201


 凍えるようにこの領域の気温は低く、吐き出す息は白くなる。

「この夜の寒さは冬を模したんだろうな……」

 デーモンを殲滅した俺は、奴らが落とした銀貨だの道具だのを拾いながら地上のことを想った。

 辺境にもきちんと冬は来る。

 冬は、冬の神の権能が最も強くなる季節だ。

 荒野には雪が降り積もり、エルフたちは森に籠もる。獣どもは姿を潜め、人は家から出なくなる。獲物が籠もるためか寒さを感じないデーモンも活動を控えるようになる。

 空気は乾き、食べ物は少なくなる。飢餓に強い辺境人でも堪えるほどにだ。

 肥沃の神に祈るのはそういうときだ。祈りが通じれば冬眠に失敗した怪物熊が村に迷い出て来る。ごちそうだった。

 怪物熊はだいたい20メートルほどの巨獣で、強い。

 だが恵みでもある。村の代表の戦士は肥沃の神に感謝を捧げた後に一対一で怪物熊と戦い、それを打倒する。

 負けた怪物熊の巨大な爪は農具に加工され、肥沃の神への供物となる。残りの皮や肉は村の取り分だ。肉片一つ血の一滴さえ無駄にできない貴重な資源となる。

「……今はもう、見れないか……」

 村は都市となった。あの都市は防備も強力だ。熊が迷いでる隙などない。あの懐かしい風景はもうない。

 そも飢えることがない。オーキッドは政治が上手だ。神殿都市の穀物倉は麦で満ちている。その麦も集まった聖女たちによって守られている。万が一はない。

 家畜も多い。冬が来る前に保存食を作れば都市が冬を越すのには十分だ。

 だが……そうだな。それでも俺は――あの寒々しい冬の空が、好きだった。

 村長の息子のヴェイン。あいつが村長と一緒に弓の練習をしていたことを思い出す。

 冬の景色の中、奴は弓を放っていた。寒々しい空を矢が飛んでいく。矢は遠く離れた的に命中し、村長は息子の頭を誇らしそうに撫でていた。

 親のいない俺は、それを羨ましいと思ったよ。どうしようもなかった。恥ずかしい記憶だ。

 だがそんな俺を見た爺さんはその日の夜、俺に新しい弓を与えてくれた。

 気難しい爺さんにしては珍しく優しかった。

 そして翌日は爺さんに弓を教わった。俺は不器用で、爺さんの教え方は鬼のように恐ろしかったが楽しかった。

 それもまた、色あせない冬の記憶だった。

(……地上に戻ったら……一年ぐらいは……)

 息子や娘たちと過ごしてみるのも悪くないだろう。

 変わらないものなどない。村はなくなり都市となったように。

 だが冬は冬だ。時は移ろえど再びやってくる。

 俺も、俺の子らのために思い出を――思考が切り替わる。

「鍵か……」

 指揮官のデーモンがいた場所に落ちていたのは金貨と鎧と鍵だった。この意匠だけは立派な鍵は、おそらくはあの館に入るためのもの。

 大貴族のデーモンがいた場所も探る。落ちていたのは蝋材……か?

 奇妙な色をした蝋材だが、強い神秘を感じる。詳しく知るには猫の鑑定が必要だろう。

「さて、あとは長櫃か」

 敵はいない。いや、いる。いるが宝石頭やつらは木製槍に突き刺されて俺の光源となっているだけだ。

 だから俺はこの噴水広場をゆっくりと探索することができる。

「む、長櫃が沈んでいる」

 手始めに噴水を調べれば水の底に長櫃が転がっているのが見えた。噴水の中に入ってもいいが……幽閉塔で見た死魚が見えた。

 長櫃を開けるのは難しい。このまま水の中に入れば死魚どもは俺に食いついてくるだろう。

 この噴水にもなにか仕掛けがあるのだろうか? 考えたが俺はめんどくさくなって音響手榴弾を噴水の中に投げ込んだ。

 爆音と共に死魚どもが気絶して水面に浮かび上がってくる。ざぶざぶと汚らしい水の中に入り、俺は長櫃を引き上げようとして……長櫃は鎖で固定されていた。

「ふんッ!!」

 長櫃を固定する鎖をチコメッコで叩き切り、長櫃を引き上げるべく肩に担げば、長櫃が・・・バタバタと暴れだした。

「……ッ!? て、敵か!!」

 肩に担いだ長櫃から足と鋭い鋏が見えた。

 死蟹ミミックだ! 幽閉塔で何匹か見た敵だ。長櫃に偽装するデーモン。

 俺が慌てて死蟹を放り出し、噴水から抜け出せば、正体を現した奴も長い脚や鋏を動かしながら俺を追ってくる。

「こいつにはメイスが効く」

 袋からメイスを取り出し奴が振り回す鋏にぶち当てる。よし、弱い・・。死蟹は長櫃を開くべく腰を降ろしたり、武器を構えていない瞬間に奇襲されるから怖いのであって、こうして対面してしまえばそこまで強いデーモンではない。

「だが長櫃に偽装か……なるほどな。この領域に相応しいぞお前の特性は」

 奴の振り回す鋏や足をメイスで叩き、オーラを浸透させていく。足が崩れ、長櫃がよろめいた。蹴り飛ばす。龍眼で弱所を見抜き、そこに打撃を加えれば死蟹は沈黙し消えていく。

 残ったのは……む、銀貨じゃないぞ。

「これは、ランタンか?」

 死蟹の甲羅の形をしたランタンだ。青い鬼火のような火が入っている。使い方は……甲羅部分に切れ目が見える。炎を消すことはできないようだが、この開閉部分を開いたり閉じたりすることで光を自在にできるようだ。

 まるで図ったように闇を駆逐する道具が入っていたことに驚きはない。そういうことなんだろう。これが正しい道。気に食わないが今はその道に乗ってやるしかない。


 ――いずれ、全てを画策する者の対面に立てたなら……。


 みしり、と死蟹のランタンを握る腕に力が入った。せっかく手に入れた道具を壊してはもったいない。腕から力を抜く。

「残りの長櫃を回収するか」

 正門を突破するのに時間がかかっている。

 とにもかくにも、手早くことを進めるべきだった。


                ◇◆◇◆◇


 噴水広場に長櫃は3つあった。中に入っていたのは水薬が一瓶ずつ2種類と護符が3つだ。

 護符は以前手に入れたものと同じに見える。何の効果があるのかわからないがここで手に入った道具だというならここで役に立つんだろう。

 身につけている護符に変化はない。

「業腹だが」

 奇妙な話だが、一種の信頼のようなものを俺はダンジョンに向けていた。

 ダンジョンは俺をいざなっている。手に入る道具で俺を害することはない。むしろ俺が深部へと辿り着くのを待ち望むかのように手に入る道具を強力なものにしている。

 俺はこのダンジョンを滅ぼそうとしている。そのダンジョンが俺に手を貸している。

 どういうことか悩んでも答えは出てこない。それでも奴が俺を欲していることは心のどこかで理解している。

「破壊神は俺に何をさせたい?」

 忌々しい信頼関係だが、利用できるものならば利用していくべきなのだろう。飲み込むべきなのだろう。

「だが、罠なのは確かだ」

 信頼はある。だがけして心を許すことはない。このダンジョンの生まれた経緯を知ればこそだ。

「……切り替えよう。この先が本番だ」

 所詮、正門は入り口にすぎない。

 俺は手に入れた鍵を片手に閉ざされた館の扉へと向かっていく。

 館の扉は巨大だった。鍵穴らしきものはみえない。そもそもよく考えればこんな小さな鍵で開くような扉ではない。

 ではこの鍵は? 握った鍵を袋に戻しながら大扉に手をかける。全力で押し開けようとするもみしりとも音を立てない。

 開かない。よくよく扉を見れば……扉ではない。

「……模様、か?」

 扉の模様だ。壁に大扉の絵が描かれているだけ……? 

「そんな、馬鹿げた話が……いや、この領域はそういうもの・・・・・・なのか」

 鍍金メッキの武具、見せかけの宝石、にんげんを前にして逃げるデーモンに死蟹の長櫃。

 この扉もそうだ。よくよく観察してみれば大扉の脇に目立たないように、人間が通れる程度の大きさの扉が存在していた。

 鍵穴に袋から取り出した鍵を差し込み、ひねれば音が鳴る。開いた。ノブを回せば扉も開いていく。

「どこまでも……」

 虚飾に彩られた悪鬼デーモンどもの夜会。それの本質がこれだ。

 息を吐く。怒りを鎮めていく。ここから先は未知だ。冷静に行動すべきだった。

 武具を確認する。

 館内でハルバードは不利だ。扱いが難しいというのもあるが、デーモンの大きさは様々で、遮蔽物の多い室内では簡単に懐に入られる恐れがある。

 懐に入られたら手放して素手で応戦してもいいが、それなら最初から使いやすい武具を使った方がいいだろう。

 ハルバードは袋に仕舞う。腰にメイスを吊るし、青薔薇の茨剣を片手に持つ。騎士相手にメイス。茨剣で貴族どもを殺す。未知の敵にもこれなら対応できる。

 ハルバードは大広間のような場所で存分に振り回せばいい。

(最初に、猫が袋をくれたのは……こういう事態を想定してのことか……?)

 この袋がなければ死んでいただろう。弱い俺がここまで生き残れたのは多彩な武具を使いこなせたからだ。

 商業神に祈りを捧げておくか。聖印片手に祈る。ありがとよ。

 さて、盾は聖衣の盾だ。集魔の盾を空いている側の腰にぶら下げたいところだが明かりの落ちた館内は闇に包まれている。

 空いている腰には死蟹のランタンを下げることにする。

 指輪は鼠と湖で変わらずだ。さて、足を踏み入れる。

「――ッ!」

 装飾の大扉の裏にあたる位置に近衛のデーモンが二体、槍を持って立っていた。

 沈黙していた。飾りか? 否、観察すれば微かにだが鎧が上下している。こいつらはデーモンだ。飾りではない。

(俺に気づいていない? こんなにも腰のランタンは明るいのにか?)

 音を殺しながら俺はデーモンどもに近づいていく。ランタンの火を近づけてもデーモンたちは沈黙している。

 見えていない。だが微かに音や光には反応しているようで、遠くに見える宝石頭の貴族デーモンが発する光や音に集中しているようだった。

(このランタンの光はデーモンどもに見えないのか。ははッ、ちょうどいい)

 無音でメイスを握った俺は兜の中で口角を釣り上げ、メイスを振り上げた。

 こうして、俺の探索は始まった。


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