199
大賢者マリーンが開発したエーテル機関は貴族たちの間で持て囃されたが魔術師の間では嫌悪の対象となった。
それは魔術の神秘を地に貶め、ただの技術へと零落させたからだ。
エーテルで稼働する魔術師でもない商人が使うゴーレム馬車。
帝都を貫く大通りや貴族の館に設置され、夜を昼のように照らし上げたエーテル灯。
帝都話題の喫茶店では新しく作られたという製氷機によって氷菓子が真夏でも供されるようになった。
おお、マリーンよ。偉大なりし賢き者よ。エーテルの秘儀を表に曝け出し何を笑っておられるのか。
―帝都の魔術師から象牙の塔へ送られた書簡より―
鍵を開け、小屋の中に入る。
地上階部分にはテーブルや椅子が置いてあるだけで、特に何もない。
「いや、何もないわけではないが……」
テーブルの上の皿には人肉料理が並べられ、血で満たされたグラスが置いてある。
これを、何かある、というのはおかしな話だ。
「ちッ、やはり地下だな」
人を弄ぶデーモンどもへの嫌悪に腹が立ってくる。
ただ、いつここにデーモンどもが突っ込んでくるかわからないのだ。怒りはあるが、冷静にならなければ……。
俺はテーブルの上の遺体に向けて祈りを捧げ、部屋の隅にあった地下への階段を下っていく。
地下もまたエーテルの光に満たされていた。
このような地下でもこの領域はあの夜会の会場のように明るい。
――それでも不潔で、汚らしい瘴気にここは満たされている。
俺に気づいた小さな鼠や小蟲のデーモンが鳴き声を上げ、部屋の隅に逃げていく。
小さいが、その顔の部分は子供の落書きのような顔をしていた。
――……振り払う。
(不快だ。殺してもいいが、まずはやらなければならないことがある)
俺はさっさと周囲を確認することにしたが、目標は調べるまでもない場所にあった。
地下室の中心にはドルドルと音を立てる奇妙な
金属でできているのか、頑丈そうに見えた。拳で軽く殴ってみれば硬い。ドワーフ鋼を模して瘴気で作られた魔鋼か?
破壊しても大丈夫だろうかと感覚を集中する。破壊神の気配はしない。大丈夫そうだ。
「それで、こいつがエーテルを館全域に巡らせているのか?」
止め方はわからないが、俺はハルバードを構え……いや、と首を振る。
爆発するかもしれない。よく調べずに破壊するのはまずいだろう。
「といってもな。俺に知識はないからな……」
さてはて、と周辺を見渡せば部屋の隅、書棚の前に長櫃が一つ置かれている。
書棚は――俺は文字を読めない。整然と並んだ本はどれも中が確認できるようだが、文字を見るのは嫌だし読めなければ意味はない。
顔を背けて長櫃に注意を向けた。手を掛け、蓋を開けば中には衣服と工具が入っている。
「いや、これは……工具なのか?」
六角形の何かを掴めるような構造の武具にも見えるが、こいつはメイスぐらいの長さと太さで、俺ならばこれでデーモンを殴り倒すこともできるだろう。
「武器、か?」
長鋏も武器として使えた。あれは難しい武具だったが役に立った。
ただこの工具、蝋材による強化をしていない以上、今のメイスに劣るんだが……ううむ、一応貰っていくか。役に立つかもしれない。
「武具は多ければ多いほどいいが……それで、ふむ?」
本題だ、本題。
部屋から何も見つからなかったということは絡繰箱を探るしかないということだ。
絡繰箱に近づく。
絡繰箱の側面にはこの箱を操作する仕掛けがいくつも並んでいた。
押してみてもいいが少し怖い。なぜ他の仕掛けのようにレバー一つで停止するように作っていないんだ。デーモンどもめ。
破壊したくなる。だが、この規模のエーテルの詰まった箱を爆破したら俺はどうなる?
(塵も残らんかもしれんな……)
もう少し調べてみるか。
絡繰箱に手を掛け、上部に登ってみれば蓋のようなものがあった。それは六角形で、ちょうどこの絡繰を開くための蓋のようにも見える。
「なる、ほど?」
わかった。先の工具で開けということだろう。
俺は工具を取り出すとそれをぴたりと蓋に嵌め、ぐっと力を入れた。
「こっちか? いや、これだと締まるのか。こっちだな?」
ぐいぐいと工具を動かせばゆるゆると蓋が緩んでいく。よしよし、と俺は頷き、蓋を持ち上げた。
つん、としたエーテル特有の臭気が穴から立ち上ってくる。くさいし、エーテルの強さにくらくらしてくる。
悪い酔い方をしそうな臭いだ。
「ぬぅ……」
下の絡繰は俺が蓋を開いてもドルドルと動き続けていた。上に乗っているので俺の身体に振動音が伝わってくる。
で、ええ? これからどうするんだ? 戦士に複雑なことを考えさせるなよデーモンどもめ。
何もかもが面倒になってくる。まだ地上のデーモンどもを倒す方が楽に思えてくる。
それでも考えなければならない。これを止めるには……エーテルを使い切ればいい。
「つまり、俺がこれを全部飲んでしまえばいいのか?」
毒は……無毒の指輪がある。問題ない。だが……これを飲み切るには少しばかり時間がかかりすぎる。
それまでこの場所にデーモンどもが踏み込んでこないわけがない。もっと上手い方法を考えなければ……。
「……悩ませるなよ……」
……ではどうする、と考え、俺はああ、と袋に手をやった。
まずは銅貨を落としてみる。とぽん、と透明なエーテルの中に落ちた銅貨はゆるゆるとした速度で落ちていく。
少し待てばエーテルで満たされた絡繰の底に銅貨は沈みきる。
(底にたどり着く時間はこんなものか……)
問題ない。ああ、問題ない。
俺は鎧を脱ぎ、篭手だけを残して袋に仕舞う。武器は――武器も仕舞う。
背負っていたハルバードを袋に仕舞う。
(聖域を張って転移してもいいが聖印も限りがある。あの聖なる品はこんなことのたびに使っていいものではない……)
身軽になった身体で出口に目をやった。よかった。梯子ではなく階段だ。
……さて、ここから地上階の構造を思い浮かべる。扉の位置を思い出す。よし。
銅貨の落ちた速度。20秒ぐらいで底に落ちた。次に落とすあれは……ふむ。よし、賭けにはならない。確実に俺は小屋の外に出られる。
今からすることの結果を想像すると楽しくなってきた。
ええ? デーモンどもよ。俺に頭を使わせやがって、いいぞ、喜べ。お前らの望みどおりに頭を使ってやったぞ。
口角を釣り上げ、俺は肉体に気合を入れる。オーラを練り、自力でのベルセルクを発動させる。疲れるが短時間ならば構わない。確実性を上げるためだ。
「よし……いくぞ」
俺は袋から
そして天井ぎりぎりにまで投げ、即座に絡繰箱から飛び降りる。床に両手足を使って獣がごとくに着地。そのまま駆け出し、階段へと走っていく。
背後でエーテルに満たされた箱の内部に、俺が投げた
魔術爆薬が発動するにはそれなりの硬さのものに触れる必要がある。ゆえに、底に落ちるまでが勝負だった。
「おぉ――ッ――!!」
階段を登りきる。扉の位置はわかっている。確認をしなくとも身体は動く。扉へ向かって一直線。踏み込む。オーラを足に集中する。ベルセルクの影響だ。身体は重いが軽い。鎧も着ていない。身体はまるで軽石のように距離を飛ばしていく。
扉は入ってきたときに閉じた。俺の前には閉じた扉がある。問題ない。
「ふッ――!!」
勢いのままに閉じてあった扉を蹴破った。
蝶番を破砕して彼方に向かって木製扉はすっ飛んでいく。
振り返る。
――
「距離を――」
俺は障害物も何も無い小路を駆けていく。
まだ余裕があるのか? それとも不発だったのか? 不発ならまだいいが、余裕があるだけなら、いや、それとも――悩みながらも未だ衝撃は来ない。俺の想像が間違っていた? エーテルは加工しないと爆発しない? そうじゃねぇ。杞憂ならいい。とにかくそのまま距離を取り続けろ。
道中のデーモンは排除してある。先の宝石頭の振動音は解除された。デーモンは通常の行動に戻っている。この小屋へと続く道にデーモンはいない。とにかくこの道を駆け抜け――
――音の波が、俺を追い越した。
衝撃に身体が揺れる。転がりそうになるも体幹を意識してそのまま駆ける。俺の脇を小屋の破片がすっ飛んでいった。ビシビシと木片が身体に当たる。刺さる。ちッ、鎧を着ておくべきだったか――いや、着ていたら重さで速度を出せなかった。
「……爆発、したのか……」
振り返れば絡繰のあった小屋がまるごと消えてなくなっていた。
俺の周囲にはかなり離れているというのに、焦げた木材や鉄などが転がっている。
「は、はは……すげぇなおい」
未だに爆発音は脳に残っている。揺れる頭を叩いて戻し、俺は脇腹に刺さった木片を引き抜いた。
触媒を取り出し、肉体再生の『月光纏い』の奇跡を願う。
血が止まる。細かく刺さっていた木材が再生した肉によって体外へと排出される。
ベルセルクの影響で身体はだるい。月神に祈りを捧げて、チコメッコの油脂を少しだけ齧る。
肉体を復調する効果のある油脂だが、ベルセルクを即座に回復できるほどのものではない。それでも回復時間は早まるし、疲れ切った身体に力も戻る。
「……っと、そうだ。どうなった?」
周囲を見渡す。爆発した小屋の跡地が燃えていたからここは明るいが、館は――暗くなっていた。
館の内部を満たしていたエーテルの光は消失していた。
それに、デーモンどもによる騒音がここまで届いてくる。物語の再現だ。館の中が変容していく。デーモンどもの統制が崩れていく。
――偽りの光は駆逐された。真なる闇が領域を支配していく。
幽閉塔最上階。そこにあった闇の神殿よりもなお暗い、完全な闇がこの夜会の領域を覆っていた。
闇を見通す龍眼を発動させる。幽閉塔のときと俺は違う。肉体に満ちる魔力は龍眼の長期使用を可能にさせている。
(もっとも、余裕があるってわけではないが……)
龍眼を使うなら集魔の盾を背負う必要があるし、魔力を使う奇跡は控えなければならない。
様子を見ていれば騒然とした館にポツポツと光が灯っていく。弱々しい魔術の光だ。宝石頭たちだろう。屑石のような宝石なれど奴らは照明のように光り、現在位置を知らせてくれる。
……それに、近衛のデーモンも、そんな光を反射するメッキの鎧で館内を慌てたように駆け回っていた。
奴らの光がある。龍眼はそこまで必要ではなさそうだ。だが……。
――鉄壁の城塞のように見えたあの館が、光を落としただけでここまで崩壊するとは。
氷のように冷たい夜気が俺の肺を満たしていた。
「まるで虚飾の城だな……」
呟きは、虚しく騒音に紛れていく。
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