207


 戦闘は激化していた。

 透明な暗殺騎士のデーモンを俺が殺した数。37から先は数えなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……勘弁してくれよ」

 残りはいくつだ? 50か? 100か? 1000を越えるか? まるで石の下の蟲のように湧いてくる暗殺騎士たちの姿に俺は龍眼の発動を止めたくなってくる。

 手近な暗殺騎士へと走り出す。疲れようが嫌になろうが立ち止まるわけにはいかなかった。

 一度でも立ち止まれば暗殺騎士は殺到してくる。短剣の毒は俺に効かないが刺されば痛いし、あの奇妙な糸による切断は二度も喰らうわけにはいかない。

 鎧を薄紙がごとくに切断する糸は怖い。種がわかっているから俺は回避に集中するが、それをさせないのも暗殺騎士たちだ。

 激戦に体内の魔力が減っているのがわかる。水溶エーテルを袋から取り出した。瓶の口を噛み砕いてそのまま飲み干す。

 龍眼は発動したままに手近な暗殺騎士を茨剣で突き刺し、駆ける。

「はッ……心落ち着ける暇もないなッ!!」

 突き刺す動作のために俺が一瞬だけ動きを止めたからだろう。投げナイフを投げられた。駆けることで投げナイフの射線から外れることができたが、俺の背後で投げナイフがテーブルに突き刺さる。

 ナイフの尻には糸がついている。茨剣を一閃し、断ち切る。

 オーロラの技量を継承していなければおそらくこの糸を断ち切ることはできなかっただろう。

(こいつは女の髪を油に浸したもの、か?)

 縒り合わせた女の髪に特殊な処理を施すと鉄糸もかくやというほどに強くなる。それを利用する集団は多い。

 俺の聖衣、星牛のマントにもオーキッドの髪が使われている。

 呪術的な条件を満たすから術式の触媒にも使えるし、髪というのは存外使いみちが多い。

ッ!!」

 さて、駆けながら鉄靴で小型の暗殺騎士を轢き殺し、茨剣を鞭のように振るい2、3体の暗殺騎士を纏めて殺す。盾を振るって殴り殺し、駆ける駆ける駆ける。

(埒が明かんな)

 俺では敵の正体が掴めない。死んだリリーか、エルフの魔術師エリエリーズか、それとも半吸血鬼のヴァンか。とにかく俺以外の連中、術式に詳しい奴がいればこいつらの使っている術式の正体はわかったはずだ。

 今回に限ってエリザの物語が当てにならないのも痛かった。エリザの物語では暗殺騎士が増えるなどということは示されなかった。あれは夜会の主たる公爵が殺され、その場にエリザもいた、という話だ。そしてエリザは公爵を父親が暗殺したということを知って――ああ、とにかく、暗殺騎士の存在を知り、帝国のあり方に疑念を持つのだエリザは。あの姫は。

 邪魔なテーブルを蹴り飛ばす。椅子を粉砕し、俺を狙っていた暗殺騎士を殺す。殺す。殺していく。

(小型の暗殺騎士と投げナイフを投げてくる奴が鬱陶しいな)

 俺の感知をくぐり抜けてくる小さな暗殺騎士は、技量も確かだがそれ以上に生の気配が薄い。いつのまにか傍にいる。そういう特性のデーモンなのかもしれないが心臓に悪い。

 投げナイフの暗殺騎士は投擲の早さと正確性もそうだが、投げナイフが厄介だ。一度受けてしまったからわかるが、糸が鎧の硬さを無視してくるというのが恐ろしい。

 腕や足を落とせばさらなる追撃で身体をバラバラにされかねない。そうなれば死だ。

 走る俺をナイフ片手に追ってくる暗殺騎士たちに向け、茨剣を鞭のように一閃、返す刀で一閃。

 瘴気と共に奴らの姿は消える。

(さて、これだけやってまともにやっては無駄だとわかった。ならばこの敵に見当をつけなければならんのだが……)

 ううむ、と駆けながら思考する。この暗殺騎士のデーモンの仕組みだ。

(とりあえず四種類ぐらいか?)

 まずこれが奇跡の類であるかどうかだ。

 実体のある幻影を作り出す奇跡は存在する。月神や欺瞞神、森神の信徒も使える割とメジャーな術式だ。

 ただこれだけの規模となるとやはりオーロラの領域のような神を模した仕掛けが必要だ。これほどの深層ともなれば神の奇跡も遠くなり必要な信仰も多くなるが、あのオーロラの湖で見たあの偽神、あそこまで神との距離が近ければ・・・・このような大規模な術式の展開も楽に行える。

(だが、そもそも偽の神は用意すること自体が難しい)

 あれらを創るというのは、禁じられた術式の中でも最も忌まわしいものを使うことになる。

 それは仄暗い場所に棲む見てはならぬものとの秘密の取引だとか、清浄なるものを貶め尽くした結果だとか、忌まわしいものを集めて創り出すだとかそういうものだ。

 関わってはならぬもの。悪神を創るというのはそういうことだ。

(とはいえ……やはり判断はつかないな)

 このそれなりの大きさの広間にその神がいるのかはわからない。ひと目で見てわかる類ではないだけかもしれない。隠形に特化した神であれば、いるという痕跡自体を消すことも可能だ。

 考えすぎだろうか? だがオーロラの領域にあったのだ。ここにはないなんて言い切れない。

(ただ、わかれば術式を維持しているだろう暗殺騎士本体を仕留めるという話になる。戦闘の組み立てを変える必要が出るだろう)

 今のような雑に手近な暗殺騎士のデーモンから処理していくという方法ではなく、本体を見極める手段が必要になる。

 ナイフが飛んでくる。いらついたので富ませる者の鍬チコメッコを2、3本ほど投げ返してやった。


 ――富ませる者の鍬チコメッコが投げナイフを放っていたデーモンの一体に突き刺さり、敵はそのまま消滅する。


 走りながら口角を釣り上げる。ふッ、なんでもやってみるものだ。

 さて、次の可能性だ。

 これが現象である可能性。道具の類、領域の仕掛けそのものである可能性だ。

 なんらかの形で存在する仕掛けを破壊するまでこの実体ある幻影が尽きない可能性。

(ふむ、奇跡よりもずっと現実的だ)

 先程は暗殺騎士が奇跡を扱う可能性を考えたが暗殺騎士の逸話に奇跡を使ったという話はない。いや、そもそも何を使った・・・・・なんて伝承が残る時点でそいつは暗殺者として三流だ。

 俺の対峙するこいつら暗殺騎士は一流であるがゆえに名前も正体も伝わっていない。

 だから俺は悩んでいる。オーロラのように名前も攻撃手段も伝わっていればもっと楽に戦えただろう。

(もっともオーロラ戦は全然楽ではなかったが)

 とはいえ、仕掛けならば気も楽になる。この暗殺騎士どもの攻撃を掻い潜って仕掛けの破壊を成功させればいいだけだからだ。

 ただこれが仕掛けなのか、仕掛けだとしてどういった仕組みなのかは全くわからない。

(やはり見極める知識が必要だ)


 ――三体の暗殺騎士が正面から突っ込んでくる。


 茨剣を刺突剣のように扱い、連続で突き出し、二体を殺害。盾で殴りつけて一体を殺害。同時に背後に向けて脚を振り上げた。俺の背中をナイフで突き刺そうとした、気配すらわからない暗殺騎士を蹴り殺した感触。

「わからずとも貴様らが正面からかかってくる時点で何かあると言っているようなものだ」

 敵の選択肢には左右からの攻撃という可能性もあったがそれはない。

 お前らは先程から俺の脇へ攻撃を集中していた。俺の意識をそう偏らせるためだったんだろうが、逆にその時点で怪しいというものだ。

「ッ、またか」

 気づけば俺に向けて投げられた投げナイフの糸がピン、と張っていた。

 投げナイフ自体は楽に避けられてもこの糸を張るという行為が鬱陶しい。

 糸を断ち切る。

(騎士殺しも手慣れたものというわけか)

 戦闘を流れとして組み立て、こいつらは俺を追い詰めようとしている。糸を処理しなければ追い込まれてそのまま殺される流れだろう。

 小賢しい。小賢しいが以前の俺ならば、おそらく秒の時も掛からず殺されていた。

(時間がないな)

 水溶エーテルの残りは強い水溶エーテルを含めれば三本だ。全てを使い切った時点で俺の生命も終わると見て良い。

 龍眼の維持ができなくなれば今のように戦えなくなる。

(残り三本だが、一本飲んでおくか……)

 魔力の残量が乏しくなっていた。思考に時間を使いすぎている。

 水溶エーテルを取り出し飲み干す。飲んでいる間に近寄ってきていた暗殺騎士を殺す。

(さて、次だ。これが呪術であるという可能性)

 魔術の可能性はない。魔術で作った幻影ならばエーテルの煌めきが龍眼に濃く映るはずだ。

 だからこれは、自身を極限まで分割する呪術だと当たりをつけてみる。

 実体を持たない吸血鬼あたりが得意とする呪術で、理屈の上では瘴気の塊であるデーモンにもできるはずの呪術である。

 できるが、デーモンはやりたがらない。この手の呪術は本体が持つ悪意や敵意も増えれば増えただけそれぞれに分散するから、高慢な吸血鬼ぐらいしか自我を維持できないのだ。

(これも吸血鬼殺しのヴァンなら容易に見極められただろうな)

 ただ、それならばこれだけ敵が薄いことも弱いことも、そして尽きないことにも理屈はつく。

 本体の見分け方も簡単だろう。

 この類の術式は維持している術者の気配が最も濃くなる。自我を維持できる最低限の瘴気は残さないといけないのだ。だからどうしたって気配は濃く・・なる。俺はそれを見つけて殺せばいい。


 ――考え方が寄っているな。


「本体。本体か」

 本当に本体・・なんか存在するのか? 手近な暗殺騎士を殺しながら駆け続ける。

 俺が考えた敵の仕組みは四つ。

 奇跡、仕掛け、呪術……では最後の可能性は?


 ――この敵・・・全てが・・・本体である・・・・・可能性・・・


 敵が薄いのも、敵が弱いのもそういうデーモンだから。

 尽きないのはこれだけ薄いから生成が楽だから。

 そういう理由な場合だ。

 その場合、この場の瘴気が尽きるまで戦い続ける必要がある。

 嫌だな。その場合は、戦い方を根本から変える必要がある。

 助力も必要だ。たとえば地上から俺に協力的な斥力の聖女カウスなりなんなりを連れてくる必要がある。

 あの聖女は伝承ならば大規模戦闘に秀でている。

 大量殲滅が可能な術式を持っているのだ。力を借りられれば楽になる。


 ――とはいえ、出来得る限り独力で殺したい。


 ここで立ち止まるわけにはいかないからだ。神を殺すのだ。そのときに俺では殺せないからと誰かの手を借りるのか?

 そんなことは許されない。

 俺の、戦士の矜持が許さない。

 走り、殺し、息を吐く。

「ふぅ、さて、こいつらは結局なんだ?」

 壁に打ち付けられた貴族のデーモンたちが発する灯火はいまだ部屋に降り注いでいた。

 俺とデーモンの戦闘で周囲のテーブルは破壊尽くされている。

 料理として使われた人の死体が散らばり、ワインは溢れ、骨が散乱している。

 敵は減らない。俺の体力は減っている。

 敵を見極めなければならない。

 だが、可能性を並べてみたが、やはり俺には判別がつかなかった。

 デーモンを殺し続けることで均衡状態にできた。それで思考の余裕を作ったが、やはり俺側には不利がある。

 敵の正体を早々に確定させなければ決戦に持ち込む前に体力も魔力も尽きるだろう。

 水溶エーテルの残量が頭を過ぎった。残りは二本だ。

(ッ、仕方ねぇな。やりたくなかったが)

 そうとも言っていられないのが現状ならば、選ぶ必要があった。


 ――さて、にするか。


 自分にできないなら他人に頼る必要があった。

 ただし、他の連中はダメだ。ヴァンにもエリエリーズにも頼れない。奴らを探して連れてくるなどそんな時間はない。


 ――だから頼るならば……。


(ちッ、優しくしてくれよな)

 適性のない魂から記憶を引き出すのは双方が混ざり合う危険がある。近くなる。曖昧になる。極力やりたくないことでもある。

 だから知恵を絞った。絞ったがダメだった。

 この場の解決には専門家から正確な知識を得る必要があった。

 移動しながら、暗殺騎士を殺しながら、俺は深く、深く息を吸う。


 ――よし、やるか。


 庭師ナールーン、庭師ムームーン。

 庭園で戦った庭師の兄弟。呪術の専門家を引き出そう。


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