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「これは『チコメッコの油脂』にゃね。武具に塗ればその武具の性能を万全なものにして、食べれば肉体の調子を万全にしてくれるにゃ」
神器にゃ。しかもなくならにゃいにゃ。使えば一晩で補充されるにゃ、と猫は俺の膝の上に乗って道具の解説をした。
神殿前広場の聖域にて俺は前回の探索で得た道具の鑑定を猫にして貰っていた。
にゃごにゃごと鳴いている猫の重さが膝の上にかかる。暖かな小さな獣の重さだ。小さな生き物特有の心臓の音が布服を通して俺に伝わってくる。
なるほど、とチコメッコの油脂とわかった布に包まれた脂の塊を俺は袋にしまう。
次にゃ、と猫はぺしぺしと俺の腕をしっぽで叩く。急かされて絨毯に広げていた装飾品らしきものを取り上げて、猫に見せた。
「にゃん。このロザリオは『ゼウレのロザリオ』にゃ。雷撃の奇跡が一日三回まで使える聖具にゃよ」
これも一晩で回復するタイプにゃね、と猫は言う。
「神器に聖具か。深層ともなるとこれらも珍しくなくなるのか」
「ダンジョンの性質にゃね。神秘が濃いものほど深層に置かれるにゃ。探索者を招き入れるための餌にゃね」
餌か。思えばダンジョンは俺の進行に合わせて道具を出している節もあった。やはりだ。どういう意図があるのかわからないが、この魔窟は意思を持って獲物を招き入れている。
「それでこっちの蝋材は『名もなき聖女の蝋材』にゃね。以前キースが手に入れたものと同じものにゃ」
「なぜ」
「にゃ?」
「なぜ聖女の蝋材が……いや、聖人の蝋材までここにはこんなにもある?」
俺の質問に猫は目を伏せる。言いづらそうににゃごにゃごと口ごもりながらも説明をしてくれる。
「4000年前のここは聖地だったにゃ。聖女も聖人もいっぱいいたし、それに関わる道具もいっぱいあったにゃ」
「そう、だったな。そうだった。ただの迷宮じゃなかったなここは」
俺は聖女の蝋材を手にとって祈りを捧げた。名もわからぬ貴女の魂に、安息がありますように。
同時に、この人の力をデーモンとの戦いに使わせてもらうことも。
「あとはこっちの瓶と火だな。なんだこれは?」
どちらもオーロラの領域で拾ったものだ。
「瓶のほうは酒瓶にゃね。これは……『月光雪酒』にゃ! にゃあ、ちゃんと残ってたんにゃね。月神の神器にゃよ」
「神器……これも神器か!? おいおい、どれだけあそこには神器やら聖具があったんだ?」
しかも俺は全てを探索していない。恐らく貴重な宝はまだ残っている。
それでも探すだけの時間はない。次の探索では新たなデーモンを求めてまた新しい
「これも減らにゃい道具にゃ。あとほんのちょっとにゃけど魔力を回復する力もあるにゃ」
「ほう? 魔力が」
試しに蓋を開けて口をつけてみる。
喉を通る焼けるような火酒の感触に驚く。味はかなり透き通っている。濁りもない。
――
「が、ダメだな。魔力回復には使えん」
「にゃ? ダメかにゃ?」
「強すぎる。こんなもん飲んで戦ってたらすぐに泥酔しちまうぜ」
休息地点で身体を休めるときに飲むのが良いだろう。もっとも飲みすぎて前後不覚になればまずいな。
「チコメッコの脂を
それをするぐらいなら地上に戻った方が早いが、戻れない場合はそういう手段も必要だろう。
以前は戦いながら肉を食い、ワインを飲む、という手段をとったこともあったが敵が強くなっていく現状、ああいう手段は出来うる限り避けたい。
「一応、味を確認してみるか。猫、適当になんか食えるもんをくれ」
「適当って言われても困るにゃ。にゃぁ。これでいいにゃか?」
おう、と頷いた俺はチコメッコの脂を袋から取り出して猫から小麦を焼いたパンのようなものを買う。小さく月神に祈りを捧げ、そうして脂をつけて食ってみる。
「うむ。美味い。下手な店で食うよりも格段に美味い」
「よかったにゃ。それで鑑定に戻るにゃけど。こっちの火は種火にゃね。鍛冶の種火にゃ」
「鍛冶の種火? この水晶は火を保管するものか。それで、これで鉄を鍛えるのか?」
「これは『影の月の種火』にゃ。デーモンの武具を鋳溶かしたり、そのままきちんと強化するのに使えるにゃ」
「ということは今まではきちんと強化されてなかったのか?」
にゃー、と猫は困ったような表情をする。難しいにゃけど、と言いながら説明を続けていく。
「そこの鉄の山の長老の一人たるガフはとても優れた
「……長老だったのか、あの爺さん」
聖女様め、どんな条件で連れてきたんだ? たった一人の戦士に与える待遇じゃねぇぞ。
「にゃん。にゃから
「あー、すごいことなのか?」
「すごいことにゃ。これでガフも瘴気の武具を+6以上に加工ができるようになるにゃよ」
「そういえばハルバードぐらいだな。+6以上で俺が持っているのは」
素材がなかったからでもあったが、思えば確かに爺さんは聖具や神器の強化を勧めてきたことはなかった。
「それの強化ができるのは、ガフがきちんと素材から選んで作った武具だからにゃ。やっぱり特別な武具には特別な火がいるにゃ」
その火は俺が探す必要があるのか。それとも爺さんが勝手に取り寄せるのか。悩む俺に猫が膝の上で淡々と言う。
「考える必要はないにゃ。ダンジョンが全て導いてくれるにゃ」
その言葉に、俺は猫の背中に手を落とし、ぐにぐにと揉んでやる。
「にゃ! にゃにゃにゃにゃ!! にゃにするにゃ!!」
ぷんぷんと怒って嫌がる猫に対して俺は口角を釣り上げてみせる。
「ふん、なんとなくだよ。なんとなく」
気に食わねぇな。ああ、気に食わねぇな。
そこまで決まってるのか? 俺の全部はゼウレと破壊神の手のひらの上か? ああ?
「キースの言いたいことはわかるにゃ。でも最初からそういうことにゃ。みゃーも、別に、キースを怒らせたいわけじゃにゃいにゃ」
「ったく、これじゃ帝王の気持ちもわかっちまうな」
「
猫の心配そうな表情に俺は「俺は帝王みたいなことはやらねぇよ。趣味じゃねぇからな」とだけ返す。
沈黙。とぼとぼと猫が膝の上から飛び降り、最後に残った道具まで歩いていく。
「にゃあ……剣の鑑定をするにゃ」
ああ、と頷けば猫は『冷たき月光』の前に立った。
「聖具『冷たき月光』にゃ。『月光』と『触媒』の聖言が刻まれてるにゃ。『月光』は刃に月の光の属性や概念を付与するにゃ。『触媒』は奇跡の触媒として使用が可能になるにゃ」
「なるほど、斬撃を飛ばしたりするのは『月光』と『触媒』の聖言の複合した効果か。やはり俺がこいつを扱いきれていないのは信仰心が足りないからだったんだな」
「それだけじゃにゃいにゃ。魔術に関する深い知識も必要にゃ」
「……魔術? なぜだ?」
「こういった特別な道具の力を引き出すには信仰だけじゃ足りないにゃ。現象とエーテルに対する深い理解が必要にゃ。恐らくオーロラは月の女神を信仰し、奇跡を扱い続ける過程で月神とエーテルに関する深い知識と理解を手に入れてるにゃ」
「だったら俺も、月神を強く信仰すれば」
猫はそう言った俺を馬鹿にするような目で見た。
「キースには無理にゃ」
「どうして?」
「キースは、オーロラのように神を信仰できにゃいにゃ。月神を理解することもできにゃいにゃ」
「……俺は」
「生まれかにゃ? それとも育ちかにゃ? キースは幽閉塔の王弟を殺せたにゃ。あれは
「……ゲッシュまで結んでも信仰は、ダメなのか?」
「だからキースは魔術の知識が必要にゃ。勉強するにゃ」
猫が本を取り出して、なにやら文字が大量に書かれたページを見せてくる。文字の羅列を見た瞬間に目眩がした。
そういえば前に勉強した文字も使っていなかったせいで随分前に忘れてしまったような気がする。
「初等魔術教本にゃ。魔術師たちの『塔』で使われていたものと同じものにゃ。サービスにゃ。金貨一枚でいいにゃ」
「……いらない」
頭痛を感じて俺は目をそらした。戦士の俺が魔術を勉強だと? 騎士にもなった俺が魔術を勉強だと?
「にゃー」
「にゃー、じゃない」
俺は冷たき月光を袋に入れた。パンに脂をつけて食べ、月光雪酒に口をつけ、人を馬鹿にした声で鳴く猫の頭でもぐらぐらさせてやろうと手を伸ばし――
――じゃあ、マリーンを殺せばいいにゃ。
「あ?」
「オーロラがダメにゃらマリーンを殺して魔術の知識を受け継げばいいにゃ」
「それ、は」
「キースは魔術と呪いに対する防御手段が豊富にゃ。あんまり苦戦しないと思うにゃ」
「おまえは」
猫の目が爛々と光っている。銀の毛並みの美しい猫が、見慣れない生き物のように見えた。
いや、そうだ。この生き物も4000年の長い年月をこの暗く深い地獄で過ごした怪物なのだ。
俺の理解など端から通じない生き物なのだ。
(だが、確かにそうだ。猫の言うことは正しい)
残る扉の内容を考えても、次の相手にマリーンはちょうどいい。
オーロラに勝てたのは運や偶然の要素が強い。まともに戦っていたなら死んでいたのは俺の方で、それはつまり他の扉の先の敵も同じように強いということだろう。
「そう、だな。考えてみよう」
「そうするといいにゃ」
話は終わりとばかりににゃんにゃんと鳴いた猫がどこかへと去っていく。
「はぁ、なんだかな……」
このまま帰ってもよかったが、一応やるべきことは残っている。俺はとりあえず種火を持って爺さんのところに向かった。
鍛冶小屋の中でカンカンと俺の鎧の補修部品を作っていたドワーフ鍛冶の老人は、俺が差し出した種火を見て「こォんなもんがあるならはよ出せィ! バカヤロォ!!」と怒鳴りつけてくる。
無体なと思いながらも変わらぬ有様に口角が緩む。変わる奴もいれば変わらない人もいる。この巌のような老人はきっと死ぬまでこうなのだろう。
「そういや、爺さんアンタ、ドワーフの長老なんだって?」
鍛冶場から出てきて俺の渡した炎の入った水晶を眺めていた爺さんは、口をへの字に曲げた。
「あァ? なんだ、誰から聞いたんだそんなこと」
「いいのか? こんなところにいて。爺さんなら地上で不自由なく腕を振るえただろう?」
はッ、と爺さんが俺を馬鹿にするような目で見る。猫に続いて今日で二人目だ。そんなに馬鹿なことを俺は言っているのか。
「ドワーフ舐めんじゃねぇよ小僧。こんなところだァ? 馬鹿か? てめぇはなんでここで戦ってんだァ? ここだからだろうが。儂もそうだ! ここだからだ。お前に渡した儂の武具が神を殺す! 儂がここで鉄を鍛つのはそのためよォ!!」
くく、と爺さんは嗤う。
「武具に宿る霊に聞けばわかるぞォ。儂の作ったハルバードが低位水神を殺し、名高きチルディの四騎士の一人をもぶち殺したことをなァ」
がはは、ぐははは、と腹の底から嗤う爺さん。
そうしてからくんくんと鼻を鳴らす。
「てめェいい酒持ってんなァ。ちと寄越せや」
手に持ったままの月光雪酒を渡せば爺さんはそのままガバガバと飲んでいく。
「げふッ、くははッ! 美味い! ドワーフの火酒に似たいい酒だァ!!」
辛気臭ェ顔してんなてめェも飲め、と俺に酒瓶を戻してくる爺さん。
さっぱりした性格の老人だった。俺の悩みなどどうでもいいとばかりに気に食わねぇなら敵を殺せと言ってくる鍛冶屋だった。
だが、俺にはそれが心地が良い。
「おう、爺さん。あんたの武器で次は伝説の大賢者マリーンを殺してやる」
楽しみにしてろと言えば「がはは、そりゃいい」と秘蔵の酒を取り出してくる。
――朝まで二人で飲んでいれば地上に戻ったのは翌日で、オーキッドに黙ってダンジョンに行ったと思われて泣かれた。
次は地上で飲もう。
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