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 小屋の窓から周囲に敵がいないことを確認した俺は、小屋の床に腰を下ろし、ハルバードや鎧に『満ち欠け』の奇跡を使用し、損耗を癒やしながら、兜を脱いだ。

 肉体も消耗している。早急に回復が必要だった。

 だからアネモネから貰った弁当を取り出し、月神に食前の祈りを捧げ、口をつける。

 拙いながらも一生懸命作ったんだろう、肉をパンで挟んだ料理はなかなかに美味い。

「うむ、美味い」

 娘の愛情を感じ、俺は顔を綻ばせる。

 きちんと作られたものも中にはあり、これは侍女が作ったものだなと推測する。

「うむ、これも美味い」

 娘の方が美味いが、素材がいいのだろう。取り出したワインで全てを胃の中に落としてから俺は酒臭いゲップを吐き、娘に感謝の祈りを捧げ――


 ――思考を切り替えた。


(難攻不落のエリアは存在しない)

 チコメッコの油脂を口にし、武具にも塗りながら俺は以前リリーが語ったことを思い出す。


 ――ダンジョンは攻略されたがっている。


(力押しでは無理だった。俺の力が足りない)

 だが、攻略されたがっているならどこかに穴があるはずなのだ。

(正門は道ではない? ではどうする?)

 このエリアには法則ルールが敷いてある。俺が攻略を終えた庭園や幽閉塔と同じだ。庭園は道に沿って攻略する必要があり、幽閉塔は鍵を集める必要があった。

「……エリザの話は確か……」

 小さく呟きながら思い出す。


 帝都に戻ったエリザは毎日毎日貴族にお呼ばれ。

「ああ、いやだわ。寒くて困っちゃう」

 今晩やってきたのは帝都でも有数の貴族が主催する夜会です。

「姫様、これも公務です。我慢してください」

 王族たるエリザの手をとって最強の騎士は「それに、こんなにも貴女は美しい」と優しく微笑みます。

「そうですね。では我が最強の騎士。エスコートをお願いします」

 優雅に礼をしたエリザの手を、騎士は優しく手にとって……――。


「なるほど?」

 騎士は俺でいい。あとは女が必要ってことか? だがそれだと戻って誰かしら連れてくる必要が出てくる。

 しかしこのレベルの深層に付き合ってくれる奇特な女を俺は二名しか知らない。

 大盾の騎士アザムト斥力の聖女カウスだ。

 ただしアザムトには半吸血鬼ヴァンの調査を頼んであるし、聖女カウスは、少し不安だ。

 あの女は不安定にすぎる。このような場所で活動させて大丈夫か?

 とはいえあの聖女の弓の腕前、星神の奇跡。この状況では確実に俺の助けとなるだろう……。

(もう少し考えてみるか……)

 最初から誰かに頼ることを考えてはこの先もっと大きな困難に出会ったときに挫けてしまうだろう。

「そうだ」

 要は女がいればいいんだろ。この辺りの宝石頭を瀕死にして連れ歩くか? いや、あいつらは振動で警告音を出す。

(無理か……では、どうする?)

 ふとアザムトがやっていたことを思い出す。あの騎士は当初、デーモンの皮を纏ってダンジョン内を歩いていた。

「ダメだな。俺の信条が許さない」

 邪悪な術を行うぐらいなら正面から突破した方がまだマシだろう。何度か繰り返せば俺も敵の動きに慣れて突破できるかもしれないからだ。

(ただ、危険が大きすぎるな)

 危険というか、物資の損耗が酷くなる。貴重な水溶エーテルを消費してまでも突破できなかったのだ。ボスがどのような難敵かわからない以上、このような初戦から賭けに出るのは問題がある。

(……もう少し探索してみるか……)

 正面から突破するより、窓なりなんなりを破壊して侵入した方がいいかもしれない。

(もっとも、そのためには巡回する近衛のデーモンどもをなんとかしなけりゃならないわけだが)

 安易に窓を割っても巡回の騎士に気づかれ、正門の二の舞になるだけだ。

 前回侵入しそこなったあの小さな庭からの侵入も考えるが、内部構造を思い出して難しいと判断する。

 屋敷内には二階がある。そして二階からあのおぞましき広間は見下ろせる構造になっていた。

(宝石頭も歩いていた……あそこから侵入すれば上から撃たれっぱなしになるな……)

 ただ一人の戦士を殺すに余りある鉄壁の布陣。

「クソッ……どうする?」

 考えが止まる。小屋の窓から屋敷の様子を窺った。

 随分と考え込んでいたせいか、巡回の騎士どもも落ち着いて歩いている。先のような警戒態勢は解けていた。

 暗い夜空、あの星は明るいが、実際の星座をもとにしているのか見覚えのある形が多い。

(屋敷の明かりが邪魔だな……もう少し暗ければもっと遠くの星も見えるだろうに)

 そこまで考え、ふと気づく。

「そうだ。そうか……いや、どこだ? どこかにあるはずだ」

 エリザの物語に答えはあった。


                ◇◆◇◆◇


「きゃあ!」

 会場が騒然としました。当然です。いきなり全ての明かりが落ちたのです。

「落ち着いて! 落ち着いてください!」

 真っ暗な会場、警備の責任者らしき騎士が現れて原因を調査すると叫んでいます。

 会場の貴族たちは杖を取り出して明かりの魔術を唱えました。

 それでもこの暗さ、凍える夜気が息を凍らせました。

「姫。これは姫を狙う賊の仕業やも。脱出しましょう」

「そうですね。まだ外の方が星明かりがあって――」

 会場に悲鳴が響きました。濃い血の臭いです。

「誰か怪我をしたの!?」

 出口に向かおうとしたエリザは悲鳴を聞いて反転しました。

「姫! 危険です!」

 騎士が止めるのにも構わず、エリザは悲鳴の方向へと走り出していました。


 照明について意識から抜け落ちていた。

 他の領域はなんだかんだと薄暗く、全く先の見通せない場所すらあったというのに、ここはどうしたってどこもかしこも明るくて、先の正門付近なぞどこから敵が現れるのか先の先までわかっていた。

 煌々と会場を照らす光。

 光からは強い魔力を感じる。龍眼で本質を探ればエーテルを消費していた。魔術によるものだ。

「……どこだ? 物語に場所は示されてなかったが、どこかしらの……」

 小屋の中で考える。あの魔術を維持している何かがあるはずだ。

 だがわからん。いや、そうだよ。わかんねぇよ。こんな複雑な領域の構造なんぞ。

「ダンジョンはそもそも専門じゃねぇんだよ辺境人は」

 辺境を旅して邪悪を狩る武装司祭やヴァンのような冒険者なら詳しいかもしれない。

 だが、俺にわかるのはそういった装置はたぶん屋敷の中にあるということぐらいだ。だが、そもそも内部を悠長に探せるならそもそもこんなこと考えてないという考えに至るに――。

 いや、地図があった。

 大陸の、現実に存在する王城の地図だ。

(大陸滞在中の王都で写させてもらった奴だ。大陸のエーテル利用は完全に喪失してたから、明かりに関しては蝋燭を使っていた。それでも城の構造自体は昔のままだ。増築部分や改修されてたりもするが、昔の施設は残っているはずだ)

 それもエーテルを構造物全体に巡らせるようなもの、今の人間が手を入れられるはずもない。壊れたにしてもいずれ直すとか貴重だとか危険だとかの理由でそのままにしておくはず。

(……たとえ撤去されていようが配線図は残っている……これをたどれば……)

 地図に書かれている文字はわからなくとも、いくらか仕組みの難しい武具の配線図の読み方を俺は習っていた。

 人間が作ったものである以上、法則は変わらない。俺は線を辿り、目的のものを見つける。

 それは城内にエーテルを供給するための装置だ。

(地下か……それも城外に警備をするため人員を置く小屋まである)

 現役で使っているわけではないのだろうが、そういう痕跡が地図からは見て取れる。

 だが、どうして城外の地下に? そこまで考え、ああ、と同じく模写してきた城下町の地図を取り出して、そこに道があることで理解した。

(エーテルの搬入に正門を使えないのか)

 確かにそうだ。武具に使う液化神秘でさえ、小瓶一本でそこまで保つようなものでない以上、王城全体を明るくするのに必要なエーテルはどれだけ莫大な量になるのか。

(それに大爆発しそうで危険だ)

 俺の手持ちの道具には魔術爆薬と呼ばれる、エーテルで作られた爆弾のようなものがある。

 エーテルがそういう代物にも使えるのなら、それを大量に城内に運び込むのは危険にすぎる。

(しかし、金がかかりそうな施設だな)

 猫から購入できる水溶エーテルの値段を思い出しながら考える。

 あれ一本に俺は大量のギュリシアを使わせられた。

(廃れるのも当然だな……)

 金のかかるエーテル技術は繁栄を謳歌する皇帝の治世下でしか使えない技術で、つまりはこんなもの、混乱期の大陸では早々に廃れたに違いなかった。


 ――そもそも大陸は世界樹を滅ぼしている。


 世界のエーテル循環に世界樹は必須で、その守り手のエルフたちは世界樹の生存に必要な種族だった。

 だから世界樹を滅ぼした大陸では、どうやっても大陸全体のエーテル量は少なくなっていく。

 エーテルが少なくなればそれを利用して生きる幻獣や妖精は死ぬ。それらが死ねば神秘の減少は加速する。

 そうして、何もない大陸ができあがる。神の興味も失せてしまう。

 皇帝の目的はわからんでもなかったが、やはりその手段は残酷で、先のないものなのだ。

(……目標がわかったなら行くか)

 思考を切り替え、立ち上がる。ハルバードを片手に俺は窓から外を覗き見た。

 敵だ。

 宝石頭の犬と騎士が俺の潜む小屋に向かってくるのが見えた。

(まず殺すべきは宝石頭の犬……騎士は遠くまで仲間を呼べないからそのあとだ)

 ハルバードを構え、騎士が扉のノブに手を掛けた瞬間、俺は扉を蹴り飛ばした。


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