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 ホワイトローズとブラックローズの姉妹姫。

 国母オーキッドが産み育てた双子の冒険は辺境においてはメジャーな英雄譚の一つだ。

 巨獣たちの王の討伐軍の指揮、辺境各地に隠された悪神の神殿の発見、竜峡の踏破、巨人領域からの生還……。

 王都にいれば蝶よ花よと讃えられ、戦士たちに傅かれただろうこの美姫たちがなにを目的としてこれらの冒険をしたのかは現在でも謎に包まれている。

 一説には不死の法を求めたとも、神に至る手段を見つけるためとも。

 ともあれ、国母オーキッドが産み育てた王子王女たちの中で最も自由で、最も奔放であった彼女たちの偉業をまとめるに当たって、彼女たちの足跡を私も追いかけてみようと思う。

 読者諸兄も退屈だとは思うが、しばし私の冒険譚に付き合ってもらいたい。


   ―ザムエル・ザーナザムル著 薔薇の双姫の偉業について 第一項より抜粋―



 さすがに領主が何もしないのも問題だろうと神殿都市所属の騎士たちに訓練をつけてやっていれば、オーキッドが執務の途中で産気づいたと報告を受け、納屋を囲むように建てられている大神殿へと走っていった。

 最近は神への不信がなくもないが、俺もやはり辺境人。根っこの部分では神々をどうあっても信用してしまっているし、そもそもオーキッドは善神のお気に入りだ。神殿で産むのは悪いことではないだろう。

 というか、辺境人の女はだいたい産気づくとその辺の道端でもぽんと子供を産むのだが、さすがにオーキッドほど地位が高くなれば暗殺の危険がついて回るし、神殿には治療の奇跡が使える神官が何人も控えているからこちらの方が安全である。

 神殿にたどり着けばまだ産まれていない、ということでオーキッドのいる部屋の外で待たされた。周囲を見れば同じように待たされているのか、低位の神の聖女たちががやがやとたくさんいる。

 そんな彼女たちは俺を不審そうに眺め、興味がないのか仲間内での雑談に戻る。

(仮面で顔を隠しているからな。不審者扱いされているのかもしれないぞこれは)

 少し悲しい。とはいえ、領主であるが別に挨拶まわりしているわけでもないしな。たぶん俺を知らない聖女の方が多い。

 ちなみに彼女たちは産まれる子供に加護を与えるために待っているのだ。

 弱いというと本当に失礼だが、知名度の低い神々にとって信仰されるということは大事なので将来偉くなるだろうオーキッドの子供に唾をつけておくのは神々の宣伝係たる彼女たちの仕事の一つなのだろう。

(ううむ。あー。いいか)

 加護は加護だ。俺のゲッシュのような強制力はないし、神々の祝福は本当に祝福なので貰っておいて損はない。

 無言で立っていればなんだこいつ、というような目で聖女たちに再び見られたので俺は黙って壁際に置かれた椅子に座った。

 ちなみに月の聖女から授かった右腕の祝福や原初聖衣に覆われた左腕などは布製の篭手で隠している。月の聖女の血液が大量に刻まれた祝福を見せれば、彼女たちは大神の聖女のお気に入りである俺に媚びてくるだろうが、見せる気はない。

 見せれば刻まれた紋様から俺の使える奇跡がバレるからだ。

 聖女であるこいつらがデーモンや狂信者たちと通じているとは考えないが、それでも戦士は手札を無闇矢鱈と晒すものではない。

「もし、いずこかの神の聖人様ですか?」

 沈黙していれば、隣に座っていた若い聖女が声を掛けてくる。

(聖人? 俺が? 同じ祝福目的だと思われたか?)

 聖人は聖女とは違い、神が作ったものではなく善き神の信徒の中から発生する、神々の権能を扱えるほどに強い信仰を持つ、偉大なる奇跡の使い手につけられる称号だ。

 オーロラや王弟の瘴気が馴染んできているのだろうか。

 若い聖女が勘違いする程度には、強い神性を持つ神秘を俺の身体は放っているようだった。

 さて……どうするかな。領主だと言えば周囲の聖女たちが群がってきそうだ。こいつらは神殿街で暮らすにあたってオーキッドに生活費を無心している、とオーキッドからは聞いている。

 弱小神とはいえ、聖女は聖女なのでオーキッドも無碍にするわけにもいかず都市の収入から生活に必要な金だの穀物をそれぞれ分配しているようだ。

 シズカほどの大神の聖女ともなればそんなものなくても各地にいる大量の信徒が信仰のために様々なものを捧げてくるが、こういった弱小神は信徒の方も裕福でないので得られる供物は微々たるものらしい。

(とはいえ、面倒でも嘘はつけんからな)

 都市の経済を俺の一言でぐちゃぐちゃにしたらオーキッドが苦労してしまうだろう。さて、そうだな。

「聖人ではありません。弓神の聖女様」

「えっと、私のことを?」

 こてんと首を傾げる可愛らしい聖女テスラ様。

 もちろん知っています、と俺は頷いた。俺はもう敬うことはできないが、辺境人は聖女様方のことが本当に大好きなので俺も常識として聖女様たちのことは頭に入れるようにしているし、酒の席で他の戦士からあの聖女様はお美しい、などの話を聞かされることも多々あるので自然と聖女様方のことは記憶している。

 この神殿都市などには都市を運営する議員は一人も知らないが、都市にいる聖女たちの名前と顔は全員覚えているという辺境人が山程いるのだ。

「神殿騎士のキースと申します。よろしくおねがいします」

「ああ、神殿騎士。オーキッド様の護衛かしら?」

 警備ご苦労さまです、と言われて曖昧に微笑んでおく。否定も肯定もしない。嘘はついていない。俺はオーキッドの夫で、領主で、神殿騎士で、月神の騎士でもある。

(しかし弓神アランの聖女テスラか……)

 弓神アランは辺境においては、弓の名手でも弓神を信仰していないという不遇っぷりで有名な神だ。

 別に悪い神ではない。善き神であるし、得られる奇跡も優秀らしい。

 だが現実ではケンタウロスの弓聖と称されるサテュラーナでさえ信仰しているのは星神である。


 ――弓神は本当に不遇なのだ。


 弓術は辺境人の必須技能であるし、弓を一流レベルで扱えない辺境人は戦士失格とまで罵倒されるほどに弓術は辺境人にとって当たり前の技能だ。

 そんな弓を司る弓神がなぜ不遇かといえば、もともと人間の戦士出身で、弓術の見事さで神となった歴史の薄さもあるが、やはり上位の大神の多くが信仰すると弓神が与える奇跡と似たような弓術関連の奇跡を与えてくれることもあるだろう。

 弓術を副次技能として得られる神は、星神もそうだが、森神、狩猟神、武神……名を挙げれば切りがないし、俺が信仰する月神などは下賜する神器や聖具の中に弓があるぐらいに、弓は辺境ではメジャーな武具なのだ。

 だから戦士たちは弓神を信仰するぐらいなら他の神を信仰してしまう。

 そんな不遇な神の聖女テスラは「えへへ、知られてた。嬉しいなぁ」などとほにゃほにゃ笑っている。

(哀れだ……)

 窮しているなら金貨ぐらい恵んでやってもよかったが聖女様相手にそれは失礼すぎるので弱小神への信仰についてはオーキッドにいくつか口利きをしてやろうと思う。

 オーキッドは鬱陶しがっているが、彼女らは彼女らで必要なのだ。大神を信仰することで得られる奇跡は幅広いが、逆に言えば才なきものではその全てを網羅することはできないし、強い奇跡を使うには尋常でない信仰と修練が必要になる。

 才なき俺だったから知っている。

 誰もが英雄になれるわけではないのだと……。


                ◇◆◇◆◇


 生まれた子どもたちは双子の娘だった。

 俺は聖女たちが祝福を与え、去っていったあとに、身を清め、清潔な服に着替えたオーキッドと対面した。

 ちなみに彼女たちに会う前に俺も神殿の神官から浄化の奇跡を受けている。

 家族以外誰もいない部屋。無粋な仮面は必要がない。俺はオーキッドの姉の皮が張り付いた素顔を晒していた。

「くしゃくしゃだな」

「産まれたばかりの赤子とはそんなものだぞ」

 娘に対する感想を述べれば、苦笑しているオーキッド。

「名は決めたのか?」

 ああ、とオーキッドは子供たちを優しく眺める。

「双子の娘が産まれると託宣で聞いていたから名前は決めていたんだ。ホワイトローズと、ブラックローズと」

「……そうか。良い名だ」

 うむ、とオーキッドが頷いて、我が子の頭を撫でた。子どもたちの足首には布が巻いてあり、それぞれ白と黒に染められている。

「ああ、そうだな。俺も祝福ブレスをかけておくか」

 聖女達がやって、俺がやらない話もないだろう。オーキッドが少し驚いた顔をする。

「祝福? キースにできるのか?」

「失礼だな。俺は神殿騎士だぜ? それに最近、神々との付き合い方がわかってきたせいか。少しだけ信仰が強くなった」

 だから簡単な祝福ぐらいならできる、と思う。

 実のところ、神官が使える奇跡の初歩たる祝福に関しては、できるような気がするが、使ったことはないのだ。

 少し緊張しながら俺は月神に祈りを捧げた。

「月神アルトロよ。我が娘たちに汝の祝福を。その生が善きものであるように。その生が善き戦いに恵まれるように。その旅路が幸福であるように。その果ての死が憂いなきものであるように」

 祈れば、少しの魔力が俺から失われ、きらきらとした光が娘たちに降ってきた。

 それは聖女達の祝福に比べればか弱い光で、だけれど間違いなく祝福の奇跡だった。

 優しい光だ。込められた祈りに相応しい奇跡だ。

(俺にも祝福が使えたか……)

 そうだ。俺は神々を疑いながらも信じている。

 疑念はある。敵意もある。だが底の底の方に、どうしても拭い去れない、強固な信頼が残っている。

 それはこの辺境の地で育まれた俺の神への信頼で、それが俺の神との付き合い方で、うんざりしていても、やはりどうしても嫌いになれない家族のような、そんなものが俺の信仰なのだ。

 暖かなものが胸に宿っている。


 ――さぁ、征くか・・・


「オーキッド。ありがとう」

 俺の言葉に、オーキッドは、少しだけ悲しそうな顔をした。

「行くのか。キース」

「ああ。行ってくる」

 子どもたちの成長は楽しみなれど、俺は俺の使命を果たさなければならない。

 地下の化物どもデーモンを、殺さなければならない。

 その果てに、神を殺さなければならない。



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