202


 私は美しい。

 私の声は美しい。それはまるで風のように万里を征し、鳥のように自由だ。

 私の顔は美しい。平民は羞恥に顔を背け、貴族たちは私を欲しがる。

 月の女神でさえも私の美貌に嫉妬し、聖女たちすら嫉妬に狂う。

 私の夜の褥は、常に美男でいっぱい。いつだって私の隣には愛する誰かがいる。

 世界中の財宝が、宝石が、私を着飾らせるために私のもとに自らやってくる。

 でもね。でも、もっとよ。もっとなのよ。私はこんなところじゃあ終わらない。

 名声が足りない。財宝が足りない。男が足りない。嫉妬が足りない。

 世界が私を欲しているのだから。

 そう、この胸に暗殺者の刃が突き立てられようとも、ね?

 私はけして終わらない。

 終わらないわ……だから……ね? 誰か私の胸から出てるこの血を止めてよ? ねぇ……?


      ――偉人遺言集『歌姫アーラ・フロート』より



 明るい場所では眩く見える赤絨毯も、こうして暗いとじめっとした色に見えた。

 俺はメイス片手に闇に包まれた館の通路を進んでいく。

 もっとも俺の視界はそう悪くない。光源として腰にランタンを吊るしているからだ。

 使って理解したが、こいつはデーモンにはけして見ることのできない炎を灯していて、俺にだけ視界を与えてくれるありがたい道具だ。

(よっと)

 俺は傍を歩いていた近衛のデーモンの兜を背後からメイスで一撃した。俺に気づいていなかったのだ。近衛のデーモンはメイスの一撃で倒れかけるも深層デーモン特有の強靭さタフネスで一撃では死なない。

 肩を掴んでもう一撃。まだ死なない。力強く、オーラを大量に込めてもう一度。

 倒れ、消えていく近衛のデーモン。だが戦闘の物音を察知したのだろう。傍にいたもう一体の近衛のデーモンが(巡回の近衛デーモンは基本的に二人組だ)俺へ向かって剣を構えた。

(長剣持ちか……)

 豪華な装飾の剣なまくらを持った近衛のデーモンは少し面倒だ。盾を持ってるからな。

 それに、一度気づかれると意識に変革でも起きるのか、この暗闇でも剣の達人らしく敵は振る舞ってくる。

 具体的にいえば、俺の位置を光や音ではなく、気配のような・・・・・・もの、で捉えてくる。

 まるで幽閉塔での俺のような姿に共感のようなものを抱きかけるも、相手はデーモンだ。

「ふッ……!!」

 問答無用で俺は右手のメイスを振るう。

 金属同士がぶつかる音。盾で防がれた。当然の反応。

 そして目前の近衛のデーモンは俺のメイスを盾で防ぐと同時に長剣を振り上げている。

 だが軽めに振ったメイスはだった。

 俺は左手に握っていた聖衣の盾を地面に落とす。

 相手の武具は長剣だ。これを使うわけにはいかない。聖衣の盾は刃には弱いのだ。

(すまんな。リリー)

 奴も武人だ。わかってくれる。

 そして俺は、俺のメイスを盾で阻んだ近衛のデーモンが斬りつけてくる長剣を、その刃ごと根本から手でぐっと掴んだ。


 ――こいつらの武具は鍍金メッキだ。豪華に見えるのは外見だけだ。


 メッキの剣は深層の武具なのでそれなりの切れ味だが+5まで強化している神殿騎士の篭手を切り裂くほどの代物ではない。

 剣を握ったまま近衛のデーモンの腕を捻り上げれば敵の指が緩む。そのまま腕を引けば、デーモンは長剣を俺に奪われる。

「はッ、デーモンなどこんなものだ」

 そのまま俺は長剣を遠くに放り投げた。そして腕をひねられたことで体勢を崩したデーモンにメイスを叩きつける。

 何度か盾で防がれるも、叩きつけ続ければ盾のガードが開く。

「おらッ!!」

 その瞬間にメイスを近衛のデーモンに叩きつける。なんとかデーモンが盾で抵抗しようとするも俺はメイスを左手に持ち替え、右手で盾を強引に退ける。

 そのままメイスを胴に叩き込んだ。よろけて不安定になったデーモンの足を蹴り飛ばし、地面に倒れたところでそのまま連続でメイスを叩きつける。

 デーモンが消えていく。息を吐く。

 落ちていた聖衣の盾を拾い、埃を払った。

 地面に落ちている銀貨を拾う。

 いつもの手順なれど、ランタンがあっても暗闇の戦闘だと周囲がそこまで見えないからな。少しだけ緊張している。

 周囲を見る。敵の気配はない。いや……。

 ランタンの光量から少し離れた通路の奥、遠くに灯火の魔術を使っている宝石頭が見えた。

 俺には気づいていないようだ。

 ただやはり、こうして宝石頭が出歩いている以上はどうあっても聖衣の盾を持ち歩いておく必要を感じた。

 例え、地面に落としても、だ。

 魔術の矢を放つ宝石頭と遭遇した際に袋からいちいち聖衣の盾を出す隙は晒せない。

(宝石頭は視覚じゃなく生命反応で敵を感知するからな……背後を取られた場合が厄介だ)

 あの宝石頭ども、暗闇で混乱しているようにも見えるが、それはどうにも『エリザの物語』に影響されているだけであって、デーモンのタイプとしては視覚を頼りにしない。

 今は鼠の指輪をしているから遠方でも俺を気にしない・・・・・だけで、指輪がなければすぐにでも戦闘の物音を聞きつけて駆けつけてきただろう。

 息を吐く。吸う。夜気が喉を刺した。

 視界に映るのは赤絨毯、白い館の内壁。飾られている子供のかいた落書きのような絵画。

(とにかく、探索だ)

 ここからが本番なのだ。俺はこうして館に侵入し、いくらか歩いてみたがこの館には小部屋がいくつもある。

 無視してボスのいそうな大部屋を探すべきかとも思ったがこの館の構造は奇妙で小部屋を経由しないと通れない道などもあるようだった。

(扉に見せかけたただの絵なんかもあるからな……)

 館ではなく迷宮だと思った方がいいだろう。

 とにかく今のデーモンどもの傍にあった小部屋に入ってみようと扉に手をかけ……――「はは……」すかすかと俺の手がノブのある位置で開いたり閉じたりする。

 暗いからな。こうして触れてみるまでわからないのだ。

「おらぁッ!!」

 俺は苛立ち紛れに壁に描かれた扉を鉄靴で強く蹴飛ばした。


 ――やはりただの絵であったが。


                ◇◆◇◆◇


「こいつは……」

 館の小部屋を探索するなかで暖炉の中に隠されていた隠し階段から地下へ降りた先、そこで七つの長櫃を見つける。

 長櫃の一つは死蟹だった(暗い地下室だったのですごく驚いた。当然倒した)が、四つの長櫃の中に入っていたものを見て俺の思考は止まった。

「鎧、にしては……」

 兜、篭手、胴、下肢。それぞれの部位がそれぞれ長櫃に収められている。

 それは合わせて一式の巨大で重い鎧だった。

「でかい、いや、重い・・。俺が、重い? マジか……なんだこれは」

 ダンジョン産の武具は装着者に合わせて大きさを変えるので大きさ自体は驚くべきではない。

 だが、これは……なんだ?

「篭手一つでも、今俺が着ている鎧ぐらいの重さがあるぞ」

 そう、長櫃の中に入っていたのは今の俺ですら着て動くのに難儀しそうな重量の鎧であった。

「硬い……」

 拳で叩いてみれば金剛鋼アダマンタイトに近い感触が返ってくる。

 それに、どこか懐かしいと聖女の腕みぎうでから感覚がやってくる。

 それに呼応してか俺の魂に同化しているオーロラの記憶も反応した。


 ――これはクレシーヌ・・・・・を模した鎧だ。


 聖女シズカと四騎士オーロラの二人が俺に教えてくる。

 これは四騎士『異界護りのクレシーヌ』を模した鎧のようだった。

 それが本当なら有用な道具だろう。今は使えないが……。

 俺は俺のものではない感傷を振り払い、肉体の全力を用いて鎧の各部位を持ち上げ、袋に収めていく。

「それと、こちらもか……」

 残る長櫃の一つに入っていた巨大な盾を確認する。盾の騎士アザムトが使っていたものとはまた違う巨大な大盾だ。

 そして重い。俺が今使っている大盾の比ではないし、巨半魚蟲人バゴズ・ベルダの盾の比でもない。

 記憶が囁いてくる。これもまたクレシーヌの使っていた大盾を模したものだと。

「ああ、くそ、こいつもか。今の俺でも持ち上げるのが精一杯の重量。これで戦うのは無理そうだ」

 なんとか両腕を駆使して袋に収めるものの、ただ持っただけで、この温度の低い領域でも汗が垂れるぐらいに疲れてしまう。

 これもまた英雄の伝承に相応しい、使う者に相応の資質を求める武具だった。

「資質、か。オーロラの大剣もそうだな……」

 オーロラの大剣の真の力を引き出すには深い信仰と魔術知識を必要とする。

 そして今手に入れたクレシーヌの武具に必要な資質は、そうだな……尋常でない筋力と体力か。

 息を吐いて、少しだけ呼吸を整える。武具を回収するだけでこうも疲れるとは。

 死蟹が落とした強い神秘を放つ蝋材と最後の長櫃に入っていた指輪を手にとり、ぼうっと眺めた。


 ――そのあとのことは、疲れて少し油断したのだと思う。


 ふと指輪の印章として描かれた動物が気になったのだ。

「なんだこの動物は……?」

 首をかしげ、ああ、と思い出す。幽閉塔の姫の記憶がある。動物に、というより貴族の印章に貴族の子女は詳しいはずだ。

 ただこの指輪の来歴はなんとなく想像はできるし、別に地上に戻ったときに猫に聞いてもいい。

 だが、今ここで確信を得られるならば得てもいいだろう。

 オーロラに聞いてもいいが、オーロラの意識は強い。あまりオーロラと深く同調しすぎると俺の心に良くない。

 それで、これは……なんだ?


 ――この四足獣の文様は白犀シロサイよ。クレシーヌの指輪だわ。


 ぞくり、とした気配に魂が震えた。やってしまった・・・・・・・

「今……近かったな・・・・・……」

 境遇の似ているオーロラの記憶が俺に馴染んでいるのと幽閉塔の姫は違う・・

 これは、生者の俺が死者の記憶を都合よく利用しようとしたためか。

 以前の記憶の引き出し方とは違う。まるで今の声は耳元で聞こえたような……。

 猫が言っていたことをいまさらに思い出した。このダンジョンは死の領域に近いと。地獄の再現でもあるのだと。

 こうして死者の声が聞こえるのは、彼らがまだ迷っているからか。それとも――。

「ただの死者なら殴って・・・終わりなんだがな……」

 俺が取り込んだ死者の記憶は別だ。

 悪かったよ、と俺は姫の記憶に謝罪する。都合よく利用しすぎた。呼び起こすつもりはなかった。

 いいのよ、と優しげな声が聞こえた気がした。

 気がしただけだ。

 気休めだが、それで俺には十分だった。

 犀の指輪を袋に収めながら、館の地下で俺は地獄の管理神たるヤマに死者の安寧を祈るのだった。


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