208


 大貴族の部屋。宝石頭の貴族のデーモンたちの灯火だけが光源だ。

 部屋の主は殺され、椅子の上には短刀が残るのみ。

 並んだ本棚に収められた金縁の本。砕けたテーブル。散らばった料理として使われた人体。

 絨毯を汚す赤い血はグラスに入っていたもの。

 周囲には暗殺騎士のデーモンが殺しても殺しても現れる。

 ここはまるで終わりのない戦場のようで、だが俺はデーモンを殺す辺境人だ。

 だから俺は、デーモンを殺すためにかつて倒した庭師の兄弟の記憶を、自らの魂から引き出した。

「おぉ……ぐぉぉ……こ、これは……」


 ――まずい。


 意識が混ざっていく。俺の意識が消えていく。ただ呼びかけただけで、俺の意識が溶けていく。

「おぉ、お、俺は、俺は・・……――」

 相性が良いわけでもなんでもない庭師の兄弟の知識を引き出すのは俺の魂にこれだけの負荷を与えるのか。

 立ち止まり、背を丸めるように呻く俺は明らかな隙を晒していた。そんな俺に向かってナイフが飛んでくる。


 ――まずッ、こ、殺されッ。


「おおおおぉッッ!!」

 気合で意識を立て直した。反射でいい。脅威には肉体の反応のみで対処せよ。

 飛んでくるナイフ。恐ろしいのはその尻から伸びた糸であってナイフ本体ではない。ナイフに向けて手刀を振るう。俺の手刀を躱すべく糸が手繰られるも、それを予測しての手刀だ。軌道が変化したナイフの刃を素早く掴み取り、ナイフの刃ごと握りしめて引っ張れば俺にナイフを投げた暗殺騎士の体勢が崩れた。

 そこにナイフを投げ返す。命中ヒット。暗殺騎士は消滅する。

庭師・・!! 状況を・・・教えろ・・・!!」

 呼びかけるということは明確に自らと他者を分ける・・・ということだ。

 俺は、キース。神殿騎士キース・セントラル。

 そして奴らは庭師だ。善神大神殿に仕えた庭師の兄弟。庭師ナールーン、庭師ムームーン。

 明確に境界を与えたことで混ざりかけた意識がはっきりとする。

 だが圧力は弱まっていない。

 弟龍やオーロラよりも弱いが、彼らは俺と相性がよく、それゆえに俺も自我を保っていられた。

 だが、二人の魂は俺の魂に容赦なく圧力を与えてくる。

 理解する。記憶を引き出す際にどれだけあの幽閉塔の姫が俺に気を使ってくれていたのかが。

 この兄弟、遠慮もせずに俺を飲み込もうとしてくるぞ。


 ――貴公も辺境の男であろう。

 ――戦士ならば我らごときに飲み込まれるな。


「戦いの最中だぞ!!」

 叫び、茨剣を振るう。足を、足を止めるな。少しでもいい歩け!! いや、歩くな! 走れ!!

 まるで夢の中で足を動かすような気分だった。泥濘のように瘴気が重い。身体が重い。そして魂の圧力は増していく。だが庭師の兄弟は構わず力を増していく。

「いいからッ! 俺に協力しろ!!」

 傍まで近づいてきていた暗殺騎士に向かって――呼吸。

 踏み込みはいっそ地に沈むかと思われるほどに強く、重く。

 構えた拳はクロスボウの矢がごとくに直線に射出された。暗殺騎士の頭が消し飛ぶ。息を吐く。っじゃない!!

「くそ、反射で、無駄に強力な技を」

 立ち止まったせいで暗殺騎士が殺到してくる。窮地に追い込まれる。

 あんな奴もっと手軽に殺せたはずだ。だが今の一瞬、俺が全力を放ったことで魂の圧力は消し飛んでいた。

 協力してくれという弱気な姿勢が俺に圧力を感じさせていた。

 そうだ。そうだ。庭師の二人を俺の魂で制圧しろ。俺の方が強いことを示せ。


 ――然り。

 ――我らは貴公に負けたのだ。


 俺があれこれと忙しくしようとも周囲の状況は止まらない。

 殺到してくる暗殺騎士どもに向けて茨剣を大きく振るう。鞭がごとくに伸びた刃が暗殺騎士どもを打ち据えていく。

「おい! これはッ! なんだッ! どれを殺せばいい!!」

 対処を聞く。貴様ら呪術の専門家だろう! 敵の正体を教えろ!!

 叫びながら茨剣をくぐり抜けてきた暗殺騎士を盾で大きく殴りつけた。息を吐く。吸う。

 俺は周囲に視線を這わせる。

 殺せば殺すだけ奴らは湧いて出る。龍眼で見ている視界がちらついた。気づけば龍眼を維持するのも難しいぐらいに体内魔力が減っていた。強い水溶エーテルを袋から取り出すと、一息に飲み干す。

 残る水溶エーテルは一本。

 それでも庭師の兄弟は焦る様子も見せずに伝えてくる。


 ――戦士ならば視野を広く持つのだ。

 ――貴公はすでに敵の本体を見ているぞ。


 どういう意味だ。問いかけを終える前に庭師の兄弟は俺の魂の中に沈んでいく。

 時間切れだった。如何に御しようとも、死の領域に近づこうとも、生者が死者と対話し続けることはできない。

 だが、すでに本体がいる? 俺が見ている? どういう意味だ? どういうことだ。

 暗殺騎士は変わらず湧いている。殺す。殺していく。この中に本体はいない、ということか?

(もう少し、がんばってくれ)

 長時間の戦闘で剣も盾もへたれ始めていた。触媒を取り出し、月神に祈って修復の奇跡を願う。

 考えるのはいい。だが立ち止まってはいけない。

 走る。走りながら周囲を確認する。ここに本体がいるのか?

 この場には何がある。

 この場では何が起きた?

 エリザの物語はどうだった?

 ここは貴族の私室だ。それなりに広い。

 本のつめられた本棚。吊り下げられたデーモン。灯火の魔術はこの場を照らしている。

 ぶちまけられた調度品。それは俺とデーモンの戦いの結果だ。

 不自然なものはなにもない。

 そもそもこれらの道具は殺された公爵のデーモンのためのものだ。

 だから、見るべきは異物だ。

 暗殺騎士のデーモンはこの領域の主だが、与えられた役割は、この館における侵入者だ。

 だから暗殺騎士の本体を俺が見たと言うならば、それは必ずこの部屋に相応しくないもののはずだ。

 走りながら、迫ってくるデーモンどもを殺しながら周囲を見る。時系列を思い出す。

 短剣で殺された公爵。それはここでも再現された。

 公爵のデーモンが座っていた椅子にはデーモンの姿はないが、デーモンを刺した短剣が残滓のように残っている。

(エリザの物語はどうだった?)

 エリザは物語で暗殺者の姿をきちんと見なかった。だからエリザが見たのは暗殺された公爵の死体だ。

 エリザが見なかったからあいつらは薄くて見えないのか?

(わ、わからんぞ。くそ。どういうことだ。本体は、どこで、本体は、なんだ?)

 走る。殺す。走る。殺す。部屋の中を俺は走り回る。全部見たぞ。見ていない箇所などない。このそれなりに広い部屋を俺はすべて見た。

 茨剣を振るい、盾を振るい、手足を振るって俺は暗殺騎士に抵抗する。

 集中力も限界だった。

 わからない。考えてもわからない。考えることが間違いなのか。暗殺騎士の中に本体が混ざっているのか。

 庭師の兄弟は嘘を言ったのか。違う。そうではない。信じろ。俺が見えていないのだ。

 探せ探せ探せ。俺はすでに見たのだ。俺が見落としているだけで見ているはずなのだ。


 ――この部屋の異物。


 ナイフを弾く。糸が腕に絡みつく。素早く盾を持つ手に剣を渡すと剣を振るい右腕に絡みついた糸を断ち切るも、鎧に傷がつく。

 そもそも、と思った。

 この領域は欺瞞で構成されていた。俺は騙され続けてきた。

 だからおかしい・・・・のだ。

(なんで暗殺騎士こいつらは)


 ――きちんと人の形なんだ?


 目の前まで迫ってきた暗殺騎士。その身体を龍眼で見ながら思う。

 オーロラでさえも肉体を保てなかったのに、なんでこんな、名前も残らなかった暗殺者が人の形を保っているんだ?

 幻影だからとか、そういうことじゃなくて、なんで腕が二本に足が二本で胴体がついていて頭まで丁寧に存在している。

 道中に出てきた宝石頭みたいに、それなりに異形でなくば、いや、人の形をしているなら、頭の部分は子供の落書きのような模様がなくては――


「あ」


 そういう、そういうことなのか?

 本体はあれ・・か? あれ・・でいいのか?

 俺は、疲労で動きの鈍ってきている俺を包囲するように数を増した暗殺騎士どもに向けて茨剣を振るう。

 まるで雑兵に囲まれる敗戦の将のような有様。だが、希望が見えたなら力も湧いてくる。

「散れッ! 寄るなッ! 死ね!!」

 どけッ、どけどけどけ! 叫び、剣を振るうも俺の体力は尽きそうだった。

「クソッ!!」

 茨剣を振るうも敵を殺しきれていない。すぐさまアムリタを袋から取り出し飲み干す。あと少し、あと少しなのだ。

 失われた体力が戻ってくる。全力で剣を振るえば暗殺者のデーモンどもは薄紙のように消滅した。

 今だ。今なのだ。

「おおおおおおおおぉおおおおおッ!!」

 包囲を突破する。駆け出す。一直線だ。

 視線の先は、公爵が座っていた椅子。


 ――その上には、短剣・・が転がっている。


 確信を持って龍眼で見ればわかる。

 あれだ。あれがデーモンの本体・・・・・・・だ。

(てめぇ、見つかったからと瘴気を発し始めたなッ!!)

 瞬時に暗殺騎士の圧力が増す。出現する数が増える。四方八方からナイフが飛んでくる。その尻には糸が当然つながっている。

 なるほど、と思った。

 奴らも本体は見つかることが前提で、必殺を用意していたのだ。

 俺が飛び込んだ公爵の椅子の前には必殺の空間ができていた。暗殺騎士どもは俺が走る経路を予想して、そこに投げナイフの射線が重なるように出現していた。

 全力で俺は椅子に向かって駆けていた。今更止まれるはずもない。織り込まれていた。そして距離が足りない。そういうように奴らが誘導していた。

 俺にあと一秒か二秒あれば、椅子までたどり着けただろうに。


 ――死ぬのか、俺は。


 糸は脅威で、鎧をも切断するあの暗器はどうあっても防げるものではない。

 最初から本体に近づいた者は誰であれ始末される運命だった。

 だから、俺は奴の本体を殺すことができず、バラバラにされるのか。


 ――そんなことはないぞ、キース。


 茨剣が、俺の握るリリーの残した剣が任せろというように力を増した。

 私を頼れと言っているかのようにどくりと脈打った。

 だから俺は、信じた。戸惑いなく全力を出した。

「おおおぉおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 投げナイフが収束する地点に自ら踏み込んだ。剣を鞭のようにしならせる。

 距離が足りない? 阿呆め。この剣は、刃が伸びるのだ。

 だから、全力の全力。限界までオーラを注ぎ込み、そのうえで、届けとばかりに腕を伸ばした。

 同時に俺の身体に糸が絡みつく。

 暗殺騎士どもが引き絞れば俺の身体は俺がぶちまけた人肉料理のように地面にぶちまけられるだろう。

 それでも俺は恐怖しなかった。

 そうだ。剣はまるで意思を持ったかのように剣先を自ら伸ばし――


「……俺の、勝ちだ」


 ――デーモンの本体を、椅子の上に置かれた短剣を貫いていた。


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