186
――地上では半年の時間が経っていた。
「たった半年、されど半年。どう? 騎士キース、お前がいない間にも世界は進んでいるわよ」
俺は今、神殿に用意された
シズカは変わらず小さな身体の美しい銀髪の聖女だった。その聖女に促されて用意された椅子に座れば、テーブルを挟むようにして聖女シズカも椅子に座る。
「そうだな。驚いた。半年で俺がやることがなくなっていた」
世界は進む。俺がいない間にも。俺がいなくとも。世界は進んでいく。
「そうでしょうそうでしょう。お前の妻たるオーキッドはお前が自由に動けるように、英雄を必要としない都市を作っています」
ふん、と俺は鼻を鳴らした。
「あいつは賢いからな」
「でもあの小娘は辺境をわかっていない。英雄は必要です。どうあっても。どうであっても。雑兵に殺せぬ脅威は多い」
「だからサテュラーナがいる。黒蝮の親分も。エルフの乙女も。俺の知らぬ戦士たちも。オーキッドを助けようとしている」
「でも、お前は必要がない。この都市にお前の居場所はない」
ふん、と俺は再び鼻を鳴らす。
そう、戻ってきた俺にやることはなかった。ついでに相手をしてくれる奴もいなかった。
戻ってきたオーキッドは身重だが忙しく動き、ガキどもは領主の息子と娘だからと特別な教育を受けている。
適当に街に出て悪人でもぶっ殺して暇でも潰そうとも考えたが、周辺や街の治安は半年前より随分と強化された騎士の部隊が担当している。
前回のように悪神の信徒たちが都市に蠢いている可能性もあったが、騎士たちの経験にするから手を出すなとオーキッドに言われてしまった。
オーキッドに言われれば俺はそういうことはできない。でしゃばって奴の段取りを台無しにするのは可哀想だからな。
とはいえ、暴力以外に俺が振るえるものなどない。
そして、ここにいる間ならばと
当たり前だが俺は領主としては無能で、それはつまり居心地が悪い。
そして爺さんに預けた道具も未だ整備は終わっておらず、迷宮に出向くにも手持ち無沙汰だ。
(いや、オーキッドがガキを産むまではこっちにいるつもりだが……ううむ)
せっかく上手く回っているのだ。あれこれと俺が口を出しても迷惑にしかならないだろう。
オーキッドはキースは休んでいろとも言ったが、それはそれで身体が
小遣いを貰ったので、都市に降りて賭場で博打をするか、酒場にでも行って酒でも飲むかと思ったがそういう気分でもない。
今日の鍛錬も終えている。
そんな理由でぶらぶらと神殿内をうろついて神官に鬱陶しがられていれば、都市での説法を終え、戻ってきた聖女シズカとばったり出会い、ここに連れられた次第であった。
ちなみに、帰還してから
オーキッドがすぐに手配を整えてやってしまった。俺の妻が優秀すぎるぜ。
「というか、聖女シズカ。アンタまだこの都市にいたのか?」
俺の無礼な言葉に部屋の壁際に立っている月神の信徒の乙女たちが殺気立つ。
ただ聖女シズカの躾が効いているらしく、嫌味すら口にすることはないが。
深層のデーモンと比べれば子犬のような殺意は正直、くすぐったく、笑みすら浮かんでしまう。
俺ならば、殺したいと思えばすぐに殺している。相手が強く、殺されても自業自得だが、それも含めて殺意とは飛ばすものだ。
「なんですか? いて悪いのですか?」
俺の言葉に聖女シズカは不機嫌そうに眉をひそめていた。
「帰らないのか? 月神の神殿だって暇じゃないんだろ」
「口調」
それでも、俺の態度に流石に耐えかねたのか、テーブルの脇で茶の用意をしていた乙女の一人から注意が放たれた。言葉と共に殺意が向けられる。
しかしそんな態度も長くは続かない。聖女シズカが言葉を放った乙女に向けて不機嫌そうな顔をする。
「黙りなさい。今、私が騎士キースと話しているのです」
怯えたように後ずさる乙女に向けて「不快です。出ていきなさい」と聖女シズカが告げれば、涙を流しておとなしく乙女は部屋から出ていった。
「……口調を改めた方がいいか。いや、そもそもなんで俺は聖女様に向けてこんな気安く……」
「構いませんよ。騎士キース。オーロラを殺したお前は名実ともに
「俺は、そうだ。前よりも、聖女様方の威光が見えなくなった」
「騎士キース、お前が強くなったからですよ」
顔を覆うように額に手で触れる。仮面の感触。その下の原初聖衣に問う。リリー、俺は……。
(わかっている。わかっているさリリー。聖女様は変わっていない。変わったのは俺の方だ)
「お前はオーロラを殺した騎士です。むしろそれぐらいでなくては。それに、その身体。私の血もそうですが、
「なんの、話だ?」
「
「なんだそれは。俺が見つけたのは、商業神の眷属だ。ダンジョン猫のミー=ア=キャット」
――調べましたが、商業神にミー=ア=キャットなんて眷属は存在しないのですよ。
「商業神バスケットなど知らない。俺が知っているのは、ただの怯えた猫だけだ」
聖撃の聖女様の言葉が頭に浮かんだが、俺は振り払うように聖女シズカに強く言う。
この女は協力者だが、同時に弱みを見せてはならない。
「そうですか。騎士キース、ここまで成長したならば、お前が神格を得るまであと少しですよ。完全に取り込めていなかった
「神格? いや、待て、いま、あんた、奇妙な言い方を」
かちゃり、と目の前にソーサーに乗せられたカップが置かれた。
「ふふ、どうぞ。辺境では貴重なコーヒーです。これ一杯で同じ量の金貨と等価値で扱われます。無学なお前に味がわかるかはわかりませんが」
茶菓子も置かれ、俺は手を伸ばして、ぴしゃりと聖女シズカに叩かれた。
とんでもない表情で俺を見ていた。美人が台無しだ。
「お前、ゲッシュはどうしたのですか?」
「ゲッシュ?」
「アルトロに祈れと。でなければ死ぬと」
「それは食事で、これは茶だろう?」
「お菓子を! 食べるでしょう!!」
「はぁ? 茶菓子は菓子だろう? 嗜好品は食事じゃないだろ常識で考えて」
「こ、この農民!! どこまでお前は! 貧困が染み付いているのですか!!」
何を言っているのかと俺が呆れて聖女シズカを見れば、聖女シズカもまた呆れて俺を見ていた。
「道理で我々の血や骨を取り込み、ゲッシュまで組んでいるのに信仰が弱いと思いましたが」
「つーか、そもそも食事に祈るならアルトロではなく、
「そこです。そこ。その認識が問題です」
片手で祈りの印字を組む。
月神に祈りを捧げる。貴女の眷属からありがたい茶菓子をいただいております、と。
これでいいだろ。菓子をばりばりと食べながらコーヒーと呼ばれる飲み物を飲んでみる。苦いが、なかなか癖になりそうな味がする。
「いいですか騎士キース。ゲッシュは自己暗示型の呪術です。基点をお前とする以上、お前の認識に術式の根幹、つまりゲッシュの効力を依存します」
「おい、このコーヒーとやら、もう一杯くれ」
「お前! 私がこうして!!」
「わかってるよ。とっくに祈ってる」
ここまで言われれば俺でもわかる。所詮俺は魂の髄まで農民でしかなかったというだけの話だ。
菓子も食事だと? 菓子は嗜好品だ。余裕のある富農が食うものだ。
特に砂糖を使った嗜好品は特別なときに食べるものだ。祭りのときの特別な祝いものだ。
だが身分が高くなれば、それは当たり前のことになる。
やはり俺は、こうなのだ。
命まで代償としながら、戦士の基本であるゲッシュですらまともに扱えない。
「お前、本当に大丈夫ですか? 心臓は痛みますか? 神の被造物たる私の血で術式を組んだそのゲッシュは、辺境人の護りなど関係なく、違えば必ずお前の命を奪うのですよ?」
気づけば聖女シズカが隣に立っている。心配そうに俺の服の上から心臓に触れていた。
「……驚いたな」
「なにが、ですか?」
「アンタでもそんな顔をするのか」
驚いたような顔で俺をみる聖女シズカは恥じ入るように顔を伏せ、どすどすと力強く歩きながら自らの椅子へと座り直す。
そうして心配そうにおろおろとうろたえている乙女の一人を呼び寄せると平手でその顔を叩いた。
「人に当たるなよ」
「知りません。ええ、何も。何も知りませんとも」
同時に俺は自分の口の軽さに嗤うしかない。
決定的だった。もう
辺境人でも強くなれば、そうなるのか。
「辺境人は、度し難いな……」
俺の呟きに、カップに口をつけ、コーヒーを飲んでいた聖女シズカはなんでもない顔をしている。
「そうですか? 私はそれでいいと思いますが」
「
「どこでそれを? いえ、問うまでもありませんね。そうですよ。最初からそうなのです」
だから、お前のその態度は同じ神の被造物たる聖女として喜ばしいことなのですよ、と聖女シズカは穏やかに言う。
「
その言葉に俺は曖昧に嗤うしかない。
「どうにもならねぇよ。なるようにしかならねぇ」
これからも奇跡を積み上げていくことになる。
それはきっと、どうしたってどこかで失敗する恐れを孕んだ、分の悪い博打でしかないのだ。
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