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 敵は巨大だった。巨人のごとき体躯。丸太のような手足。面付きの兜で頭部は覆われ、その素顔は見えない。

 全身を覆う漆黒の鎧は、まるで夜闇のごとき暗さだった。

 どくり、どくりとその身体を覆う鎧は、生物のように脈動している。

『同じ神を奉ずる同胞よ』

 デーモンが語る、大剣の騎士オーロラの言葉は、ひび割れた金属に、疲れた老爺の声を混ぜたもののような音をしていた。

 だが敵の底は計り知れない。

 俺が傷をつけた部分からは瘴気が噴出していたが、次第に噴出も収まっていく。傷口からは巨大な血管のような触手が現れ、傷口を覆い隠していく。

(再生能力は高い。傷をつけても鎧が癒やす。この敵を滅ぼすのは容易ではないな)

『月の神の騎士であれる男はただ一人。我と汝が同じく騎士ならば、汝が死なねばならぬのだ』

 大剣の騎士オーロラは大剣『冷たき月光』を構えている。淡い燐光が剣の周囲を覆うそれはまさしく月の光そのもの。

 夜闇のような敵の姿と合わせれば、まるで夜空に浮かび、煌々と大地を照らす月のようにも見えた。

(だが、これは。予想はしていたが……)


 ――これは、殺されるかもしれん。


 剣を構えるその姿は殺意そのものが形となっている。その威容。まさしく一流を超えた先にある英雄の領域だった。

「勇者よ。デーモンよ。お前の剣に敬意を払う」

 お前の存在そのものは許せないが、お前の強さに敬意を払おう。

「我が名はキース・セントラル! 神殿騎士にして、月神より奇跡を賜ったダベンポートの戦士なり!!」

『辺境人。貴公の名乗りに敬意を表する。我が名はオーロラ。月神より直々に騎士を拝命した、山脈断ちのオーロラなり!!』

 そして、月の隠された地底湖の畔で、戦いは始まった。


                ◇◆◇◆◇


 荒々しい異名と、仰々しい伝承で謳われる山脈断ちのオーロラであるが、対峙した印象は全く違う。

 大剣を正眼に構えた姿に隙はなく、足運びにも全く乱れがない。

 まるで城壁のような立ち姿。ただ突っ込んでいっても一太刀にてばっさりと斬り殺されるだけだろう。

(強い。強いな……)

 生前の技量そのものを継承しているこの騎士を正面から殺すには、自らが四騎士と同じ領域に立つ必要があるだろう。

(だが、俺にそんな力はない)

 俺はハルバードを片手で握り、いつでも自在に動けるように膝を落とし、足先に力を込める。

 全身の感覚を総動員し、その瞬間を待つ。

『まずは』

 オーロラの言葉に合わせて、俺は背後へと跳躍する。肉体の反射反応ではなく、明確に背後へと、自らの意思で跳んだ。

(ッ……!?)

 巨人のごとき体躯が大剣を縦に振り下ろしていた。眼の前に剣先が落ちている。遅れて、何かが破裂したような音が耳へと届く。

(なん、だ? 今の音は? あれが剣を振った音か?)

 今の光景を脳が処理したのは、音が届いてからだ。俺が背後へと跳んだのは、奴の腕を注視し、大剣を振りかぶると予測できたからだ。

(だが、四騎士オーロラ、こいつ、音よりも速く、剣を振りやがったのか?)

 その驚愕は、怪魚の髭とは全く違う。髭剣の先端は音の速さを超えるが、あれは鞭がそういうものだからだ。

 音の速度を超えて剣を振るう? なんだそれは? これは、勝てるのかおい?

 もはや効くか効かないかなどと言っている場合ではなかった。喰らえば死ぬ。少しでも生存率をあげるべく、俺は片手で特化聖印を握ると『月の外套』の奇跡を願う。

『む。月の外套か』

 同時に、足先に力を込めて、奴の側面へ向かって駆ける。正面からの打ち合いはできない。まるで枝でも振るうようにオーロラは大剣を振るっているが、あの大剣は軽い剣ではない。メルトダイナスのものを整備した記憶を思い出す。

(冷たき月光は、大剣相応の重量を持つ剣だ。それが巨大化しているなら、俺のハルバードが如何に頑強でも打ち合えば破壊される)

 奴の巨体を回り込もうとする俺に対して騎士もぐるりと身体を向けてくる。

『小賢しい。月神の騎士たる我に、月の外套は効かぬ。死ねぃ』

 横薙ぎ。


 ――死んだかと思った。


 皮一枚の距離を剣が通り過ぎ、遅れて破裂したような音が耳へと届く。だが俺に傷はない。鎧に傷はない。まさか月の外套による幻惑が効いている? オーロラの困惑した気配を感じるが、その隙を逃す俺ではない。

「お前が死ねぃ!!」

 横薙ぎのまま身体の硬直したオーロラへと踏み込む。両手で握ったハルバードを大きく振りかぶり、一閃。

 龍眼には全力で魔力を叩き込んである。何重もの瘴気のヴェールを引き裂いていく。

『おぉおおおぉぉおおおぉおおおお!!』

 奴の鎧から瘴気が噴出する。練り込んだオーラによる全力の一撃だ。+9まで強化したハルバードによる必滅の刃。それに加えて『月神の刃』による強化と蟷螂の指輪による斬撃強化もかかっている。

 怪魚の時とは違う。効いている。効いているはずだ。

『うぅぅぐぐぐ……おぉぉぉぉ……』

(オーロラが混乱している……?)

 罠かどうか一瞬迷うも、俺の身体は自然と動いていた。振り切った体勢のハルバードにさらに力を加え、旋回するようにして第二撃を叩き込む。

 うずくまるようにオーロラの身体がへたり込む。その身体に俺は次々と刃を叩き込んでいく。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぃ!!

『おぉぉぉ、なぜだ? なぜなのだ? 月の神の治癒が働かぬ。我が誓約が働かぬ。月神よ。アルトロよ。なぜだ? なぜだ? なぜなのだ?』

 オーロラが両腕を空に向かって伸ばす。だがそこに月はない。空は天板で覆われている。

「はッ、大チャンスだなおい! さっさと死ね死ね死ね死ね死ねぃ!!!」

 俺は構わずハルバードによる斬撃を叩き込み続ける。奴が垂れ流す瘴気は濁流がごとくだ。水に溺れるような心持ち。瘴気で溺死でもさせようというのか。

「死ね!」

 脈動する鎧が切り裂かれる。

「死ね!!」

 再生のために現れた触手を斬り飛ばす。

「死ねぃ!!!」

 瘴気の波に飲み込まれながらも、全身からオーラを絞り出して刃を叩き込み続ける。

 だが死なない。奴は死なない。膨大な量の瘴気が中には詰まっている。怪魚と同格? 誰だそんなことを言ったのは。

(殺さねば! 殺さねば!! 殺さねば!!!)

 オーロラの肉体には、不吉な気配が詰まっていた。どうにも嫌な予感が拭えない。これだけ攻撃を叩き込んでいるのに勝てるイメージが全く湧かない。

 死ね。死んでくれ。早く。早く。早く。

 誇りある騎士の戦いではなかった。倒れた相手に刃を叩き込み続けるのは戦士の行いではなかった。

 それもそうだ。これはデーモンとの戦い。不吉極まりない地下牢獄のボスとの戦い。メルトダイナスを無惨に殺した恐ろしい怪物との戦い。


 ――『ああ』とオーロラが、言葉をこぼした。


 俺がハルバードを叩き込んでいた時間は、実際の時間は一分も経っていないだろう。

 だが俺にはこの時間がまるで永遠にも感じられた。死ね死ね死ね。腕が疲労で重くなる。頼むから死んでくれ。瘴気で呼吸ができなくなる。

 溺れるような瘴気の気配が、あたりに散らばっていく。

『そうか。我は』


 ――大剣が、左右に振られた。


 まるで、蟲でも払うような仕草だった。振られてから、俺は大剣が振られたのだと気づけた。俺の耳に音が届いた。

(今、のは、どう、やって?)

 奴の両腕は、天に向かって伸ばされている。腹が熱い。見下ろせば、鎧の胴に切れ目が走っている。二回振られて、一閃目は月光纏いで幻惑できたが、返しの二閃目は当たっていたのだ。

 血が噴出していた。鎧に覆われ、内臓が溢れる様子は見えない。いや、違う。そうじゃない。

 もっと致命的な感触だ。

 冷たき月光の放つ衝撃で、鎧の中身が、心臓を含めた全てが粉々に破壊されている気配がした。


 ――は? 俺が、死?


 ハルバードが俺の手から落ちる。

 舌が、喉から逆流するように吹き上がった血と、粉々にされた内臓の欠片に触れた。

 生存本能が、袋よりソーマを取り出させた。蓋を開けている暇はない。瓶ごと歯で噛み砕く。

 喉をソーマが流れていく。神の霊薬による治癒効果が働く。肉体が再生していく。温かい何かを取り込んだ感触がある。

(腹が、温かい。いや――)

 そんなことを考えている暇はない。オーロラの薄暗い瞳は、再生した俺を捕らえている。

(腕じゃない。何が、俺を、殺し――)

 気づけば、俺が切り裂いたことで撒き散らされた瘴気によって周囲は闇で覆われていた。

(逃げ――)

 足にはとっくに力が入っている。オーロラを殺しきれなかった。だが、ここにいれば殺される。

 闇は周囲を覆っている。一寸先も見えぬ世界。だが頭上に殺意がある。今度はソーマを飲む暇など与えないとばかりに、頭上に冷たき月光の気配があった。

「ッ!!」

 肉体にあふれる生命力のままに、オーラを練ってこの場を離脱する。

『我は』

「こいつは」

 瘴気の闇の中に、影がある。ずたずたに切り裂かれた鎧が周囲に散らばっている。オーロラの肉体は触手によって覆われている。

 肉塊の化け物? 違う。そうではない。奴の本体はそうではなかった。

 触手の中に、暗色をした骨の巨人がいる。

『死んでいたのだ』

 骨の巨人が立ち上がる。身体を覆う触手が寄り集まって筋肉のように骨を覆っていく。

(そうか。あれは鎧に見せかけた肉の塊か)

 先程、俺の腹を割いたのも腕ではなく、傷を塞ぐために展開した触手に大剣を持たせたのか。

(やはり、デーモン。これは、騎士の決闘などではない)

 冷たき月光が、奴の肉体に取り込まれていく。オーロラの右腕が剣と化していく。

 仄かな燐光を放つ大剣に、骨の巨人が頬を擦り寄せた。

『だが導きはここにある。月の光は、我が勝利を照らしている』

 肉をいくら斬っても殺せるわけがなかった。

 奴の本体は、鎧の中にある。あの巨大な骨。

『騎士キースよ。月神の騎士よ。我が月神の加護で、貴様を切り刻んでやろう』

 狂った骨の巨人が、咆哮を上げた。

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