203
夜気に冷える館内を歩いていく。
光源は腰のランタンだ。光量はさほどではないが慣れてしまえばそれなりに明るく頼みになる。
それと灯火の魔術を使う宝石頭を見かけるが奴らは敵だ。倒してしまえばその光も消える。
――館は迷宮だった。
小部屋を経由し、隠し通路を見つけ(空気の流れや物の配置でだいたいわかる)、時にはレバーのようなものを動かして探索を進めていく。
長櫃はあの鎧以降見つけることはできなかったが、死体をいくつかと銀色のスライムを一匹見つけた。
死体はどれも帝国の貴族に対する無念を抱えた死体で、その死の記憶に触れることで俺はほんの少しだけ強くなる。
スライムは猫の言うところのボーナスデーモンというやつだ。いつもどおりに蝋材を落としたので拾ってやった。
ただ、この蝋材も何か曰くのある方の品なのだろうか?
手に入ったのは、少し魔性の気配がするものの聖女に似た匂いのする蝋材が2つだったが、由来も何もわからないので祈りを捧げて袋にしまった。
そしてデーモンどもを殺しながら俺は探索を進め――
「……この歌は……」
メイスを片手に立ち止まる。
――
近くまで来てようやくその音をきちんと聞くことができた。
歌と言ったが、まるで鉱石がひび割れるようなひどい音だ。
宝石頭の振動音に似たそれは、聞くものの頭を砕くようなひどい音で俺の感覚を狂わせようとしてくる。
歩き、身体が揺れた。平衡感覚を少しだが狂わされたのだ。
――視界が揺れる。
館の壁に手を触れ、少しだけ体重を預ける。音で少しだけ正気が削れた。息を吐く、吸う。
「しっかりしろよ、俺」
気合を入れ、意識を保つよう集中する。
音の源泉を見つけなければ――歩き、それらを見つけ、通路の途中で立ち止まった。
「ここまでか」
音にやられたのか近衛のデーモンや宝石頭が倒れている。
「哀れだが、死んでいけ」
遠慮なくそれらに止めを刺し、俺は歩みを再開する。
くそ、うるさい。
「くそ……だが……なぜ、俺はこんなものを……」
――
だがどこかこの音は懐かしい。どこで……?
「そう――だ。そうだった……これは」
俺がかつて大陸を旅していた頃のことだ。現地の神殿でいくらか手伝いをすることで屋根を借りたことがある。
そのときの神殿で地元の聖歌隊の子どもたちが歌を歌っていた。それを思い出したのだ。
(少し変わっているが、そう、確かこれは)
似ている。ひび割れるような音の中にある、確かな拍子、それがその曲に……。
(いや待て……聖歌だと?)
このひび割れ歌が、聖歌? いや、このダンジョンの成立した経緯からして、聖歌の原型か?
「冗談にも、ほどってもんがあるだろう」
夜気とは違う怖気に身体を震わせながら俺は館の通路を進み、一階の広間を(小部屋を経由する形で三階へと俺はたどり着いている)見下ろせる手すりのついた通路に出る。
そこで
――それは一階の広間に傲然と立つ、ドレスを着た巨大な宝石頭のデーモンだ。
(でかい……)
現在俺がいるのは三階通路だ。
その通路に設置された手すりから見下ろした先に、二階と三階の半ばまで達する巨大なデーモンがいた。
幸い、気づかれていないようだが……。
『ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ』
「ぐぐ……うぐッ……ぎッ……ひどい音だ……頭が割れそうだ……」
耐えられない。兜を脱ぎ、袋から布を取り出して兜の内側にぎゅうぎゅうと詰め込む。そうして兜をかぶれば完全な遮音にはならないが多少の防音になった。
(少し、楽になったが……まだ聞こえる……ひどい音だ)
この防音で敵の感知に聴覚は使えなくなるが、どうせこの環境で耳は役に立たない。
むしろこの音を聞き続ければ俺の頭がおかしくなる。
(だが、あの身振り手振り……そう、だな。
巨大な宝石頭は大きな手を振り回し、館全体を震わせるように足を踏み鳴らし、拍子のある金切り音を
それに……あのデーモンは血を流している? なぜ?
巨大な宝石頭――歌姫のデーモンの胸に短剣、というには巨大な剣が突き刺さっていた。
流れ出たどす黒い血は歌姫の立つ広間に作られた舞台から小川のようにちょろちょろと流れ、館のどこぞへと消えている。
――不自然な血だな。
俺が追いかけるべきは、あの血だろう。
「……さて、どう回ればいいもんか……」
あの舞台に出るには……ううむ……手すりを飛び越えてここから飛び降りてもいいが。
今の俺の技量なら三階から落ちてもうまく着地できる。ただ、歌姫のデーモンが宝石頭というのが気になった。
(あいつ、魔術を使いそうだな)
着地したときにうまく聖衣の盾を構えられればいいが……失敗したならまずいかもしれない。
あの巨体だ。その攻撃の威力も巨体相応に強いだろう。
時間はかかるがきちんと道を進もう。この館は
俺は館の地図を脳に描きながら探索を進めることにする。
ただ、最後に俺はもう一度歌姫のデーモンを手すりから見下ろした。
「お前……誰も聞くものがいない歌を歌って満足か?」
歌姫の周囲には、大量のデーモンがその歌姫を囲うように倒れていた。
◇◆◇◆◇
そうして、俺は一階へと戻ってきたのだが。
「なんだか拍子抜けだが……戻ってこれたか」
一階から三階に行くよりも三階から一階に降りる方が楽だった。
もちろん同じ道を使ったわけじゃない。別の経路から探索を進めて降りてきたのだ。
ただ、こちらの道では妙な仕掛けや小部屋を大量に経由することはなく、少し探索した先で待ち構えるように佇んでいた指揮官のデーモンと大貴族のデーモンを倒すとそいつらが鍵と蝋材を落として主な探索は終わった。
指揮官と大貴族……本来は強敵なのだが、こいつらとは戦い慣れた。
なのでさほどの苦戦もなく撃破できた。
そしてその鍵で閉ざされた扉を開けばそこにあったのは巨大な穴とそこに設置された長い梯子だ。
さらに、その部屋の隅で暗闇に沈むように隠されていた長櫃も見つける。
入っていたのは
そうして俺は長い梯子を降りて、デーモンを殺しつつ
「扉越しにもうるさいな……」
遮音された兜越しにも響いてくる
俺の装備は聖衣の盾、武具はメイスではなくハルバードだ。
指輪は気配を殺す意味はないので鼠を外して斬撃強化の蟷螂と信仰強化の湖を選択した。
月神に祈りながらチコメッコの油脂を齧り、ハルバードに塗る。月神の刃の奇跡をハルバードに纏わせ、幻惑と再生の奇跡を自らに使い、俺は扉を蹴り開け――
「おぉ――てぇッ、マジか!!」
――叫びとともに聖衣の盾を振るって視界いっぱいに広がっていた
そして、雑魚のデーモンどもが倒れ、歌姫だけが立つ大広間に飛び込んだ。
『ぎぎぎぎぎぎぎぃ――――――!!』
「ちぃッ!!」
歌姫の叫びのような声と同時に俺に向かって次々と光弾が飛んでくる。
なんて敵だ。気づかれていた? 鼠の指輪を外したからか? 鼠の指輪はそこまで意味のある指輪だったのか。
まさか扉越しに俺の存在を感知して、俺が扉を開くのに合わせて魔術を放つとは!!
大広間の中央では歌姫のデーモンが歌いながら俺に向かって魔術を次々と放ってくる。
それもただの魔術じゃない。高速で放たれる拡散する魔術の矢だ。
爆音とともに俺の傍に着弾したそれが赤絨毯を消失させ、床に穴を開けた。
調理された人肉の乗る皿や人血で満たされたグラスが乗るテーブルが次々と魔術で破砕されていく。
倒れているデーモンも構いなしだ。歌姫のデーモンが歌えば光弾の雨が俺へと降り注ぐ。
「狙いが甘いが、この密度ッ! 濃すぎるぞッッ!!」
駆け出しながら聖衣の盾で光弾を弾く。近づきにくい!! 怪魚を思い出す。あれほど強力では……いや、幽閉塔よりこちらのほうが深層だ。瘴気の濃さで成り立ての
「だがッ! あの
聖衣の盾では扉を開けたときの初撃を全て弾ききれなかった。光弾は俺に当たっていた。じくじくと鎧越しに焼かれた脇腹が痛む。奴の魔術は強い。+5まで鍛えた鎧が焦げているうえに、防ぎきれなかった
『ぎぎぎぎぎぎぃぃぃわぁああああああたああああしぃぃいぃいいい!!!!』
歌姫の叫び。何を言っているのかわからない。
駆け出し、距離を詰めていく。放射状に放たれる光弾によって人肉の並べられたテーブルと倒れている宝石頭のデーモンが爆散した。
俺にも当たりそうになるものの聖衣の盾で弾いて距離を詰めていく。
(だがおそらく、この歌姫のデーモンは無視してもいい相手だ)
歌姫のデーモンの腹の傷から流れる血を追えばきっと楽にこの領域のボスへとたどり着けたはずだ。
この歌姫のデーモン、おそらくだが鍵の類は落とさない。
なんとなくだがわかっている。散々この領域に付き合わされて理解したのだ。
――この領域は定石を外してくる。
だから、ここまで強いなら、このでかくて強いデーモンは絶対に鍵を落とさないのだ。
「おぉおおおおおおおおおおおおッッッ!!」
光弾が雨のように
聖衣の盾で弾くものの、怪魚の水弾と違って光弾の群れである歌姫の魔術は弾ききれずにバシバシと身体に当たる。
身体を焼くほどに痛いが致命的ではな――痛ぇッ!!
「きゅ、急に痛くッ! い、いや!! 構わん!!」
もう距離を詰めていた。俺はハルバードを振り上げ、目前にある歌姫のデーモンの太い
「おぉおおおおッおおおおおおおおおお!!」
『ぎぃ! ぎぎぎぎぎぎぎぎぃいいいいいいいいいいいいい!!』
深く歌姫のデーモンを切り裂いた感触。だがこれで終わりではない。このデーモンは巨体すぎるのだ。
――巨人にも匹敵する巨体。
(ならば耐久力もそれ相応!!)
俺が切り裂いたのは奴の足だが、俺のハルバードの刃の大きさでは、小人に剣で斬られた程度にしか感じていないに違いない。
「まだまだァッッ!!」
回転。叩き降ろしたハルバードの刃をぐるりと回りながら足に叩きつける。肉に深く斬り込んだ感触。振り抜き、回転――そのままもう一げ――視界の端で奴の足が遠のく。
「ッ!!」
――危機感に従い、回転の勢いそのままに地面を転がった。
俺の頭の上を轟音とともに巨人の足が通り過ぎた。歌姫が蹴りを放ったのだ。当たらずとも感じたのは重量級のデーモンらしい強風。
その威力がなんとなく
(あの勢い、まともに喰らえば即死したかもな……なんともこいつは難敵だ)
立ち上がった。予めかけておいた再生の奇跡が俺の焼かれた肉体を再生させる中、俺はハルバードを強く握り、深く呼吸をした。
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