣ろうとも、四騎士とまで謳われた存在だ。本来の名を捨てたからこそ、四騎士の名が持つ呪的な強度が自我を保たせる。


 ――場面は変わる。


 神殿の地下へと移っていた。

 善神大神殿の地下に築かれたそれ。

 悪神を封じていた跡地・・だ。

 そこに巨人やドワーフが連れてこられていた。

 それは辺境人に気づかれぬように、時を掛け、サーカス団などに紛れ込ませ連れてこさせた者たちだ。

 場に満ちる、巨大な何かが去った気配に困惑する彼らに帝王は開口一番祭壇を作れと命じた。

 祭壇。それは破壊神をこの地に縛り付ける祭壇だ。

 今は善神大神殿によってこの地に練り上げられた結界によって逃げ出すことはない破壊神も、いずれは結界を破壊して辺境の地で大災厄となるだろう。

 その前に土地の神として祭り上げ、土地に縛り付ける。

 破壊神ともなればその縛りも破壊するだろうが、少しでも時間が稼げればそれでよかった。

 そのうえで、と捕らえたエリザを見下ろした帝王はエリザに向かって酷薄に笑った。

「エリザよ、お前の肉体に破壊神を降ろす」

 絶句する姫。

 その口には布が押し込められている。身体は縄で縛られている。言葉を吐くことはできない。それでも抵抗するように暴れるエリザに帝王は言葉を投げる。

 なぜ言葉を投げかけるのか。酷使されるドワーフや巨人たちが祭壇を作る間の手慰みか。

 そうではない。

 そうではないことを暗殺騎士わたしは知っている。

 最愛の騎士を喪失した姫の心の穴を、帝王は丹念に言葉をかけ、広げているのだ。

「娘よ。エリザよ。お前は逃げた。わかっている。余の企みを誰ぞから聞かされたのだろう」

 姫の口から布が吐き出された。姫は毅然とした目で自分を見下ろす帝王を睨んでいた。

 心が強い。

 四騎士に大賢者、世界守護聖人に帝王、母たる王妃もこの場にはいた。

 大陸の絶対強者たち。絶対に逃げられない状況だった。それでも姫は折れていない。


 ――なるほど、と我々は思う。この強さこそ、彼女が兄たちを差し置いて依代にされるに至った理由なのだと。


「狂王! 狂王め!! お前はもう親ではない! お前の企みによってどれだけの民が犠牲になったと思っている!! 愚王! 愚王! 愚王! お前の邪悪な企みは必ず潰える! 天の下に悪しきが栄えることなどけしてない! この行いを知れば歴史書は語るだろう! お前こそは大陸一の、歴史上最低最悪の愚王だと!!」

 この期に及んで、と帝王は眉一つ揺らがせずに姫の言葉を嘲笑う。

「エリザ。我が娘よ。これが狂人の愚行だと思っているな? 絶対に成功しないのだと。ふふ、大丈夫だ・・・・安心しなさい・・・・・・。余は如何なることも用意周到にやってきた。きちんとお前の兄たちで試したよ。お前もそれを王城の地下で見ただろう? マリーン、記憶操作・・・・を解け」

 帝王の言葉に大賢者が無言で杖を振るった。

 エリザの目が見開かれる。口がだらしなく開閉した。

 一体どれほどの時間が経ったのか。嘘、とだけエリザは言った。

「う、嘘。嘘よ。嘘よこんなの。だ、だって、だってこんな……――」

「だってこんな?」

「こんなひどいこと・・・・・。だって、お、お父様でしょ貴方、貴方、私の親でしょ!?」

だからだ・・・・

 娘の絶望に、帝王は酷く真面目な顔で答えた。

「余の娘だからだ。お前が余と妻の血を濃く引いているからだ。だから素体にぴったり・・・・だった。だから丹念に、丁寧に教育できた。名分を持ってこの善神大神殿に送り込み、最強の騎士を護衛につけることもできた。エリザよ、それは余が貴様の親だからできたことだ」

 他の誰にも貴様の代役はできなかった、と帝王は続ける。

「み、みんなも、こ、こんな、だ、だって納得してるの!?」

 話にならない、と姫が帝王以外に言葉を投げる。

 祭壇を作る作業を見ていた世界守護聖人アルホホースは淡く微笑んだ。

 大賢者マリーンは目を閉じ、魔法で作業を進めていく。

 蟷螂ザルカニウスは嗤い、白犀クレシーヌは物を語らず、オーロラは気まずそうに顔を背け、我々はただ見ていた。

 王妃は信じるように帝王に祈りを捧げる。

 そして帝王は言う。

「エリザ、我が娘よ。護衛騎士アルファズルを殺したことでお前の胸にはぽっかりと巨大な空洞が空いた。あの優秀な、帝国最強の騎士を失ったことは余も辛かった。あれを見出し、幾千の戦場で鍛え上げたのは余だ。いずれきたる神々との闘争でどれだけの戦果を上げるだろうと余はあの騎士に期待していた。そうだ。余も騎士を失ったのだ。ああ、お前と同様、余の心も張り裂けそうに辛い」

「お、お前が! お前があの人を語るな!! あの人は、あの人は私を守るために!! 私の!!」

「そう、お前が愛した騎士だ。あれの死がお前の心に穴を開けた。誰にも埋められない巨大な穴を開けた。おてんば姫と甘やかされながらも強く育ち、民を慈しみ、深く想う気高いお前の心に穴を開けた」

「そ、それが! それがなんだって――「その穴に、今から降臨した破壊神を押し込む」

 は、とエリザの口が開かれた。帝王は口角を釣り上げた。全ての望みが満願成就すると信じて疑わない満面の笑みだった。

「く、狂っている! に、人間の身体に、か、神を押し込む? そんな戯言を、心の底から信じているなら……! お前に従う騎士や賢者も愚か者だわ!! 聞いたときは馬鹿か阿呆の所業だと思ったけれど、ここまで狂っているなら!!」

 エリザの叫びを遮るように帝王は「お前は」と言った。笑みは消えていた。厳格な、帝国の皇帝そのものの顔だった。

「お前は人間ではない・・・・・・。エリザベート・チルディ・チルド9、お前は神の血を引く余の娘。大陸統一を果たしたゼウレそのものである余の娘ぞ。主神の娘、それはまさしく月神アルトロ星神クエスと同格の神。なぁ、エリザ、エリザよ。余の愛しき娘エリザよ」

「あ、あ、あああぁぁぁぁぁぁぁ」

 嘆きは心の穴を広げていく。

 絶望は心の穴を広げていく。

「お前の愛しき民を、お前の手で殺したくはないだろう? 大丈夫だ。安心しなさい。マリーンとアルホホースが助勢する。ゆえに、破壊神を一心に制御するのだぞ?」


 ――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!


 そして記憶は終わる。

 誰も彼もが救われない。

 そんな記憶だった。


                ◇◆◇◆◇


 気分の悪さは過去一番だったかもしれない。

 姫の嘆きが今も耳に残っている。

 だが心は変わらない。

 姫の嘆きが今も目に残っている。

 だが心は変わらない。

 俺が変わったのではない。取り込んだ暗殺騎士たちは欠片たりとも姫に同情していなかったからだ。

 だから記憶を見たのに、どこか遠い・・と思わされる。

「くそッ、馬鹿どもめ」

 暗殺騎士にあったのは帝王への心酔。そして期待。それだけだ。

 俺とは全く精神性が違う存在。オーロラの時と違い、俺の魂が取り込める奴らの経験はほとんどないだろう。


 ――無理やり引き出すなら別だろうが……。


 庭師とのやり取りで他者の魂を従わせる方法は理解できた。気合だ。魂の強さで制圧するのだ。

(俺よ、強くあれ、だ……)

 見せられた暗殺騎士の記憶から感じた気分の悪さを、心に力を込めて屈服させる。

「そうだ。聖域を、作らなければ……」

 領域の主を倒したために、この部屋からは一時的に瘴気が喪失している。だから――気づく・・・

「なんだこれは?」

 この領域の主である暗殺騎士のデーモンを殺したせいか、それとも瘴気が消えたせいなのか。

 豪華だった貴族の部屋は見る影もなく、ボロボロに風化した廃墟になっていた。

 人肉の料理も消え、朽ちた骨が散らばっている。

 崩れた壁から星明かりと風も入ってくる。

 寒さは健在だが、どこか酔っ払ったような、浮かれた気配もない。

「そういえば……」

 吊るされているデーモンどもは、と周囲を見れば彼らは何も落とさず存在を消滅させていた。

 瘴気の消失に巻き込まれたのだろうか? 不思議に思うも考えるのは後だ。

「気になるが、先に聖域の設置だ」

 時間が経てばここも瘴気に満たされ聖域の設置が難しくなるだろう。

 次の探索のためにも聖域は必要だ。

 聖印を設置し、スクロールを唱え、月神に祈る。聖なる力が部屋に満ちていく。

(これで大丈夫だろう)

 さて、探索をと周囲を改めて探る。

 入ってきた扉は崩れていた。

 部屋の外を見ればあれだけ豪奢だった館内が荒廃しているのが見えた。

 崩れた壁から遠くまで見通せる。途中で呑気に歩いているデーモンが見える。

(さすがに姿かたちは変わっていないが……なんというかあれは)

 滅んだ館の中を騎士と貴族のデーモンたちが歩き回るのは滑稽と言えば滑稽で、寂しいといえば寂しくも見える。

 当然、デーモンたちへの殺意は変わらないが。

(さっさとボスのドロップ品を拾うか)

 暗殺騎士の本体があった場所に向かった。落ちているのは駒とソーマに、これは短刀か?

 さんざん投げられ、刺されたからわかった。暗殺騎士たちが使っていたものだ。

 もっとも糸はついていない。

 あの糸は俺では上手く使えないだろうし、補修もできない。髪は呪的に優れた触媒だが、優れているがゆえに奪われたり利用されれば髪の持ち主を危険に晒すことにもなる。

 聖衣に使うならともかく、興味本位で手を出せるものではない。

 それで他は、と俺は周囲を見渡した。大貴族のデーモンがいた場所には蝋材がそれぞれ一つずつ金貨と一緒に落ちていたので拾って袋に入れる。

 公爵のデーモンがいた場所にはなにもない。あのデーモンは敵ではなく演出・・として存在したということだろうか?

 他には、と部屋の中を探るも長櫃などはなく、ただ部屋の隅に、人間一人が通れる程度に、綺麗・・な扉だけが崩壊した壁に埋まっていた。

「次は、これを通れということか」

 背後に回ることもできるが、扉の後ろにはなにもない。

 恐らくはここへ至る扉のあった灰の神殿と同じものだ。ここと地続きでない領域へと繋がっている扉がこれだ。

 先に進める。

 だが、と俺は自らの装備を見下ろした。

 武具も鎧も修復の奇跡で修復したがきちんとドワーフ鍛冶に見せる必要があるだろう。

 肉体的にもそこまでの不調はない。途中で飲んだアムリタが効いていた。

(進むにしても水溶エーテルを補給したい。それに、手に入れた道具も一度猫に見せておきたい)

 ただ、と俺は扉を見る。

 この先を見ておくべきだと思った。

 どのような領域か先に知れる機会だ。

 一度戻るにしてもこの先を確認して、そのうえで道具が必要なら地上で揃えてきた方がいい。

「なるほど。俺は時間を惜しんでいるようだな」

 悪い傾向だった。

 いつもの俺ならばここで休息をとって、装備の点検をしていたはずだ。食事を取り、体力を回復させていた。

 修復の奇跡を施したとしても、武具に油を塗ったり、布で汚れを落とすのは戦士にとって重要なことだ。

 それをオーキッドたちとの時間が|ズレ(・・)ることを恐れ、怠っている。

 武具の世話を怠れば、肝心なときに仕事をしなくなる。

(俺は弱くなったか?)

 俺は床に座り、袋から武具の整備の道具を取り出す。

 けして武具を粗末にするなかれ、だ。

 危急のときだからこそ土台となる部分をおろそかにしてはならない。

 そうして俺は武具を一通り確認し、月神に祈りを捧げながら干し肉とパンとワインを口にする。パンにはもちろんチコメッコの油脂をのせ、肉体を快復させることを忘れない。

 準備を終える。

 そして激戦を覚悟しながら扉のノブに手をかけ、足を踏み出し――


「な……――!?」


 ――俺の肉体は兵が集い、騎士が剣を振るう、神と神の争う戦場へと飛び込んでいた。


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